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シーとピンク色のテロリスト  作者: ユッキー


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SCENE22



 赤銅色(しゃくどういろ)に色づく海面がそのまま夕空と同調し、遠い幻のように朦朧(もうろう)とした高層ビル群に(あか)い落日が隠れようとしていた。都心の喧騒から逃れ潮の香りさえ漂う舞浜のディズニーリゾート・オフィシャルホテルの一室で、今日も夕凪(ゆうなぎ)の時刻を迎えた。大型テレビが置かれたローチェストの上の、暖炉の焔のようなWoodWickのアロマキャンドルがときおりパチパチと癒しの音を奏かなでる。左脚の傷が癒えた春子さんが、ワタシとシーちゃんのために食事を運んでくれていた。 ──外食またはルームサービスの利用でさえ慎重を期して控えていた──


 ──MOMOE様! もうすぐ桜が開花する季節ですね。早いものであれからもう1ヶ月になりました。陽葵(ひまり)ちゃんは都内にある子どものこころのケアの専門病院に入院してもらっていますが、精神的に不安定な状態がつづいています。身元調査の結果、数年前に両親が離婚し母親が親権者となっていましたが、やはりあまりよい家庭環境ではなかったようです。現在も母親は都内のキャバクラで働いており異性関係もだらしなく、小学生の女の子を健全に育てるのは無理がありました。たまらず家をとび出した陽葵(ひまり)ちゃんを、あのハイエナのような琢磨(たくま)というスパイラルツイストパーマの男が臭いを嗅ぎつけ上手いこと手懐(てなず)けてしまったのだと思われます。戸籍上陽葵(ひまり)ちゃんに兄弟はいませんから、実際の兄ではありませんが、いまでも陽葵(ひまり)ちゃんは、お兄ちゃんに会いたいと泣き出してしまうそうです。


 ──そうですか、かわいそうに! 陽葵(ひまり)ちゃんは薄汚れた大人どもの犠牲者といえますね。いまでも琢磨という男をお兄ちゃんだと信じているのも切ないです。


 ──ある意味、現実での体験があまりにもつらかったため無意識のうちにすべてを拒否しているのかもしれません。現実的な認識がまったくできていないようですから。すっかり枯れ果てた心に、どこかで渇望していた一滴の水を恵んでくれたのが琢磨という男だったのでしょう。


 そこまで話すと春子さんは、いつもの雲透きの春の光のような笑顔ではなく暗鬱(あんうつ)な表情で、ローチェストの上の、ときおり暖炉のようにパチパチと癒しの音を奏かなでるWoodWickのアロマキャンドルの焔を見つめた。あるいは自分の生い立ちと陽葵(ひまり)ちゃんの境遇を重ね合わせていたのかもしれない。


 ──あらゆる情報網を駆使して調査をつづけていますが、そろそろ露巳(ロミ)代表も次のステップを考えているようです!


 気を取りなおすように春子さんは凛然(りんぜん)としていった。シーちゃんがステンレス製容器の犬用のミルクを、ピンク色の舌を上手に使って飲みはじめた。思わずワタシと春子さんは見つめ合い、すべてのprayer(祈り)の源である小さな神さまの前で微笑みあった。


 シーちゃんは晩ご飯を食べ終えると、ご機嫌そうにベットの真っ白なシーツの上でうつ伏せになって寝てしまった。スースーという小さな寝息がワタシと春子さんを癒やしてくれた。

 今夜は春子さんがボルドー赤ワインを用意していたので、食事をしながらはじめてふたりでお酒を飲んだ。ローチェストの上の、WoodWickのアロマキャンドルの焔がときおり暖炉のようにパチパチと癒しの音を奏かなで、窓外はすっかり夕闇に覆われていた。


 ──以前、村上春樹の『1Q84』を読みました。この長編小説に登場する「リトル・ピープル」と露巳(ロミ)代表が話してくだされた《小さきものたち》は同じものなのかずっと考えていました。露巳(ロミ)代表は、人々の意識がまだ未明のものであった頃から、わたくしどもは《小さきものたち》とともに生きつづけてきたが、おそらくその存在は理解や定義を超えたものであるとおっしゃいました。

 

 ボルドー赤ワインに、ほんとうに桜の花のように頬を赤く染めた春子さんが応えた。

 

 ──わたしもはじめて露巳(ロミ)代表に会ったときその話しを聴きました。そのとき代表はこうもいっていたのですが。

 この地球の人類以外のすべての生き物の魂が《小さきものたち》なのかもしれないと。そして《小さきものたち》を脅かす巨大な力とは、まさに強欲で身勝手な人間社会を動かしているごく一部の人間なのだと!

 

 ワタシはハッとなって立ちあがり、ベットサイドのテーブルに置いていたやや分厚い新潮文庫本を手にとり最初のページを開いた。 ──この東京ディズニーリゾート・オフィシャルホテルで身を潜めている間、あり余るほど時間があったので読みつづけていた長編小説── そしてそのまま、このロシアの文豪ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の冒頭の言葉を口誦(こうしょう)した。



 よくよくあなたがたに言っておく。一粒の麦が地に落ちて死ななければ、それはただ一粒のままである。しかし、もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる。

ーヨハネによる福音書。第12章第24節ー

      (カラマーゾフの兄弟 原卓也訳)



 桜の花のように頬を染めた春子さんは、ワタシを見つめたまま黙って聴いてくれた。そして手渡されたやや分厚い新潮文庫の最初のページに視線を落としながら、春子さんもその真意を確かめるように美しい声でゆっくりと口誦した。


 ──もし死んだなら、豊かに実を結ぶようになる!


 この一粒の麦のように、人類以外の地球上のあらゆる生命は命を繋いできた。それはすべての生き物の魂である《小さきものたち》の根源をなすもっとも重要なprayerなのかもしれない。シーちゃんの小さな寝息に向かってprayすること、それがワタシにとってのもっとも大切なprayerなのだ。




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