SCENE18
その瞬間だった。不思議なことにワタシがシーちゃんに話しかけながら見つめていた方向のけむった曖昧な夜空が、ある一点を中心にしだいに蒼み帯びて明るくなりはじめた。それがワタシの錯覚なのかそれもと現実なのかもあやふやなまま、その中心には今まで都心の夜空で見ることができなかった一等星が白く光っていた。 ──この宇宙でとくに神聖なもののひとつがあらわれた瞬間かもしれない── ワタシが全神経を集中してその白く眩い一等星を注視つづけると、その白い光に全身が吸いこまれていく感覚の果てに、ひとつの映像が目の前に映しだされた。どうやらそれはワタシのマンションの部屋らしかった。生成色の壁を背景にシャビーローチェストの上に置いてある、暖炉の焔のようなWoodWickのアロマキャンドルが、パチパチと癒しの音を奏かなでる。ベットの中でぐっすりと寝ていたシーちゃんが、両前足を前方に揃えて全身を伸ばす眼ざめの仕草をすると、日頃からほとんど吠えることのないシーちゃんが上方を見あげて吠えはじめた。あたかも新しいパートナーであるワタシを守るため、見えない敵に向かって威嚇をするように……
そうしてワタシは、シーちゃんのその健気な姿を目の前の映像で見ているうちに、毎日の散歩でのなにげない光景をその映像に重ねあわせて思いだしていた。
薄青い冬空が広がり、諂曲模様のような都心の褐色にグラデーションされた代々木公園までシーちゃんと一緒に歩いてきた。風もなく冬眠中の裸木を散歩が大好きなシーちゃんは、ほんとうに楽しそうに次から次へと渡り歩く。まるでそれら冬眠中の樹々とかけがえのない絆を結ぼうとするかのように……
シーちゃんは、自然界のすべての事象に霊魂や精神が宿るというアミニズムをわかっているのかもしれない。シーちゃんは森羅万象のすべてとつながっているのかもしれない……
──シーちゃん!
ハッとワタシは我にかえった。目の前にはブラジルのセラードと呼ばれる草原地帯で夜になると光りだす蟻塚のようなビル群の明かりで覆われている都心の夜景がひろがっていた。けむった曖昧な夜空はかわることなく白く眩い一等星も輝いてはいない。
春子さんと陽葵ちゃんは、じっと黙ったまま不思議そうにワタシを見つめていた。いま見た映像はワタシの妄想だったのだろうか、いやそんなことはない! シーちゃんはワタシを守ろうとして敵に向かって吠えつづけている! 振りかえってワタシは満面の笑顔でふたりに微笑んだ。
──森羅万象よ!
すぐにワタシは髪をポニーテールに束ね、バックに入れていたライトピンク色の大きな耳が垂れたブタの顔が真ん中にあるカチューシャをした。 ──これでワタシも森羅万象と交信ができるかもしれない── そうしてワタシは春子さんに合図をして、一面窓を向いて置かれていた縦長のレザーソファを、玄関からリビングへつながるドアの前に移動した。 ──しかしこのドアは玄関側に扉が開くため、扉の開閉をさまたげることはできなかった。ダイニングの引出し等を確認したところ、やはり包丁等の凶器になるようなものは一切置かれていなかったが、大型冷蔵庫の中から卵と缶ビールを見つけだした── それからリビングの照明をすべて消し、春子さんは護身用も兼ねているハンディータイプのスタンガンを取りだしていった。
──とにかく陽葵ちゃんを救出することを第一に考えましよう。彼らがドアを開けた瞬間を狙ってわたしがスタンガンで動きを封じますから、その隙にMOMOE様と陽葵ちゃんは、ソファを跳び越えそのまま玄関まで走ってください。けっして振りかえらずに! 彼らも不意の攻撃で反応が鈍くなるはずですから!
すっかり暗闇となったリビングで、ワタシは脇に並べた缶ビールを振りながら大きく頷いた。
──陽葵ちゃん、ワタシたちを信じてください。たいへんだけど頑張って!
暗闇の中で陽葵ちゃんも大きく頷いた。静寂な暗闇の中から望む都心の夜景が、よりいっそうブラジルのセラードと呼ばれる草原地帯で夜になると光りだす蟻塚のようだった。暗闇の中でワタシたちは、草原の美しきチーターのように息を潜めた。




