SCENE15
けむった曖昧な夜空に星たちは見えなかった。止むことのない地鳴りのような喧騒が地を這い、あたかも最前線の兵士のような異常な高揚感が人々を狂気へと誘い、もはやあらゆる価値観は失われ青春をはき違えた幼稚な思考が蔓延っていた。
渋谷スクランブル交差点を往復しているだけで、すぐに何人かの若い男たちが声をかけてきたが、そのたびに春子さんが目配せで合図を送ってくれた。 ──ただのナンパ、無視! ── ──AVスカウト、無視! ──
ワタシと春子さんは、ナンパをしてくる幼稚な思考の若い男やハイエナのようなAVや風俗のスカウトを無視つづけたが、ナンパを試みる若い男たちに共通していたものは、ナルシスト的な根拠のない自信と自惚れ、そして若い女性と接することによる自己陶酔だった。
いったんワタシと春子さんは、スターバックスのSHIBUYA TSUTAYA店で温かいものを飲みながら短い休憩をとった。 ──春子さんは終始雲透きの春の光のような笑顔でワタシの緊張をほぐしながら、この任務が完了したら格別に美味しい焼肉を食べに行きましょうと誘ってくれた──
店内は、実にさまざまな種類の人間で溢れていた。とくにカップルや友人同士、キャバクラ嬢にホストら雑多な若者が、漂流する小舟のように無秩序に漂いながら自己主張をくり返していた。
ふと春子さんの視線が、店内のいちばん奥のテーブルに腰かけているひとりの少女に釘づけになった。少女は俯いたままずっとスマートフォンを操作している。春子さんはまるで別人のような物悲しい表情にかわった。
──どうかしましたか?
驚いて尋ねると、春子さんは何かを思い出すようにいった。
──あの奥のテーブルの子、きっとパパ活をしているわ。大人っぽい服装をしているけどまだ中学生ね。おそらく家出でしょう。
春子さんの観察通り、たしかにベージュのムートンコートにピンクブラウンらしいセミロングのヘアは中学生らしくないし、こんな遅い時間までひとりでいるのも尋常ではない。躊躇なく春子さんは立ちあがって奥のテーブルの少女のところへ行き、短い会話を交わすと名刺を渡した。少女は驚きつつも新芽のように明るい表情を回復して微笑んだ。戻ってきた春子さんも雲透きの春の光のような笑顔を取り戻していった。
──相談に乗るからって、ワタクシどもの名刺を渡したら微笑んでくれました。かつてワタシも家出をして露巳代表に助けてもらったのよ。さあ、MOMOE様! そろそろ任務に戻りましょう!
店を出ると上空のけむった曖昧な夜空に、やはり星たちは見えなかった。いつになったらこの大都会に星たちが見える日が訪れるのだろう。それでもワタシは夜空に、春子さんと出会えたことを感謝したかった。春子さんの雲透きの春の光のような笑顔がますます好きになった。
──シーちゃん! もう晩ご飯を食べて寝ている時間ですね。ワタシは春子さんとともにさらに任務を続行します!
ワタシはこころのなかで、シーちゃんに呼びかけずにはいられなかった。
ワタシと春子さんは、ふたたび渋谷スクランブル交差点をJR渋谷駅方向面へさらにゆっくりとした歩調で渡りはじめた。すでに時刻は21時半を過ぎていたが、むしろ渋谷駅前付近の人の数は増えさらに混雑している。地を這う地鳴りのような喧騒がますます大きくなり、あたかも狂乱がはじまる前の宴のようだった。
すぐに同じようなツイストスパイラルパーマの若い2人組の男が、手慣れたようにひょいと両側からワタシと春子さんを挟む態勢で声をかけてきた。
──こんばんは! 君たち聖心女子学院だよね? 君らのような女の子をずっと探していたんだ!
その瞬間、春子さんの透きとおった美しい顔に緊張が走った。目配せの合図もなく、春子さんはいったん判断を保留した。
──じつは僕の妹が聖心に入りたいと言っているんだ。どんな勉強したらいいか教えてもらいたいんだけど!
春子さんはまっすぐ前を向いたまま、声をかけてきたツイストスパイラルパーマの若い男に視線を移さず歩きつづけた。 ──ワタシもそのまままっすぐ前を向いて歩きつづけた── ごった返すスクランブル交差点を渡りきると、ようやく春子さんはワタシに目配せをして立ち止まった。おのずとそのままワタシと春子さんを両側から挟む態勢を崩さなかった2人組の若い男も立ち止まった。
──ウソだと思っている? スマホにある妹の写真を見せようか? 君ら2人もめっちゃ可愛いけれど、僕の妹もなかなか可愛いんだぜ!
ツイストスパイラルパーマの若い男が、黒のダウンジャケットのポケットからスマートフォンを取りだすと、ワタシと春子さんの進路を塞ぐように正面に立ちスマートフォンの画面を翳した。否応なしに視界に画像が飛び込む。たしかにこのツイストスパイラルパーマの若い男が、1人の細面で美しい少女を背後から愛おしそうに抱きしめている画像が写っていた。しかしどことなく掛け違えたボタンのような違和感がある。画像の少女の年齢はまだ小学校の高学年ほどだろう、この男が若いにせよ妹との年齢差が気になるし、そもそも兄が妹をまるで恋人のように背後から抱きしめるだろうか? さらに細面の美しい少女の表情が、まっすぐ前を見据えて微笑んでいるものの何かに怯えているようにも見えた。
──妹と赤坂のマンションに住んでいるんだ。どうだ可愛らしい妹だろう! タクシーならすぐだから、まず妹に会ってもらえないか?
ワタシたちが立ち止まったため、人の波がふたつに分かれ通行の妨げになっていた。しかし怪訝そうな表情を浮かべる通行人に対して、先ほどからずっと黙っていた方のツイストスパイラルパーマの若い男が睨みをきかけはじめた。ワタシと春子さんは視線を合わせ意思疎通をはかると、覚悟を決めた春子さんが、はじめて2人組の若い男たちに対して口をひらいた。
──いいわよ! 妹に会って話しをするぐらいなら。もちろんいくらか貰えるのですよね?
──よしゃ! そうこなくちゃ! もちろんお礼は十分払うつもりだから安心してくれ。
ジョー! タクシーだ!
若い男は、通行人に睨みをきかせていた若い男に指示をした。浅黒い顔をしたジョーと呼ばれたツイストスパイラルパーマの若い男は、強引に人を押しのけるように車道まで走ると、長い両手を大きく振ってタクシーを停めようとした。その間に春子さんがワタシの右手をそっと握ってくれた。そして雲透きの春の光のような笑顔で囁いた。
──MOMOE様、わたしがついていますから大丈夫!
ワタシは微笑んで夜空を見上げた。都心の莫大な明かりに反映された空は変わることなくけむったままだ。空の一点を見つめると、あれほど大きかった喧騒がとてと小さくなった。ワタシはピンク色のテロリスト、この地球はもう少しだけ変わらなければならないのだ。ワタシはこころのなかで囁いた。
──大丈夫よ、春子さん! ワタシたちはシーちゃんに見守られているのだから。




