SCENE8
すっかり陽が落ちた東京の都心は、いつもの昂ぶる喧騒に満ちていた。皆が疑うことなく同じ方向を向き、立ちどまることも振りかえることもない異常な興奮に酔っている。高層ビル群は空高く光を放ち、夜の狂騒が空まで揺らす。夜空は人間の吐く膨大な欲望に色褪せていた。 ──今夜は、ポニーテールに黒ぶちの伊達メガネ、ボーダーのニットにお気に入りのAMERIのトレンチコート──
GINZA SIXの「だるま きわ味」という串揚げ店の個室を予約していた。 ──今回は密室の方が好ましいとのミホコの判断── 銀座中央通りを一望できる掘りごたつ式の個室のため、部屋に入るなり解放的な一面窓から、ソフィスティケートされた夜の銀座の景観が跳びこんできた。
先に着いていたミホコは、そんな銀座の華美なメイン通りを黙ったまま見つめていたが、ほどなくしてマユも到着し、久しぶりに3人がでそろった。
トリオの久しぶりの再会に、女子高生のような無邪気な陽気さで食事を楽しみながら、会話は本日の本題へとすすんでいった。まずワタシたちは、今回の一連の出来事の根底に、村上春樹の長編小説『1Q84』があることを再確認した。ワタシがマユとミホコにこの小説を勧め、お互いに読後の感想などを話しはじめたあたりから、不可思議な出来事が起きはじめている。不意に草原の草叢からシマウマを狙うライオンのような視線を感じたり、ワタシたち3人に、発信元が「株式会社小さな人たち」つまり「リトル・ピープル」らしい依頼主からDMが届いたりと。そしてまた、新潮文庫の『1Q84』のページをひらいている間の時間に、これらの出来事が発生している可能性があった。
──どうやら、私たちが新潮文庫の『1Q84』のページをひらくと、彼らがそれを察知できる能力というか機能があるのかもしれないわね。
ミホコは、串揚げをもぐもぐ食べながら核心を突いた。さらに言葉をつなげる。
──でも、私たちは『1Q84』をごくふつうに読んでいただけで、とくに「リトル・ピープル」に不利益を与えることはしていない、なのになぜ彼らは私たちに謂れのないアプローチをしてきたのだろう、そこが私には、いちばん腑に落ちない点なんだけれど。
ワタシはまだ、マユにもミホコにも自分がピンク色のテロリストだということを秘密にしていた。テロの実行は100%成功しなければならない。たとえ親友だとしても機密は漏らせない。それにもしワタシがテロリストだとわかったら、当然、マユもミホコも心配して止めるだろう。ワタシはピンク色のテロリストとして、この地球をもう少しかえなければならない。美しい星空を取り戻さなければならない。すでにライトピンク色のカチューシャのブタの垂れ下がった大きな耳がビクんと跳ねあがり、テロ実行の合図は発せられている。もう前に進むほかないのだ。不本意ではあったが、まだふたりにワタシの正体をばらすわけにはいかなかった。
それにしても、「リトル・ピープル」は、ワタシがテロリストとして彼らを標的にすると睨んでいるのだろうか? ワタシをテロリストとして、事前に抹殺するつもりなのだろうか? ワタシはまだ具体的なことは何もわかっていないというのに、ましてこんなおそれるにたりない初心者のテロリストにすぎないのに……
ワタシは、ミホコの問いに対して話しをはぐらかせざるを得なかった。
──ねえ、ワタシのサロンモデルの撮影は1週間後だけれど、そこでなにかが見えてくると思うの、本当に「リトル・ピープル」は存在するのかどうかも含めて……
ワタシは個室の一面窓から、華やかな夜の銀座中央通りを見下ろした。溢れるばかりの輝かしさ、資本主義経済社会の繁栄を象徴する絢爛な世界。そこは独裁者「ビック・ブラザー」が君臨する世界に思えた。繁栄に溺れ盲目になった人間を、いとも簡単に空気のようにごく自然に支配する独裁者。そして現実にはワタシも、この華美な世界の片隅でモデルとして生きている。不本意でも「ビック・ブラザー」のちからの恩恵を受けながら……
マユもミホコも、ワタシが「株式会社小さな人たち」の依頼を受けてサロンモデルの撮影現場に行くことに難色をしめした。やはりひとりで行くのは大きな危険が伴う。そこでマユが仮のマネージャーとして、ワタシと一緒に行くことになった。さらに何か異変があった場合、ミホコもすぐに駆けつける手筈となった。
──マユもミホコもありがとう、とっても心強いわ!
最後にワタシたちトリオは、個室ということもあって3人で歌をうたって笑いあった。若くて可愛い青春を謳歌する女の子なのだから、銀座の街を闊歩する華美な大人の女性に負けてはいられない。
──キャラメル、マシュマロ、いちご飴、これ全部、可愛い、女の子の夢 ♪♪♪
個室の一面窓に、ワタシたちトリオが無邪気にうたう姿が、銀座中央通りの絢爛な様相を背景にして映っていた。ワタシたちは心底笑いあった。まるで繁栄に反旗を翻した陽気なテロリストのように……




