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0014究極の魔導師02

「ふむ! これは食べがいのありそうな熊じゃわい! 煮て食うか、焼いて食うか……」


 目の前の9人の異邦人には目もくれず、つるりとした顎をしきりと撫でさする。どうやらさっきの光の槍は、この老人が放ったものであるらしい。彼は猿のようにきゃっきゃと騒ぎつつ、猛獣の死骸に杖を振るった。


 その瞬間、信じられないことが起きた。何と熊の巨体が、手を触れることなく腰の高さまで浮かび上がったのだ。老人は平然と、獲物を宙に舞わせて一緒に立ち去ろうとした。


 あまりのことにレナさえ口を利けずにいた中で、大声を発したのはデガムだ。


「お、お待ちくだされ! あなた様は究極の魔導師グリスベン様ではありませぬか?」


 ピタリ、と老人の足が止まった。ゆっくりとその体がこちらを振り返る。


「何じゃ、羽虫が」


 どぎつい油のような濃厚な侮蔑が、その言葉に含まれていた。目が血走っている。


「そうじゃ、いかにも我輩がグリスベンじゃ。だったらどうだというんじゃ? 山賊ふぜいが、二つ名をつけて我輩の名前を口にするな。けがらわしい」


 この老人がグリスベンか。リューゼルはまじまじと彼を見た。確かに光の槍で熊をしとめたり、その巨体を杖の一振りで浮上させるなど、常人にはできない芸当だ。彼の住みかを探しているうちに、彼本人と遭遇したというわけだ。


 デガムが斧を投げ出し、その場に両膝をついた。


「これはご無礼を。……ただ、我々は山賊ではございません。あなた様にお会いするために、ギータ伯爵領より参った民間人です。決してグリスベン様を愚弄(ぐろう)する目的でうろついていたわけではありませぬ」


 グリスベンは怒りに燃えた目でリューゼルたちをねめつけた。相当な人間嫌いでなければこうまで鋭い眼光は放てないであろう。


「グリスベン、私たちは敵ではないし羽虫でもないわ」


 レナが上体を起こして、女の子座りしながら魔導師に呼びかけた。グリスベンが少し珍しいものを見た、とでも言いたげに目をすがめる。さすがにこのウォロー山で少女を発見するのはそうそうないことらしい。


「誰じゃお主は?」


 レナはまだ熊の恐怖から立ち直れていないみたいだ。声を励まして自己紹介する。


「私はレナ。ツァイト王国現国王ガストンの孫娘よ。デガムの言う通り、ここにはあなたの助けを求めに来たの。話を聞いてちょうだい」


「ほう、王族か。王族が我輩の縄張りに、な。証拠は? その話が嘘でないとどうやって示せるかの?」


「私の首飾りと指輪は両親から――今は亡き第二王子夫妻からもらったものよ。これじゃ駄目かしら」


 グリスベンは杖を振った。途端に熊が落下して、重低音と共に地面とせっぷんする。代わりにレナの体が宙に浮かび上がり、グリスベンの前まで移動して急停止した。これにはレナも面食らい、両足で虚空(こくう)をかいた。


「ちょ、ちょっと……!」


「我輩は目が悪いのでな。どれ、拝見させてもらおうかの」


 老人はじろじろと彼女の装飾品を観照した。リューゼルもザプナスもデガムも、兵士たちも、ことの成り行きを見守るばかりだ。グリスベンの不興を買うような真似はつつしまねばならなかった。


 確認が済んだのか、レナは柔らかく地面に下ろされた。グリスベンの目の色が変わっている。


「ふむ、ふむ! これは本物じゃな! よもや王族の娘っ子が我輩を頼ってくるとはのう。こいつは面白いわい!」


 浮き浮きした口調に軽い興奮の色を認めて、リューゼルは少しばかり安堵した。どうやらレナが本物の姫様だと分かって、老人は態度を改める必要を感じたようだ。


 グリスベンは奇妙なセンスの口髭を引っ張り引っ張り熟考している。やがてぶつぶつとつぶやいた。


「しかし今こやつらを招いたら、我輩の熊を分けてやらねばならん。それは嫌じゃのう……。何とかならんものか……」


 ひどくくだらないことで悩んでいるらしい。レナが呆れて言った。


「大丈夫よ。私たちを歓迎しなくてもいいから、とにかくこっちの要望に耳を傾けてちょうだい。熊なら取らないから」


「おほっ、そうかの? 言質(げんち)は取ったからの。後でやっぱり熊を食べたいっていっても、肉片ひとかけらすらやらんからの!」


「はいはい、いらないわよ」


 魔導師は急に上機嫌になって、レナにお辞儀した。彼女を『面白き客人』と認めたようだ。


「ではこの『究極の魔導師』グリスベンの邸宅へようこそ! 王族ご一行様ご案内、じゃ! ついてまいれ」


 彼は再び死骸を浮遊させると、意気揚々と歩き出した――と思いきや、不意に立ち止まって振り返る。


「そこのお主、そうそう、その無精ひげの男」


 ザプナスのことだ。リューゼルの師匠は胸元をかいた。なぜか気まずそうにしている。


「わしに何か用か?」


「お主、どこかで我輩と会ったことはないかの? 見覚えがあるような気がするんじゃが……」


 ザプナスは首を振り、肩をすくめた。


「他人のそら似だろう。わしはグリスベン殿と会うのは今日が初めてだ」


「ふむ! 気のせいか。600年も生きていると記憶違いも起ころうというものかの。……失礼した。では行くぞ」




 グリスベンの洞窟は案外近かった。ただ奥まった岩肌にカモフラージュの雑草がびっしり取り付けてあるため、遠目では判別できなかっただろう。穴の高さは肩車した大人2人ぐらいのもので、幅は大人3人が寝そべった程度だった。


 伝説通りに、ふらちな侵入者の生首が一行を出迎えるかと思いきや、そんなものはなかった。リューゼルは拍子抜けしてグリスベンに質問する。


「山賊や盗賊の末路が飾ってあるかと思ってたんですが……」


「何じゃ羽虫。そんなものはとっくにやめたわい。首を切ると汚れるし、時間が経てば腐敗して臭くなってかなわんからのう。今はそこの崖下につどう狼の群れへ、投げ与えて始末しとるんじゃ」


 老人の頭部の蜘蛛がばたばたと脚を動かした。グリスベンが駄々っ子をあやすように手の平で撫でてやる。


「これシュプロー、やめんか、セットした髪が乱れてしまうわい」


 だったら蜘蛛なんて頭に載せなきゃいいのに、と誰もが思っただろう。だがみんな閉口して一言も発さなかった。


 魔導師が熊を入り口付近へ無造作に置く。掲げた手にさっきの光の槍が発現した。グリスベンがそれを器用に用いて、猛獣の遺体をばらばらに切り裂く。抜群の切れ味と見事な手並みに、一同から感嘆の声が漏れた。


 その光景を目の当たりにしながら、リューゼルは一つの確信を抱く。どうやらこの魔導師は、何でも切ったり貫いたりできる光の槍を操ったり、熊やレナにしてみせたように物を宙へ浮かせてみせたりできるようだが、それらを同時に行なうことは不可能なようだ。必ず一つの魔道しか扱えず、平行して数種のそれを実行させることはかなわないらしい。


「こんなもんでいいかの」


 そんなリューゼルの推測通りに、老人は光の槍を消すと、杖を振るって熊の切り身をまとめて浮上させた。その折り重なる束と共に洞窟の中へ入っていく。「ついてまいれ」と振り向きもせずぶっきらぼうにこちらへ言い放った。


「信じていいのかね」


 ザプナスは今更そんなことを小声でデガムに聞いた。だがデガムは先陣を切ってグリスベンの後に続くのみだ。もし裏切られたときは、自分が犠牲になって他を逃がすという意思表示であろう。


「こうなりゃ後は野となれ山となれ、よ。行くわよリューゼル、ザプナス、みんな」


 レナが勇ましくデガムを追いかける。リューゼルは剣の柄を軽く握り、その感触を心の支えとした。そして、洞窟内へ4番目にその身を投じた。

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