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0012ウォロー山

【 ウォロー山 】




 リューゼルは髪の毛を触った。だいぶ乾いてきている。


「なるほど、レナとはそんな頃からの付き合いだったんですね。それにしてもひどい仕打ちを受けたものですね」


「何、今となってはもはや過去のことです。生きて姫様を拝顔できて幸福これに過ぎたるはありません。だからこそ、お二人が姫様をフラディル様の兵士から守っていただいて、本当に感謝しておるのですぞ」


 真心のこもった、嘘偽りのない言葉だった。ザプナスは一応、といった調子で問いただす。


「王都に残したあんたの家族は、フラディルにひどい目に遭わされたりしないかね」


 デガムはここで初めて苦しそうに、眉間にしわを寄せた。髭を撫でているのは気持ちを落ち着かせようとしているからか。


「フラディル様ならやりかねませんな。……いや、フラディル様を支持しているベルシュ一派が、というべきでしょうか。それがしがレナ姫を助けて去ったと聞けば、それがしの家族に危害を加えるかもしれませぬ。可能性はありますな。でも――」


 嫌な想像を、頭を振って追い払う。


「家族には常に覚悟を、と話してあります。たとえ殺害されたとしても、それがしを恨んだりはしないでしょう。それがしも、もう彼女らに会えないものと腹をくくっております」


「殊勝な決意です」


 別に雑念なく、ザプナスはそう評した。そこへ聞きなれた声が背後から降りかかってくる。


「ちょっと! 何をこそこそ男同士で話してるのよ。大事な内容?」


 レナだった。リューゼルは澄まして嘘をつく。


「何、ちょっとひわいな話をね。聞きたかったかい?」


 レナが固まった。かと思うと、夜目にも分かる赤い顔で怒鳴り散らす。


「そんな話、デガムがするわけないでしょう! 私の大事な人を変な方向に引っ張らないでよね」


「はは、ごめんごめん。真っ赤な嘘だよ。ちょっとレナをからかってみたかったものだからさ」


 リューゼルは頬を膨らませるレナに気おされつつ謝った。ザプナスがけたけた笑って立ち上がる。しらふの方が動きが悪いように思えた。


「リューゼルもなかなかやるようになったな。……さて、わしらに話してもらおうか、デガム殿。今後の方針ってやつを、ね。まずは焚き火に戻ろう」


「そうですな」


 レナは不満げに腕を組み、唇をとがらせる。リューゼルの足をつま先で小突いた。


「何よ、今後の方針でないなら、一体何を話してたのよ」


「デガムさんの生い立ちだよ。あと君との関係だね」


「ああ、そんなこと? まあね、滅多にいないからね、デガムみたいな忠臣は」


 レナは得意そうに胸を反らした。デガムは彼女の自慢の種なのだ。確かに、とリューゼルは思う。こんな一途(いちず)で正直で強そうな家臣なら、誰だって誇りたくなるだろう。


「ほら、行くわよリューゼル。ぼけっとしないで」


「うん、行こう」


 そうして焚き火を囲んで9人が揃った。ザプナスとリューゼルは鍋から肉と野菜、野草を木の椀に移し、ナイフで器用に食べ始める。他の面々はすでに食べ終えているらしく、眠たげに船を漕いでいた。


 デガムはまだ起きているものだけに対して語りかける。低音が耳にこころよかった。


「食べながらでいいから聞いてくだされ。……我々はウォロー山の洞窟を住みかにしているという、究極の魔導師グリスベンに庇護を求めたいと思います」


 レナがさっき杯に汲んできたばかりの水を一口飲む。


「そのグリスベンって誰なの、デガム。魔導師って何?」


 デガムはおごそかに答えた。


「齢500とも600とも言われる伝説的な人物です。何でも聖暦以前――征服王ガイがこのロケイア島を制圧しセレス教を布教する、その更に以前――の国家で重要な地位に就いていたといいます。通常の人間の十倍の命を生きているとか」


 リューゼルはそんな馬鹿な、と心の中で疑った。人間の寿命は50年ぐらいだろう。ときにガストン国王やゲボラ宰相のような60歳を超える長寿のものが現れるが、500歳だの600歳だのなんてまゆつばものだ。だがデガムにふざけている様子は見られない。


「魔導師とは、人間に不可能な妖術を用いて、天を操り地を砕き、大河を裂いて森を焼くことができる者。不思議な技ですが、実際そんなことができるらしいのです。いにしえの書が伝えるところによれば、その魔導師の代表格がウェラットなる女だったそうです」


 リューゼルは隣でスープを食するザプナスの手が、一瞬止まったように思えた。だがその顔色は平常のまま――いや、しらふだからより具合が良さそうだ。彼はもくもくと食べ続けている。やはり気のせいか。


 兵士たちがざわつく。デガムが手を叩いてやめさせてから、話を続けた。


「今回それがしが頼ろうとするのは、そのウェラットの直弟子であるグリスベンです。彼は言い伝えによれば、あのウォロー山の洞窟に一人住み着き、勝手気ままに魔道の修行に励んでいるとか。ウォロー山だけで突然激しい雨が降ったり、突風が吹いて木々をなぎ倒したり、大爆発が起きて岩壁が砕け散ったりしたことが、この百年でも近隣住民にたびたび目撃されているそうです」


 兵士たちがそれぞれの個性でうなる。レナが了解したといわんばかりに大きくうなずいた。


「ふうん。デガム、それじゃその変人のところにみんなで転がり込むってことね」


「はい。相手が究極の魔導師グリスベンとなれば、フラディル様もおいそれと手出しはできますまい。フラディル様が国王に即位したかどうかなども、ギータ伯の城下街から程近いので、飛脚を使えばすぐ知ることができます。ただ……」


「ただ?」


「グリスベンは自分の研究を邪魔するものに対して容赦ないのです。彼の洞窟の前には、侵入を試みた山賊や盗賊の無残な生首が、杭に打たれてさらされているとか……」


 今度はぞっとしたような静寂が辺りを包み込んだ。その中で焚き木のはぜる音だけがやけに大きく聞こえる。リューゼルは食事を終えて椀を地べたに置いた。


「デガムさん、それじゃ僕らも生首だけにされる可能性があるのでは……」


「なくはないでしょう。でもグリスベンは洞窟の前にこうも掲示しているそうです。『当方、面白き客人のみ顔を合わせる。大声で用件を述べられよ』と。まあ、この話も50年以上前のものなのですが、それでも姫様だけは『面白き客人』として迎え入れてもらえると思います。何しろガストン国王の孫娘であらせられるのですから」


 レナが反発した。デガムに食ってかかる。


「ちょっと、私だけその変人のもとで暮らせって言うの? そんなの嫌。この9人全員でないならお断りだわ」


「姫様、姫様。何も我々がいなくなるというわけではありません。洞窟の前かその入り口で見張り番をします。それぐらいならグリスベンも許してくださるでしょう。我々は姫様のお命が一番の大事なのです。どうかご理解ください」


「むー……」


 レナは押し黙った。デガムの論に反撃できないのだった。隣でザプナスが浮き浮きと酒に手を出している。出しながら口を挟んだ。


「それで、そのグリスベンの洞窟がどこにあるのか、見当はついているのかい?」


「いや、それが全く……」


 リューゼルはずっこけそうになった。あのでかいウォロー山を探し回れってことなのか? 気が遠くなるとはこのことだ。


「結構いい加減ですね、デガムさん」


 デガムははにかんだ。頭をかいてごまかそうとする。そんなところは意外と子供っぽい。


「何、グリスベンも長寿とはいえ人間に過ぎないと思います。食糧を調達するのに洞窟を出ることもあるでしょう。山の動物を狩るのに妖術を使うかもしれません。その変化や痕跡を辿れば、何とか探り当てられるかな、と……」




 その晩は野宿だった。見張り番を兵士たちが交代交代でやってくれるとのことで、リューゼルは安心して横になった。デガムもザプナスもレナもぐっすり眠っている。その中で、リューゼルの目は冴えていた。


――今頃心配しているだろうな。父さんも母さんも、兄も、道場の弟子たちも……


 鞘に納まった長剣を抱き締める。ギータ伯爵のくれたそれは、よく鍛えられた逸品だった。これが今回の旅路における強力な相棒だ。両目を閉ざすと、フラディルの放った追っ手との戦いがまぶたの裏によみがえる。あのときは師匠の剣を使わせてもらったんだっけ。刃こぼれもせず曲がりもせず、あれも優れた刀身だった。師匠はどこで手に入れたんだろう?


 まあいいや。リューゼルはザプナスを見やった。直弟子同様、剣を抱いていびきをかいている。その姿を見るだけで、安心感が胸郭を満たした。そうさ、僕には師匠がついてるんだ。そうである限り、恐れるものなど何もない……


 うとうとしているうちに眠ってしまったらしい。気がついたときには夢という名の幻影に翻弄(ほんろう)されていた。

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