0010デガムとレナ01
【 デガムとレナ 】
兵士は10名ではなく、あれこれ理由をつけて、たったの5名しかつけてくれなかった。それでもいないよりはましである。レナ姫とデガムの人徳で、彼らは意気揚々と任務に就いてくれた。いずれも20代で、鎖かたびらと長剣で武装している。名前は背の高い方から順にカイ、ボロツ、ベニー、スタット、アークを名乗った。
「任せてください。姫様のお命は必ずや守ってみせます!」
そんなことを表明されると、レナもあっさり相好を崩した。フラディルの追っ手が来るより早く、9人となった一行は馬に荷物を取り付け、ギータ辺境伯の城を出る。
天候はまだ平穏を保ち、雲行きはレナたちの境遇などどこ吹く風で、のんびりしたものだった。馬に乗って城下街の東門をくぐるときには、ギータ伯が見送りに来てくれた。
その際である。リューゼルが彼から一振りの剣をちょうだいしたのは。
「悪いとは思っているのだ」
ギータ伯はリューゼルに対し、目をそらしたままそう告げた。良心のかしゃくがこうした行為に繋がったのだろう。だがリューゼルはあまり感謝できなかった。この贈り物で免罪となるほど、ギータ伯が取った追放という措置は軽い罪ではなかったからだ。むしろ自分の心の負担を軽くするためだけの、ひどい偽善がこの剣だった。
だが今さらギータ伯をなじってもしょうがない。地位的にそう出来るはずもない。だからリューゼルはただそっけなくこういっただけだった。
「ありがとうございます」
一行はデガムを先頭に、レナ、兵士たちときて、しんがりがザプナスとリューゼルだった。その隊列のまま、城を背後に草原を東へと疾走していく。
いつもの買い出しに比べて、これからどうなるのかまるで予測がつかなかった。しかしリューゼルはこの異様な展開の中でも、不思議と落ち着いている自分に気がつく。手綱で馬を操りながら、そんな自身の心を探ってみた。結論は一つだ。
レナを守ってやりたい。だって、可哀想じゃないか。
それが今の自分の原動力だった。靴職人の次男であり剣道場『一剣百勇会』の師範代でもあるリューゼルにとって、それは騎士道精神とでもいうべき筋違いな代物である。だが実際そうなのだから仕方がない。師匠のザプナスがレナに同行すると言い出したとき、渡りに船だと思った気もする。
何で自分は、会って数日の少女にこうまで心の天秤を傾けるのだろう? リューゼルはその回答を探ろうとして前方を見やった。レナの後姿を追いかけたのだ。
高い山が見える。あれは地図によればウォロー山だ。デガムはひとまずあそこを目指しているのだろう。何かつてでもあるのだろうか。山も手前の森林も夏の緑に萌えていた。一見して人が住めそうな建造物は見当たらないが……
「どうしたリューゼル。レナならデガムのすぐ後ろの馬だぞ」
並走するザプナスがにやにや笑いながら話しかけてきた。さすがに馬を駆りながら酒は飲めないらしく、暇を持て余しているようだ。リューゼルは耳を熱くして返した。
「べ、別にレナを捜してるわけじゃありませんよ。……それより師匠、デガムさんはあのウォロー山で野宿でもするつもりなんでしょうか? どう見ても未開の山にしか見えませんが」
「そうだな……確かあそこには『究極の魔導師』ことグリスベンが住んでいると聞くけど」
「究極の魔導師……? グリスベン? 何者なんですか?」
ザプナスはこのときそっけない。目をすがめて、片手で胸毛をもてあそんだ。
「さあな。デガム殿が知ってるんだろう」
いい加減な返しに呆れたリューゼルだったが、レナから話をそらすことができてほっとする。多分フラディル黒太孫が王位を継いだときに、そのことをデガムが知ることができる場所でないと駄目なのだろう。リューゼルは取りとめもなくそう考えた。
「究極の魔導師、グリスベン殿を頼ろうと思ってます」
山までもう少しの川辺で、今日は野宿ということになった。デガムは一同にそう告げると、詳しいことを話す前に食事をしようと言った。ギータ伯爵が持たせてくれた荷物のおかげで、しばらく食うには困らなさそうだ。馬を木につなぐと、焚き火を起こして鍋をかける。一行が思い思いに火を囲む中、リューゼルとザプナスは連れ立って、川の水で顔と髪を洗った。
「いやあ、生き返るな、リューゼル。これで美味い酒が飲める」
リューゼルが言い返そうとしたとき、隣に人の気配がした。見上げればデガムが、乾いた布をそれぞれに差し出している。
「さ、これで拭きなされ」
「かたじけない」
「ありがとうございます」
背後で笑い声が起きていた。耳を澄ますと、レナが自身の王宮での失敗談を食事のさかなにしている。陽気な拍手まで聞こえてきた。その様を感動的に眺めるデガムに、リューゼルは尋ねる。
「デガムさんはレナから全幅の信頼を置かれてますけど……どういう関係だったんですか?」
デガムはよくぞ聞いてくれたとばかりに、顔をくしゃくしゃにしてこちらを向いた。「どっこいしょ」とその場にあぐらをかく。腰をすえて話すつもりらしい。
「それがしはレナ姫が生まれたての頃から、あのお方の警護を任されておりましてな……」
デガムは農家の出身だった。四男で、厳しく年貢を取り立てる領主のもと、幼い頃から馬車馬のように働いた。ちょうど従来の二圃制に代わり、耕地を小麦や燕麦の畑と、大麦や燕麦の畑、それから休閑地の三つに分ける三年輪作が普及し始めた頃だ。デガムの住む村は共同で有輪重量犂を使うようになり、馬のエサである燕麦が豊富に作られるようになったことから、牛から馬に変えて犂を引かせるようになった。
デガムは一家の働きがしらだった。他の男子や女子が非力だったのに対し、デガムは幼少から頑健で、力仕事を楽々とこなしたのだ。家業を継ぐのは長男だとしても、デガムは一向に構わず、村の中で一農民として一生を過ごすつもりだった。
デガムは人品骨柄申し分ない少年でもある。村人はこぞって彼をほめたたえ、領主の覚えもめでたかった。16歳になると、そろそろ結婚してはどうか、という声もちらほら聞こえてきた。
「いやあ、それがしが嫁をもらうなんて、おこがましいにも程があります」
この頃にはすでに、デガムはいっぱしの言葉遣いをするようになっている。身長は伸びなくなり、横にばかり大きくなる彼であった。
だがデガムの運命はここからその歯車を全力で回転させるようになった。彼は領主の遠征――ガストン国王による反乱貴族討伐戦への参加――に駆り出されたのである。
生まれて初めていくさにはせ参じるということで、デガムは眠れない前夜と、心配して泣く家族をなだめる役割とを経験した。いつも森林の伐採に使っている鉄の斧を武器にしようとしたが、従者は首を振って長槍を持たせてくる。デガムは人殺し以外に使い道のないその武器に、改めて身のすくむ思いだった。彼にも恐怖心はあったのだ。
「とにかく無事に故郷へ戻ろう。それさえできれば、それがしはもう何もいらない」
かくしてガストン国王の軍勢に一兵卒として加わったデガムは、反乱貴族軍の立てこもる城を前にした。川を見下ろす丘陵の上に建てられ、周囲を深い堀で囲んでいる。城壁が分厚そうだった。
国王軍が難攻不落とされるそこを半包囲して、さてどうやって攻め入るかと、長い軍議に入る。その結果、地面の下を掘り進んで城内への侵入路を開こうと決まったらしい。らしい、というのは、その作戦にデガムは参加せず、人づてに聞いたからだ。彼はむしろ後方で補給部隊との中継ぎ役を任され、大勢の仲間と共に物資を運ぶ荷馬車の警備に回されていた。
この作戦は失敗に終わった。長い時間をかけて城塞に侵入成功したものの、屈強な守備隊を前に虐殺され、以後警戒されるようになったからである。
次の作戦は投石機による破壊工作だった。投石機は弾性のある縄を束にして、それをバネに石を投げつける機械だ。だがこの投石機による攻撃も、城壁に跳ね返され、ことごとく失敗に終わった。戦況はこう着する。
デガムは過ぎ行く季節の中、一体いつになったら帰れるだろう、家族は村人は、今頃どうしているだろうと、そればかり気にしていた。そんなある日、彼は兵士に呼び止められる。
「その体なら今度の作戦に適している。国王に会われよ」
辺境の一兵卒に過ぎないデガムは、その身分の低さにもかかわらず、いきなり最前線の陣中へと招かれたのだった。