振り返る君の唇は僕の記憶に
本作は、遙彼方さま主催「イラストから物語り企画」参加作品です。
本作は、黒森冬炎さま主催「劇伴企画」参加作品です。
「オフィシャル髭男dism」の「Pretender」をBGMにお楽しみください。
「ねえねえ、陣内。昨夜のFM。髭男の新曲聴いた?」
教室に入り、机に座ると同時に神野くみが俺に話しかけてきた。
「ああ、聴いたぜ。良かったよなー」
「あんたもそう思う? 髭男、最高だよね!」
神野が興奮気味に髭男の新曲の印象、聞き所、そして如何に髭男の音楽が素晴らしいかを意気揚々と語る。
神野は根っからの音楽好きだ。
ピアノも上手く、校内合唱コンクールの時はクラスのピアノ伴奏を務めた。ピアノのことはよくわからないが、神野の腕前が相当なものだということは俺でもわかる。
神野はこの音楽市場不況の中、邦楽・洋楽問わずCDを買い漁り、毎朝毎晩、TVやラジオで流行りの曲のチェックに余念がない。最近の推しは『オフィシャル髭男dism』というわけだ。
神野とは、高校に入学して、隣同士の席になってからなんとなく仲良くなった。みんなでよく休み時間や放課後のファミレスのドリンクバーでダベったり、カラオケに行ったりしている。
しかし、まだ神野の家に行ったことはないし、デートらしいことと言えば、夏休みに音楽フェスをふたり一緒に聴きに行ったことくらいだ。
俺にはわからない。
神野が俺のことをどう思っているかなんて。
趣味の音楽の話が合うただの『男友達』と思われているだけだという気がする。
でも、俺は……。
そんなもやもやした気分に翻弄され始めていた時のことだったのだ。
◇◆◇
「ねえ、陣内。今日、家に来ない? 髭男の新曲、一緒に聴こうよ」
放課後、神野が何気なく俺に言った。
いつもと変わらない屈託ない調子で。
「え? いいのか?」
「うん。やっぱ、同じ音楽好きな子と一緒に聴いた方が楽しいもん」
そう言うと、神野はショートボブの髪を右手で耳にかけながら、ふわりと笑んだ。
その笑顔はコケティッシュな魅力に溢れていて。
可愛い……。
不覚にもそう思ってしまう自分がいる。
「じゃ、遠慮なく」
そう平静を装って答えたが、俺の心臓は既にバクバクと大きな音を立てていた。
◇◆◇
「すげえな、このステレオ」
俺は神野の部屋に通されて緊張しながらも、すぐに部屋の隅にあるオーディオ機器に目を奪われた。ブラウンのフロア型のスピーカーはいかにも高級そうだ。
「これ場所取るけど、やっぱり重低音の再生が良いからこのアンプに決めたの」
「よくこんなの買えるよなあ」
しみじみと神野の部屋を見回す。
ウオーキングクローゼット付きの八畳はある広い部屋は、神野のさばけた性格を表すようにでかいステレオ以外はミニマリズムで、モノクロのトーンに統一されている。
「うちの親がなんていうのか、実力主義で。テストで満点取ったら、コンクールに入賞したら何買ってやるとか、そういうモノで釣るやり方でさ。私、単純な上、負けず嫌いだし、すっかり親の掌の上、てわけ」
「それで、ピアノも上手くてトップの成績ってわけかよ。それもすごい話だな」
そんなことを話しながら、俺は神野が淹れてくれた珈琲を飲み、出されたスナック菓子を頬張りながら、流行りのアーティストの新譜をたっぷりと堪能していた。
しかし、それはふとした瞬間に訪れたのだ。
急に神野が俯き、無口になった。虚ろに視線を漂わせる。
それまで盛り上がっていた雰囲気が一瞬にして変化し、微妙な空気を纏う。
何だ……神野……。
神野はどこか悲しそうな瞳をしている。
それは、酷く切なく儚げに……。
その表情を俺は見逃さなかった。
「神野……」
神野は潤んだ瞳で俺を見つめた。
何かを言いたげなその大きな黒い瞳に引き込まれる。
俺は神野を抱き寄せ、口づけようとした。
いや。
正確には、そうしたかった。
しかし、神野のあまりに悲しそうな瞳に飲まれ、俺は神野に触れることすら出来なかった。
固まる空気。
息詰まる瞬間。
「意気地なし……!」
小さく神野が呟いた。
その一言で俺は我に返った。
どうしていいかわからない。
「……帰る」
俺はその一言だけ残して、神野の部屋を後にした。
神野の気持ちを思い遣る余裕など、十五のガキでしかない俺にあるはずもなかった。
神野の家からの帰り道。
普段通らない住宅街のどこかから香ばしい夕餉の匂いが夜風に混じり流れてきて、鼻腔をくすぐる。
石ころを蹴りながら、神野の悲しげな瞳を思い出す。
それは俺の脳裏から離れずに俺は情けなくて、情けなくて、歯がみしながらそんな自分がただ悔しかった。
◇◆◇
翌日。
そわそわと俺は、教室の自分の席に座っていた。
神野とどんな顔をして会えばいいんだ。何を話したらいいんだ。
謝ればいいのか。
いや、謝るのは違うだろ。
大体、なんで神野は急にあんな悲しそうな顔をしたんだ?
そんなことを考えながら、まとまらない思考がぐるぐると脳裏を渦巻いていた。
でもその日、神野は登校してこなかった。
何故だ。神野。
昨日の俺の態度が悪かったのか?!
LINEをしようかと思いながらも、それすら今の俺には勇気が出ない。
しかし。
神野が登校してこなかったその理由は放課後、飛び込んできた突然のニュースでわかったのだ。
「ねえみんな! くみ、転校するらしいよ!! 明日にはもうデュッセルドルフに行っちゃうんだって」
「えー、本当?!」
「うん、さっき職員室に先生に挨拶に来たって」
「うちらには何もなしで?」
女子達が声高に喋る。
「ねえ、陣内君は知ってたの?」
「あ、陣内君」
ガタンと椅子を蹴り、俺はダッシュで教室を飛び出していた。
デュッセルドルフだって?!
そんなとこ行ったら、次いつ逢えるんだよ?!
どうして何も言わなかった。
どうして俺にも言わないで。
俺は闇雲に走る。
神野の姿を探す。
神野!
神野!
神野!
待ってくれ神野。
俺はまだお前に……。
「神野!」
俺は声の限り大声で叫んだ。
目の前を一人ぽつんと歩いている神野……。
神野は振り返った。
とても心細そうに。
「行くな。神野」
俺はその時、どんな顔をしていたか自分でもわからなかった。
ただ、あいつを行かせたくない。離したくない。
その一心で食い入るように俺は神野を見つめた。
神野は微妙に揺れる表情で、俺を見つめ返した。
しかし、次の瞬間。
今まで見てきた顔の中で神野は、一番最高の笑顔をやはりふわりと浮かべた。
「ありがと。陣内」
それは華やかに。
酷くはかなげに。
「神野……」
そんな風に笑うな。
俺は……俺は……。
神野はそのまま身を翻し去って行く。
俺の体は固まったまま動かなかった。
けれど、俺の想いは届いたのだと思う。
秋空の下、もう一度神野が振り返った。
やはり悲しそうに。
とても切なそうに。
「好きだ……神野」
心の奥から言葉を形にしたが、神野は頭を振った。
深まる秋の黄昏のこと。
少し肌寒くなった空気。
高く澄み渡った空の下。
それは実らなかった俺と神野の苦い初恋の想い出。
神野と俺は泣きながら初めての口づけを交わした。
その唇の温もりを俺はきっと一生忘れないだろう。
本作は、遥彼方さま主催「イラストから物語企画」参加作品でした。
本作を執筆するにあたり、遥さまより「視点者は女の子を好きな男子で、呼び止めて振り返った彼女にキスをする」というヒントを頂きました。
そこから着想を得て構成・執筆したのが本作です。
遥さま、お読み頂いた方、本当にどうもありがとうございました!
尚、企画期間中に入院・手術を控えておりますので、ご感想へのお返事が遅れる場合がございます。
必ずお返事させて頂きますので、その旨ご了承頂けますと幸いです。
【追記】2021.6.1
本作は、黒森冬炎さま主催「劇伴企画」にも参加させて頂きました。
黒森さま、お読み頂いた方、本当にどうもありがとうございました。