4/12 頑張れ
頑張れと言われたくて、
「頑張れって言って」
と、他人にお願いをしてみる。
これに何の意味があるのか、僕にはわからない。
「頑張れ」という応援は、自然発生的な発言だ。だからこそ、「頑張れ」と言われた側は頑張れるのだろう……と考えている。要求することに、どこまでの意味と意義があるのだろう。「頑張れ」と言われなければならなくて、「頑張れ」と言ってもらおうとしなければならない世の中だということなのだろうか……
確かに、応援されれば力になる。それは確定的に明らかだ。ただ、応援するという行為は、応援したいとその個人が感じた相手にしか行われない。他人に対して、「自分を認めて、応援してくれ」と要求して行われる行為ではないはずなのだ。
頑張れって言ってもらいたい、その気持ちは理解できる。けれど、自然発生しなければ、何の重みもないものになる。
頑張れは、自然発生的なもの。だからこそ人は、自分に「頑張れ」と言い、他人に「頑張れ」と言うのだと、僕は思う。
自分に「頑張れ」と言えるからこそ、他人に「頑張れ」と言える。
そして、"他人に「頑張れ」と言える"からこそ、自分に「頑張れ」と言えるのだろう。
僕の頑張れは、君に聞こえてるかい?
聞こえてなかったら、何度でも言うよ。
「頑張れ」
そして、
「一緒に頑張ろう」