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9 初恋のロマンス

「ガラスの靴はいらないの

 プリンス蘭丸、失恋!? お相手はクラスメートの阿部まりあさん」


 10月5日の校内新聞(通称千スポ)一面にはこんな文字が踊っていた。このニュースに学園内の9割の女生徒がショックを受け、哀しみのあまりプールにダイブする生徒続出。水泳部は部活動を中止。列島に衝撃走る。(セント千尋学園 学園史より抜粋)


「って、なんだよ! この記事!」

 A3の新聞をびりりと2つに破ると、僕は、怒声を上げた。かなり大きな声だったが、幸いここは校庭の隅で、誰も僕の声を聞き咎める生徒はいない。目の前の松の木にもたれている親友、勇をのぞいては…。

「千スポさ」

 勇が答える。

「毎週月曜、新聞部が発行している校内新聞で、校内生徒の8割が購読している。一部50円」

「そんなことは知ってるさ! 問題は、なんで、こんな事がトップ記事になるかって事だ」

「それだけ、お前が注目されてるって事だろ? さすが、アイドルは違うね」

 勇が羨望とも嫉妬ともつかぬ目をこちらに向けて僻んだ物言いをする。が、「冗談じゃない」と、僕は新聞を投げ捨てた。大体が、この問題に関して勇に嫉妬されるいわれはない。なぜなら、くどいようだが僕がふられたのは、このモーグリ男のせいなのだからである。それだけではない。あれから、僕がどんな気持ちで過ごして来たかもしらないで、面白半分にこんな記事を書いた相手に対し、言い様の無い怒りを感じる。

 そう、あの日…まりあちゃんにふられてからというもの、僕はずーっと深い闇の中にいた。もちろん、本当に闇の中にいたわけじゃなくて、そんな気分だったってだけだ。

 彼女にふられた痛手は、この世に生まれてから受けたどんな痛みにも勝り深く、一体僕は、あの日、あの後、どうやって家に辿り着いたかも思い出せない程なんだ。

 ああ、1つだけ、覚えている事がある。夕食も食べずに部屋に引きこもっている僕を呼びに来た小原祥子に「ふられた」事実だけ伝えたんだ。それで…奴の事だから、絶対に落ち込んでる僕をバカにすると思っていたのに、案に相違して「そう」とだけ答え、何も言わずに夕食を部屋まで持って来てくれて。それで、僕は『祥子ちゃんは本当はとても可愛いのよ』という、まりあちゃんの言葉を思い浮かべたりもしたんだ。…だからといってこの際何の救いにもならないので、あっという間に意識の外に追いやってしまったけど…。


「お前が、ここしばらく暗かった理由がやっとわかったよ」

 松の木にもたれて勇が言った。

「けど、水臭いよな。なんで、話してくれなかったんだ?」

「別に……」

 僕はそっぽを向いた。っていうか、しつこいようだが、僕がふられたのはお前のせいなんだ。そのお前に、何が悲しくて、ふられた話をしなくちゃいけないんだ? と、心の中でつぶやく。  細かい事情を知らない勇は、そんな僕のふて腐れた態度を、単純に失恋の痛手の深さのためと受け取ったらしい。

「そんなに落ち込むなよ。お前なら、すぐにいい女捕まえられるよ」

「誰だっていいって訳じゃないだろ?」

 僕は、ぎろりと勇を睨み付けた。

「そう? 俺なんか好きって言われたら、とりあえず付き合っちゃうかも。あ、でも目が大きい子じゃなきゃダメかも」

「…」

 世の中をなめたような親友のセリフに、ますます腹を立てた僕は、際どい質問を投げかけてみた。

「じゃあ、もし、阿部まりあから付き合ってくれって言われたら、お前、付き合う?」

 まりあちゃんの気持ちを知っての質問だ。さあ、どう答える? 親友。

 ところが、神をも恐れぬこのモーグリ男は、あっさりとこう言ってのけやがった。

「ああ。阿部は無理。おれ、天然はダメ」

「なんだとー!」

 次の瞬間、僕は勇につかみかかっていた。胸ぐらをつかみ、奴の体を持ち上げ、思いきり投げ捨てる。奴の体は松ぼっくりみたいにころころと転がり、松の根元でようやく止まった。

「何するんだよ?」

 勇がよろよろと立ち上がり、目を真っ赤にして抗議する。

「いくらふられて落ち込んでるからって、俺に当たる事ないだろ? お前が振られたのは俺のせいじゃないぞ!」

「いいや、ピンポイントでお前のせいだ」

 …と、言いたい気持ちをぐっと堪える。同時に、理不尽な怒りをぶつける自分に対する、どうしようもない自己嫌悪が押し寄せて来た。…考えてみれば、まりあちゃんがこいつに惚れたのは、こいつのせいじゃない。信じられない事だが、僕にない魅力がこいつにあるって事だろう。それを八つ当たりするなんて、なんて情けない男なんだ? 僕は。

 自分の思いに押しつぶされるみたいに、僕はその場に座り込んだ。そして、とりあえず勇に「悪かった」と謝る。すると、勇はふらふらと僕の方に歩いて来た。どうやら、先程投げ飛ばされたショックで目が回っているらしい。にもかかわらず、奴は僕の事を許してくれた。

「いいよ。お前はふられ慣れてないから、余計ショックだったんだろ? というか、告白する自体初めてだよな。今まで、死ぬ程もてるくせに女に興味なかったお前がさ」

 その、あまりにも優しい声色に不覚にも涙が出そうになる。

「ああ。告白をした事は無い。初恋の人に出会える事を信じて待ってたから」

「…ロマンチストなんだな。けど、これも、いい人生勉強だよ。俺なんか、今まで何回振られたと思う? それを考えればお前なんか、声をかけなくても寄って来る女が一杯いるし、幸せだよ」

「勇…」

 僕は親友を見上げた。なんていい奴なんだ。恋の恨みで、一瞬でもこの親友を殺したいとか思うなんて…。

 愚かな自分を懺悔し、僕は今こそこの親友との友情を本物にしようとした。つまり、今まで誰にも話さなかった、僕の秘密を打ち明けようと決めたのである。その秘密とは、まりあちゃんにも関わりの有る、僕の幼い頃のワンエピソードである…。

 しかし、何から話そうか…と、十分に考えた末、僕は口を開いた。

「…実は、阿部さんは、僕にとって初恋の人なんだ」

 これが冒頭だ。しかし、勇は単なる話題と思ったのか、

「ふうん。高校で初恋ってちょっと遅い気もするけど、いいんじゃない?」

 と、軽く流す。それで、

「違う」

 と、僕は力強く首をふった。

「阿部さんとは今のクラスで初めて会った訳じゃないんだ」

「はあ?」

 意外な告白に、勇が目を丸くした。無理も無い。僕と勇はずっと同じ校区で、阿部さんは別の校区。僕らは高校で初めて出会ったと思ってるはずだ。でも、

「実は、僕と阿部さんは、子供の頃に一度出会ってる。その時、僕は彼女に恋をしたんだ。同じクラスになってすぐに気がついたよ。向こうは全然覚えてないみたいだけど…」

 それから、僕は、今まで誰にも話さなかった子供の頃のロマンスを、この親友に向かい話しはじめた。



 それは、僕が小学6年生、12才の秋の事だ。

 まだ御存命だったおばあさまと、リムジンでイトーヨーカ堂に買い物に行った帰り道、僕は、真柄川の河原で一人の少女が、数人の少年に寄ってたかって虐められているのを見た。…その、虐められていた少女というのが、まりあちゃんである。遠目にも、その可愛らしさが目を引き、僕は思わず運転手の円山に向かって叫んでいた「車を止めて」ってね。

 「あの女の子を助けなきゃ」という僕に向かって「危ないからおよしなさい」と円山は首をふった。ところが、おばあさまが「蘭丸の好きなようにさせておあげなさい」と加勢してくれたので、円山はしぶしぶ車を止めた。

 僕は、リムジンから降り、まりあちゃんを虐める僕と同じぐらいの少年達に飛びかかって行った。まりあちゃんは、突然現れた正義の味方の僕を、あの潤んだ瑠璃色の瞳で驚いたように見ていた。僕は張り切って、あっという間に20人ばかりの敵を倒した。



「本当かよ」

 松の木にもたれて、僕の独白を聞いてた勇が眉をしかめた。

「お前、そんなに喧嘩強かったっけ?」

「最後まで、黙って聞けよ」

 僕は勇を睨み付けた。

「でないと、話さないぞ」

「分かったよ」

 勇が首をすくめ口にチャックをする。それで、僕は続きを語りはじめた。



 そんなわけで、20人の敵はあっという間に倒したが、最後の一人…、まあ、いわゆるラスボスっていうか、そいつが強くってさ。なにしろ、身の丈3メートルも有る大男で、リーゼントにアゴ鬚を生やし…。



「って、絶対嘘だろ? ……そんな小学生いるか。つーか、この平成の世に、そんな奴いるか。っていうか、お前のニュースソースはなんだ???」

 勇の奴が、また口をはさんで来た。僕は怒った。

「うるさいな。居たんだから仕方ないだろ、黙って聞けよ」



 僕は、そのリーゼント野郎に、草の上に押し倒され、右から、左から何度もパンチを食らった。そのうちに、だんだん気が遠くなって来て、霞んで行く視界にお花畑と川が見えて来た。しかも、よーく目をこらすと、川の向こう側で、死んだ母さんが手招きしてるじゃないか。「ああ、これで僕の人生も終わったのかな」と、思ったその時だ、急にふわりと体が軽くなった。

 どうやら、誰かが僕の体を抱き起こしたらしい。いい匂いがする。それで、首をふり、パッと目を開けると、まりあちゃんが僕の顔を心配そうに覗き込んでた。彼女がボクの体を支えていてくれてたらしい。そして、心配げな彼女の向こうに、例のリーゼント男がうずくまってるのが見える。

「どうなったの?」

 と、尋ねた僕に「無我夢中でケリを入れたら、急所に当たったみたい」とまりあちゃんが答えた。なるほど奴は、股間を押さえてひくひくしている。

「ありがとう。君は強くて勇敢だね」

 僕はまりあちゃんに言った。まりあちゃんはにっこり笑った。

「あんたこそ、こんな大勢の奴らに飛びかかるなんて、強い弱いはともかくとして、凄いよね」

 と、言ってくれた。

 僕は、感激した。可愛いだけじゃなくて、なんて、素敵な子だろう? いや、本当に可愛かったんだ。今でも目に焼き付いてるよ。さらさらのストレートヘアが、夕日に染まって…、そう、さらさらのストレートヘアが、夕日に染まって…。



「なんかさあ、」

 懲りない勇がまた口を挟んで来た。

「それ、本当に阿部? 全然イメージ違うけど。お前の記憶違いの別人じゃね??」

「別人なわけがあるもんか?」

 僕は憤慨した。

「あんな、可愛い子他にいるもんか。それに、僕確かに聞いたんだ。誰かが彼女を呼ぶ声」



 そう、あの時、確かに、河原の向こうから、誰かが彼女を呼ぶ声が聞こえて来た。

「…ちゃーん。まりあー。どこにいるのー?」

 すると、僕の体を支えていた彼女は

「あ、おばさんが呼んでる、行かなきゃ」

 と慌てて立ち上がった。その、彼女の足が砂にまみれて汚れているのに気付き、僕は彼女を呼び止めた。

「ねえ、足が汚れてる。これで、ふきなよ」

 そう言って、白いハンカチを彼女に渡した。

「ありがと」

 彼女はにこっと笑いそれを受け取ると、ぱっぱっと砂を払った。それから「洗濯して返すから」というと、 くるりとあちらを向き、草を踏んで走り出した。

「まりあちゃん」

 僕は、彼女の背中を見つめ、何度もその名を繰り返した。


「その後、すぐに僕は後悔した。なんで、住所を聞かなかったのかって。仕方ないから、何度もあの河原に行ってみた。また会えるんじゃないかと思って。でも、それっきり会う事もなく、もう、あきらめた方がいいのかと思った矢先、この学校で彼女に再会したって訳さ」

「ふーん。その相手が阿部かどうは疑わしいけど、いい話だな」

 勇がそう言って鼻をふくらませた。感極まった時の奴の癖だ。

「間違いないよ。まりあなんて名前、そう多くないし、それに何よりもあの可愛さ」

「でも、阿部ってストレートか? どっちかっていうと、天パ入ってね?」

「天パではないだろ? ちょっとふわふわしてるけど」

「そっかなあ?」

「そうだよ。僕が彼女を、見間違えるもんか」

 あくまでも言い張る僕に、勇は折れたのか、

「まあ、俺にとってはどうでもいい事だけど」

 負け惜しみみたいにつぶやき、

「にしても、あれだな。そこまで好きな相手じゃ諦めきれないだろ」

 同情のこもった瞳で僕を見た。

「そりゃ…」

 と、僕はふられた現実を思い出して地面を見る。

「落ち込むなよ。俺がいるじゃん」

 勇が言った。

「なんだったらお前と阿部がうまく行くように協力してもいいぞ」

 僕は、勇の丸い顔を見上げた。

「…それ、本当か?」

「本当だよ。親友じゃないか。それに、ふられる辛さは、俺だってよく知ってるしな」

 涙がにじんでくる。なんて…なんていい奴なんだ? こんな親友を持った僕は世界一の幸せ者だ!

 涙を拭うと、僕は、せっかくの親友の好意に甘えてみる事にした。

「それじゃあ、早速、相談だけど」

「おう」

 勇が胸を叩く。

「どうしたら僕は『顔がよくて、頭がよくて、運動神経がよくて、面白い、完璧な人』……じゃない奴になれるだろう?」

「はあ?」

「彼女に言われたんだ、僕は完璧すぎて自分とはつり合わないって」

「あ、そう」

「だから、僕はお前みたいになりたいんだ。なあ、どうしたら『完璧じゃない奴』になれるんだ? コツを教えてくれ」

 すると、勇がこう答えた。

「ああ、忘れてた。今日、俺、ウサギの散歩当番だった」

 …って、そんな当番ねえだろ? と突っ込むより先に、勇はどたどたと校舎の方に走り去って行った。



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