8 今度こそ告白?
その日の僕は、神様の祝福を全身に浴びた人よりも幸せな気分だった。なぜなら、まりあちゃんが、僕を見るたびに、ころころと笑ってくれたからである。
「ありがとう、小原祥子!」
昼休み、僕は、中庭で草むしりをしている小原祥子を探し出して礼を言った。なぜ、掃除の時間でもないのに草むしりをしているのか、とか、ジャージは良いとして、麦わらにタオルはやめろとかいう突っ込みは、この際なしにして……。
「君の言う通りさ。この格好、まりあちゃんには、どっかん受けたよ!」
「そう……」
うきうきと報告する僕に対し、小原祥子はしゃがんだ姿勢のまま、顔を上げようともせずに答える。その目は、地面に生えている雑草に注がれていた。
「これで、まりあちゃんのハートもがっちりつかんだよな? な?」
「かもね……」
小原祥子は、いつにもまして無愛想だ。しかし、その態度が気にならない程、僕の心は舞い上がっていた。
「告白しちゃおうかな? どう思う?」
「いいんじゃない?」
…そっけない。
まあいいや。小原祥子のGOサインも出た事だし、善は急げだ。
早速、その日の放課後、僕はまりあちゃんを屋上に呼び出した。なんで屋上かっていうと、他に人に話を聞かれず、かつ、小原祥子が住みつけそうにない場所が他に見つからなかったからだ。
「ごめんね、こんな所に呼び出して」
空を背中に僕が言うと、まりあちゃんは眩し気に目を細めて笑顔を浮かべた。
「いいの、ちょうどまりあも話したい事があったから」
「話したい事?」
「祥子ちゃんの事。この間、話そうと思って、話せなかった事…」
「ああ」
思い出した。この間、体育館の裏に呼び出した時、まりあちゃんが話しかけて、やめた事だ。正直、小原祥子の話なんか聞きたくないが、まりあちゃんが話したいというなら仕方がない。
「一体何? 小原さんがどうかしたの?」
僕は、これ以上ないぐらい、爽やかに問いかけた。まりあちゃんは、話しにくそうにしばらくもじもじしてたが、やがて意を決したように顔をあげる。
「王子君と、祥子ちゃん、今、同居してるんだよね」
「ああ。みんなには内緒だけど」
僕の言葉に、まりあちゃんが「うん」と頷いた。
「祥子ちゃん『王子君との同居がみんなに知られると大変な事になるから』って秘密にしてるんでしょ? 初めは私にも隠したがってたもん。……あ、知ってるでしょ? 私達がハトコだってこと」
「知ってるよ…」
と、僕は答え、
「でも、小原さんについて話したいって、その事なの?」
「ううん」
「じゃあ、何?」
「うん……」
そこで、また、まりあちゃんが口ごもる。
「どうしたの? そんなに話しにくい事なの?」
そんな風に、僕はちょっと彼女をせかした。僕的には、小原祥子の話など長々としたくなかった。なにしろ、この後、もっと重大な話が待ち受けているんだから。僕のいら立ちを感じ取ったのか、まりあちゃんは、とうとう決心をしたらしい。彼女が話すべき事を、やっと口にしてくれたんだ。でもそれは、あまりにも、僕の予想を遥かに裏切る言葉だった。彼女は、遠慮がちに、しかしとても無邪気にこう言ったんだ。
「あのね、王子君。祥子ちゃんの彼氏になってあげて欲しいの」
目が点になる…というのは、まさしくこんな事だろう。呆然としている僕の前で、まりあちゃんは堰を切ったように話し始めた。
「祥子ちゃんはね、確かに乱暴で、凶暴な所もあるけど、根はとても女らしくて、優しくて、寂しがりやなの…」
「ちょ…ちょっと待って」
僕は、まりあちゃんの言葉を遮った。
「小原さんが『実は』良い奴なのは、よく分かったよ。でも、だからって何で俺が、奴…じゃなくて、彼女と付き合わなきゃいけないわけ?」
何がなんだか、パニクっている。
「それは…」
まりあちゃんが再び口ごもった。
「…せっかく一緒に暮らしてるんだし……」
「一緒に暮らしてるからって、付き合う理由にはならないよ」
「でも、これも、何かの縁だし」
「それも、付き合う理由にはならない!」
「王子君は気付いてないだろうけど、祥子ちゃんは、本当はとっても可愛いのよ」
はあ? 一体何を言ってるんだ彼女は。僕は、完全に頭が混乱していた。そして、とうとうこんな事を口走ってしまったんだ。
「それも関係ない! だって、俺は君が好きなんだから!」
言ってしまってハッとする。
目の前で、まりあちゃんが、大きな目を更に大きく見開いていた。
彼女の瑠璃色の瞳に見つめられた僕の心に、怒濤のような後悔の波が押し寄せてくる。
…もちろん、ここに彼女を呼び出したのは彼女に告白するのが目的だったんだから、ある意味この流れは正しいとも言える。しかし、「祥子ちゃんの彼氏になって欲しいの」などと口にするまりあちゃんが、少なくとも今現在、僕を好き(男としてさ)とは考えにくいだろう? 以上の事を考えてみれば、ここは一歩引き、もう少し僕の良さを分かってもらってから告白した方が、ずっと可能性があるって結論になる。それをパニックのあまり、物のはずみで告白してしまうなんて…蘭丸一生の不覚だ。
そして、それでも…人情としてわずかばかり残した1%の可能性…つまり、まりあちゃんが、本当は僕を好きなんだけど、心を鬼にして小原祥子に譲るっていう、妄想に近い可能性…を覆し、大方の予想通り彼女が口にした言葉は、
「ごめんなさい」
覚悟していたとはいえ、僕の中で「何か」が崩れる音がする。それは、希望と妄想と僕の自意識…? 崩れて行く足元を辛うじてこらえ、僕は必死に体勢を整えようとした。客観的に見れば、それはひどく不様な姿だっただろうけど……。
「どうして? 俺のどこがいけないの?」
「王子君がいけないって事じゃなくて…」
彼女はひどく辛そうに答える。
「私、好きな人がいるから…」
「好きな人?」
誰だ…? と考えるまでもなく、僕の脳裏にモーグリ型のシルエットが浮かんできた。
「勇かよ…」
考えてみれば、とうに分かり切っていた事だとも言える。
けれど、彼女は明確には答えず、ただ、ぴくりと肩を動かし「ごめんなさい」とつぶやいた。
謝られたって…
僕は救いようのない心の内で答えた。
…仕方ないじゃないか。
失望より何より、ただただ納得のいかない気持ちが勝る。相手が、あの『親友』だからなおさらだ。往生際の悪さは承知で、僕は彼女に尋ねた。
「勇のどこがいいの? 俺、あいつよりダメ?」
「ダメとか、そういう事じゃないの」
まりあちゃんは、悲しそうに言った。
「王子君は、とてもかっこいいし、頭もいいし、運動神経もいいし、面白いし……でも…」
「でも…なに?」
僕は彼女に詰め寄った。
「でも、完璧すぎて、まりあにはつり合わない!」
そして、まりあちゃんは、もう一度「ごめんなさい!」と叫んぶと、くるりと後ろを振り返り、逃げるように走り去って行った。 後には、真っ白になった僕が取り残された……。
ぼんやりと空を見上げ、言葉も出ない。頭の中には、ただ、彼女の言葉がエコーしている。
…完璧すぎて、まりあにはつり合わない! …完璧すぎて…完璧すぎ…完璧す…
僕は、フェンスにもたれたきり、その場から動く事もできなかった。おそらく、人生で最凶最悪の数分間。
と、その時、誰かが、僕の肩をポンと叩いた。それで、あわやフェンスを乗り越えようとしていた僕の魂が地上へと戻される。
「おい、蘭丸」
目の前には、モーグリ型のシルエット……勇だ。よりによって、今、一番見たくない顔だ。僕は眉をしかめた。
「どうしたんだよ、こんな所で」
何も知らない勇は、のほんと語りかけてくる。その呑気ささえ、今の僕にはやたらとカンに触った。それで、無言の拒否をする。つまり、黙ったままぷいっと後ろを向き、フェンスにもたれ、地上を眺めた。しかし、勇はおかまいなしで話しかけてくる。
「おい、どうしたんだよ? 今日は『セクハラ部長は見た! 女子更衣室連続全裸事件』の発売日だぞ」
その、異常に長くて奇妙なタイトルに、僕の片耳が反応してしまう。僕はどんよりと振り返り、奴に尋ねた。
「何だよ、それ」
「DVDだよ。一緒に買いにいこうぜ」
「エロかよ」
「そうだよ」
「はあーーーーーーーー」
全身の力が抜けて行く。父さん、こんな奴のために僕は初恋の人にふられました! 情けないやら悲しいやらで、僕はへなへなとそこにしゃがみ込んだ。それで、さすがに、この呑気な親友も心配になったらしい。
「おい、どうしたんだよ? やけにテンション低いな」
覗き込んで来る。
「うるせえ、どっか行け!」 僕は、ひざに顔を埋めて答えた。寄るな!
「おい、蘭丸。マジで変だぞ? 何かあったのか? そういえばここに来る途中泣いてる阿部とすれ違ったけど…」
まりあちゃんの名前に、僕はちょっとだけ顔を上げ勇を睨み付けた。お前が、まりあちゃんの名前を口にするかよ! 何も知らないで!
「…今の僕が、どう見える?」
僕は自嘲気味に勇に尋ねた。
「さぞかし、面白いだろ?」
お前のためにふられた、負け犬を見てさ……言外にそんな意味を込め、
「笑いたければ、笑えよ」
八つ当たりしてやる。
すると、勇は腕を組み、うーんと唸り、しばらく考えてからこう言った。
「面白いっていうかさ」
「おもしろいっていうか、何だよ」
「うん。面白いっていうか、神父のコスプレした、ちょっぴりだらしないノイローゼの人に見える」
僕はかけ違えたボタンを全部外し、神父の衣裳を脱ぎ捨てると、殺意を込めて勇を見た。