一つ屋根の下?
「蘭丸。大事な話がある」
その日の夕食の時、父さんがいつになく真面目な顔で言った。
「なんですか?お父さん」
ボクは食べかけたフォワグラをそっと皿の上に置いて父さんの顔を見た。
「うん。蘭丸の母さんが亡くなって、もう随分たつよな」
「ええ。もう、かれこれ10年でしょう?お母さんは僕が6才の時に亡くなりましたから…」
そう。母さんは僕が6才の時に死んでしまった。それから、ボクと父さんは、2人きり、慎ましく、この一等地にある通称白亜の豪邸で、100人ばかりの召し使いに囲まれ、地味に質素に暮らしている。ちなみに、我が家の部屋数は、わずか20室しかない。まったく、狭い家で困る。
会社社長の父さんは、顔を赤らめ、レタスを噛み噛みこう言った。
「私は、今までどんなに再婚を進められても全て断って来た」
その様子を見て、僕にはすぐにピンと来るものがあった。
「と、いうことは、つまりお父さんは再婚すると言う事ですか?」
「え?何で分かったんだ?」
「『再婚を進められても全て断って来た』は『これから再婚しようと思う』の枕詞だと、この間古典で習いました」
もちろん、嘘である。ちょっとしたインテリギャグのつもりだったのだが、
「そうか…」
と、父さんはあっさり信じ、真っ赤な顔でこう言った。
「実は、父さん、1年ほど前からおつき合いさせてもらっている人がいてな…」
別に不思議な話でもない。うちの父さんはサリーチャンのパパみたいな髪型をしているが、ヨン様をちょっと老けさせたような甘いマスクをしているのだ。さぞかし、冬ソナファンの女性にもてる事だろうとは思う。が、
「父さんは不潔です!」
ボクは、思わず叫んで立ち上がっていた。
「…嫌です。そんな見ず知らずの女の人を母さんと呼ぶなんて!」
父さんは、今まで聞き分けのよかった息子の突然の反抗に戸惑っているようだった。
「…じゃあ、やっぱり、再婚は反対か?」
「反対です!」
「そう言わずに、写真だけでも見てくれないか?阿部静江さんていうんだ。美人だぞ?」
「阿部?」
その名前に、ボクはぴくりと反応した。そして、父さんが差し出した写真を受け取り驚愕した。なぜなら、そこには阿部まりあちゃんそっくりの美女が写っていたからである。
「…こ…これ…これ?」
興奮のあまり、ボクの声はうわずった。
「綺麗な人だろう?でも、どうしてもお前が嫌だと言うなら」
父さんが寂しそうに呟く。しかし、ボクはそんなの聞いちゃいなかった
「こ…こ…この人に娘さんは居ますか?」
それが、最大の懸案事項だったからだ。
「よく知ってるな。確か、娘さんが一人。お前と同じ、セント千尋学園に通ってるっていう話だ」
『ビーンゴ!』ボクは心の中でガッツポーズをとった。
「と、いうことは、つまり…」
「ああ。つまり、父さんがこの人と結婚すればお前にもお姉さんか、妹かができるという事だ」
違う!まりあちゃんと一つ屋根の下!
ボクの心の中の暴れ太鼓ライブは、今や最高潮の盛り上がりを見せていた。一方、父さんは残念そうな顔をしている。そして、暗い声でこう言った。
「…しかし、お前が、そんなにいやなら、この話はなかった事に…」
「とんでもない!お父さん!」
ボクは、父さんの手を取り叫んだ。
「賛成!大賛成です」
「しかし、お前、今さっき反対と…」
「あの頃のボクは、子供だったんです。どこの世界に親の幸せを願わない子供がいるでしょう?いいや居まい(反実仮想)」
「本当か?」
父さんの顔がパッと輝いた。
「ええ。もちろんです。そうと決まったら、少しでも早く、阿部さんをここに呼びましょう。今すぐ呼びましょう。電話しましょうか?」
「おいおい。お前。いくらなんでも、それはせっかちと言うものだろう?」
父さんは手をW字にして、首をすくめた。
「それもそうか。あっはっは」
ボクも笑って返した。
こうして、一週間後阿部さんと、その娘さんがこの家に来る事に決まった。来週からまりあちゃんと一つ屋根の下!だ。
僕のお花畑な妄想は、果てしなく広がって行った。
それから一週間後。
ボクは足どりも軽く、晴れ渡った空の下、学校へ続く坂道を歩いて行った。
「王子クーン!」
テニスコートから、女生徒達のまったく無意味に僕を呼ぶ声が聞こえて来る。
いつもはうるさいこの声も、今日はまるで天上の音楽のような美しい調べに聞こえ、ボクはニコッと笑って彼女らに手をふった。
なにしろ、今日のボクはとても機嫌がいいのだ。だって、今日からボクの家に阿部静江さんとその娘がやって来る事になってるんだ。ボクの頭の中の花畑は、今が満開の真っ盛りになっていた。
スキップをしながら校門をくぐると、校舎の前に、まりあちゃんと、もう一人…名前は忘れたけど、うちのクラスの女生徒の姿が見えて、
「阿部さ~…!」
手を振り、名前を呼ぼうとしたその時だ。右斜45度から飛び出した未確認飛行物体(岩石?)が、激しくボクの顎にヒットし、ボクの体は1m程宙に浮き、どさりと尻から地面に落ちた。
腰をしたたかに打ち、その痛みのあまり、ボクの頭の中の花畑にモンスターが現れた!その巨大なモンスターは、大きく息を吸い込み、力を溜めている。なんだ?あの怪物は!頭の毛がボーボーで、やけに目がギラギラしている。…いや、あれは目じゃなくて、眼鏡が光ってるんだ。しかも、なんだ。モンスターの癖に、女子高生みたいなブレザーとプリーツスカート…いや『みたい』じゃなく
て女子高生なんだ。…うん?あの顔は見覚えがあるぞ。誰だっけ?おららようこ?ちがう。おあらみょーこ…じゃなくて、小原祥子!少林拳の達人!
「…なにがあったんだ?」
やっとクリアになった頭で、ボクは小原祥子に問いかけた。まったく、何が起こったのか把握できていないのだ。すると、小原祥子は、何かを企んだようなゆがんだ笑いを浮かべ、
「あ、ぶつかっちゃった。ごめ~ん」
と舌をだした。
…ぶつかった?ぶつかったなんてもんじゃないと思うけど?
きょとんとしているボクに向かって、小原祥子は真直ぐに歩いて来ると、何を考えたのかポケットから白いハンカチを出し、ばさりとボクに投げ付けた。
「?????」
クエスチョンマークの飛びまくるボクを残し、小原祥子はガニ股でドスドスと去って行った。…何なんだ?一体…。
「おい!大丈夫か蘭丸!」
勇がスローモーションで駆け寄って来る。
「お前、アイツに頭突きをかまされたんだぞ!」
勇は僕の体を抱き起こすと、そう叫んだ。
「見てたのか?」
「ああ。ハラハラしながら傍観してたんだ」
「傍観かよ!助けろよ!」
しかし、勇は爽やかに話題を変えた。
「それにしても、恐ろしい女だ。さすが、元格闘家の娘。お前、アイツに恨みを買うような事をしたのか?」
「恨み?いいや…」
ボクは首を振って、小原祥子の残した白いハンカチを手に取った。
「それにしても、なんだ?このハンカチは?」
「タオルだよ」
勇が大真面目な顔で言う。
「タオル?」
「ああ。ボクシングにおけるタオルさ。お前はもう、戦闘不能。これ以上戦ったら再起不能になると判断したんだろう。敵ながらあっぱれな女だ…。さすが、挌闘家の娘…」
勇は感歎をもらしたが、ボクには何の事だかさっぱり分からない。大体、なんだ。戦闘って。ボクは基本的に平和主義者だぞ。
「まあ、いいや。変な奴」
ボクはそう言って立ち上がると、体についた砂利をパタパタと払った。すると、何故か僕を取り囲んだ女生徒達が一斉に溜め息を漏らした。きっと、全員溜め息研究会の会員なんだろう。
いいんだ。こんな事は。今日からは、まりあちゃんと『一つ屋根の下』なんだから。そう考え、ボクはテンションを上げなおし、教室に向かった。
そして、授業が終り、真直ぐに家に帰る。
家に着くと、ボクは、ステンドグラスに挟まれたアーチ型の大きな玄関の前で立ち止まって一先ず呼吸を落ち着かせた。この扉を開ければ、まりあちゃんと、その美しいお母さんがいるはずなのだ。そう思うと、否が応にも胸の動悸が高まって行く。ボクは、ごくりと唾を飲み込み、門番Aにドアを開けろと指示をした。
が、しかし…。