1 暗い青春
「王子クーン」
登校途中の坂道で、僕は数名の女生徒に声をかけられた。
「呼んでるぞ」
親友の坂口勇が、テニスコートを指差した。金網越しに10人ぐらいの女子が固 まって僕に手を振っている。全然知らない顔だ。とりあえず手を振り返すと、彼 女達はきゃーっと悲鳴を上げた。
「なんだ? あれ」
振り返った僕に向かって、ずんぐりむっくりな勇がひがんだ表情を浮かべる。
「いいよね、お前はもてて…」
「別にもててなんかないだろ?」
確かに、高校に入って以来、今みたいに見知らぬ女生徒に声をかけられる事は 多いが…この間、テニスの県大会で優勝してからますますそういう事が多くなっ たが…。
「嫌味だな。もててるよ!」
勇が仏頂面をする。
「そうかあ?」
僕は首を傾げた。
…一体どこが? 自分では全然もててる気がしない。その証拠に、彼女もいな いし。暗い青春だ。楽しい高校生活を夢見て普通の学校に入った筈だったが、こ んな事なら、中学の担任に言われた通りラサール高校に行けばよかった。
いっそ学校なんかやめて、この間町で声をかけられたモデル事務所にでも行っ ちゃおうか。そんな事を考えていると、
「あ~あ。蘭丸なんかと友達やるのやめようかな~」
勇がぶつぶつと文句を言う。
あ、紹介が遅れたけど、僕の名前は王子蘭丸。17才。高校2年生。よろしく。
「バカな事言うなよ」
「いいよ。凡人でも。俺は、俺なりに人生楽しむし~」
勇が膨れっ面のまま、小指を立てて変なポーズをとった。僕は憎々しくそれを 見て思う。
なんで、お前にひがまれなくちゃいけないんだ? お前は、僕が持ってないも のを持ってるじゃないか!
「まりあ~」
「なあに? ことみちゃん」
ふわふわの髪をなびかせて、彼女が振り向いた。
僕はロッカーにもたれた姿勢で彼女を見て思う。なんて可愛いんだろう?
「筆箱落としたよ」
「あ、ごめん、ごめん。気がつかなかった」
彼女は、小鳥のような仕種でクラスメートからカンペンケースを受け取った。
「って、あんたそんなの落として気付かないわけ?」
「うん。私って変?」
そう答えて首をかしげる。その仕種も可愛い。彼女の名前は阿部まりあ。ふわ ふわの美人だ。この高校へ来て唯一よかったのは、彼女と会えた事だ。
「いいよ、いいよ。いいから、一緒に音楽室に行こう。じゃないと、どうせ、あ んたまた道に迷うんでしょ?」
「えへへへ」
ペロッと舌を出す。めまいがする程可愛い。
「じゃあ、行こう!」
そう言って阿部さんはことみという名のクラスメートと楽しげに喋りながら歩 き始めた。その時、
…ばさり…
彼女の手から教科書が落ちる。阿部さんより先に、ことみがそれに気付き振り 向いた。そして、どうやら、阿部さんの代わりに拾おうってあげようとしたらし いが、僕が見ているのに気がついて固まってしまう。そして、胸に手を当て首を 振った。
…まただ。
僕は思った。
女生徒は僕を見るとみんなああいう反応をするんだ。正直言って傷付くんだ。
…やめてくれないかな? そういう反応。一体僕が何をしたって言うんだ?
僕は、溜め息をついて静かに歩き出した。そして、すっと教科書を拾うと、
「阿部さん。落としたよ」
と、声をかける。隣のことみが一瞬よろめいた。朝御飯を食べてないんだろう か?
阿部さんが振り向いた。そして僕を見ると花のように顔をほころばせ、
「ありがとう!」
と言った。…かわいい。思わず顔が崩れそうになるのをこらえながら、僕は壁 に片手をついてにこっと笑った。
すると、また隣のことみがよろよろとした。病院に行った方がいいんじゃない か? いや、そんな事より…。
「…だめだよ、気をつけなきゃ」
そう言って、じっと阿部さんの目を見つめる。…が、
「ねえねえ、昨日の夜更かし見たー?」
彼女はあっという間に振り返って、さっさと歩いて行ってしまった。
僕は、格好つけて壁についた手をひらひらさせて、彼女の後ろ姿を見送った。
僕が、切ない気持ちを抱えて阿部さんの後ろ姿を見守っていると、
「おい、蘭丸。音楽室へ行くぞ」
後ろから勇に声をかけられた。
勇は手に愛読書のエロ本を持っている。
「なんだよそれ?」
たずねると
「決まってるだろ?読むんだよ。音楽なんてかったりーもん」
その言葉を聞き、僕は真面目に殺意を燃やした。下品な話が嫌いと言うのが第一の理由だが、それ以上にもっと許せない理由があった。
それは…
「まりあー」
遠くから彼女を呼ぶ声がする。思わずそちらを見ると、阿部さんが僕達の方を見ていた。それも、ただの目つきじゃない。熱い眼差しだ。間違いない! あれは、恋する乙女の眼差しだ。しかし、その視線の先にいるのは僕じゃなくて、勇なんだ…。
「まりあってばー」
ことみの呼ぶ声に、ハッとして彼女が振り返った。そして、その拍子にまたカンペンが落ちる。
「ごめんね…」
阿部さんはことみに謝ると、
「早く行かなくちゃ」
と駆け出した。
「まりあ~! カンペン落としっぱなし! それに、そっちは方向違うってば! 人の話聞きなさーい」
ことみが慌ててカンペンを拾い上げ、阿部さんの後を追いかけて行く。その後ろ姿を見ながら勇が言った。
「阿部って本当に天然だよな。よく今まで無事に生きて来れたよな」
「なんだと~?」
僕は、偉そうに腕を組んでる勇むの胸ぐらを掴んだ。そして、身長差13cm(僕の身長は178cmだ)の奴の体を軽々と持ち上げ、抑えた声に殺意を込めて、
「阿部さんの悪口を言うな…」
と、言った。
「分かった…分かったよ。プチジョークじゃんか。許してよ」
勇は首輪をつかまれたマルチーズみたいに足をばたばたさせてもがいた。
「ファック・ユー!」
しかし僕は、そう言って奴を乱暴に突き飛ばした。勇が尻餅をついてコロコロと転がりその勢いでゴミ箱にヒットする。
ざまあみろ!
僕は、冷たい視線をこの、モーグリ見たいな恋敵に向けた。
すると、その時、いきなり後頭部に強い衝撃が走った。
びっくりして振り返ると、そこに、モップを持って立っている一人の女生徒が居た。
「ちょっと、人が掃除してるのに散らかさないでくれる?」
その女生徒は、眼鏡を光らせ、ドスのきいた声で言った。僕は、唖然としてその姿を眺めた。だって、その女の子ときたら、分厚い眼鏡に、ぼうぼうの髪を乱暴に後ろで一つにひっつめて、おまけに、今どき膝下10センチ以上もあるような長いスカートをはいているんだ。けれど、男として怯んでいる訳にもいかない。
「いきなり、殴る事ないんじゃないか? 大体、今は休み時間だろ?」
勇が「ヨセ」と言うように手を振った。しかし、僕は勇のサインを無視して、さらに言ってやった。
「掃除は、掃除の時間にやればいいだろ?」
すると、
「お黙り!!!!」
学校中に響き渡る程の大きな声で、その女生徒が叫んだ。思わず耳をふさぐ。
「一日一善の私のポリシーにケチをつける気?」
何を言ってるんだ? この人は? 耳をふさいだまま混乱していると。
「おっしゃる通りでございます。なんなら、変わりに掃除をいたしましょうか?」
と、勇が手をこすりこすり言った。すると、眼鏡の女生徒は満足気に頷き、
「そこまで言うなら、お願いするわ」
と言って、ほーっほっほっほ…と笑いながら去って行った。
「見損なったぞ、勇」
モップで廊下を磨きながら、僕は勇に文句を言った。
「何で、あんな女の言いなりになるんだよ」
「お前、小原祥子を知らないのか?」
勇が真っ青な顔で言った。
「小原…?」
どこかで聞いた事があるような気もするが…。僕は阿部さん以外の女生徒の名前は、あまり覚えていないんだ。
「B組の女委員長だよ。少林拳の達人で、怒らせるとめちゃめちゃ怖いんだ」
勇の説明を聞いて僕はゾッとした。
「少林拳? それは怖いかも。絶対に近付きたくないタイプだな」
「色んな意味でな」
勇が頷く。
しかし、まさかその小原祥子が、これ以上ないぐらい自分の人生に関わって来る事になるとは、神ならぬ身の僕には知る由もなかった。