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まおうのおうこく  作者: 石原にしん
23/33

まおうのおうこく22

戦闘シーンの表現や描写が物足りなかった為、加筆修正しました。

「やはり見逃してはくれなかったか・・・」


 ヴォルギスは、誰にも聞こえない声で小さく呟いた。

 


 ケーナ村の北東、イルヌイ河に架かる橋の袂。日も昇らないまだ朝霧で靄のかかる草原に一体の化物と500の軍勢が対峙していた。

 龍の鱗とヒレを持つ水咬族の戦士達――手には巨大な海獣の骨と牙でつくられた長槍。耳にはペシュタ島に残してきた家族や愛する女が編んだ海守りのピアス、大海蛇の鱗であつらえた肌にぴったりと貼り付く生皮のような独特の鎧。

 先頭に立った、一際体の大きな男が一歩、歩み出る。


「昨日ぶりだな」

「ああ」


 対峙するのは、歩み出た男よりも頭二つ分程背の高い、禍々しく捻れた2本の角を持つ、正真正銘伝説の化物――|赤黒い筋肉繊維と骨がむき出しになったかのような体の悪魔=デーモンがそこにいた。


 黒と紫の折重なった複雑な作りのローブ。フードで隠れて見えない顔の半分、虚ろな片目が赤く不気味にぼうっと光る。


 ヴォルギスは生唾をごくりと飲み込んだ。


「どうしたっていうんだ? こんなところで?」


 悪びれもせずそう聞いてみる。


「それはこちらの台詞だ。君達こそ何をしている?」

「はっ。俺たちはあんたに言われた通り、イルヌイ河を下って今から故郷に帰るつもりさ」


 わざとらしく首を竦めた。


「ならば帰りは西の街道から帰るといい。ここは通行止めなんだ」


 そう言ってゲルニカは、ヴォルギス達の遙か後方、アルカンドラを東西に走る街道を筋張った指で差した。


「おいおい、俺たちは水咬族だぜ? 河から海に出た方が断然早い。

 それとも何か? 川に近づかれちゃマズい理由でも――」

「すまないな。君達と問答する気はないんだ――」


 しかし、のらりくらりと会話で主導権を握ろうとする、そんなヴォルギスの思惑など見透かしたようにゲルニカは言葉を遮り、自らの胸に手を置いてこう言った。


「道は二つに一つ。

 このまま引き返すか、それとも僕に挑んで皆殺しになるか、どちらかだ」

「チッ・・・・・・」


 ヴォルギスはその取り付く島もない様子に内心歯噛みした。

 昨日の時点では目の前のデーモンは、どう言えばいいのか、もっと与しやすそうに見えたのだ。

 口調も今より純朴で――こんな化け物を前にして言うことではないが、どこか〝甘さ〟や〝若さ〟みたいなものを残した、出会う場所が違えばきっと世話を焼いてやりたくなるような、そんな未熟さを何処かに感じさせた。


 そう――昨日はもっと付け入る隙があるように見えたのだが、今はそれが全くと言って良いほど見あたらない。


 ・・・しくじった。


 ヴォルギスは部族の中では100年に渡る歴戦の、正に勇者である。数え切れない程の戦に身を投じ、数え切れない程の戦士を見てきた――相対してきた。だからこそ分かるのだ。

 昨日が――この昨日の夜から明け方にかけてが何か大きな分岐点だったのだと。

 

 こういうことは戦場ではままあるのだ。

 戦場では、日常とは全く違った速さで時間が流れていく。

 命が鮮烈に燃えて燃えて、そして尽きる――本当は50年かかって得る経験を、決断を、苦悩を、覚悟をたった数ヶ月、数日、数分の内に体験する。


 昨日の内に何か、奴にとって大きな出来事があった。もしくはヴォルギスがもたらした情報が、あいつの何か大事な部分に触れた。

 虫も殺さぬような草食動物を虎に変えたのだ。その決断をさせるに夜が明けるまでの数時間というのは十分な時間だったのだろう。


「まったく・・・。

 細心の注意を払って、オマエさんの気配が弱まった瞬間を狙ったんだがな・・・」


 ヴォルギスはそう言って、諦めたように首を振った。

 するとデーモンは殊更驚いたように顎を撫で、 


「なるほど・・・それについては見事だった。

 あの瞬間、確かに僕は少しうたた寝をしてしまっていたからね・・・」


 ともすれば、しれっとそんなことを言いやがる。まったく食えない相手だ。


「けっ。 言ってろ。

 なぁ、最後の頼みだ。 俺たちを見逃してくれ」

「無理だ」


 考える間もなく即答した――そこに揺るぎない何かを感じざるを得ない。


「何も好き好んで、こんな事をやってるわけじゃねぇ。

 故郷が、家族が、女達が、みんな人質なんだ。帝国での魔族の扱いはあんたも――」


 しかしそんな泣き落としも、ため息一つ。


「ああ。そんなことだろうと予想していたよ」


 一言で切り伏せられた。

 もっと感傷的だと思っていた――それこそ今のような泣き落としに戸惑い刃を鈍らせる程には。

 やはり、昨日とは決定的に違う。


「――そして、そんな全てを承伏して、僕はここに立っている。

 君は違うのかい?」


 言いやがる。


 腹立たしいがその通りだ。元々こちらの腹も決まっている。

 こちとら失敗すれば生きてなど帰れないのだ。そんなことをすれば故郷に残された家族が、女が、差別主義者共にどんな目に遭わされるか想像もつかない。何せ相手はあの悪魔と名高い執政官ディーフロアなのだから。

 元より勝って凱旋するか、故郷から遠いこの地で死ぬか、その二つに一つだ。


「最後に一つ、いいかな?」

「ああん? なんだ」


 しかしデーモンは最後にこちらに掌を向けながら、今にも飛び出さんとしているヴォルギスの部下を手で制し、昨日酒を飲み交わしたあの純朴そうな口調でこう言ったのだ。


「・・・出来れば貴方を殺したくない。

 知っているだろう? 僕は帝国兵2000を軽々と平らげた」


 貴方(・・)と、心からの敬意を込めた、嘘偽りの無い言葉に聞こえた。

 それがこんな時だというのに、なんだかむず痒い――そんな自分が可笑しくて、それで最後の覚悟が決まった。


「舐めるなよ、甘ちゃんがァ!

 俺達は、旧くはアルカンドラ建国記において龍人と畏れられた、神代より続く海龍の血筋。

 人間のような脆弱な生物と横に置いて並べるなど笑止!!

 何故俺たちが、たった500余りで帝国最強の海軍の精鋭と呼ばれているか、その身を持って知るがいい!!」


 使い慣れた愛槍を腰と肘とで挟み、目の前の化け物に大見栄を切って見せる――ここが死地だと、後ろに続く戦士たちに背中で告げた。


 キィーーー。


 水咬族固有の発声器官である〝喉笛〟から人には聞き取れない超高音の音波が発せられる。


 そもそもこの討伐の標的は目の前のデーモンではない。

 下された討伐の指令、それは離反した没落貴族、銀騎士アリアナ・ディ・エイデス・アトラーデ嬢の頸である。

 

 恐らくだが、本当に帝国に反旗を翻した目の前の魔王の情報を、帝国の誰一人として正しく掴んではいない。対峙して分かるが目の前のこの敵の頸は、貧弱な諸侯の軍などに取れるような安いものではない。

 早い者勝ちのこの討伐(ゲーム)は、恐らく失敗に終わるだろう。だったら当初の目的であるアリアナ嬢の頸を持って帰るが正解――そしてその居場所は、目の前のデーモンのこれまでの態度や、締め上げた帝国兵の情報から大凡の見当がつく。


 その旨は、配下達に昨日の内に既に伝えてある。


 ならば、魔王の相手などまともにせず、逃げ仰せるが最良だ。

 幸い水場も近い。いくらアリアナ嬢が銀騎士の手練れだとしても、たった13の子供一人、水咬族の戦士が100もいれば事足りる筈。


 喉笛の指示に従い、右翼と中央が半包囲しつつ攻撃を仕掛け、左がそこに畳みかけると見せかけ、走り抜ける――水咬族の足は、陸でも黒雹のように早く走るのだ。いくらデーモンと言え、その速度には着いてこれまい。


 それに加え・・・喉笛で高速詠唱を行い、


――クリヴォ=シュラ


 水咬族の固有魔術〝投射塔〟が発動する。ヴォルギスの目の前に莫大な量の水が出現し、ゲルニカに向けて一直線、筒のように細長く形成される――その間は一瞬、一秒にも満たない。

 水咬族を陸でも強者たらしめる、これがその正体である。


 ヴォルギスは、水の円筒にざぶんと頭から突っ込み、槍を構えて身を細くする――高速潜行の際、水咬族が取る姿勢である。

 そして次の瞬間


 きゅるるっと、水の中で甲高い音を小さく響かせ、回転しながら水の投射台に打ち出される。

 その速度は音速近くまで達し、水から飛び出た瞬間、ボンっと空気が破裂するような音が響く。


「食らえぇええ!」


 一番先頭に居たヴォルギスが最初にデーモンと激突する。

 いつでもこうして闘ってきた――自ら先陣を切り、そして一番槍を務める。

 そうして皆を――後に続く戦士達を、若者を、引っ張って来たのだ。


 しかし次の瞬間、それからの出来事は実に一瞬の内に起きた出来事である。


 バギャンッと、硬質な音を立てて、あらん限りの魔力でコーティングされた愛槍がいとも容易く砕け散った。

 そして何が起こったのか全く理解できないまま、大岩を砕いたような轟音が耳の中に響き、凄まじい速度で弾き飛ばされたことだけ何とか理解した。視界が激しく反転――八方に体を引き回されるような感覚の後、何かに激しくぶつかり止まった。その衝撃で気を失いそうになるが、何とか堪える。


「・・・ぅ・・・・ぁ・・・」


 声すらまともに出ない。

 次第にはっきりとする意識。


 激痛。激痛。激痛。


 全身が千切れ飛んだのではないかと思わんばかりの激痛。

 気がつけば自分の体が、元いた位置よりも後方、打ち捨てられた大きな岩に激突し、めり込み、血みどろで転がっていることに気づいた。


 右手には、無惨に砕け散った愛槍――奇跡的に利き手は生きている。


 まだやれる・・・。 


 意識を強く持ち、デーモンに視線を向けると、右手には水咬族特有の緑の血の跡。


 殴られた・・・のか・・・?


 そう理解したのも束の間、次の瞬間、ヒヤリと背中に嫌な汗が伝う。


 そうである――気づいた時には、既に自分の後に続く水咬族の戦士達が自分と同じように発射体勢に入っていたのだ。


「やめろォォオォオオ!!」


 空気が破裂するような連続した爆発音。耳がおかしくなりそうになる――戦場で幾度も聞き慣れた筈の音を、こんなにも無力感に包まれながら聞いたのは初めてだった。

 村を蹂躙され、部族全員を人質に取られたあの戦いの時でさえ、こんな思いはしなかった。


 地面の抉れる音、何かが潰れる音、砕ける音ひしゃげる音、くぐもった悲鳴。

 水咬族の〝砲撃〟が止み、そこには・・・


「ぅ・・・ぁあぁぁあぁあ・・・!!」


 そこには緑の、ひたすら緑の沼が広がっていた。

 ぐちゃぐちゃに潰れた、戦士達の同胞達の亡骸とも呼べない亡骸が、無惨に山のように転がっている――その中心に立つのは、血まみれの悪魔。


――磔刑の墓地(クルクス・ウォーラ)


 そして、冷たい絶望のような、デーモンの声が静かに響いた。


 デーモンの右側を抜けようとした水咬族の左翼を、地中から突如突き出た夥しい数の黒く錆びた槍が、草原に降るまるでスコールのように激しいの勢いで襲いかかったのだ。


 水咬族の戦士は、他種族では到達し得ない超速度で戦闘を展開する。それが帝国にて水咬族を強者たらしめる理由――人間ごときでは持ち得ない、凄まじい動体視力を水咬族達は持っているのだ。

 水咬族の前では、あらゆる攻撃は物理法則に従う限り、そのほとんどが意味を為さない。

 突如地中から飛び出た無数の槍ですらもその例外ではない――本来であれば。


 ただ、数が多すぎたのだ。躱しても躱しても追い縋る万にも及ぶ槍の猛追に、一人、また一人と捕まり無惨に凄惨に、命を奪われていく。


 ある者は超反応で体を捻り一撃を7度躱すわすも、8本目と9本目の槍に手と足を貫かれそのまま後続の20本に体中を穿たれ死んだ。大海蛇の鱗もまるで布の服のように意味を為さない。


 ある部族の戦士の中でも手練れの者は、27本の槍の猛追を躱したが、その27本もの槍で行き場を塞がれ、


「ぐぼあっ・・・!」


 最後は股の間から口までを貫かれ、まるで炉端で焼かれる魚のように無惨に串刺しにされて息絶えた。


 あるいは、まさに今貫かれんとしていた友を庇った者は、その友と一緒くたに互いの境界も分からぬほどぐちゃぐちゃに貫かれ、原型の留めぬ人型の肉のオブジェにされた。


 戦士たちが貫かれていく――仲間を置き去りにし、使命の為に涙を飲んで必死に駆け抜ける戦士達の腕を、足を、腹を、胸を、顔を、無造作に無作為にズタズタにボロボロにひたすら突き刺していく。


「ぐぎゃらああああ!」

「があぁああああ!」

「ひげぁあ!!」


 方々から戦士達の悲鳴が上がる。


 何度も何度も何度も何度も、10本でも20本でも飽き足らない。数え切れない槍の群れが、まるで落ちた蝶にに集る蟻の群のように、戦士達の体を黒く埋めていく。


 気付いてみれば、数え切れない程の戦士の骸が、無惨に磔にされていた。

 あれだけ厚かった左翼が、まるで黒い波に一瞬で飲まれたかのように蹂躙されたのである。

 その骸は全て天高く掲げられ両手を横に広げた、まるで十字架のようだった。


 いくつもいくつも血塗れの草原に突き立てられた、十字架の骸達――その光景のなんとおぞましいことか。


 目の前の光景が信じられなかった――一瞬である。たった一瞬で一体何人の戦士達が殺されたのか。


 戦士達の骸が、東の地平から昇りかけの黄昏を受けて怪しく照らされる――それはまるで夜に見る一枚の宗教画のように不気味で、禍々しい悪魔の所行を象徴しているかのようだった。


 判断を誤った――温存など考えず、左翼も〝投射塔(クリヴォ=シュラ)〟を使い全力で逃げ切るべきだった。


「ああ・・・あ・・・あああああああ!!」


 ヴォルギスは絶えきれず、怨嗟の声を上げて地面を叩いた。

 こんな一瞬で、これほどの犠牲を払わされることなどあるのだろうか・・・。


 だが、こんなことで易々と膝を折ってはいられない、がくがくと震える体でなんとか立ち上がる。

 草原に広がる夥しい緑色の血にまみれた原型を止めぬ無惨な死体。

 犠牲は大きかった。しかし!


 抜けた――デーモンの右横を、恐らく40名程の戦士達が槍の雨を何とかかい潜り、そして河辺にたどり着く。


「は・・・」


 思わず笑みがこぼれる。

 自分たちの生は、きっとここで終わりなのだろう――しかし、それと引き替えに目的は果たした。

 あのデーモンを出し抜いてやった。


 今生き延びた凡そ40の戦士達は、きっと死にものぐるいでアリアナ嬢の頸を取るだろう。

 これだけの犠牲を払った――俺たちの命を決して無駄にしまいと奮起するだろう。

 俺たちの勝ちだ。


 見れば、死んだと思っていた初撃でデーモンに激突した戦士達が、血まみれになりながらも一人また一人と、起き上がってくるではないか。

 むくりむくりと、まばらにだがまだ生きている者は沢山いる。

 最後の役目だ。ここにいる全員で最後の一押し――デーモンの足を止め、追撃を不可能にする。

 水咬族の魔力を用いた潜水の航行速度は、一刻で実に80里を泳ぎ切る程である――いかにデーモンと言えど30秒も時間を稼げれば追いつけまい。


「ははっ。おまえら」

(カシラ)ぁ、まだまだ、これからですぜ・・・」


 その時である。


――火種(カリブン・クルス)


 空気が爆ぜた。


 故郷の火山が噴火した時のような腹の底からくる地鳴りのような爆発音。地震が起きた時のように足下が揺らぎ、ヴォルギスは情けなく尻餅をついた。


 信じられない熱が大気を焼き、ひりつく肌に思わず顔をしかめる。一瞬で水咬族の硬くしなやかな鱗で覆われた肌を熱傷状態にしたのだ。


 鼻の奧と肺が火傷を負ったのだろう、息を吸った途端に咳き込む。

 もう60年連れ添った妻がつくる鰊のパイを焼く時のオーブンの、手を入れた時の焼けたあの熱さを、何故か今思い出した。


 呆けた眼でふと視線を上げると、そこには見たことのない地獄が広がっていた。

 煙――赤くてどす黒い噴煙が、生き残った左翼の戦士達をまるまま包み込んでいたのだ。

 そこには戦士達の声一つなく、禍々しいその煙がもうもうと広がっているだけだった。


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