ダークエルフの赤子
こうして私はダークエルフへと転生した。
それも女にである。
脆弱にして無能、この世でも最も唾棄すべき存在、女子供に生まれ変わってしまった、というわけだ。
なんの因果だ?
自分はそれほど罪深いことをしたのだろうか、そう思わざるをえない。
だが、悔やんだところで、股間にイチモツが生えるわけでもない。
性別が変わるわけではなかった。
私は自分の性別を受け入れる。
境遇を受け入れる。
ダークエルフの女になってしまった事実を認めるしかなかった。
現実逃避し、運命に流される。
それは女になることよりも耐えられないからだ。
なので私は辺りを見回し、観察する。
天井が見える。自分はベビーベッドに寝かされているらしい。
どうやらこの世界にはベビーベットがあり、電球が存在する程度には文明が発達しているようだ。
宙に吊り下げ型の電球がぶら下がっている。
(異世界と聞いていたが、剣と魔法の世界ではないのか……)
いや、まだ決めつけるのは早い。
電球は煌々と光っているが、それが電気で灯っている証拠はない。
魔法のようなもので光っている可能性は十分あった。
ここは異世界である。自分の常識で判断することはできない。
(しかし、面倒だな。赤子というのは……)
大人ならばそのまま電球を調べれば済むようなことも赤子の身ではなにもできない。
もどかしい。
私は叫ぶ。
(神よ! 面倒だ! ある程度大人になるまで時間を進めろ!)
そう叫ぶと、神は回答する。
「それは可能だが、もう少し待つのだな。まずは自分が置かれた状況を把握すること。それに赤子時代を鮮明に覚えているなど、普通のものにはできない経験だ。少しは堪能するのだな」
その回答に唾を吐きたいが、それすらできない。
くそ、それどころか、先ほどから尿意を感じてもどかしい。
どうすればいいのだ? 神に尋ねるが、彼は冷酷に言う。
「赤子なら漏らせ。小便を垂れ流すのが赤子の仕事だ」
「な! なんだと!? この私に失禁しろというのか!?」
屈辱である。恥辱である。
しかし、そうするしかない。
今の私は無力だった。
口を開いても鳴き声しか上げられないし、立ち上がることさえできなかった。
それに私の股間はおしめでおおわれていた。
それはつまりそういうことなのだ。
観念すると、私は排泄した。
神を呪詛する10通りの言葉を述べながら。
「神など滅んでしまえ」
最後にそう結ぶと、母親が飛んできた。
どうやら泣き声に気がついたらしい。
エルフと思わしき美しき母親は、
「どうしたんでちゅか? セリカ」
と言う。
その言葉で母親が慈愛に満ちた人物であることと、自分の名前が判明する。
前者はまあよいにしても、後者はなんだ?
セリカ? この私がなぜ、そのような軟弱な名前を付けられなければならぬ。
憤慨したが、それを行動で表すことはできなかった。
今の私は泣き叫び、糞尿を垂れ流すことしかできぬ脆弱な赤子。
自分の意志を示すようになるまでしばしの時間が必要であった。
私は1歳に成長する。
その間、赤子時代を堪能できたが、面白いことなどなにひとつなかった。
ただ母親の乳を吸い、泣き叫ぶだけの毎日。
こう毎日泣いたのでは泣いているこちらの方が参ってしまいそうだった。
なにか状況の変化は訪れないのだろうか。
そう願っていると、ある日それは訪れた。
良い変化ではなかった。
いや、悪い変化である。
母親の言語を理解するようになってからしばらくたったある日、私は彼女と男が言い争う言葉を聞いてしまう。
「そ、そんな、わたしは浮気なんてしていないわ。愛しているのはあなただけ」
「そんな言葉信じられない」
「どうしてそんなことを言うの?」
そこだけを切り取れば、若夫婦の痴話げんかに聞こえなくもないが、最悪なのはその次の言葉だった。
「……僕は君を信じることはできない。君は不貞を働いたからね」
「不貞? そんな、わたしは絶対にそんなことはしません」
「僕だって君の言葉を信じたい。でも、信じられないんだ。あの赤子の肌の色をみるたび、僕は苦悩する」
あの赤子とは私のことだろうか。
己の手を見る。
確かに私の手は浅黒かった。父親が問題にしているのはそこだろう。
すぐに察した。
「あの子はどう見たってダークエルフだ。僕は人間。君はエルフ。なのになんでダークエルフの子が生まれるというんだ」
「そ、それは……」
答えを窮する母親。
その瞳は悲しみに包まれている。
この一年、母親と接して分かったが、このエルフの娘は純朴にして誠実、浮気をするようなたまではない。
間男と寝るようなビッチではない。
ならばダークエルフに強姦でもされたのだろうか。
いや、それも違うはずである。
おそらくではあるが、母親の遠い先祖にダークエルフがいたのだろう。
隔世遺伝によって私の肌は黒くなったのだ。
だが、この異世界には隔世遺伝という言葉は広まっていないようだ。
まったく、文明レベルの低い国だ。
そう悪態をついたが、悪態をついたところで事態が好転するわけでもなかった。
日に日に浅黒くなる私の肌。
父親はそれを見て悩み、病んでいく。
やがて私を、汚物を見るような目で見下す。
当然、夫婦仲は冷え切っていく。
父親はやがて家に帰らないようになる。帰っても泥酔しており、母親を殴るようになった。
毎日のように私の枕元で嗚咽を漏らし、泣きすさむ母親。
まったく、幼少期の育児環境とやらにはもっと考慮して欲しいものだった。
母親と神に悪態をつくと私は決心する。
「さて、異世界で最初の試練だ。まずはこの娘から救ってやるか」
下種な父親には肉親らしい感情をわずかも抱いていないが、母親に対してはそうではない。
乳を吸わせてもらった恩義もある。
おしめを替えてもらった礼もしなければならない。
そう結論に至った私は神に問いかける。
「神よ、今こそ時間を進めてくれ!」
神はそれに対し答える。
「それはかまわないが、いつまで進める?」
「そうだな、あのろくでなしに制裁を加えられる年齢になるまで」
「分かった」
あっさりと神は言うと、5歳児になるまでときを進めてくれた。
5歳児になった私はつぶやく、
「ほう、時間は進むが、その間の記憶や経験は蓄積されるのか。便利なものだ」
そう漏らすと5歳児となった身体を見やる。
部屋にある鏡を見る。
自分で言うのもなんだが、その姿は神々しいまでに美しかった。
この幼児がこれから躊躇することなく父親に制裁を加えるとはとても信じられなかった。