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幼年学校の洗礼

 こうしてセリカは王都にある名門幼年学校、シュトレイム校に入学することが決まった。


 シュトレイム校とは王都の中心にある幼年学校である。

 貴族の子弟、あるいは上流階級の子息しか通えない名門学校である。

 多くの貴族の子は、ここで8歳から15歳までを過ごし、そのまま大学に通う。

 ただし、セリカはそのような悠長な真似はしない。

 最短で卒業し、最短で士官学校に入学するつもりだった。

 つまり2年で卒業、あるいは士官学校に入学できる資格を取るつもりだ。

 それは大それたことではない。


 優秀な生徒は15歳まで待たずにすべての課程を履修し、大学に進学したり、士官学校に入ったりするものだ。


 むしろ2年もかかってしまうのは、どんなに優秀なものでも最低2年は在籍しなければならないという不文律のせいであった。


 まったく、無能な人間はこれだから困る。

 無能な自分の能力を物差しにし、常識を作り上げるのだから。


 ただ、それでもセリカはその常識に従うつもりだ。2年は我慢し、雌伏のときとし、士官学校に入学する機会を待つつもりであった。


 その間、しゃくにさわるが、貴族の徒弟どもと仲良くするか。

 そう思った。


 セリカは前世から貴族という浮浪階級を色眼鏡で見てきたが、それでも彼らに面と向かって愚かであると言ったことはないし、言うつもりもない。


 犬に向かって犬という馬鹿がどこにいる?

 猫に説法をする愚かものがどこにいる?

 強者に巻かれる振りをするくらいの才覚は持ち合わせているつもりだった。

 上位者に媚びを売るくらいの処世術は身につけていた。

――だが、それは本人がそう思っていただけのようだ。

 幼年学校に入学してから一ヶ月後、面倒ごとに巻き込まれる。



 ことの発端は、この幼年学校で一番美しい少女が手紙を受け取ったことに始まる。

 彼女の机の中には常に手紙が入っていた。

 いわゆる恋文というやつである。

 それも男女問わず。

 それくらいその少女は美しかったのだ。

 銀を溶かして紡いだかのような髪。

 古代の彫刻家が黒い大理石で彫り上げたかのような整った目鼻立ち。

 その氷蒼色(アイス・ブルー)の瞳は極地の氷山を凝固したかのように美しい。


 そんな少女が入学してきたものだから、学校のヒエラルキーが崩れるのは当然であった。


 その容姿から、彼女は男女問わず偶像しされ、崇拝の対象となった。

 しかし、それをこころよく思わないものがいた。

 それがかつての女王(クイーン)である。

 少女(セリカ)が学院に入学する前の偶像であった。

 彼女は面白くなかった。

 自分よりも美しい少女がこの学校に入学してきたことが。

 その少女が自分よりも若く、自分よりも人気があることが。

 さらにその少女は平民の子というではないか。

 貴族の娘である自分がなぜ、そのような下衆な人間に負けねばなれぬ。

 彼女はそう思い込むに至ったようだ。

 それでも彼女には一定の理性があった。

 入学してからはしばらく、無視をすることで己の矜持を保った。

 新参の偶像、つまりセリカは直接的な嫌がらせを受けなかった。


 セリカが直接的な嫌がらせを受けるようになったのは、とある人物から恋文を貰ったあとであった。


 その人物とは、セリカより二学年上の上級生の男子だ。

 どうやら女王様であるエリーゼという少女はその男子に懸想(けそう)をしていたようである。


 要は美貌や人気からくる嫉妬には絶えられても、色事からくる嫉妬には絶えられなかったようだ。


 人間らしい娘である。

 しかし、さらに人間らしいのは、その男子があまり美少年ではないことか。

 少年はどこにでもいるような風貌の少年だった。

 貴族ではあるが、大貴族ではない。


 見た目も凡庸で見目麗しい生徒が揃っているこの学校の中では目立たないを通り越して埋没していた。


 また得意なこともない。体育が得意でもなければ、勉強が得意なわけでもない。


 ただ、芸術、絵画の方面にはそれなりに才能があり、休み時間、校庭の片隅で常に樹木をスケッチしていた。


 一度だけ見たことがあるが、なかなかのものだ。

 だが、とても十代の少女の気を引くほど上手いとは思えない。


 いったい、女王様はこの少年のどこが気に召したのだろう。不思議に思ったものだが、それよりも問題なのは女王様の嫌がらせをどうするかであった。


 隠されるセリカの筆記道具、荒らされるセリカの私物、教科書には当然、落書きがされる。


 前世でもこの手の嫌がらせを受けたことがあるが、むかつくというよりは呆れる。

 まったく、子供とはどうしてこのようにおろかなのだろうか。

 エリーゼにそう言いたかったが、子供に子供と言っても仕方ない。

 なのでセリカは彼女に報復する。

 痛烈にして苛烈、仮借(かしゃく)のない報復だ。

 セリカは手加減せずに全力で報復した。


 無論、彼女は大貴族の娘だ。身体的な危害は加えられない。しかし、精神的な攻撃ならばいくらでもできた。


 セリカはまず、彼女の取り巻きから切り崩しに掛かった。

 彼女の子分をこちらに寝返らせる。

 簡単であった。

 彼女の取り巻きは彼女の魅力に屈服しているわけではない。

 彼女の家の権力に屈服しているだけだった。

 ならばより強い権力を見せつければ容易になびく、

 このようなとき、権道やコネを用いるのに躊躇いは不要。

 セリカは同じ学校に通っている皇女に助けを求めた。

 ルネリーゼは二つ返事で了承すると、協力してくれた。


「レーネさん、マリアさん、もしもわたしの友人を傷つけるならば、それは帝国の威信に傷をつけるも同じですよ」


 ルネリーゼがそう言うだけで彼女たちは震え上がった。

 蜘蛛の子を散らすように離れるエリーゼの子分たち。

 だが、それでも諦めないのはなかなかに見事なものであった。

 エリーゼの嫌がらせはやまない。

 あるいはエスカレートした。

 同性の子分が使えないとみるや、異性の子分を集め出した。

 頭は悪いが腕力のある男子学生を、その魅力で誘惑し、手駒に加えたようだ。

 その男子学生を使ってセリカを襲撃する計画のようだ。

 要はセリカを強姦し、この学院にいられなくするつもりのようだ。

 これはもはや遺恨うんぬんではなく、意地になっているな。

 そう思った。

 だが、だからといって大人しく強姦されるつもりはない。

 男に抱かれるなど考えただけでも身の毛がよだつ。

 セリカは抵抗することにした。

 まずはエリーゼの計画通り、彼女に呼び出される。


 そこには男たちが待ち構えていて、世にも美しいダークエルフを汚せると手ぐすねを引いて待っているはずであったが、そうはいかない。


 男たちはなぜか、前日、『不慮』の事故に遭い、登校できないようになっていた。


 あるものは腕を折られ、あるものは足を折られ、あるものは前歯をすべて失っていた。


 不思議なことに加虐行為を加えた人物の姿を彼らは見なかった。

 あるいは見ていても恐怖のあまり第三者に話せなかったようだ。


 その加虐者は天使のように美しかったが、悪魔のように残忍に攻撃を加えていったという。


 さて、頼みの男たちが臆し、誰も援軍にこないエリーゼだったが、それでもセリカに対する敵愾心が消えないようだ。


 このままでは卒業するまで付け狙われるので、非常の手段に出る。

 セリカは可憐な声で自分を罵倒する女王にあるものを差し出した。

 それはエリーゼが思いを寄せている少年が愛用している絵筆である。

 それはすべて真っ二つに折られていた。

 セリカは悪魔のようにささやく。


「今は絵筆だけで済んでいるが、今後、私に関わるのならば、指を一本一本折られるかもしれない。二度と絵筆を持てなくなるかもしれないぞ」


 その言葉は効果覿面だった。

 女王めいた高慢な笑みは消え去り、ただ震え上がるだけの気弱な娘がそこにいた。

 よろしい、その顔が見たかったのだ。

 以後、このエリーゼと呼ばれる貴族の娘もセリカの隷属下に入る。


 後年、彼女はとある政略結婚の駒として重宝することになるのだが、それはまた別の話。


 今はまだセリカの前に立つと震え上がる従順な子羊でしかなかった。

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