血塗られた握手
さて、下種どもを殺し尽くしたが、このあとどうするべきか。
無論、皇女とコンタクトを取り、知己となり、知遇を得るのが一番だ。
というか、そのつもりでパーティー会場に潜り込み、こんな大剣にまたがっているのである。
ならばさっさと降りて皇女と挨拶すればいいのだが、ここにきて迷いが生じる。
無論、皇女を隷属下に置き、便宜を図らせるという方針に変わりはないのだが、いったい、どうやってそれを実現するか、悩んでいた。
皇女の手にはダガーが握られていた。
それはセリカに向けられたものではない。
悪党どもに向けられたものでもない。
その刃は己自身に向けられたものだった。
戦闘中、ずっと己の首もとに添えられていた。
もしも虜囚の辱めを受けるのならば、潔く自害するつもりだったのだろう。
なかなか肝の据わったお嬢さんだ。
しかし、あまり嬉しいことではない。
ルネリーゼという少女はもっと穏やかな少女というか、ぽわぽわとした少女のイメージがあった。
昼は宮廷の温室で薔薇を育て、夜は安楽椅子に背を預けながら刺繍でもしているような少女、それがルネリーゼのイメージだった。
――少なくとも新聞などの情報ではそのようなイメージを持たせてくれた。
だがどうだ。実際に会ってみれば、これほど凜としたお嬢様はいない。
恥辱や屈辱にまみれるくらいならみずから命を絶つ気高いお姫様がそこにいた。
もしもここでセリカがその武力を背景に脅しをかけてもそれに従ってくれるか、はなはだ疑問であった。
(しかし、やるしかあるまい)
ここにきてなにもしない、という選択肢はなかった。
セリカはこれからこの強大な魔力で皇女を屈服させる。
もしもその過程で自害されるのであれば、それはそれで仕方ない。
彼女とは『縁』がなかったということだ。
そう自分に言い聞かせると、セリカは地に降り立った。
皇女の目の前に立つ。
執事服の男が目の前に立ち、
「皇女殿下、ここは私が引き受けますので、このまま後退を」
と言った。
なかなかの勇気だ。先ほどの殺戮シーンを見ていただろうに、ちっとも臆することがない。
忠勇の士であったが邪魔。
死んで貰おう、そう思い大剣に魔力を送った瞬間、ルネリーゼは一歩前に歩み、執事をとめた。
「セバス、このものの実力は見たでしょう。拳銃の名手であるあなたでも手に負えません」
それに、と続ける。
「このものは襲撃者から我々を守ってくれました。『最終的目的』がどこにあるかは知りませんが、助けてくれたことに対しては礼を言うべきでしょう」
と、ルネリーゼは深々と頭を下げながらこう言った。
「ありがとうございます。どこのどなたかは存じ上げませんが、我らの窮地を救ってくれたことには感謝します」
見事な謝辞であった。
うわべだけでなく、心も籠もった謝辞である。
もしもセリカがただの少女ならばその場で屈服し、忠誠を誓いたくなるほどの凜とした姿であったが、残念ながらセリカは普通の少女ではなかった。
屈服し、忠誠を誓うのは自分ではなく、皇女であるべきだと思っていた。
だからセリカは遠慮なく言った。
「皇女殿下、お初にお目に掛かります。私の名はセリカ・デッセルフと申します」
「聞いたことがないお名前です。宝剣を操るということはどこかの貴族のご息女なのでしょうか?」
「そのような大したたまじゃありません。下級官吏の娘です。――まあ、それはいいとしましょう。生い立ちを説明するのは、契約を済ませたあとだ」
「契約?」
「ええ、私とあなたの間で結ばれる契約です」
「契約だと? 小娘が!! このお方をどなたと心得る!」
怒気を発したのは執事のセバスだった。
うるさいので黙らせようとしたが、ルネリーゼが制す。
「セバス、しばし静かにしていてください。わたしはこのものと最後まで話したい」
「…………」
沈黙するセバス。命拾いをしたようだ。
「賢い選択だ、セバス。ちなみに私は彼女が誰であるか知っている。帝国第四皇女ルネリーゼ。知っていた上で助け、あえてこのような高圧的な態度で交渉している。なぜならばこれからあなたは私の隷属下に入っていただくのだから」
「隷属下?」
「なんでもいうことを聞く存在になっていただく」
「なぜ、わたしがそのような目に?」
「私の出世とこの国の未来のため」
「この国の未来?」
「あなたも見たでしょう。隣国との開戦を皇帝に決意させるため、少女を襲撃する下卑た連中の存在を。戦場で一方的殺戮に愉悦を感じ、娘を辱める下種な連中を。この国の上層部にはあんな輩がいっぱいいる。私はそれを一掃したい」
「もしもあなたが権力を握ったあと、彼らのような人間にならないという保証は」
「それはないな。というか、それを確かめるために権力が欲しいのだ」
「……わかりました。それではあなたの隷属下に入りましょう」
「たしかに隷属するには勇気がいりましょう。ましてやあなたは皇族、平民にいいように操られるのは自尊心が許さない。だが、それでも私は――」
と、言いかけた言葉がとまる。
自分の台詞の前に皇女がとんでもない発言をしたような気がしたのだ。
セリカはもう一度その台詞を言うように頼む。
「わかりました、と言ったのです。今日からわたしはあなたの隷属下に入ります」
「…………」
「信じられませんか?」
「ああ、信じられないな。あっさりし過ぎている。それに自害もいとわないような誇り高いお姫様が平民に屈すのが信じられない」
「この世界を変えるのに平民も貴族もありません。あなたはこの世界を変えると言った。そしてこの世界を変える力を持っている。今の私にはそれで十分です」
「……変わったお姫様だ」
「よく言われます」
「しかし、言葉だけでは信じられないな。なにか印が欲しい」
セリカがそう言うとルネリーゼはドレスをはだけさせ、胸を露出する。
執事はとめるが、それでも彼女はやめない。
ルネリーゼははだけた胸に刻印を刻む。短剣で。
魔方陣を刻んだ胸からとめどなく血があふれている。
「あなたも魔術師ならば知っているでしょう。自分の意志で書いた刻印の上に呪いをかければそのものに強い制約をかけられる。是非、制約をかけてください」
「いいのだな?」
確認するように問う。
「はい、かまいません」
「それではかけさせてもらおう」
セリカは彼女の胸に触れると魔力を送る。
彼女の胸が青白く光った。
「――制約の内容は私が死ねと言ったら死ぬ呪いだ。つまり、皇女殿下の生殺与奪権は握らせてもらった」
「それは重畳です。これでわたしはあなたを裏切れなくなりました」
「そうだな、もしも裏切れば死ぬ。ちなみに面従腹背は無駄だぞ。私は相手の心が読める。貴様が嘘をつけばすぐに見破る」
と、セリカは神に貰った能力を使う。
自分への敵意を確認する能力だ。
セリカの魔眼に怪しげな光が宿る。
その魔眼によって導き出された答えは、帝国皇女ルネリーゼという少女はいかれているということであった。
彼女の身体は白いオーラで包まれていた。
つまりセリカに好意的ということである。
この娘、出逢ったばかりのセリカを完璧に信じているのだ。
まったく、どのような神経をしているのだろう。
そう思ったが、それは言葉にせず、代わりに手を差し出し、こう言った。
「それでは皇女殿下、これからなにとぞ便宜を図ってください。この腐った国を改革するために」
「喜んで計りましょう。ただし、あなたが理想的な魔女である限り、はですが」
こうして魔女と皇女の同盟は密やかに結ばれた。
この血塗られた握手により、帝国の運命は大きく変わるのだが、それが歴史書に記載されることはなかった。




