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彼女と私

彼女と恋と砂の丘

作者: 高見 和香

 仕事を始めてもうすぐ1年が過ぎようとしていた。半年くらい経った頃に、辞めようと思ったのだが、職場で知り合った男性に恋をしてしまった私は、彼に会うことを励みに仕事を続けていた。

 自分で自由に使えるお金が増え、彼女と出かけることが多くなり、もうじき高校の同級生四人と温泉旅行の計画もある。もちろん彼女も一緒だ。

 その頃の私は彼女と会えば、大好きな音楽の話もしないで、彼の話ばかりしていた。

「西田さんね、本読むのん好きなんやって。この前貸してもらった小説も、めっちゃよかったわ」

「ふーん、楽しそうやん。で、もうヤッたん?」

 と、彼女が下品な笑みを浮かべてそう聞いた。

「あのねえ、それは失礼でしょう。私が誰とでもすぐ寝る女みたいな言い方やん」

「あれ?そうじゃなかったっけ?」

 それが事実でないことを彼女は知っている。誰でもいいわけじゃない。ただ、長く続かないのだ。私は交際を申し込まれたら断ることはなかった。もともと社交は苦手で、タイプでない人に自分から話しかけたりしないので、嫌な人に申し込まれることはなかったのだ。

 そして、すぐにベッドに誘わない彼に好感を持っていた。私との関係を大事に育ててくれていると思っていた。

 私はただ愛したかった。


 旅行当日の朝、目の下のクマを隠すため念入りに化粧をして家を出た。

 列車のほどよい揺れが私を眠りへ連れて行く。友達の楽しそうな話し声が、夢の中に流れ込む。

「せっかく来たのに、何?仕事忙しいの?」

 と友達の一人が聞いた。

「いいの、いいの。疲れてんの」

 私の代わりに彼女が答えてくれた。その言葉を最後に、私は久しぶりに深い眠りについた。

 湯村温泉につくと、日陰にはまだ少しだけ雪が残っていた。大阪ではめったに降らないので、みんなはしゃいでいた。友達の一人が私に雪玉をぶつけてきた。

「あんた、せっかく来たのに、寝てばっかりやん。目え覚ませ!」

 と今度は顔をめがけて投げて来た。私はそれをひょいとかわして、植え込みの陰の雪を丸めて投げ返した。しばし雪合戦。友達を作るのも苦手だった。きっと彼女がいなければこの子達と友達になることはなかっただろうし、こんな時間を持つこともなかっただろう。あらためて彼女に感謝した。


 温泉につかって冷えた体を温めた。化粧をきれいに落とすと、四人ともすっかり高校生の頃の顔に戻った。その顔のまま部屋に戻り、運んでもらった食事を堪能し、ビールを飲みながら、どうでもいいようなことを口々にしゃべっていた。言葉は投げ出されたまま、誰かに届くことはなく、空中を漂っていた。

「そう言えば、あんたが好きやって言ってた人とはどうなったん」

 この子は高校生の頃から、人の恋愛の話を聞くのが何よりも好きな子だった。

「うん・・・。楽しい旅行にしたかってんけどなあ・・・」


 旅行から二週間前のことだ。あまりにもありがちな光景に呆れた。給湯室に使い終わった湯呑を持って行った時に、彼が先輩の女子社員と給湯室の奥でキスをしていたのを見たのだ。ゆっくりと彼との距離を縮めていると思ったのは、どうやら私の勘違いだったようだ。

 その日は気分が悪くなったと言って、早退した。次の日も、その次の日も会社を休み、私は自宅のベッドの上で、かろうじて生命を維持している、ただの水袋になっていた。

 三日目になって、毎朝一番に出勤している経理担当が、自宅に電話をかけてきた。まだ休むつもりなら有給休暇ではなく、傷病扱いにしたいから医者に診断書をもらうようにと言われた。

 仮病なので病院にも行っていないし、いろいろ面倒なので、もうだいぶよくなったから明日から出勤すると伝えて電話を切った。切り際に経理担当が、社会人としての心得をくどくどと説いていた。


「何なん?その安っぽいドラマみたいな展開」

 私があまりにもあっけらかんと話すので、友達も笑いながらそう言った。

「頭のてっぺんから足の先まで、どこ切っても女しか出てけえへんような人やねん。キスしてた相手の人。こんな感じの」

 と私は胸の前で大袈裟に二つのふくらみを作ってみせた。

「あんたが、さっさと押し倒しとけばよかったんちゃうの」

 そう言ってゲラゲラと笑い合い、またビールを飲んだ。


 飲めば飲むほど頭は冴えて、皆は眠ったようだが私はなかなか眠れなかった。今朝の目の下のクマもこれが原因だ。あの日以来あまり眠れていない。

 眠るのを諦めて、障子の向こう側のソファーに座り煙草に火を着けてみた。吸うでもなく煙がゆらゆら漂っているのを眺めていると、障子が開いた。

「ごめん、起こしたね」

「いや、いいよ」

 起きてきたのは彼女で、私の向かい側のソファーに座り人差し指を立てて、一本ちょうだいという仕草をした。

「寝られへんの?」

 煙を吐き出しながら彼女が聞いた。

「うん、あんまりね」

「初めてちゃんと好きになった人やったのにね」

 短くなった煙草を灰皿の上でもみ消して彼女は言った。

「あんな風に、ちょけてしゃべらんでもよかったのに」

「え?」

「悲しい時は、悲しいって言ってもいいんやで」「・・・」

「それだけ。じゃ、私寝てくるわ」

 彼女が障子の向こうに行ったとたん、涙がどっと出てきた。彼女がいなかったら、私はいつまでも泣けないままだったのかもしれない。


 翌朝、昨日と同じように目の下のクマを丁寧にコンシーラーで塗りつぶした。昨日の朝より少しだけいい気分だった。

 一時間あれば鳥取砂丘にタクシーで行けるとフロントで聞いた。この後の予定を決めていなかったので行くことにした。

 四人とも砂丘は初めてだった。砂に足をとられて上手く歩けず大笑いした。慣れない長靴ですぐに疲れて、彼女はその場で風が砂の上に作った模様の、ところどころ足跡で乱れているのを眺めていた。あとの二人ははしゃぎながら写真を撮り合っていた。

「海の近くまで行ってくる」

 そう言って私は一人で海に向かって歩き始めた。

 雪は降っていなかったが、空はどんよりと鉛色で風も強かった。そしてまた、自分がつけた足跡を目印に元の場所に戻った。


「バカヤロー、とか海に向かって叫んできた?」

からかうように彼女が言った。

「そんなカッコ悪いことするわけないやん。『セックスしたかっただけやろがー』って、ちょっと大きい独り言つぶやいただけ」

「似たようなもんやん」

「近くにおったカップルに、睨まれたわ」

 そう言うと彼女は、ふふふと笑った。

 砂丘の強い風なら、私の声を彼のところまで届けることができるだろうか。

「あーあ、嫌いになれたらいいのになあ」

「そうなっても、西田さんのこと考えるのやめたりできひんやろ。好きと思ってる時と一緒でさ。嫌いになったからって楽になるわけじゃないよ」

「そうか」

 私は爪先で砂を掘り返しながら、彼のことを嫌いになった自分を想像してみた。

「そうやな」

「そうやで」

 私は彼女の前で少しだけ泣いた。

 私が流した涙は砂に染み込んで、それから跡形もなく消えた。

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