三年前に私の友達が自殺した
三年前、私の友達が死んだ。死んだというか自殺した。自殺と判断された。
なんというか、退廃的な話を書きたいんだけど、まず退廃的って意味もよくわかってないし、どうしても語彙がないから書き殴ることにする。
私は友達のことをけーちゃんと呼んでいた。けーちゃんは私の友達だった。
けーちゃんは、リストカットなんかはしてなかったけど、たまに首が赤くなってる時があった。
それとは別に、体中に傷を作ってた。誰にやられた傷かは死ぬまで教えてくれなかった。
首の跡はけーちゃんが作ったものだとは感じ取った。でも、体の傷は自分でやったんじゃないと思う。
けーちゃんの体の傷が増えるのは、いつも私と一緒に帰れない時だったから。
けーちゃんと最後に会った時も私と一緒に帰らなかった。
でもその時はいつもとは原因が違ってた。
私と最後に会った日は曇りの日で、次の日の自殺をした日は雨が降ってた。その日に学校から飛び降り自殺した。
自殺と判断するには遺書が必要らしい。
私が自殺する時は遺書なんて残さない気でいるから、自殺と判断されないと思うとちょっと変な気分になる。
けーちゃんが自殺と判断されたのは遺書があったからなんだけど、豪雨のせいで遺書がグチャグチャになって一文字も読めなかったとのこと。
けど学校の屋上に紙があればふやけてボロボロになってたって遺書だろうと判断するらしい。
屋上に上がれたのは、けーちゃんが屋上のドアノブを壊せたから。
飛び降りた後、血と雨がどう融合したのか私には知らない。
死んだって聞いて、泣く人は泣いてたけど、私は泣かなかった。涙が出る感覚が無かった。
けーちゃんの友達は私だけだったはずなのに、私が泣いてないのに、なんでみんな泣いてるんだろうと思った。
担任の先生と学年の主任に色々聞かれそうになったけど、面倒だったので、過呼吸の振りしたら何も聞かれなかった。
豪雨と同じくらいに涙を流す人がいた。自殺の前日は曇りだったけど、あの遺書は涙で滲んでたのかな。
私はその後不登校になった。その後というけど、六か月以上経ったあとだし、見かけ上は何の関係もないように見える。
自殺があってから少し大人しくなった子はいたけど、不登校になった子はいなかったはずだ。
私が休んでから誰かが不登校になったとか、そういうのがあったのかなと疑問になるけど、確認はしない。
私が学校に行かなくなった理由は、別に何でもよかったんだけど、お義父さんに犯されたのが原因って言ったから、今でも休んでていいって言われてる。
こんなことならもっと早くに言いだせばよかったと今でも思う。
私にはけーちゃんしか友達がいなかったし、けーちゃんが死んでからも友達は出来なかった。
私に対して無関心だったのが、けーちゃんが死んでからあまり触れないようにしようとする仕草に変わった。
教師の変化が一番大きかったと思う。まあどうでもいいことだ。
けーちゃんが死んでから、学校に行く意味なんてなくなって、いつも学校に行きたくないとは思ってたけど、頑張って行った。
でもあの日は行かなくていいかなと思い、制服着てから行くのを止めた。それ以来一度も行ってない。
外に出ることは一気に減った。たまに誰もいない深夜の町を散歩するくらい。散歩コースにはけーちゃんとの帰り道を必ず通るようにしてる。
希死念慮が働くことがある。ごはんだって喉を通るし、テレビだってたまになら笑いながら見れるんだけどその中でずっと頭の中が死にたいって呟いてる。
多分けーちゃんも同じ気持ちだったんだと思う。私に笑顔を見せかけてる中で、心の中では死にたいでいっぱいだったんだと思う。
笑いながら傷跡や血を見せてきたときも、私の膣を見てた時も、私の指を舐めてた時も、笑っていたと同時に死にたいとか感じてたんだと思う。
死ぬ以外の道を見いだせずにいたんだ。
ただ死にたかっただけ。もし、誰かに恨みを持って死んだとしたら、屋上のドアノブを壊した工具でその誰かを殺してから死んだと思う。
死にたい、というよりは楽になりたいだったはず。けど、楽になる方法がいつの間にか死ぬこと以外に思いつかなくなるんだ。今の私みたいに。
二年以上こうしてるから、もしかすると逃げ出せなかったのは私がいたからなんじゃって思ったりもする。
それだけは嫌だなって思うけど、答えは知らない。今はいいけど、死にたいって想いが強くなった時に、この考えが心と脳を苦しめる。
希死念慮ってものは波のように襲ってくるから困る。
ただ私はこうやって逃げおおせた。死にたいと思っても、今の生活が続くなら死んだって死ななくたっていい。今はそんな気分。
多分うつ病とかなんだろうけど、カウンセリングは受けてない。受けたらお薬もらえるだろうけど、欲しいとは思わないから。うつ病だったとしても治したいとも感じない。
あとどうしても、今の生活をしてるのにはけーちゃんが絡んでて、そのことを誰にも話したくないんだ。
けーちゃんは、最後に会った時も笑っていたんだ。自殺する気満々で、いつものように過ごしていたんだ。
私と別れてから、けーちゃんは家に帰ってはなかったらしい。
多分けーちゃんが最後に話した相手は私だと思う。私に「またね」って言ってくれたのが最後なんだと思う。
正直なとこ、いつもと同じ「またね」だったから最後の日の「またね」の光景を思い浮かべても、それはいつもの「またね」の集合体になってる。
こうやって、夜中に起きて、鏡を見てるとけーちゃんが現れでもしないかなと思う。けど幽霊なんて見たことがない。
でも、けーちゃんが生きてた時、学校の帰り道で別れた後にけーちゃんの幻想と会話することがあるから、今でもたまに夢に出てくるし、その幻想と喋りたくなった時は喋る。
幻想のけーちゃんは普段の会話ならしてくれるけど、死ぬとかそういった話には無口になる。無口にしてるの方が正しいのかな。
だから幻想のけーちゃんはなんで死んだか教えてくれない。あの遺書に何が書かれていたかはわからない。
あの遺書はいつ書いたものなんだったんだろう。私とまたねする前なのか後なのか。それすらもわからない。
本物のけーちゃんなら、「死にたい」と言うと、「そうだね」って言ってくれたのに。
けーちゃんを真似してドアノブで首吊りっぽいことしても現れてくれないし、途中で痛くなってやめてる。というか今やめた。今日は希死念慮の波が治まってる方だから。
なにかよくわからない退廃的なものを感じてため息を吐く。
けーちゃんが死んで三年になる。私はまだ死んでない。
あー死にたい。
なんて今も呟いた。いつものことだけど返事はなかった。
多分間違える方はいないと思いますが、もちろんフィクションです。