昔話 その二十六
「負けたわ。」
アタクシの話を聞いた柏木の第一声がこれだった。
「大雨の中、バラ100本持っていって、愛の告白。佳奈叔母さんの病気の話を聞いても動揺せず、交際して、結婚。死んだ後も、女房一筋。良い男だわ。」
君も充分良い男だよ。柏木。
素直なところが特にねぇ。
「・・・俺に書けるでしょうかねぇ。恋愛小説」
「書けると思うわよ。だって、君ほど真面目な人間はいないもの」
アタクシの言葉に、柏木は笑った。
「よいしょ」
立ち上がり、アタクシはある本を彼に見せた。
「徒然草?」
「そこの150段を見てご覧なさい」
柏木はアタクシから本を受け取り、朗読を始めた。
「能をつかんとする人、【よくせざらんほどは、なまじひに人に知られじ。うちうちよく習ひ得て、さし出でたらんこそ、いと心にくからめ】と常に言ふめれど、かく言ふ人、一芸も習ひ得ることなし。
未だ堅固かたほなるより、上手の中に交りて、毀り笑はるゝにも恥ぢず、つれなく過ぎて嗜む人、天性、その骨なけれども、道になづまず、濫りにせずして、年を送れば、堪能の嗜まざるよりは、終に上手の位に至り、徳たけ、人に許されて、双なき名を得る事なり。
天下のものの上手といへども、始めは、不堪の聞えもあり、無下の瑕瑾もありき。されども、その人、道の掟正しく、これを重くして、放埒せざれば、世の博士にて、万人の師となる事、諸道変るべからず。」
アタクシが示した箇所を柏木は朗読する。
「意味わかる?」
首を横に振る柏木にアタクシは笑った。
アタクシは珈琲を一口飲んでから、説明を入れた。
「猫風に訳すると、【道を極めようとする人間が、『下手なうちは人に見られないよう、こっそり練習して上達してから披露するのがカッコいい』とぬかすけれど、それはバカの極み。アタクシに言わせれば、そんなことをいう輩が芸を極めた例しは何一つとしてないわ。ど下手なうちから、ベテランに混ざって馬鹿にされたり、笑いものになっても、自分のペースで頑張っていれば、才能や素質なんかいらない。時が経てば訓練を舐めている人間を遥かに超えて達人になること間違いない。それこそ一流と言われる人間になる。
達人も、最初は下手だとなじられ、屈辱を味わった。しかし、その人が芸の教えを正しく学び、尊重し、自分勝手にならなかったからこそ、人に称えられる万人の師匠となった。これは、どんな世界においても変わらないことである】アタクシが何を言いたいか、わかる?」
柏木はコクリと頷いた。
「がむしゃらに書き続けなさい。今は書けなくても、何年か後には書くことができる。さて・・・夜も遅い。毛布貸してちょうだい。一眠りして、朝になったら、自宅に帰るわ。」
アタクシは猫の姿に戻り、佳奈ちゃんのお気に入りの椅子の上で、丸くなった。
柏木は温かい毛布をかけてくれた。
眠い。
今日だけは、佳奈ちゃんの夢を見れれば良いなあ。
夢を見た。
何故か僕は海辺にいた。
佳奈ちゃんは楽しげにサックスを奏でていた。
「琥珀。京子さんのこと、頼んだよ。」
了解。
僕の返事に佳奈ちゃんは笑っていた。




