アテナ
「さて、話を整理しよう。俺たちは未来に放り出されたわけだ。まず問題になるのはなんだ?」
ライアンが質問を投げかけた。
3人とも身分的には工作員である。
サバイバルや異常事態ではその知識が頼りになる。
「資金と拠点の確保、それに情報ですね」
明人がバカ真面目に答えた。
ライアンはオチがないなあという顔をした。
「お金ならなんとかなるかも……」
そんなかみ合わない二人へ山田が言った。
明人の眼鏡が光る。
「山田、辻斬りはやめておけ」
「ちがーう! テロとか戦争とかの緊急事態用の物資保管庫があるの!」
「その物資保管庫の場所は?」
「すぐ近く。まだ存在すればだけどね」
明人たちは山田の後ろをついていった。
不忍口から上野駅へ入り、コインロッカーの前に立つ。
その中の一つの前に山田は立った。
「よかった。廃止になってないみたいだ」
山田はポケットから鍵を取り出しロッカーを開けた。
どうやら物資保管庫とはコインロッカーのことらしい。
確かに合理的な考えだ。
中にはあからさまにあやしい雰囲気をかもし出す紙袋が鎮座していた。
紙袋は神保町にある珍しいどら焼きで有名な和菓子店のものだ。
山田は紙袋から何かを取り出すと明人へ渡した。
それは鉄道会社発行の電子マネーのカードだった。
「切符買ってきて」
「了解。ついでに新聞だな」
「うん」
明人は山田に命じられたとおり切符売り場に並んだ。
やはり12年後でも券売機は現役のようだ。
明人の番が回ってくると彼はさらに心の中で安堵のため息をついた。
タッチパネル式券売機。
12年前と券売機の端末は同じ操作のものだった。
ただそのレスポンスは目を見張るものがある。
料金も明人たちの世界から20円ほど高いだけだった。
電子マネーの残額は2万円。
これは元の世界の鉄道用電子マネーチャージの上限額である。
おそらくこの世界でも同じなのだろう。
問題はいくらの切符を買うかだ。
山田は目的地を言わなかった。
つまり適当に買っておいてくれということだろう。
額面が足らなくても精算すればいい。
それなら交通アクセスの便がいい所までで充分だろう。
明人は東京駅までの切符を買うことにした。
切符を買った明人は今度は駅の中のコンビニエンスストアへ寄る。
やはりまだ紙の新聞は販売していた。
明人は新聞は最後にして飲食物や必要になりそうな道具を買うことにした。
雑誌の値段は3割以上高くなっている。
おにぎりやサンドイッチの値段はさほど変わらない。
清涼飲料は200円。
とりあえず適当に脳の栄養になりそうな糖分多めのジュースを3本をカゴに入れる。
石けんは120円。
とりあえず今は必要ない。
ボールペンなどの雑貨もかわらない。
とりあえず2人は持ってないだろうから2本。
紙のメモも2つ。
高いことは高いがありえないと思うほどではない。
明人はこうしてだいたいの物価を把握しておく。
こういう現場で感じる常識は重要な情報なのだ。
12年という時間は遠い未来に思えるが、実はそれほど変わらないのかもしれない。
明人は、レジの前に来ると自分たちの世界では日本で一番発行部数の多い全国紙と経済新聞を店員に渡した商品に追加する。
明人は12年も経てば主流は電子媒体になっていると思っていたが、この世界ではそうでもないようだった。
次は何をすべきかと明人は自己の中で確認した。
ジェーンは電子情報が専門だが、分析官としての研修は受けている。
こういうときは彼女の言葉が重要だ。
確かジェーンが言うには公式報告書、つまり官公庁の出す白書が重要だ。
頭に叩き込んで損はないはずだ。
暇があれば日本国の機関紙、つまり官報にも目を通しておいた方がいいだろう。
これらの中に異世界探査の情報があるかもしれないのだ。
すべて情報端末で閲覧可能なはずだ。
情報端末を手に入れなければならない。
明人が戻ると山田が手を振っていた。
「あー来た来た! おーい伊集院!」
明人は手を振る。
途中、駅で通行人の人種構成などを注意深く見ていたが、かなり人種構成は雑多だった。
そのくせ学生服は廃止になっておらず、様々な人種の学生が学生服に身を包んでいた。
それこそ金髪で坊主頭、ガラの悪い印象の明人ですら「自分、野球部なので丸刈りなんです」ですむほど目立たない。
子どものような山田と一緒にいても修学旅行でやって来た田舎の高校生に見えるのか、誰も注目しない。
さしずめライアンは父兄というところだろう。
「新聞買ってきたぞ。ほれジュース」
明人はライアンと山田にジュースを渡した。
「ありがとう♪ そうそう。これも入ってた」
山田が明人へ何かを差し出した。
10インチのミニノートタイプの端末だ。
やはりこれも滅んでいなかったようだ。
そのままの状態でネットにも繋がるかもしれない。
「携帯は?」
「入ってたけど衛星電話。設定見たけど通信速度は今とあまり変わらないと思う」
「なるほど。ネットはノートでやれってことか。とりあえず起動してみよう。場所を変えるぞ」
「駅ナカのカフェに行くの?」
「いや、何かあったとき逃げられる方が楽だ。オリンピックより後だから外でも公共の無線があるはず」
明人の世界では2020年のオリンピックに向けて公衆無線LAN整備の促進が叫ばれていた。
多少の差はあるにしろ異世界では他の世界の出来事がリンクしているはずだ。
おそらく大丈夫だろう。
「そうだな。なるべく逃げやすいところがいいだろ」
「そうすると上野公園。東京国立博物館の前あたりですかね」
「俺行ったことあんまりないから知らん」
「先生……あなたはクリエイターだったでしょ。美術館とか行かないんですか?」
「フフフ。全てネットですませていた」
酷い話である。
一人会話について行けない山田を連れて一行は上野公園へ逆戻りした。
◇
多少綺麗になってはいたが12年後でも上野公園はそのままだった。
2020年に向けて再開発計画が持ち上がっていたがそれほどの大規模な手直しはなかったようだ。
噴水の前で明人はノートパソコンを起動した。
明人の時代とそれほど変わらないUNIX系OSのウィンドウシステムが表示された。
「どうだ明人?」
「12年後なのに思ったより普通ですね。起動が速いです」
「いや、そうじゃなくて」
「ええ。接続しました。使えます」
まず明人はニュースに接続する。
異世界探査の情報を調べる必要があるからだ。
「山田。そちらはどうだ?」
「テレビと同じ。異世界探査のニュースがトップ」
ライアンは経済新聞を読みながら唸っていた。
「一面に三島花梨の顔が掲載されている。……人気のない小娘だと思ってたが……すんげえ美人になるのな」
「いやそうじゃなくて」
「ああ。クイーンテックが関わっているらしい」
明人と闘った蔡の会社である。
「こちらでもあるのか……」
「だな。だけどこちらの世界のはアテナテックって会社にグループ全体が買収されたみたいだぞ」
明人の動きがピタリと止まった。
そのまま明人はギギギギギと首をライアンに向けた。
「今なんと?」
「アテナテックだが?」
「ギリシャ神話のアテナじゃない。宛名だ……」
「伊集院知ってるの?」
全国紙を読んでいた山田が明人へ聞いた。
明人はダラダラと冷や汗を流す。
「ああ……宛名製作所……俺たちの世界ではデータベース作成なんかのIT企業だ」
「お父さんの会社の関係?」
「いや……あの……」
明人の様子がおかしい。
明人は眼鏡を外して眼鏡拭きで眼鏡を拭くと珍しく自信のない声で答えた。
「元の世界では……母が社長です……」
「「はい?!」」
山田とライアンの声がハモった。
アテナテック。
明人の世界では宛名製作所。
もともとは印刷会社として日本で誕生した。
ITバブル時に顧客情報などのデータベース制作、保守、運用、管理などの事業で一気に踊り出た。
だがそれも一瞬の夢。
時流に乗っただけだった。
特に珍しい業務をしているわけではない宛名製作所はリーマンショックとともに急速に業績を悪化させ萎んでいった。
そこを買収したのが明人の父親の会社だった。
買って使える部門を切り分け、残りを処分しようと思ったとき、明人の父は思った。
息子の教育に使えるのではないかと。
古今東西、富裕層の逸話は多い。
有名な『どうだ明るくなったろう』は、現在の価値にして100万円ほどの紙幣の束を靴を探すために明りとして燃やしたエピソードから来ている。
とある富豪は幼い息子に100万円を渡しそれを元手に投資で資金を増やすことを命じた。
以後のお小遣いはそこで稼げということである。
明人の父親もこのとき何を考えたか奇行に走ってしまった。
買収した会社の残りかすを明人に下げ渡したのだ。
当時明人は11歳。
すでに凶暴さの片鱗を覗かせていた。
息子の将来が不安になった。
責任の重大さを教えたかった。
などの理由はあったかもしれない。
おそらく必死だったのだろう。
だがそんなことが子どもにできるはずがない。
当時の明人は「これをやるから家から出て行け」と受け取ったのである。
結果、明人は前よりも何倍も素行が悪くなった。
完全に逆効果であった。
しかたなく明人の母、スヴェトラーナが社長に就いた。
現在では電子書籍などのデジタル媒体の制作でそれなりに利益を上げている。
明人の記憶では次の一月を目処にアテナテックに社名変更をする予定だった。
「ちょっと山田の奥さん聞きました? こんなところにお金持ちが」
ライアンが山田とひそひそ話をはじめる。
「っちょ! 先生!!!」
「だよねー。それなら駄菓子屋一軒買いをしてくれてもいいのに」
「や、山田ぁ! お前にはジンギスカンおごっただろが!」
「まだ途中だもん!」
プンスカと山田がすねたように言った。
「なにこの理不尽……」
ジンギスカンがダメになったのは明人のせいではない。
だが、おそらくジンギスカンをもう一度おごることになるだろう。
明人は近いうちに自分の財布の中身が山田によって全滅させられるだろうことを予知していた。




