ブラック柴犬
藤巻は図書室の前へやって来た。
そこにはレイラが待っている。
藤巻は笑顔で手を上げる。
周囲には幸せな恋人どうしに映っただろう。
だがそれは違う。
藤巻の笑顔は引きつっているし、スポーツ少女といった姿に擬態したレイラのこめかみには青筋が立っていた。
「遅かったな」
レイラは時間にとてもうるさい。
おそらく何分の一か流れている日本人の血がそうさせるのだろう。
レイラがなぜ藤巻を待っていたのか?
そこには色っぽい話もバイオレンスな話もない。
非常に単純な話だ。
藤巻はレイラに勉強を見てもらっていたのだ。
ではなぜ藤巻はそこに遅刻をしたのか?
それは中々入り組んだ話だった。
留年と度重なる不良行為により藤巻は職員室サイドに徹底的にマークされていた。
特に伊集院明人という爆弾と何をしているかを知っている担任の内藤は何度も何度も藤巻を呼び出している。
内藤としては明人のようにまるで同年代と話しているかのような得体の知れないところがある生徒よりも、藤巻のように年齢相応のひねたガキの方が対処はしやすい。
その結果、週に一度は藤巻は職員室に呼び出されて質問攻めにされている。
学校は楽しいか?
何か困った事はないか?
勉強はついてこれるか?
あぶない事をしてないか?
藤巻にしたらいい迷惑なのであるが、そこに悪意はないのはちゃんと理解していた。
わかっているから無下にできなかったのだ。
藤巻はうだうだ言い訳しても仕方ないと思い、正直に言うことにした。
「すまない。職員室での定期報告が長引いた」
「そうか。それは仕方ないな。では今日はこのプリントだ。エンジンまわりの技術から物理と数学を一度に学ぶぞ」
レイラは時間にはうるさいが四角四面の融通が利かないタイプではない。
理由がわかり、それが正当な理由であれば何も言うことはない。
さっぱりとした人間なのである。
レイラがプリントを出した。
なにぶん藤巻は留年するほどの残念な学力の持ち主だ。
必死に勉強をしなければ卒業すら危うい。
高一で落ちこぼれた藤巻には一人で全てを解決するのは難しい。
かと言って、ジェーンや田中のようにできて当たり前という連中に聞くのは気が引ける。しかも二人とも教えるのが下手だ。怒られすぎて心が折れる。
山田の場合は勉強を見てもらっていたはずなのに気がついたら友人全員で勉強をすることになった挙げ句、気がついたら全力で遊んでいた。
しかも全て藤巻の金でだ。
明人や飯塚は二人ともいいやつらなのだが、明人も飯塚や斉藤はアルバイトで忙しい。
漏れ伝わるところでは「提出する書類が多くて死ぬ」とのことだ。
二人とも宮仕えの身だ。邪魔しては申し訳ない。
明人の方は
「あ、これは覚えておいた方がいいぞ。知らないと爆弾解除し損なって死ぬから」
「英語? できないと宇宙に行ったら死ぬぞ」
「え? 歴史に地理? ああ。パキスタンの刑務所行く前にもっと勉強しておけばよかったなあ……」
など一時間に一度は背筋の凍るような恐ろしい話をするので頼むのはできれば最後にしたい。
しかたなく無理を承知で藤巻はレイラに頼んでみたところ
「君の行動報告も任務に入っている。いいだろう」
と引き受けてくれた。
というわけでこのところ藤巻はレイラと全く色気のない放課後を過ごしている。
レイラは潜入工作員として教育を受けているので勉学は一通りできるようにしてある。
その知識の広さでレイラは藤巻に教える際には必ず藤巻が興味を持ちそうなテーマで教えることにしていた。
ここに乙女らしい思いやりがこめられているのだが、藤巻は全く気づかない。
藤巻はそれほど鈍感なタイプではない。
だが気がつかない。
藤巻は留年二度目をなんとか回避したいという思いが強すぎて、そこまで考える心理的余裕がなかったからである。
勘のいいレイラはそこまで理解していたのでなにも言わなかった。
一時間経過……
「……ここまでできてなぜ留年した」
レイラが額に指を置いた。
呆れたと言わんばかりである。
「メカに置き換えたらここまで楽だと思わなかった……」
藤巻自身も驚いていた。
藤巻は度重なる挫折で自己評価が低くなっていた。
そのせいで「どうせできない」という呪縛に縛られていたのである。
自分をバカだと思い込むラベリングに陥っていたのだ。
「まあ今日はこのくらいでいいだろう」
「レイラすまない」
勉強を終わらせて二人は校舎から出ようと歩いていた。
途中、美術室の前を通る。
そこには美術部員の描いた水彩画が飾られていた。
藤巻はその中の一点が目に入り立ち止まった。
「ああ。長岡明香里の絵だな。なんでなにも存在しない空き地の絵なんて描いているんだろうな?」
チャイニーズマフィアから守ったことで長岡明香里と交友があるレイラが不思議そうに言った。
それもそのはずだ。
海に面したなにも存在しない広大な空き地。
そこにぽつんと立つ男が小さく描かれているだけの絵。
それは誰の目も引きつけない、なにを狙ったかもわからない地味で寂しい絵だった。
だが藤巻はその絵に引きつけられた。
なぜならその題名が問題だったからだ。
『2020年東京オリンピック』
長岡明香里は知らないはずだ。
晴海の旧見本市会場が選手村にならなかった世界を知っているはずがないのだ。
だが藤巻も明人と田中の二人から話を聞いただけだ。
まだこれが明人が言ったものと確定したわけではない。
藤巻は二つ折りの携帯を取りだし写真モードにしてシャッターを切った。
「どうした?」
「明人の守ろうとしているものが何かわかった……と思う」
「ずいぶん自信がないようだな?」
「ああ。本人に聞かないとわからねえ」
レイラが藤巻を見ると先ほどとはすっかり表情が変わっていた。
自己評価の低い負け犬ではない。
男らしく精悍な顔になっていたのだ。
こちらの顔の方がカッコイイなとレイラは密かに思うのだった。
◇
藤巻たちが長岡明香里の絵を発見する少し前。
明人はゲームセンターにいた。
横には山田。
山田は完全に我を忘れてゲームに熱中していた。
「あ、あの山田?」
「にゃははははははッ!!!」
ゾンビを蹴散らすガンシューティングをしながら脳内物質を出しまくって興奮する山田。
興奮しすぎてわけがわからなくなった柴犬状態になっていた。
「伊集院ッ!!!」
「なんだ?」
「これカラシニコフなのにフルオートの反動が弱い!!!」
「そんなリアリティいらんわ!」
「にゃははははははッ♪」
明人がツッコミを入れるが、ゾンビを蹴散らすのに夢中の山田はまるで聞いていない。
なぜ明人が山田に搾取されているのか?
それは田中の魔の手から匿ってもらっていたのである。
さらにさかのぼること1時間前。
「明人様……これから両国にちゃんこ食べに行きません?」
もじもじとかわいらしい仕草で田中が言った。
最近になってようやく明人は友人が存在することを親に認めてもらった。
それによって放課後に自由になる時間が増えた。
だが今回はそれが裏目に出た。
田中が校門で待ち構えていたのだ。
いや田中と出かけるのは嫌ではないし、明人も好意を持ってもらうこと自体はうれしいのだ。
だが問題は田中の目的はあくまで明人を太らせて美味しく頂くことだ。
明人は前世のトラウマ的なものから太るのだけは嫌なのである。
コーベビーフ!!!
霜降りお肉を美味しく頂かれてしまう!
それを恐れた明人は脱兎のごとく駆け出した。
そのままホラーゲームの主人公のようにロッカーに逃げ込む。
ドキドキしながらロッカーから外をうかがうと山田が近づいてきた。
そのままロッカーをこんこんと叩くと端正な顔に邪悪な笑みを浮かべて言った。
「伊集院。かくまってやるからおごれ」
もはや明人には断るという選択肢は残されていなかった。
「にゃはははははははッ!」
山田が楽しそうに遊んでいる。
明人の両手にはぬいぐるみがパンパンに入った袋が四つ。
全てプライズゲームで山田が狩った獲物である。
すでに財布の中の野口軍団は相次いで討ち死に、諭吉大元帥にまで手をかける寸前に陥っていた。
田中と鍋の方が被害が少なかったのではと冷静になった明人が後悔し始めた時、明人の携帯が鳴った。
それが新たな事件の始まりだったのである。




