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伊集院明人は二度死ぬ 10

 狭くて暗いトンネルのようなところを超高速で転がり落ちる。

 転がりながら加速していく。

 上下がどちらなのかもわからない。

 まるで水道管に入って水で流されていくかのようだった。


 転がりながら、この世界、元の世界、その思い出がフラッシュバックする。

 自分が誰なのか。

 なにを成すべきか。

 どうしてここにいるのか?

 すべてがわからなくなる。

 世界に溶けていく感覚が襲った。

 自己を構成する情報が急速に失われていくような……急激に自己が失われていく。

 認識の統一性を失いかけたとき、明人はどこかに辿り着いた。


 平面。白い床。

 室内なのに地平線が見える。

 明人のすぐ側に男が立っていた。

 不思議なことに男は明人と同じ顔をしていた。

 脳の中に言葉が直接響いてきた。


 よう兄弟


「ここはどこだ? お前は誰だ?」


 ここは……世界の果て……

 俺たちは伊集院明人だ。


「世界の果てって……お前はどこの世界の伊集院明人だ?」


 複数形なのが気になったが明人は無視して質問をした。

 細かいことにこだわっても仕方がない。


 明人が指をさした。

 加速器での異世界観測の実験、その映像が浮かび上がった。

 同時に明人の頭の中に情報が流れ込んできた。

 正確に言えば、爆発して死んだはずなのだから肉体があるかはわからない。

 だが事実として大量の情報が自己の中に流入してきたのだ。


 それはどこか別の世界の情報だった。

 伊集院明人が彼女を逃がした。

 だが彼らはそれを許さなかった。

 伊集院明人が死んだ日。

 彼らは彼女を加速器へ放り込んだ。

 同時に起こった加速器の暴走。

 その結果起こったのは世界の壁の崩壊。

 井上のように世界を血管に例えるならば、血管が破裂したのだ。

 血液の代わりに漏れ出したのは世界を構成する情報。

 そこで……その時間で世界は壊死した。

 死でも消滅でもない。

 ある日突然、終わりを迎えたのだ。


 そしてここで変化が起こった。

 内出血のように世界の外へ漏出した情報に変化が起こったのだ。

 酸のように世界の外の壁を溶かし、他の世界に流れ始めたのだ。

 流れ込んだ異物はあっという間に世界を侵食していった。


 そしていくつもの世界で同時にあることが起こった。


 加速器の実験。

 世界の壁の崩壊。

 世界の情報の漏出。


 いくつもの世界が穴を開け、情報という血液をまき散らしながら壊死していく。

 そして漏出した情報は世界をウイルスのように犯していき世界を作り替え破滅に導いていった。


「……これはすでに起こったことなんだな?」


 ああ。

 これがどこかの遠くの世界とその周辺の崩壊だ。

 同じことがお前らの周辺でも起こっている。


「俺がさっきまでいた世界はどうなった……」


 明人が指をさした。

 そこに写るのはジェーン。

 向こうのジェーンだ。

 それに井上だ。


「おい! どうなるんだ!」


 二人が力を合わせ実験の手法の危険性を証明して実験を止める。

 この世界はお前らが救った。

 火事もお前が防いだ。

 お前の世界にも影響が出るだろう。


「よかったああああああああー」


 明人はほっとしてため息をついた。

 だがまだ問題は山積みだ。

 明人は気持ちを切り替えて質問をする。


「もう世界の崩壊は起こらないのか?」


 もう一人の明人が首を振った。


 まだだ。

 お前は大きな世界の流れの一つ、大きい血管とその数え切れないほど多くの支流を救った。

 お前の元いた世界もその支流の一つだ。

 だが……


「俺が生まれ変わった世界は……」


 ああ。

 まだ危険にさらされている。


「敵は誰なんだ? 井上を殺そうとしたやつは誰なんだ?」


 わからない。

 だが君らの世界にいるはずだ。


「どうすればいい?」


 三島を助けろ。


「どの三島をだ?」


 お前が救えるだけ……全員をだ。


「俺の手には余る」


 ああそうだろうな。

 だから……


 俺たちの存在ごとくれてやる。


 もう一人の伊集院明人が手を差し出した。

 明人がその手を取る。

 その時、明人は全てを覚った。

 彼らは遠いどこかの世界で失敗した伊集院明人たち。

 自分は彼らの思いを引き継ぐのだ。


 太陽のようにまばゆい光が見えた。

 地平線からこの部屋を飲み込みながら明人の方へやってきていた。

 明人は不思議と怖くはなかった。



 明人は固い床に放り出された。

 そこは加速器の実験場。

 元の世界に帰ってきたのだ。


 田中を探す。

 すぐ横で倒れていた。

 明人は田中の脈を診た。


 よかった生きている。


 安堵の余り息を吐く。

 そんな明人を黒い衣装の三島がニコニコとした顔で眺めていた。


「お帰り♪ じゃあ私帰るね。またね♪」


「この世界は崩壊するのか?」


「まだだよ。今回は予定にない実験。……それに今回は成功したしね。問題は12月。がんばってね♪ また遊ぼ」


 三島がクスリと笑った。

 すると三島の姿が消えていく。


「ま、待て! まだ聞きたい事が!」


 明人が叫ぶがもう三島の姿はない。

 コツコツコツとブーツの音だけが聞こえた。


 そして明人を猛烈な頭痛が襲った。

 吐き気、めまい、そして鼻血。

 明人は知らなかった。

 伊集院明人という存在の異世界間移動。

 世界の果て。

 そして帰還。

 その時、明人の脳は限界寸前だったのだ。

 この危機に明人の脳はスリープモードに入る事を余儀なくされた。

 明人はそのまま仄暗い闇へ墜ちていった。



「大宮の放火未遂で逮捕された自称警備員……なお飛び降りた男性がいるとの情報が……遺体などは見つからず……謎が深まっています」


 病室にテレビの音が流れていた。

 だが井上はそれが頭に入ってはいなかった。

 事件直後、病院に緊急搬送された井上は緊急手術を受けた。

 幸い銃弾は肉を引き裂いたものの、急所には当らなかったため比較的軽傷で済んだ。

 だが問題が別に発生した。

 銃撃された時に転んで頭を打ったと申告したところ精密検査を受けるハメになってしまった。

 救急車の中で何度か吐いたのがまずかった。

 レントゲンにMRIと大げさな検査が行われ、井上はまな板の上の鯉の気分を味わった。

 そしてその直後にとんでもない診断が下されたのだ。


「脳に腫瘍がありますね」


 医師は特に感情をこめる事もなく平然と言った。

 井上は引きつった。


「それで……私は死ぬので?」


 つい数日前まで死ぬ準備をしてきた男が間の抜けた質問をした。

 殺されると思って色々と準備をしてきたが、病気で死ぬ準備も覚悟もできていない。

 すると医師がまたもや感情をこめずに言った。


「まさか。グレード1……良性です。場所も問題ないので手術で取ってしまえば再発もしないでしょう」


「……はあ」


 頭の中がぐちゃぐちゃになった井上は気の抜けた返事をした。


 テレビが大宮の火事を止めた男の特集を放送していた。

 異世界から来た男。

 なぜか彼の遺体は欠片すらも見つからなかった。

 大宮のゲーム会社を襲撃した犯人は逮捕され、面白がってネットで犯行予告をした連中まで芋づる式に逮捕されていた。

 井上の狙撃した犯人は誰かわからずじまい。

 これによりで運命が変わったのだろうか?

 井上は確信は持てなかった。

 だが、おそらく腫瘍を摘出した時、ビジョンの能力は失われるのだろう。

 事件の報道から考えるに彼はこの世界での死を選んだのだろう。

 つまり異世界からやってきた伊集院明人、彼とこの世界のリンクは永遠に途切れた……と思われる。

 井上にも断言はできない。

 だが彼が命をかけたこの世界。

 この世界を救わねばならない。

 そのためにもここで死ぬわけにはいかない。

 井上は『うむ』と一人で納得した。


 さらに数日後のことである。

 ……切実な問題が起こった。


「はい?」


「いえあのジェーンさん……お金がないのです……」


 病室にジェーンと井上がいた。

 あれからジェーンは毎日のように見舞いに訪れていた。


「なんでよ? アンタ年収1000万くらいあるだろよ?」


 井上は冷や汗を流した。


「いえね……殺されると思ってたので親も姉弟も家族もいないしーいいやーって感じで全部寄付しちゃいまして……」


 井上の目が泳ぐ。

 つい調子に乗って後先考えずにやってしまったのだ。


「不動産は? 家とか? 担保にして金借りるとか……」


「それも売ってしまいまして……」


「ほう……保険は? 共済もあるだろ?」


「出るまでに時間かかりまして……それまでの繋ぎが……」


「あー。アホだねあんた……」


 ジェーンがうーんと考えているのを見て井上は意を決して言った。


「お願いします! 貸してください!」


 DOGEZA。

 さすがに厚かましいお願いだ。

 だめだよなあ。

 と井上は思った。

 でも友達とかいないし。

 ジェーンに頼るしかない。

 かと言ってジェーンともそれほど親しいわけではない。

 だめだよなあ。

 もう一度井上はそう思った。

 ……ところが。


「いいよー。同じ職場だし逃げようがないしなー」


 ジェーンちゃんマジ天使!!!

 天使がそこにいたのだ。

 だが次がまずかった。

 ジェーンが本質をつく質問をした。


「んでさ。イノウェイ。退院したら行くとこあるの?」


 あだ名で呼ばれたことに井上は気づかなかった。

 それよりも質問の内容の方が問題だった。

 考えていなかった。

 家を売ってしまったことへの結果を井上は完全に忘れていた。

 俺オワタ。

 完全にオワタ。

 井上は頭を抱えた。


「やっぱなー。んじゃウチ来る?」


 ジェーンが笑顔でそう言った。

 その笑顔にありがたさを感じながらも、井上は急激に焦りだした。

 それって同棲じゃね?

 いいの若い女がそんなで?

 つうかなにこのモテ期到来。

 って……俺ヒモみたいじゃね?

 そしてある考えが頭をよぎった。


 あらかじめ決まったシナリオが急激に強制力を取り戻しているのではないか?


 井上は急に冷静になった。

 それでいいのか?


 井上は答えに窮した。

 するとジェーンが吹き出した。


「ぷーっ! イノウェイさー。『これも運命の強制力じゃね?』とか難しいこと考えてるんだろ? あはははは! バカだなあ。別にいいじゃん。泊まるくらい」


 ジェーンは笑っていた。

 まあいいっか。

 井上はジェーンの提案をありがたく受ける事にした。

 しばらくして手術の日が来た。

 手術は無事成功した。

 ジェーンはなんだかんだと理由をつけて毎日のように見舞いに来た。

 井上もジェーンが来てくれるのを待ち遠しく思うようになっていった。

 そして大宮の事件が報じられなくなった頃、井上はジェーンの家に住む事になった。

 ……そして。


「あのジェーンさん。その辺に下着を脱ぎ散らかすのは……あの……色々と目の毒でしてね……」


「えー。んじゃ畳んどいてー」


「あの……料理なら俺が作りますので……その……居候の身で言い出しにくいのですがその物体Xは……」


「えー。んじゃ作ってー」


 ジェーンには生活力が全くなかった。

 だめだこいつなんとかしないと。

 井上がそう思った時には全てが遅かった。

 もうすでに食器や共用のものが増え、生活の垣根というものが消え去っていった後だったのだ。


 ……そして井上はいつまでもジェーンの家で幸せに暮らしましたとさ。

 めでたしめでたし……


「あれ……? どうしてこうなった?」


 井上は薬指に輝く指輪を見てそう思った。

 もちろん微笑みながら。

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