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埼玉県警の女王

 1999年。

 マカオ返還の年。


 硝煙の匂いが立ちこめていた。

 男の体にはいくつもの穴が空いていた。

 男はライアン。

 軍情報部第五課《MI5》所属のエージェントである。

 マカオの中国返還に際して、英国が資金援助していた、反中国政府の組織の後始末の最中だった。

 リーダーをイギリス本国に逃がすだけ。

 そんな簡単な仕事のはずだった。

 だがマフィアの事務所に行ったライアンを待っていたのは、無残な姿になったメンバーたち。

 そして無数の弾丸だった。


 ライアンの体を蜂の巣にした男が虚ろな目で見下ろしていた。

 恐らく東洋系。

 どこまでも無表情。

 まるでライアンを人間と思っていないかのようだった。


「やはり、他の世界から転生者がやってくるようだな」


 もう一人のアジア系の男が言った。

 日本、いや中国系だ。

 死に向かう中でライアンはそう思った。


「法則がまるでわからんな……我々が殺したからと言ってこの世界の人間が生き返るとは限らん……」


「……俺たちが知っているシナリオの外にも重要人物がいるのだろう。俺たちのプロット。学生たちの作ったゲーム。それにあの女の妄想……この世界は複雑に絡み合っている」


 意見を交わす二人を見ながら、ライアンが咳き込んだ。

 肺に血が侵入したのかもしれない。

 何度か咳き込むと徐々に呼吸が浅くなってきた。

 目がかすみ、脳が思考を手放した。

 死が近いことを察したのだろう。

 ライアンが何も考えることができなくなったとき、男が言った。

 

「やはりだ……生き返るぞ……今度はテロリストと一人で戦う冗談みたいな警察官か? それともサイボーグか……いちいちふざけた人選しやがって!」


「なんでもいい。この世界はあいつの願望が現実になっている。……自分を助けてくれるヒーローでも思い浮かべているのだろう。だが……どちらにせよ脅威にはならん。ヤツらはなぜ己が力を手に入れたのかを理解することはない。力に溺れるだけだ」


 もうライアンには男たちが何を言わんとしているのかわからなかった。

 そして一度大きく咳をしたライアンは静かに闇に落ちていった。



 2015年。

 横浜。豪華客船内部。

 山田はうなだれていた。

 屈辱だ。

 己の未熟さが恨めしい。

 このままでは伊集院の足を引っ張るばかりだ。


 山田には剣術以外にはこれと言った特技はない。

 ビジョンという超能力も人から習っただけで全てを制御しきれるわけではない。

 剣術ですらこのざまだ。

 山田はあまりの悔しさに壁を叩いた。


「山田浅右衛門か。明人のハーレムの」


 山田はハーレムの意味を知らないが、他の人間が聞いたらとてつもなく失礼な声が聞こえた。

 山田が前方を見ると白人の男が立っていた。

 知った顔だ。

 元英国の諜報員。

 今はフリーのエージェント。

 伝説のスパイにして伊集院明人の師匠、ライアンだった。


「あ、あなたは……」


「ついて来い。そして覚り(セ○)へ至れ」


 全く意味のない台詞。

 だが純真無垢な山田は容易く説得されてしまった。


「うん。行く!」


 こうしてライアンは新たな被害者を手に入れたのだ。



 さいたま市。


「ば、番長とロリキング藤巻!」


 長岡明香里が叫んだ。


「ろろろろろ! ロリコンちゃうわ!」


 藤巻が不審者になり、明人は微妙な表情を浮かべていた。

 レイラは首をかしげた。

 番長もロリキングも単語の意味がわからなかったのだ。


「明香里。だれ?」


「うちの学校の有名人、伊集院と藤巻。ギャングは病院送り、ヤクザはビルごと潰すっていう連中」


 やはり伊集院明人!


「お、おい! お前、アキトだな! スヴェトラーナ伊集院の息子の……!」


 それを聞いた瞬間、明人の表情が曇った。

 歯ぎしりをし、こめかみには血管が浮いた。


「お、おい。……伊集院?」


 藤巻は驚いていた。

 思えば伊集院明人は普段は温厚な男である。

 ジェーンの発想は子ども、手段は知能犯のイタズラにも怒ることはあっても手をあげるようなことはない。

 三島の乙女な妄想にも嫌そうな顔を一つせずつきあっている。

 藤巻に対しても飯塚よりも当たりはソフトだ。

 その明人が親の名前を出されただけで怒りを表に出しているのだ。

 焦る藤巻に突然明人が笑いかけた。


「藤巻さん……エモノだ……」


 明人は笑っていた。

 あまりに黒い笑顔で。

 藤巻は死人が出ないことを祈るばかりだった。



 かつ。かつ。かつ。と物を地面にぶつける音が聞こえた。

 喫茶店を出た明人たちは囲まれていた。

 周りには10人もの黒服の男たち。

 手にはそれぞれバールやハンマーやナタを持っていた。

 すべてホームセンターでも手に入るものばかりである。

 どうやら銃は手に入らなかったらしい。


「その女たちを渡せ!」


 大型のハンマーを持った男がそう言った。

 どことなくイントネーションがおかしい。

 日本語が母国語ではないらしい。


 明人はその発言を聞いた瞬間、問答無用で男のアゴへ向かい拳を振るった。

 ガラスの割れるような音がし、男が前のめりに倒れた。

 明人は呆然とする黒服たちを前にして悠然と殴られた男が持っていたハンマーを手に取った。

 そしてハンマーを柄の端、指二本の遊びを残した部分を持ち、それを黒服たちに向け言った。


「これが答えだ」


殺せ(シャーッ!)


 黒服の男達が明人に向かった。


「藤巻さん! タイミングを見て3ケツ(三人乗り)で逃げろ!」


 明人はそう叫ぶと、ナタを振り下ろそうとする男の膝にハンマーを横なぎに振り抜いた。

 獣の断末魔のような叫び声が響き、男が倒れる。

 突然倒れた男に後続が蹴躓き、黒服の動きが止まる。

 その隙をついて明人は、近くにいた男へサイドキックを入れる。

 よろめいた男のせいで隙間がなかった隊列が崩れ、明人が動き回るスペースができた。

 隊列を崩し、隙間を作った明人はここからが本番だった。


 重いハンマーを黒服たちの足下に向かって投げる。

 これは牽制だ。当らなくてもいい。

 回転しながら飛んでいくハンマー。

 男たちが必死にそれを避ける。


 それを好機と見た藤巻が隙間にバイクで突っ込んだ。

 突然のバイクの突撃に黒服たちが逃げ惑う。

 明人も藤巻の後に続いて飛び出す。

 狙いは斧を振り上げたまま逃げるスキンヘッドの男。

 明人はスキンヘッドの男の斧を持つ手を無理矢理掴み、さらに空いた手でロックし無理矢理投げた。

 いわゆる腕がらみである。

 投げながらも明人は足を止めない。

 後ろからバールで殴りかかる男の気配を感じていたからだ。

 すぐに、反転。

 腹側に一歩入り男のバールを下へ受け流す。

 そのままバールを持った男の手を握り、空いた腕を脇の下に差し込む。

 そしてそのまま、反転から吹踏み込む。

 相手の腕を掴んだまま回転するエネルギーと相手の勢いを使って投げた。

 腕を捕ってはいるが極める余裕はなかった。

 そのまま投げ捨てる。


 ここでようやく黒服たちは理解した。

 相手は多人数を相手するのになれているという事を。

 そして思い出した。

 自分たちの任務は目の前の男を倒すことではない。

 バイクを追うべきだ。

 黒服たちは逃げ出した。

 だがそこに誤算があった。


 明人に背を向けた男の足に痛みが走った。

 足を見ると何かが突き刺さっていた。

 矢だ。

 横を見ると別の男の足にはナイフが突き刺さっていた。

 パニックに陥る黒服たち。

 彼らは矢やナイフが飛んできた先を見た。

 そこには二人の男女の姿があった。


「内調だ。大人しくしてればそれ以上は痛めつけない」


 それは明人がよく知ってる二人だった。


「アキト君。藤巻のバカどこに行った! あのバカ野放しにしたら埼玉が危険でデンジャーに!!!」


「落ち着こうよ。亮ちゃん。明人くんも変な顔してるよ」


 そうか、酒井が手を回したんだ。

 いや、手を回さないはずがなかった。

 すでに二人を仲間に引き入れていたのだ。



 県警本部。

 県警の幹部、それになぜか中本の元上司までもがそこにはいた。

 中本が呼び出したのだ。


「なぜですか! なぜ警察を出さないんですか!」


 中本が怒鳴った。

 ジェーンの連絡により、さいたま市で異常が起きていることはすでに把握していた。

 頭頂部の薄くなった男が偉そうに答えた。


「中本警視監……これは仕方ないのです! クイーンテック日本法人の関連団体は我々の大事な天下り先。そのクイーンテックが『捜査をするな!』と仰っているのです!」


 それを聞いた瞬間、中本は無表情になっていた。  

 まずい! 中本の元上司である男が思った。

 その予想通り中本は県警幹部の頭頂部にわずかに残った髪の毛をむんずと掴んだ。

 そのまま頭を後ろへ引き……頭部をその鼻へ振り下ろした。


「へぶッ!」


 若い女性でありながら少年事件を担当していた中本。

 小柄で人の良さそうな顔をしているうえに少しトロい様子の中本が少年になめられないはずがない。

 それでも優秀な警官であったもう一つの理由。

 それは単純に喧嘩が強いのだ。

 格闘技や武道ではない。

 単純な喧嘩だ。

 手段も何もかも汚いが最終的には正義を守ろうとした酒井の前では決して見せない姿である。


「正義を守る警官が何言ってんだぁッ? ああ? コラァッ!」


 もう一発。


「オラッ! 立てコラァッ! テメエちょっとヤキ入れてやる! オラァッ! カス!」


 県警幹部の前での制裁。

 それを見て中本の上司が止めに入る。


「中本君! ダメだ! もう白目剥いてるから!」


「うおおおおおッ! 離せ! コイツだけはぶっ殺す!」


「やーめーてーッ!」


 中本の手から最後に残った毛髪、その残骸がぱらぱらと舞い落ちた。

 この事件は光の速さで埼玉の警官に知れ渡ることになる。

 それが『埼玉県警の女王』、中本の伝説の始まりだった事を中本はまだ知らない。

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