刺客
エニグマがカタカタと動作音を奏でた。
ジェーンは非常に面倒な方法で通信をしていた。
エニグマの電信機用信号を電話モデム用の音声データとしてデジタル録音。
さらにそれに圧縮と暗号化をかける。
アルカイダやIS御用達の匿名情報通信ネットワークから、ローマの端末へ送信。
ローマ側はそれを復号しジェーンの作ったソフトでデジタルデータに戻し、エニグマでさらに復号するというものである。
ただの嫌がらせなのだが、ジェーンは満足げである。
いや、ただの嫌がらせだからこそジェーンは大満足である。
内容もまた同じである。
通信開始
なんか面白いゲームある?
ゾ●ン。
クソゲーかよ!
うるさい! ア●リのE.●.とチー●ーマンでもやるのじゃ!
ソフトが手に入らねえ!
じゃあクビがあらぬ方向を向いてる野球ゲーム!
防御を固めて物理で殴る!
(その後、クソゲーという信仰に関する宗教論争に発展したため途中を省略)
いいかげんアレの正体を教えろ。クソジジイ。
まだだめだ。帰ったら教える。
通信終了
二人とも暗号機をSNSのメッセージ代わりに使う。
どうでもいい会話の全てを暗号化して送ったあげく『帰ったら教える』である。
傍受して翻訳したものがいたら殺意が芽生えるはずである。
だがこの無駄の積み重ねこそ情報戦なのである。
この場合は『アレ』すなわちモノリスの存在を知っている組織が存在する。
それに『帰ったら』つまり帰還できることを知っているという意味にもとれる。
ブラフかもしれないし、真実かもしれない。
こうやって相手を揺さぶることで、情報を分析する相手の人的資源を削るのである。
戦時下であれば相手に暗号を破られる危険性が発生するが、エニグマはすでに破られた暗号である。
好き放題使用できる。
その気になればコンピューターを使えば暗号は総当たりで破ることは可能である。
また、解読器であるチューリングボンベの仕組みはわかっているので作ってしまうことも可能である。
ただし、それらにはかなりの時間が必要である。
さらに言えば、傍受されているかも定かではない。
内部犯か、外部からの傍受かは別として、確率的には傍受されているはずである。
だが確実にされているとは言い切れない。
そもそも内部の情報漏洩もジェーンたちに圧力を加える演出かもしれないのだ。
今まさに、当事者どうしが顔を合わせない状況での腹の探り合いがされている。
それも頭のいいバカによる腹の探り合いなのである。
「さあってと終わった。レイラ、次のタスクに移るよ!」
仕事を終わらせたジェーンはいい顔をしていた。
「……うん、ああ、わかった」
レイラは付き合いきれねえと呆れていた。
だがジェーンは空気など読まない。
「うけけけ! 敵全員に地獄見せてやるぜ! さあって、次はどいつだ!」
ジェーンは美形キャラが絶対にしないえげつない笑顔になった。
◇
一方、明人は真面目に作業をしていた。
ボイラー室のコンピューターを確認する。
ボイラーのセンサーは異常なし。
電気設備のラインも問題なし。
あとは蛍光灯やブレーカー、館内暖房を見て回るだけだ。
明人はチェック表を片手に蛍光灯を見て回る。
人が住んでいる個室はなにもしなくてもいい。
異常があれば苦情があるからだ。
ゆえに廊下や空き部屋を中心に回る。
明人はこういう作業が得意なのだ。
廊下へ出た明人はチェック表に書込みながら飯塚のいる倉庫へ入る。
倉庫は廊下と比べるとかなり寒かった。
本格的な作りでフォークリフトまで置いてあった。
「あ、明人くん」
相変わらず人当たりのよさそうな顔で飯塚はニコニコと笑っていた。
飯塚はコンテナの備品を確認しているところだった。
こんなに人当たりがいいのに明人たちの仲間でも一番の危険人物である。
人間はわからないものである。
「電気の点検だ」
明人はチェック表を振りながら笑う。
一見するとそれは友人どうしの挨拶だった。
「ところでネズミはどうするの?」
ところが飯塚は笑ったまま言った。
妙な迫力がある。
「もういいぞ」
明人も笑いながら眼鏡をしまう。
それと同時に目出し帽を被った8人ほどの集団が明人たちを取り囲んだ。
全員が持っていた拳銃の銃口を向けていた。
「進藤の手下……ではないかな?」
男たちはなにも答えなかった。
答える気などないのだろう。
それでも問題はなかった。
明人は男たちの正体を見破っていたのだ。
「8人か。ずいぶん俺たちは評価されているようだな。8対2じゃ確実に勝てないからな」
男たちは表情を変えることはなかった。
だが明人は続ける。
「ジェーンたちから連絡がないってことはターゲットは俺と飯塚か。問答無用で撃たなかったから殺すことは任務に入っていない」
「……」
「飯塚。爆薬は使うなよ。施設壊したら全員凍死する」
明人はそう言いながら指をボキリと鳴らした。
拳銃が火を噴く。
だが弾丸は明人たちにに当たることはなかった。
刺客の腕に次々とナイフが刺さっていた。
若干忘れられていた感が強い飯塚の恋人、斉藤みかんである。
戦闘員から外されて後方にいたが昭和基地には来ていたのだ。
得意のスローイングナイフを使うために隠れていたのだ。
「さて……お前らには聞きたいことがある。だが、死ね」
明人の拳が刺客の顔面にめり込む。
唾液とともに歯が空を飛んだ。
そのまま明人は別の刺客の髪の毛を目出し帽の上から掴み、その頭部を引き寄せるとヒザ蹴りを顔面に放った。
3人目の刺客は腕の痛みを我慢してナイフを抜く。
次の瞬間、ナイフを持った腕に明人の腕が絡みつく。
両手で腕をロックされたのだと気づいた瞬間、腹に痛みが走る。
ナイフを抜いた手を折り曲げられ横っ腹を刺されたのだと気づいた瞬間、男は床にキスをしそのまま意識を失った。
4人目の犠牲者はナイフを抜くと明人を背後から刺そうと振りかぶった。
だが次の瞬間には明人は男のサイドをすり抜けて背後にいた。
男はナイフを振り回しながら振り返る。
突如視界が真っ暗になった。
ナイフをかわし懐に入った明人が男の顔を掴み後頭部を床に叩きつける。
5人目は判断が速い有能な男だった。
明人に敵わないことを本能察知し背中を見せて逃げだしたのだ。
だが甘い。
突如フォークリフトが動き出し男をはね飛ばした。
それほどのスピードは出ていないがフォークリフトの威力は男を戦闘不能にするのには充分だった。
フォークリフトを操っていたのは藤巻だった。
「よう明人。これでいいか?」
そう。
彼らは明人たちを侮っていたのだ。
そしてまんまと誘い出されてしまったのだ。
残り3人は遅れて逃げだした。
だがそれは甘かった。
彼らは一番の危険人物を忘れていたのだ。
飯塚は容赦というものを持ち合わせていない。
飯塚は弓を射る。
飯塚の弓が一瞬で3人の尻に突き刺さる。
確かに死なないがこれは痛い。
しかも貫通しないように威力を抑えてある。
3人は屈辱と痛みを同時に味わうことになった。
大人しく明人に殴られていた方がまだマシである。
実はフォークリフトではねられるのが一番被害が大きいのだが、それは気にしたら負けに違いない。
明人は拳銃を回収しながら男たちの身ぐるみを剥いでいく。
もし他の武器を携帯されていたら厄介だからだ。
「さてと次は尋問だな」
明人はトランシーバーを取り出す。
「ジェーン。不審者を捕まえたぞ」
「うい了解。どうしよっか? 裸で外に放り出す?」
「確実に死ぬぞ」
「それは面倒だなあ」
あくまで面倒なのであって、気分が悪いとかではない。
やはり明人の仲間で一番の外道はジェーンなのだ。
ちなみに彼らは運がよかった。
明人たちだから、殺す意思がないことを確認後に制圧されたのである。
もしターゲットがジェーンだったら、兵士である上野やレイラに問答無用で殺されていただろう。