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《そんな馬鹿な!》
僕は、同級生と久しぶりに再会し
思い出話に花が咲くはずの同窓会会場で
呆然と立ち尽くすしかなかった。
九州の片田舎の高校を卒業し、東京へ出て15年。
その間に両親は、父親の生まれ故郷である別の県へ引越し、
僕の生まれ故郷であるこの町に、僕の実家はない。
ということは、この町に帰郷する機会すら奪われたわけで、
東京という都会で忙しくも賑やかな生活を送る日常で、
だんだんと生まれ故郷を思い出すことは少なくなり
というかほとんど、というか全く思い出すことはなくなっていた。
そんな僕の東京の住まいに、高校の同窓会の知らせが届いたのは数ヶ月前。
それまで思い出すこともなかった故郷からの通知にちょっととまどったが、
ちょうど仕事や私生活でゴタゴタが重なって精神的にまいっていた僕は、
生まれ故郷ののどかな空気に癒されたい気持ちもあったし、
ちょうど仕事が盆休みに入るということもあって
会場のホテルに部屋をとってまで、同窓会に出席することを決めた。
《なのにだ、何だこれ!?》
同窓会の会場にいる同級生の誰もが、僕のことを覚えていない?
いくら15年ぶりといっても、この街で生まれてから過ごした期間は18年間。
同級生の中には、幼稚園から高校までずっと一緒だった奴もいる。
それなのに、誰に話しかけても、名前を名乗っても皆僕のことを覚えていないという。
僕だよ僕、松井だよ!
西田! 山本! 磯野! 広田! 田代!
僕は、皆のこと覚えてるぞ!
そりゃ中には、全く記憶にない奴もいることはいるけど・・・。
僕は最初、皆がグルになってタチの悪い“ドッキリ”を仕掛けているのかと思った。
ところが、会場に入ってから1時間以上たっても
誰も、「ドッキリでしたぁ!!」とプラカードを持ってきて種明かしをする気配はない。
《何だこりゃ!?いい大人になって、いじめか?》
僕はワラをもすがる思いで、会場に姿が見えない友人
古木の携帯に電話することにした。
古木は中学・高校と一緒によく遊んだ仲間で、高校では3年間同じクラスだった。
大阪に出て5年くらいたった頃、僕の元に届いた古木の結婚式の案内状。
都合がつかず結婚式に出席出来なかった僕は、ハガキだけでは申し訳ないと
古木の自宅の電話に欠席の連絡を入れた。
そのとき『何かあったら連絡するよ。』という大人な社交辞令で
携帯電話の番号を交換をした。
しかし“何か”がないまま数年が経ち、携帯のメモリーに登録した番号には
一度も電話するこなく、今までやりすごしてしまった。
つまり、10年くらい話もしていない相手。
しかし、この状況ではそのメモリーだけが唯一の拠り所だ。
久しぶりに聞く友人の声を想像しながら携帯の発信ボタンを押す僕。
全く予想していなかった訳ではないが
ワラをもすがる思いは、ほんの数秒間で突っぱねられた。
『留守番電話サービスセンターにおつなぎします・・・』
携帯から聞こえる機械的な女性の案内アナウンスが
今までにないくらい冷たく感じられた。
僕は、連絡を欲しいとだけ留守番電話にふきこんで会場を出て
宿泊する客室へ戻った。
何がどうなっているのかさっぱり分からない、
いくら15年ぶりだからといって
10年以上も一緒に過ごした友人をすっかり忘れるなんてことが
あるわけないじゃないか!
何で久しぶりに帰ってきた故郷で、こんな仕打ちを受けなきゃいけないんだ、
一体僕が何をしたっていうんだ・・・。
ホテルの部屋で悶々と色々なことを考えているうちに、一睡も出来ずに朝になっていた。
留守番電話を聞いた古木から電話がかかってくるかもしれないという淡い期待も
裏切られた。
部屋の窓から見えるのは、
自分の居場所などない見知らぬ街のような故郷の街並み。
東京へ帰る飛行機は、19時台の最終便。
こんな状況で、そんな時間までこの街にいてもつらいだけなので
便を早めようかとも考えたが、
食事ものどを通らないまま、頭の中の整理もつかないまま部屋に閉じこもっていると
気がつけば昼過ぎになっていた。
僕はせっかくなので、
飛行機の時間まで久しぶりの故郷を散策することにした。
久しぶりの生まれ故郷の街並みは、僕がいた頃とは少し雰囲気が違って見える。
昔からの佇まいの中にも、随分と増えた新しい店や住宅。
昔からあったものなのか新しく出来たものなのか分からない建物もたくさんある。
僕の記憶も曖昧なもんだ。
歩いていると初めて訪れた町に来たような不思議な錯覚に陥る。
僕は、学生の頃に友人たちとつるんで遊びまわった商店街に入った。
小さな百貨店や、本屋、ゲームセンターにレコードショップなど
色んな店がそろっていて結構遊べたものだったが
今は、当時と比べると店の数も半分くらいに減っていて、すっかり寂れてしまっている。
人通りもまばらなアーケードの商店街をあてもなく歩いていると、
突然に後ろから僕の名前を呼ぶ女性の声が響いた。
「あら?松井くんじゃなか?」
昨日からの状況を考えると予想すらしていなかったことに驚きながら振り向く僕。
声の主は古木同様、高校3年間同じクラスで過ごした南田沙希だった。
僕がひそかに思い焦がれていた女性だ。
「やっぱり松井くんたい。帰って来とったと?」
彼女を見つめる僕の顔は、驚きと何ともいえない安堵感で
もしかしたら泣いてるようにも見えたかもしれない。
「そうか、昨日の同窓会に出たとね。私も行きたかったなぁ。
どげんやった楽しかった?」
彼女の問いかけに、うまく返事ができない僕。
僕と南田は、商店街近くの公園のベンチに並んで腰掛け、
無邪気に遊びまわる数人の子供たちの姿を眺めながら思い出話に浸った。
みんなでよく行ったカラオケボックスが潰れてしまったこと、
町の名物の饅頭屋が移転して店舗が大きくなったこと、
優しいおじいちゃんとおばあちゃんがやっていた駄菓子屋がなくなって
コンビニに建て変わってしまったこと、
そして同級生のほとんどは結婚したのに、
自分はまだ結婚せずにひとりでこの町で暮らしていること。
故郷の変化や自分のことまで色々な話を聞かせてくれる彼女。
彼女の話は、自分の居場所などないように思えたこの町が
確かに僕の故郷なんだということを確認させてくれた。
「で、昨日の同窓会はどげんやったと?」
一通りの思い出話に区切りがつくと、また同窓会の様子を聞きたがる彼女。
ちょっと考えてから、昨日からの出来事を彼女に話し始める僕。
同窓会の会場で皆が口をそろえて僕のことを覚えていないと言ったこと、
古木の携帯に電話しても、何のリアクションもなかったこと、
僕は、それらの全てがたちの悪い嫌がらせだと思っていること。
何せ故郷に帰ってきてから誰ともまともに話しをしていなかったというのもあって
僕は一気にまくしたてた。
僕が話し終えると、さして驚きもしてない様子で、
「海の方に行かん?」
そう言うと同時に立ち上がり歩き出す彼女。
彼女はこんな冗談みたいな話信じていないのだろうと思いながら、
立ち上がり彼女を追いかけて歩き出す僕。
商店街周辺のそれほど華やかではない繁華街から15分ほど歩くと
穏やかな海辺の漁村にたどり着く。
何隻かの漁船が港に停泊している風景は、僕がこの町で暮らしていた頃と
何も変わっていないような気がして居心地がよい。
ほのかに磯の香りが漂う海沿いの道をゆっくりと歩く僕と彼女。
海からの静かな風を心地よさそうに受けながら黙ったまま。
《変な話をして、僕がからかっているとでも思って怒っているのかもしれない。》
僕がそんな事を考えながら、長い髪を風に揺らす彼女の横顔を眺めていると
彼女はふいに僕のほうを振り向いてこう言った。
「ねえ、ヌーの話知っとる?」
「・・・なにそれ?」
彼女は僕の質問には答えず、いたずらっぽい笑顔を見せて小走りに駆け出すと
防波堤に腰掛ける。
僕も横に並んで腰掛ける。
しばらく海を眺めた後、僕に微笑みかけ続きを話し始める彼女。
「私ね、おばあちゃんから聞いたことのあるとよ。ヌーっていう名前の妖精の話。」
「妖精?何だよそれ。」
「ヌーはね思い出の精なんよ。」
《やっぱり彼女は、僕の話を冗談だと思っているんだ。
それで、訳の分からない作り話で僕をからかいかえそうと思っているに違いない。》
などと僕が思ったのもお構いなしに彼女は話し続けた。
「思い出の精っていうとはね、人の思い出の中でおるとって。
色んな人の楽しか思い出の中に入り込んで、
その楽しさば分けてもらいながら生き続けていくと。
そいでね、それだけじゃなくて人の思い出ば操ることも出来るとよ。」
幼稚な作り話だと思ったが、僕はとりあえず彼女の妖精話に付き合うことにした。
「思い出を操るって、どういうこと?」
「人の思い出ば消してしもうたり。思い出ば作り出すことも出来るとよ。」
「思い出を作るって?」
「実際には経験しとらん事とか会ったことなか人ば、人の記憶の中に
思い出として作り上げるってこと。」
「人の思い出を消したり作ったり、なんでそんなことすんのさ。」
「大事か思い出ばなくしかけとる人に、ちょっとした悪戯ばするとたい。」
悪戯っぽく笑って話を続ける彼女。
「思い出の精は人の思い出の中でだけ生きられる妖精やっけん、
人が思い出ばなくすってことは、思い出の精の居場所がなくなるとたい。
そいけんが、思い出ばなくしかけとる人に悪戯ばして、
大事か思い出ばなくさんごと警告するとよ。」
彼女の作り話に最後まで付き合うと決めた僕は彼女に疑問をぶつける。
「ちょっと待って。その思い出の精っていうのは
人の思い出を作ることが出来るんだろう?
じゃあ、人が思い出をなくして自分の居場所がなくなりそうになったら、
自分で誰かの思い出を作ればすむことじゃないか。」
僕がそう言うのは分かってたという感じで微笑みながら答える彼女。
「思い出の精が操った思い出はすぐに元に戻ってしまうとよ。
思い出の精が消した思い出はすぐに思い出せるようになるし、
思い出の精が作った嘘の思い出はすぐに消えてなくなるし。
でもね、人が自然に忘れて消えてしもうた思い出は
思い出の精の力では元に戻すことは出来んとよ。
そいけんが誰かが大事な思い出ばなくしそうになったら、
完全に忘れてしまう前に、ちょっと悪戯ばして気づかせてくれるとたい。」
「・・・作り話にしても、そりゃ都合よすぎるよ。」
僕は、思わず口に出して言ってしまった。
すると、彼女は悪びれもせずに聞いてきた。
「なんで作り話て思うと?」
「だって、そんな馬鹿げた話信じられるわけないじゃないか。」
「じゃあ、昨日から松井君のまわりで起きとることはどげんね?
作り話のごたっことの現実に起きとるとやろ?」
返す言葉が見当たらず黙り込む僕。
夕暮れ時、暖かなオレンジ色の陽の光に染められた海と彼女の横顔。
気がつけば穏やかな海に太陽が随分と近づいていた。
彼女は東京へ帰る僕を、空港までわざわざ見送りに来てくれた。
出発ロビーへ入る前、笑顔で僕に声をかける彼女。
「また、帰ってこんね。」
「うん。」
「あ、そうそう。携帯の番号教えてよ。私のも教えるけん。」
「うん、じゃあ番号言うよ。090−****−****。」
番号を復唱しながら自分の携帯に僕の携帯番号を打ち込む彼女。
「よし、じゃあ掛けてみるけん。」
彼女がそう言って携帯の発信ボタンを押すと、
僕の携帯の着信音が鳴り、ディスプレイに表示された彼女の携帯番号。
「番号出た?」
「うん。」
「じゃあ、それ登録しとって。たまには掛けてきてよ。」
「うん。何かあったら電話するよ。」
「何でよ。何もなくても電話くらいしてくればよかたい。」
「うん、そうだね。」
「ほんとに掛けてきてよ。」
「うん、分かった。じゃあ行くよ、ありがとうな。」
そう言って、携帯をズボンのポケットにしまいこみ出発ロビーへと入る僕。
搭乗口へ向かう途中、ガラス越しのフロアに目をやると
僕に向かって笑顔で手を振っている彼女。
彼女に軽く手を振って飛行機に乗り込む僕。
機内の座席に着くと、僕は携帯を手に取り着信履歴で彼女の携帯番号を表示させ、
その番号を彼女の名前でメモリーに登録した。
ちょうど登録し終えたところに、キャビンアテンダントの女性が
携帯の電源を切るように促してきたので、僕は電源を切って
また携帯をズボンのポケットにしまいこんだ。
程なくゆっくりと動き出す飛行機。
滑走路で十分に加速すると、体がふわっと浮き上がるような感覚と同時に
離陸した機体が傾き始める。
僕は、窓の外で少しずつ小さくなっていく故郷の街並みを眺めていた。
羽田空港へ到着し飛行機から降りると、僕はすぐに携帯の電源を入れ
なんとなく彼女の携帯番号を表示させた。
電話してみようかななんて思いながら、とりあえずそのまま携帯をしまいこむ。
到着ロビーからフロアへ出ると一気に僕を包み込む都会の気ぜわしさ。
足早で空港の出口へ向かっていると、携帯の着信音が鳴った。
それは古木からの着信だった。
《何だ、今頃かけてきやがって!》と思いながら受信ボタンを押す僕。
『おう、久しぶり!ごめんのぉ、電話もらっとったとに全然気づかんかったばい。』
電話の向こうから聞こえる古木の懐かしい声。
古木の声を聞くと不思議な事に、
僕の口からは何年も喋ってなかった九州弁が自然に出てきた。
「本当やお前。まあ、何にしろ散々やったばい。」
『え、何がや?』
何も知らないという感じで受け答える古木。
『今どこにおるとや? 昨日、同窓会に行ったとやろ?
オイも行きたかったとけどのぉ。どげんやった? 楽しかった?』
「おお、おかげさんで楽しませてもらったばい!
久しぶりに帰った友達にひどかことするのぉワイたちは!
腹たったけん、もう東京に戻ってきたばい!」
僕は古木が、自分らが仕掛けた大掛かりな“ドッキリ”の
反応を探ってきてるのだと思った。
『何?何のことや?』
古木はあくまでもシラを切るつもりらしい。
「もうよかって。ばってん、南田だけは話しかけてきてくれたばい。残念やったの。」
『何ば訳の分からんことば言いよるとや。南田って誰?』
どうやら、古木はまだ“ドッキリ”を継続するつもりらしい。
「だけん、もうよかって。しつこかぞ。」
『いやいや本当に知らんて、そげん奴。オイの知らん奴やろ?』
「おお、そうかもの。高校3年間同じクラスやったばってん、
ワイは知らんとかもの!」
古木の“ドッキリ”にいい加減腹がたってきて、かなりぶっきらぼうに答える僕。
『え? そげん奴おったかなぁ・・・。まぁ、よかか。
東京に帰る前に一回会いたかったとけどのぉ。また、何かあったら電話でもしてきてよ。
ほいじゃね。』
「おお、何かあったらの。ほいじゃ。」
そう言って電話を切る僕。
しかし、古木たちは何のつもりで
こんなくだらない大掛かりなイタズラを仕掛けたのだろう。
そう思いながら、僕は携帯をいじって再び南田の携帯番号を表示させようとした。
ところが、何故か着信履歴からは彼女の番号が消去されている。
僕は立ち止まって、今度は確かに登録したはずのメモリーから
彼女の名前を検索したが、いくら探しても彼女の名前も電話番号も見当たらない・・・。
その場に呆然と立ち尽くす僕。
そして思い出したのは彼女が僕に、いたずらっぽく笑いながら言った言葉。
『思い出の精は人の思い出の中でだけ生きられる妖精やっけん、
大事か思い出ばなくしかけとる人に、ちょっとした悪戯ばするとたい。』