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クリエ・オスオン  作者: 浅上夢
戴冠式編1/3
7/12

第六章・誓約破綻

 守りたいと思った。

 それまで自分だけで手一杯だった己が初めてそう思えた。

 戦う敵は強大で、街の不良如きでは手に負えなかった。

 だが諦めてやるほど、己の意地は安くなかった。

 死ぬより辛い生とは、誇りを失うことだから。

     覚醒動悸、レナノルフの場合。


 進藤響と樋浦要の出会いは幼稚園まで遡る。父親同時が天体観測という共通の趣味を持ち、家族ぐるみでキャンプをしたのが最初の記憶だ。

 誰かに必要な人に育って欲しい、そんな願いを込めたと、彼女の父親に聞かされたのもテントの中だった。 

 両親の期待通り、彼女は多くの人から必要な人に育った。

 純粋であり優しかったが、一本木で曲がったことが嫌いだった、自分にも厳しく決めたことは何が何でもやり遂げた。

 両親の期待を超えて、彼女は驀進し続けた。

 ドゥルウという怪物と具象という対抗手段、それを知った彼女は躊躇うことなく具現師として覚醒した。

 その経緯を彼女は語ることはしなかったが、唐突に姿を消した父親がその切欠であると進藤は思っている。

 慰めなかったし詮索もしなかった、小さな言葉一つで決壊してしまいそうだったのだ。当時の彼女はそれほどまでに危うかった。

 進藤は何も言わずただ彼女の隣に立った。

「君の行く末を僕は知らない、だからその先を照らしたい」

 それが進藤の誓言であり、『炎』の源案を獲得した契機である。

 彼女は進藤の同行を許可し一週間という短い間だが共に戦う仲間として過ごした。

 そして、アレが起きた。

 九体の真紅による篶倉侵攻――『大侵略』。

 毎日、夢見る光景がある。輪舞する《腐毒鱗粉》が周囲の具現師を瞬殺、予知めいた危険察知で後退していた要も左半身を溶解させられる重傷、数分で致死に至る瀕死を負った。

『キミは逃げなさい、そしてあのドゥルウの情報を生きて伝えるんだ、ここで死んだらもっと多くの死者が出る』

 ボクはいいから、と要は笑う。その笑顔は進藤に一つの決断をさせるのに十分だった。

 進藤は要を守るように抱きしめた。

 死も覚悟した、恐怖は感じたが合わさる肌から伝わる要の心音でどうにか落ち着いていられた。

 目を閉じた彼に届いたのは靴の音、尋常ならざる暴力が支配する凄惨なる殺戮劇の真っ只中に、ひどく抑揚の掛けた声が響いた。

「お答えください、篶倉の具現師、貴方はワタクシの王となる御覚悟がおありでしょうか?」


 目が覚めれば見知らぬ天井があった。

 のろのろと上体を起こし周りを見渡す、カーテンで仕切られた個人スペースと枕元のナースコールを合わせるに病室だと予測した。

 徐々に記憶が回復してきた。

(そうだ、利穂って人に要を保護したと言われて)

 一手早く、《林檎売り》が要を奪った。鈴木結花という彼女達の仲間と一緒に。

 そして《林檎売り》について知っている情報を伝えて、記憶が途絶えた。

(集中力が切れたって訳か、本当に扱い難い)

 カーテンを開ける音、仕切りを開けた岩倉は進藤を確認すると、ベッド横のパイプ椅子に腰を下した。

「大丈夫そうやな?」

「……他の皆は?」

「柊は《林檎売り》を追っている、あいつ……第二からしつこく勧誘されているからのぉ、そっちの能力は折り紙つきや」

 岩倉は自販機から買ってきたであろう缶コーヒーを差し出す、受け取り開封、口に含んだ。

「隊長は上司への報告、銀髪は廊下を行ったり来たりしているわ」

 落ち着きのない奴や、そういう岩倉の膝も小刻みに上下していた。

「結花は、ワイの姪や」

 ぽつぽつと岩倉が語り出す。

「あいつもかなり難儀な生活していてのぉ、兄貴との生活がギクシャクしてワイが引き取ることになったんや。

 あいつを守る為具現師になった、だから何がなんでも、どんなことでもやるつもりや」

 足の震えが止まる、と頭を深く下げた。

「《林檎売り》の討伐作戦が組まれた、進藤、手伝ってくれ」

「あ、頭を上げて下さいっ」

 なりふり構わない岩倉に面をくらいながら、進藤は慌てて呼びかけた。

「あいつとの決着はどの道つけなくちゃいけないんだ、だから戦う機会があるなら僕の方こそ頼みたい」

 その後、なんとか顔を上げてくれた岩倉に連れられ、ブリーフィングルームまで足を運んだ。


 部屋には第四分隊の面々が出揃っていた。入室した岩倉と進藤に柊が「座れ」と短く命じた。

「《林檎売り》の所在が割れた……場所は進藤の言った通りだったよ」

 だが妙な点がある、と司が付け加える。

「戴冠式参加者はそれぞれ拠点とよばれる『皮被り』を解いたドゥルウを隠蔽できるアジトを保有している……そうだな?」

「《林檎売り》が言うには優れた結界を施した拠点は市内九箇所に設置されている、ってことだった」

「《林檎売り》の領域の能力は領域内からレルナを圧搾、ドゥルウを量産するというもので間違いないか?」

「樋浦要の姿を模した《十一桁の零》と、喫茶店を襲撃したドゥルウはその能力で造られた、と思っていい……それがどうかしましたか?」

 意識が途絶えた前に説明した情報の確認に、進藤は何か自分の与えたものに不備があったのかと不安になる。

「《林檎売り》の根城……廃墟となったボウリング場だが結界が解除されていた。だからこそ捜索などという手間も要らず発見できたわけだ」

「結界が……解除?」

「同時に《林檎売り》の領域も確認された、結界は領域と重複できない仕様か?」

「そんなことはない、同時発動は僕も確認している」

 そうか、と司は頷いた。

「タイミングが不自然過ぎるわ、何らかの罠であることは明らかね」

 つぶやく利穂の瞳に警戒が灯った。

「だが静観する訳にもいかん、先の鈴木結花拉致もそうだが」

 司が黒板の一部を甲で叩く、と波紋が広がり瞬く間に市内の地図に塗り換わった。そして続々と点る光点、その数は十四。

「これは?」

「《林檎売り》撤退後、お前が寝ている間に市内に《十一桁の零》が頻発しやがったんだ」

 守屋が引き継いだ言葉に進藤は絶句した。

「現在、枢機機関が全力を挙げて討伐に動いているが、《十一桁の零》の性質が原因で水際阻止もままならない事態だ」

「よってまずは早急に《林檎売り》を叩く。第一から第三、そして第五と第六分隊が市内に散っている、第四分隊は綾瀬と合同突入し《林檎売り》を撃滅する」

 説明を聞きながら《林檎売り》との対決、その後の要との決着について考えていた進藤は、自分の頬に刺さる視線に気づいた。

「それで進藤響」司が尋ねる「お前が倒れたのは、あの右手の剣に関係があるのか?」

どう答えるか迷った進藤は、司が隊では司令塔という立場であることを鑑み、結局はそのまま答えることにした。

「僕は『誓約破綻』だ」


 広大な空間は在り得ざる木々の群れで茂っていた。

 樹の太さは電柱程で天井に伸びる途中から三又に分かれている、変形した十字架を思わせる木々に葉はなく、まるで枯れ木。木の股には大きく開けた口のような空間がポックリ空き、薄い膜に覆われた球体が穏やかなリズムで脈打っていた。

 まるで受胎する古木、受精卵を彷彿するその球体が何を生むのか、結花には分からないがろくなものでないことだけは確信できる。

(ボウリング場……っすよね)

 記憶が正しければ市内のオオシマボウルの内装と一致する。

(確か『大侵略』の時にぶっ壊されて閉鎖していた筈)

 一階にゲームセンター、地下一階にレストランとボウリングエリアを設置した市内でも人気のスポットと記憶している。

(ユカちゃん思うに、大ピンチってヤツっすか?)

 視線を左右に移動、見渡す限りが古木の群れ、異変はそれに留まらない。

 廃墟の地下に木々が生えていることが奇妙なら、その十字架めいた古木に磔に処される人間の群れを何と称すべきなのか。

 枝と幹に手足を飲まれ拘束されている人体群――その数、実に四〇。

 ぐったりと首を伏せている者も多いが、半数ほどはまだ明瞭な意識を保っていた。

「目覚めましたか? 篶倉の具現師よ」

 数日振りの邂逅に結花は舌打ちを禁じえなかった。

「《林檎売り》……!」

「如何ですか、ワタクシの《腐実樹園》は?」

「最悪、トンネルの時の無位や団子虫はこれで作り出した手下って訳っすか?」

 ええ、と《林檎売り》が首肯すると、拘束されている具現師の男が罵声をあげた。

「ドゥルウ、こんなことをしてただで済むと思わないことだ、あの歪な圧迫感が消えている、結界を解いたのならこんな高密度のレルナが探知されない訳がない……もうじきここに篶倉の具現師達が流れこんでくる!」

「存じておりますとも、故にこれが最後の収穫となりそうだ」

《林檎売り》の発言と共に、男は苦悶を漏らしながら身をよじる。

 荒く、そして早くなる吐息、程なくして赤子が産まれた。

 卵の膜を黒色の肌をした腕が突き破る。男も大きく上体を反らし苦痛を表した。身体を揺らしながら発汗した汗が雫となって飛び散ると、その下で黒の異形がゆっくりと、ゆっくりと木の股から這い出てきた。

「アナタの協力に感謝します、篶倉の具現師よ」

 古木の消失、磔に処された四〇近い人間が自由落下し床に激突する、結花も小さく苦悶を洩らす。大した高さではないが、レルナを搾取された疲労から立ち上がることさえ出来ない。

 男はただ見上げ、睨むことで反撃した。

「感謝、だと、ふざけているのか?」

「本心ですよ、篶倉の具現師よ。仕掛けも回り始めた、準備も万端、あとはワタクシが上手く立ち回るだけだ」

 ようやくだ、と《林檎売り》は祈るように零す。

「日にすれば二週間にも満たない、しかしようやくワタクシは動き出せる。ワタクシに枷を嵌める王がいない以上、ワタクシはワタクシの力を出し惜しみしない」

「……何を言っている?」

「アナタ達に与えた役割はレルナを生み出し、ワタクシの配下を生み出すこと、まずは数が、ワタクシには必要なのですよ……しかし、アナタにはもうそれが出来ないようだ」

 結花は目を瞑る。これから起こる出来事を直視できないからだ。

 立つことさえままならない男と、その目の前には生まれたてのドゥルウ。

 闇で閉ざした視界、塞ぎようのない耳がいつまでも獣の租借音を聞き取っていた。

(庸介……っ)

 心の中で一度、結花は助けを呼んだ。


 オオシマボウル、市内で人気のレジャー施設は先月の『大侵略』、表向きはレストランからの原因不明の爆発及び火災という被害を受け閉鎖されている。

 寂れた外観を眺めながら進藤は一度、二度遊びにきた記憶が蘇り、思い返していた。

「作戦参加者は綾瀬の私兵団と私達第四分隊を合して三〇名となる」

 順々に車から降りる面々、最後に降りた利穂が周囲に待機している戦力を分析した。

「《藍》が二〇名、《夜天》が七名、《蒼天》以下が三名か、篶倉トンネルのような威力偵察部隊ではなく、本気の制圧戦のようね」

 黒服の一団に目をやるとネクタイを直しながら歩み寄る指揮官が見えた。

「同じ轍は二度踏まんよ、《林檎売り》の領域の効果が分かった今、もう少し戦力を用意しておきたかったのが本音だな」

 利穂と肩を並べると険しい表情で綾瀬が答えた。

「市内で暴れまくる《十一桁の零》に即応するため、全域配備を行っている、人海戦術だもの、これ以上数を貰うわけにはいかないわ」

「ああ、そうだな……そしてあれはどういうことだ?」

 綾瀬の眉間に深い皺が寄った。

「領域が解除された? いよいよ罠臭くなってきたな」

「あら、なんなら尻尾を巻いて退散する?」

「捻りもなく面白みがない冗談だな」

 言い捨てて綾瀬は一度、手のひらを打ち合わせると注目を集めた。

「向こうが何を考えているのかは分からない、だが領域を解除したのならばそれは僕の具象の施術が可能ということだ」

 言い聞かせるように綾瀬が続ける。

「村木班は副長が指揮、左から侵入、水澤班が右、黒木班が後方、僕と第四分隊が正面から突入する、津田班は四方を囲み逃げる敵があれば狙い撃ちにしろ」

 綾瀬の瞳に強靭な意志の光が宿る。

「篶倉トンネルの返礼だ、全霊で《林檎売り》を叩き潰すぞ」

 各々表情が引き締まっていくのを確認した綾瀬は、決戦場となるオオシマボウルを注視、誓言を唱えると具象を発動。

「戦闘区域の封鎖完了、全ての使用制限具象の使用を許可、一分後に突入開始する、散開」

 配置位置に駆ける兵士達を見送り、進藤は心臓が早くなるのを感じた。腕時計を確認、秒針の進み、その一秒がひどく遅く感じた。


 正面入り口の自動扉は守屋が生み出した烈風が叩きつけられ破砕、硝子を踏みしめ第四分隊と進藤、そして綾瀬班が侵入する。

 様々な筐体が入り乱れる店内は、閉鎖されているため無音、異質な緊張感に包まれていた。

「司、結花の位置は探れるか?」

 守屋の急かすような態度は答えがあれば即座に飛翔してしまいそうだった。

「逸るな新米、功を焦れば自滅するぞ」

 口を開きかけていた利穂が綾瀬に先を越され閉じる、と綾瀬班が横一列に並び前に出た。

「諸外国でドゥルウが篭城を行った場合、最も多く取られえる対応は何か知っているか?」

「知るか」守屋の返答を無視して「空想化処理した弾頭による建造物ごとの爆破だ」綾瀬は答えを示す。

「理由は明々白々」

 綾瀬は懐から《竜の喉》を取り出し前に構える、部下もそれに続いた。

「何処に潜んでいるか分からないからだ、特にこんなごちゃごちゃとしているところでは、な」

 綾瀬班六名による《竜の喉》の連続発動。衝撃波と爆炎が手前にある筐体群を破壊、砕片を散らし、爆裂音の奏者は掃射を続ける、鉄片を踏みしめながらゆっくりと前進。

「そろそろ来るぞ」

 破壊活動の意味を理解できない進藤は綾瀬の号令で警戒態勢となる。巻き上がる粉塵を突き抜けて一匹の無位が綾瀬に飛び掛ってきた。

 のっぺらぼうの顔に大きく開く真円の口、並ぶ犬歯も肌と同じく黒、闇色の牙が食らったのは綾瀬ではなく、立続けに発射される弾丸で、たどり着く前に四発を浴びて霧散した。

「掃射停止――風使い、煙を晴らせ」

 短い指示は守屋へのもの、一拍遅れて理解した守屋は風で煙を退かせる。

 見ろ、などと言われるまでもなかった。筐体に擬態していたドゥルウの群れが皮被りを一斉解除、店内に十数体のドゥルウが出現した。

 もし守屋が即座に店内を飛翔していたら奇襲を受けていた可能性はかなり高い、すべてがドゥルウである可能性があるためすべてを破壊するという単純明快な理論。

「その究極が建造物ごとの破壊ってわけか」

「まだ予想範囲内だ、この程度でいちいち驚くな」

《位置解析が完了。地下に《橙》の幻想色を確認、恐らく《林檎売り》だ》

 司の思考通信を聞き綾瀬は利穂に視線を向ける。

「雑魚掃除は僕達が適任だ、一階の制圧は任せてもらおう」

「了解、大物はわたし達が頂くわよ」

 兵士達は静かに散った。


 階段を駆け下り地下一階に到達した。

「結花!」

 レーン上に倒れる数十人の人間を確認、結花の姿を見つけ岩倉が走り出した。

「待て、マスター!」

 利穂の制止と岩倉の転倒は同時、血しぶきを撒き散らしながら岩倉が床に転がった。

 後続していた進藤は急停止、視線を走らせる。

「蜂か……!」

 岩倉を狙い撃ちにした狙撃主は壁に張り付いていた。中型車両並のスズメバチである。

「一匹じゃねえ!」

 守屋の声を聞き進藤も合計五箇所に停まる蜂を確認、同時に成人男性の二の腕に匹敵する針が向けられている。

 射線を遮るために階段まで後退、覗えば岩倉の体に針が突き立てられている。

「あいつら……!」

 殺気立つ守屋の肩を利穂が強く掴んだ。振り返る守屋の瞳には責める色。

「何故止める! このままじゃマスターが標本にされちまうぞ!」

「明らかに誘いよ、多角的な狙撃を回避しながらマスターと結花を救出するなど不可能過ぎるわ」

「……再生が発動してねえ、あの針にも《兜小金虫》が宿っている可能性が大だ」

「だからと言って無策で挑んでも蜂の巣よ、堪えなさい」

 進藤が何か言おうと迷っていると、言い争いに割ってはいる声が一つ。

「然り、手段がないのであれば大人しくワタクシの指示に従ってください」

《林檎売り》だ。いつものローブを目深に被り、手には木製の籠を提げている。

「我が同胞、同じ王を頂く家臣の一よ。ワタクシ達を裏切ったアナタをまずは討たねばなりません」

 出てきなさい、という《林檎売り》に応じようとすると利穂が腕を掴んできた。力は弱い、進藤を行かせることは反対だが代案がまだみつからないのだろう。

「僕は大丈夫だ」

 利穂の腕を振り切り前に出る。

「要は何処だ?」

「奥の部屋ですよ、我が同胞、そしてワタクシには分かる、今日が樋浦要様の最後の日だ」

 今日、樋浦要は《断罪するだけの存在》となる、《林檎売り》は断言した。

「お前は、《断罪するだけの存在》となったあいつにも仕えていくのだろうね」

「当然です」

《林檎売り》の即答。

「ドゥルウは名を偽らず、ドゥルウは誇りを捨てず、そしてドゥルウは信念を曲げない。ワタクシは概念存在、肉なきこの身であるが故、形のないモノに絶対の価値を置く。

 ワタクシも、もう一度問いましょう。

《戦血君》の騎士よ、王が己の血と肉を使い生み出した剣の授与者よ。

 何ゆえにワタクシの邪魔をなさるのですか?」

「それが彼女との約束だからだよ、《林檎売り》」

 進藤も即答する。

「人に害なす魔王があればそれを討て、《断罪するだけの存在》となれば彼女は人を殺す、なら約束の下、僕は剣を振るうだけだ」

「確かに今のあの方は意志も信念もない冷徹な現象そのもの。しかし《魔王の心臓》を完成させれば、させさえすれば、あの方の意識を取り戻すことも可能です」

「それだけは、絶対に許さない。彼女は選択した、八人の心臓を奪わないことを、魔王位を継承しないことを、解るか? あの、正義感の塊が、鬼風紀なんて呼ばれる、あいつが他人を犠牲にして生きた事実を、目覚めた時に許容できると本気で思っているのか?」

「では、醒めない夢にまどろみながら、永遠の眠りを与えるのが優しさ、とでも?」

 進藤と《林檎売り》の視線が正面からぶつかり合った。

「ワタクシは止まりません、この戴冠式において、彼女を王として従うことこそワタクシの誇りであり忠誠だったのですから」

「今更、曲げる訳にはいかない、か」

「ええ、戴冠式に残るはワタクシの王を含め五柱、宣言しましょう。

《暴賢帝》も《斬切姫》も、未だ見ぬ一柱、そして王を追い詰めたあの憎き《粉砕王》を、ワタクシは打ち倒し、《王の法典》を完成させる。

 それが、瓶詰めの心臓を彼女に渡し、仕えた、ムエリカ派の次期魔王《戦血君》の騎士《林檎売り》が出来る唯一の奉公なのです」

「結局、君と僕では平行線か」

「いいえ、違います、交わらぬ線であるならばここまで反目することもないでしょう。ワタクシとアナタの目指すところは対極、故にその場に到達するまでには必ず交錯しなくてはならない、アナタとの関係は今のワタクシたちの視線のようなものですね」

「……そうだった。曲げられぬ信念のもとに直進を続けるならばぶつかり合うのは必定、これは確かに平行線ではなかったね、して言うなら激突線、水と油ならぬ火と油、混ざらいじゃなく燃え合うような関係だ」

 どこかで聞いたようなフレーズに進藤は苦笑した。

「言いえて妙ですが、確かにその通り。残りかすでも残せれば勝ち、最悪なのは双方が燃え散ることですが、退く気がないなら是非もなし、では――」

 激しく燃えあいましょう、《林檎売り》は高らかに宣告した。


 走りながら進藤は迫る三条の飛影を確認した、床を舐めるように這っていた切っ先を跳ね上げる。大地から逆巻く稲妻の如き一閃が一匹目を両断。蝙蝠の翼を持つバスケットボール大の蛙――《水妖》が真二つとなった。

 切り返された《暴走思考》が迸る水平の銀光となって二匹目を迎撃、するうちに三匹目が間合いに入った。刃を返す時間はない、進藤は逆手に持ち直すと石突で《水妖》の頭を叩き、地に落とす、生きていることを確認するや、背中に刃を差込み床まで貫通、黄色の粉塵が舞い踊る。

「一撃で殺せなくなりましたね?」

「なあに、これからさ」

 騎士を名乗る《林檎売り》だがそれは王に仕える者の意味であり、本来の属性は個人で大量の部下を生み出し使役する《軍団職》。

(つまり、僕との相性は最悪ってことだ)

《暴走思考》の能力は装備者のテンションに呼応してレルナを増幅させる、というシンプルなもの。

 レルナのプールを乗算するこの効果は使い手さえ選べば破格の破壊力を誇るが今の進藤が使っても固定値が低く、生み出したレルナを攻撃力に変換しても《黄》や《黄昏》を一撃消滅させるのが関の山だった。

「しかし、ドゥルウの核たる『心臓』を狙わずとも、《黄》とはいえ一撃で構成レルナの全てを消滅させるとは、ふむ、並の具現師が見れば卒倒モノの逸品ですね」

《林檎売り》の驚嘆に進藤は検証の際の周りの反応を思い返した。

「だからこそそれは返却させて頂く、その剣は王にこそ相応しい」

「確かに、テンションが常時マキシマムな彼女が使えば、かなりの破壊力になるよね、これ、僕でこうなのだから、あいつが使えば《赤》や《真紅》だって一撃で殺せるのかな?」

「でしょうね、貴方の一刀を浴び、《橙》に貶められたたワタクシの事実を鑑みれば、恐らく可能でしょう」

 無駄話をしつつ進藤は額を拭う。肉体的疲労よりも精神の磨耗の方がよっぽど深刻だった。

(溜め込んだストックは使い切った、ここから先はボクの精神力次第か)

 消費し続けるレルナは否応なく精神と意識を消耗させる。

 進藤は感じる。意識が鑢でこそがれる感覚、意思が鉋で削り取られる錯覚、気を抜けば肉体は人形のように倒れるという確信。

 だからこそ、

「Oooooooooooooooooooooooooooooooo――!」

 獣のように、赤子のように、鬼のように、声を振り絞る。

「哀叫しろ! 号叫しろ! 絶叫しろ! 喚き散らせ!」

 刀身に刻まれた歌姫の美声に声を重ねて進藤もコーラスに加わった。感情を薪にテンションを燃やせ、常軌も正気も必要ない、狂気を注いだ凶器を握り、啼いて、嗤って、叫んで、吠えよう。

「Yeaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!」

 胸を反り息が続く限り声を絞り出す、音圧に周囲の《黄》が痺れたように動きを止めて《林檎売り》でさえ凝固した。

「――ワタクシに一太刀浴びせた時と同等のレルナ総量、これは少々以上に分が悪い」

《林檎売り》が指を振る、と、壁面に張り付いていた蜂が一斉飛翔、空中で絡まり合う。

「なんやあれ」

 唸る岩倉に全面的に同意しながら進藤はそれを見上げた。

 姿は変わらず蜂であった。

 しかし、大きい、否、大きいなんてものではない、とてつもなく巨大なスズメ蜂だった。

 部位として最も小さい頭部でさえ軽自動車とタメを張り、戦車級の体躯から伸びる、針はまさしく砲身だった。翅は戦闘機の爆音を何重にも重ねたような轟音を奏で、黄色の複眼が進藤を見下ろした。

《林檎売り》は仕上げとばかりに木製の籠を上へ放る、七つの林檎が蜂の体に取り付くと皮膚に進入、同化。

「先に言いますと、この《一角蜂》の等級は《橙》です」

《林檎売り》が右手を上げる。砲身が進藤に狙いを付け、

「全力で迎え撃たねば――死にますよ?」

 火を噴いた。超速度で打ち出される灰白色の弾丸、二メートルを超えるそれは針というよりは槍、と呼ぶのも正確ではなく、形のまま評すなら円錐……コーンだ。

 真正面から刃と打ち合う、着弾の圧力により進藤の片足が宙に浮く、何とか流し後方にすっ飛ばす、針は置き去りにされた自販機を貫通、壁にめり込んだ。

 ただの一撃でこの様か――ッ!

 いなしたとは言え尋常ならざる重みに右腕が消失したような痺れが走った。目で確認しなければ束を握っているという事実さえ忘れそうだった。

「進藤響、ワタクシはアナタを評価していた《戦血君》の騎士となることも、王の剣を受け取るということも、ワタクシに反論はなかった」

《林檎売り》は唐突に告白した。

「ですが、今のアナタは存在自体が不愉快です」

 煙が尾を引くその先、打ち出された針の代わりが肉の奥から這い出て来る。構成レルナの再分配で針を再構築したのだ。

「具現師は皆、強烈な望みを持っています、それはどんなに焦がれ、求めても現実的な手段では決して叶える術がない絶望的な望みです。

 具象という、自己の空想を『在り得ざる現象』として世界に顕現させる、なんて破茶滅茶な代物以外に縋ることが出来ず、そして命や誇りや魂を捧げてでも成し得たいという覚悟の基に彼等は具現師となります。

 進藤響、樋浦要様の隣に立ちあの方を支え続けよう、そう決心し具現師となったアナタは評価する、認めます、だからこそワタクシはアナタを同等の同胞とした」

 一息。

「だからこそ――ワタクシはアナタを侮蔑する。誓言を失い、具現師としての力を失ったアナタを――『誓約破綻』したアナタを。

 王は《魔王の心臓》の移植者達が争う戴冠式への参加し他の心臓を奪わないと決めた、そして《断罪するだけの存在》となった折はアナタに己を倒すよう頼んだ、その剣もそのためのもの、魔王の『第二種空想顕現術理』を受け継ぎ、アナタもそれを了承した。

 されどアナタは具現師の力を失った――何故か。

 答えは単純にして明快過ぎる。

 ――貴方は迷っているのですよ。『在り得ざる現象』となった王を討つということに、王の信頼と約束を無碍にするその行為、本当に辟易する。

 錯綜しながら迷走し、躊躇いながら躊躇して、未完の覚悟で戦場に立ち、半端な意思で友を斃すと嘯く。

 思いを欺かないことを信念と言うのです、行き先を決められない子犬が持てるようなものではない」

 それは激烈な糾弾、初めて見せる《林檎売り》の内心の吐露。

「せめてアナタが『誓約破綻』しなければワタクシも王を倒す助力も考慮できた」

 進藤は反論をしようとし、そして出来なかった。

「この期に及んでまだ誓いを取り戻せないなら、貴方はやはり臆病者だ」

 再び砲身が進藤に照準を合わせられる。

「御さらばです。進藤響、同じ王に仕えた者として、せめて苦しむことなく一撃で終らせましょう」

 ――そして発射。


 床から鈍色の壁が三重に生える。厚さ六〇センチを超える鋼の壁が針を防ぐが貫通、穂先が進藤の鼻先数センチのところで止まった。

《Cのデーモン》が組み立てた壁が間に合ったのを見て、梨穂はほっと胸を撫で下ろす。

「割り込みとは無粋、そもそも人質の存在をお忘れか?」

《林檎売り》はそう言ってレーン上に纏めておいた具現師達を見る、そして瞠目。

「……驚いた、ワタクシが全く気づかないとは」

 その全てが消えていた、体を縫いとめている針を引き抜き岩倉が立ち上がる。

 よろめく岩倉に飛来する弾丸、白刃が迎え撃ち、二分した針が梨穂の左右に別れ飛んで行く。背後で鳴る二重の破砕音。電光石火の抜き打ちが針を両断してのけた。

「弱った相手を狙い打ち、少し無粋が過ぎるわよ?」

《林檎売り》は無言、その顔には小さな驚きが含有されていた。

「やりますね? 確実に殺ったと思ったのですが」

「あーよく言われるわ、因みにわたしに倒された時に出る敗られ台詞の断トツは『馬鹿な貴様如きにこの私(一人称により変化)がっ!』だけど、あなたは何て啼くのかしらね?」

 言葉を終えると共に疾走開始。走りながら握る双剣を投擲、二条の銀光は《林檎売り》に殺到、払うように腕を振るうが空を切る、寸前で短刀二振りが霧に戻り、《林檎売り》の周囲で再び組みあがる――そして爆発。

 吹き荒れる猛火の中から《林檎売り》が抜け出す、梨穂は霧を纏いながら追走。

「決めるぞ、全員で仕掛ける」

《一角蜂》は立て続けに針を速射、豪雨の如き痛爆、上空から降り注ぐ鉄柱の如き針、足を止めず駆け抜ける。接敵すれば針による射撃は《林檎売り》に被弾する可能性があり、動きが鈍るとの判断だった。床を叩き割る騒音が鳴り響き、コンクリ片と土煙が宙を舞う。一瞬の遅滞もなく《林檎売り》に肉薄した梨穂は、再び双剣を握り接近戦を挑んだ。

 繰り出すのは最速最短の直線を辿る刺突、迎撃する右腕が橙色の閃光を弾き短刀を吹き飛ばした、手から離れるや霧となりバラける刃、一拍の間も置かず《林檎売り》の上段蹴りが唸る、腕から伝わる圧力で姿勢が泳いだため回避動作に移れない、直撃は避けられず当れば即死の一撃は、しかし横合いから飛び込んできた進藤が刃で受けた、が、威力に負けて数メートル後退、その間に利穂は姿勢を戻した。

 右手で握る直剣による突き、長身を生かした片手突きは、短刀ではリーチ不足、も余裕を持って後方に下がる、霧が渦を巻き短刀に絡まり形を組み替えた、《Cのデーモン》の効果の一つ、《変成》ホワイトキューブを合わせることで形を即座に変化する能力により、短刀は攻撃の最中に槍に変化、一気に間合いが倍以上に伸びる。

 目測を外された《林檎売り》は床を踏み抜く勢いで《点火》を発動、橙色の火花が散り、その身が飛翔、間合いを一気に空ける――筈だった。

「――ッ!」

 跳躍が停まる、突如生まれた壁が後方への離脱を妨げたのだ。その間に梨穂が迫る。下手に逃げるのは返って危険と判断したのか、自ら近接戦に移行、急激に迫る両者の間合い、激突する寸前で梨穂が横に飛翔、その先に柱を生み出し着地、即跳躍、三角飛びの要領で背後に回り込むと、槍を強く握り締め三度の刺突、回転しながら《林檎売り》が左腕で迎撃。烈々極まる攻防は弾幕の剣戟、火花と金属音が咲き乱れ吹き荒れる、嵐は三秒で過ぎ去った、二十四手を終えた所で梨穂が半歩退くと、槍を双剣に《変成》、両腕をピンと伸ばし切っ先を向ける。大よそ剣術の構えではない、続いて《変成》、変えた形は銃、同時に《林檎売り》の左右と背後に壁が出現、退路を絶たれ動きが止まった所で十二発の弾丸が炸裂、《林檎売り》の全身に浴びせられた。

「――全く……!」

 両腕を交錯し顔、喉、胸を守りながら、重く響く声を絞り出した。

「どれだけ怪物ですか、アナタは」

「そりゃこっちの台詞よ」

 梨穂の戦闘スタイルは殆ど奇術の域だ。戦闘空間に放出される超微細なホワイトキューブを組合し、雷撃や爆裂という現象、更には剣や柱と言う器物を速攻展開。更に攻撃の最中で《変成》すれば間合いが読めない一撃となり、回避しようとすれば、その先に罠を置く、予測不能の戦闘で敵を抹殺するという戦術は、暗夜の礫の如く、正攻法で対応することは果てしなく至難。ここまで食い下がった敵はそうはいない。

「わたし達で戦っていたら苦戦だけじゃ済まなかったわね」

「どういう意味です?」という《林檎売り》の問いは背後から響く重低音と震動にかき消される。

 翅は破れ、針が損なわれている、複眼も潰れもはや飛翔もままならない、《一角蜂》が墜落したのだ。

「茶番は終わりだ」

 不意に現れた綾瀬が幕引きを告げる。そして現れたのは一人ではない、《林檎売り》を囲うように二〇名を超える具現師が《竜の喉》を向けている。

「人質を消したのはアナタですか」

「死んでいたと思っていた村木が生きていたのも驚きだ、《十一桁の零》の初期被害者は殺していたのではなく連れ去っていた、という訳だな」

 進藤は堪らず声を出した。

「待て、そいつは」

「つまらん執着だ、犬にでも食わせておけ」

 綾瀬は一蹴する。

「それより貴様だ、これだけのドゥルウを抱え込み、さらに高度な結界まで所持しておいて、この最後の詰めの甘さ加減はなんだ? 何を企んでいる?」

「ワタクシはただ、進藤響への制裁を執り行う、それだけです、あの者はワタクシが自ら手を下さねばならないのです」

「つまり、あの子供をここに連れ込むのが理由、と? 目的を果たしたところで集結する具現師を排除できると本気で思っていたのか?」

「ワタクシの、王への忠誠が本物であるならば、いかなる逆風もそよ風の如きです」

「もういい、逝け」

 二十発を越える弾丸が《林檎売り》に集中した、『心臓』破壊による消滅は一秒必要なかった。


「一階の制圧は?」

「あんなもの三分で済んだ、柊からの思考通信でお前達のフォローに回ったに過ぎん」

「さすがは綾瀬の領域って訳か」

 膝を突いた進藤の頭上で言葉が交わされる。進藤はしばし、呆然としながら、ゆっくりと立ち上がった。

「そうだ、要」

 よろよろと立ち上がる、奥の部屋というのはスタッフルームか何かだろうか、進藤はそれらしき場所を探すことにした。

「拍子抜けだが、仕舞いとしていいだろう、村木を療養する必要があるので僕等は退くが、《林檎売り》の言葉の意味、《戴冠式》云々は後で報告しろ」

「……了解よ。さて、ドゥルウの量産を止めた以上、あとは生まれた分の対処ね、《十一桁の零》をどう対処するか、か」

 背後の会話が遠くなる。予想通り要はスタッフルームにいた。

 場違いに豪華なロッキングチェアは《林檎売り》が用意したのだろう。揺篭代わりに眠る要を見て、進藤は呼吸が速くなるのを感じた。

「約束、守るよ」

 進藤は《暴走思考》を振り上げた。今の要は自らアクションを取ることがない、この剣は容易く彼女の命を奪うことができる。

 一秒、二秒、刻々と時が進みカラン、という音が部屋に落ちた。

 同時に膝を折る進藤は低く咳き込むように泣き出した。

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