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クリエ・オスオン  作者: 浅上夢
戴冠式編1/3
4/12

第三章・ライオンとギロチン

 お前を決して裏切らない。

 お前を決して傷付けない。

 お前のために拳を振るい。

 お前のために命を張ろう。

 だからどうか知って欲しい。

 お前は決して独りじゃない。

     覚醒動悸、岩倉庸介の場合。


 砂利と埃に塗れたコンクリの床面は、靴越しにざらついた感触を与え耳障りな音を立てる。光源など一つもない、だから夜ともなれば完全なる闇に閉ざされるこの空間も、今はまだ日が傾きかける夕暮れ時、仄かな明るさが残っていた。

「空気が悪い」

 土と埃が混じる空気は水分を含まず吸い込めば喉にべったりと張り付き嫌な気分になる。人の住まぬ環境故に人に適しているはずもなく、ならばこんなところを根城にする進藤に非があり本来文句を言うべきではない。だから、最寄りのコンビにて買ってきたペットボトルのキャップを外すとスポーツドリンクを口に流し込み水分補給を行う。スニーカーの靴音の残響。玄関のない部屋に入り買ってきた食糧を乱暴に放った。

 洗面所に向かうと割れた鏡に映る自分の顔を覗き込む。青白い病人のような自分の顔が見返して来た。

「これはさすがにみんな驚くね」

 ここ数日ろくな食事を取っていない。飲まず食わずの生活……やつれて当然だ。

「まったく……情けないな」

 目を落とし、自然と出た己への皮肉。だからこそそれに返答があるなど思ってもいなかった。

「ええ、同感ですとも我が同胞」

 見上げれば、進藤の後ろに立つ者が鏡越しに目に入る。

「……《林檎売り》」

「今のアナタは見るに耐えません」

 それは明確な糾弾であるものの、声色はまるで平坦で怒りを感じさせない。相変わらずの無感情振りに進藤は苦笑する。

「何が可笑しいのですか?」

「別に、お前は変わらないなって思っただけだ」

「当然です」機械めいた声音を絶やさず「それがワタクシの誇りなのですから」

「そうか」声は平坦、しかしその裏に強固な信念を感じた「なら僕と君はやはり敵だ」

 進藤は林檎売りに向き直る。

「アナタは王を討つと仰るのですね?」

「君は戴冠式に勝てると信じているんだね?」

 正面からぶつかり合う二つの視線。進藤は意識せず右手に力を篭める。その動作に気づいた《林檎売り》の視線も右手に落ちた。

「王から授けられたその力……《暴走思考(ブラット・トゥ・ヒート)》は万能ではありません」

「分かっているさ」

 進藤は即答した。

「言われなくても、な」


 グラスに水を注いだとしよう。

 それを自分の人格(ベース)とする。その水は日々の経験、出来事を吸収し変化する、一〇余年で一応の完成を果たすだろう。人生を変えた切欠などと良く言うが、完成したベースを根こそぎ変化させるようなことはない。

 何故なら、言葉であれば一瞬、映画ならば数時間、それがどれだけ強力な影響力を持とうと積み上げてきた時間を超えることがなければ、結局は刺激にしか成り得ない。

《魔王の心臓》移植者を悩ませるのがこの問題だ。

《魔王の心臓》は移植者に莫大なレルナを配給する。『不可能域』を成しえる量だ、もはや筆舌に尽くせぬ代物である。だが同時に致命的な欠陥も併せ持っていた。初期獲得した源案に因んだ紋様として顕現する象徴痕に《魔王の心臓》は融合した。

 ひとたび、心臓を起動すれば融合した源案から爆発的な速度、そして量の情報が流れ込む。源案とは『世界記録書』に刻まれた一項である。源案を風としこの星の年齢を七〇億と仮定すれば、風に纏わる七〇億年分の情報が流れ込む。

 言うなればそれは九対一のカクテル。基酒(ベース)など跡形も無く消し飛ぶのは道理だった。

 

「林檎売り、要はどうした?」

「ワタクシが単独で行動している時点で検討は付いていると思いますが?」

「また消えたのか」渋面となる進藤に「最近は二日に一度の割合ですね」林檎売りは無機質に返す。

「既に保護されてしまいましたが、その者達、ワタクシが仕掛けるには少々手ごわい、また数日待ちますよ」

「頻度は増えている、それはつまり」

 大きく息を吸い、言葉と共に吐き出した。

「要は」進藤は林檎売りを真っ向から見据える「もうじき《断罪するだけの存在》となる」

「既に会話もままならず自発的な行動は何一つない……落ち切る寸前の砂時計と言った所でしょう」

「……お前が知らせたあの方法を、あいつは結局選べなかった」

「なればこそ、ワタクシは《戦血君》樋浦要様に忠誠するのです。他の心臓を奪うことなく十日戦い続け生き抜いたあの方を、並の具現師達が一瞬で自我崩壊に至った情報侵食、例えるなら生身を洪水に晒すに等しい蛮行、それほどの『存在干渉』に、彼女は良く耐え、そして今も戦っている」

「……『存在干渉』を唯一防ぐ手段が、己を除く八人の心臓を奪うこと、だったな」

「ええ、八柱の《魔王の心臓》を吸収することで正式に魔王位を継承したことになります」

 進藤は要と共に受けた説明を思い出した。

 情報侵食と言われる『存在干渉』をダイレクトに受けた場合、いかなる具現師も残らず自我崩壊に至る。そうならないのは、あくまで侵食を受けているのは《魔王の心臓》であり、移植者への影響は余波であるからだ。

 本来、《魔王の心臓》は移植者に影響を及ぼさない筈だった。蓋であり避雷針となるはずの心臓は、しかし九分されることでその効果もまた九分される。故に移植者達が『存在干渉』から逃れる術は、他の八人の心臓を己の心臓に吸収することだけだという。

 進藤はそう説明された。

「九分された心臓と『王の法典』、全て集め魔王九位の継承に至る、ね」

 それが、現在この篶倉で秘密裏に行われている大儀式――『戴冠式』の全容。

「そっちの都合で選んだ九人をそっちの都合で殺し合わせる……君たちはいつだって無茶苦茶だ」

「承知しております。九分された心臓に本来の機能が備わっていないことはワタクシを含めた全ての従者に知らされておりました」

「それでも《戴冠式》を辞め様とはしなかったんだな」

「ええ、具現師に心臓を渡し九柱九者を争わせる、それを持って戴冠式とする、というのが先代九位《侵食王(ムエリカ)》様の御意思でしたから」

 何度となくしたやり取りに進藤は大きく息を吐いた。

「……それで、お前はどうやって要を勝たせるつもりなんだ?」

「今はまだ種を蒔いている状態ですよ、芽吹かせるのはワタクシではありませんし、ワタクシの立ち回り如何では失敗も十二分にある」

「相変わらず要領を得ない奴だね、君は」

「仮にもワタクシ達は敵同士、答えただけでもマシと思ってください」

「ああ」進藤は頷く「最初から期待してないよ」

「では、改めて宣言します」

 別段力など込めず飄々と、

「アナタの邪魔立てなど意に介さず、ワタクシは我が王の魔王位継承を成就させます」

 告げる全霊の宣戦布告を、進藤は静かに受け取った。


 少女は無感動に空を見上げていた。

 自然公園の一角にあるベンチに守屋は腰を降ろしていた。隣に座る少女……司の調べによるに先月死亡とされていた筈の樋浦要はというと、何が面白いのか流れる雲をぼうっと見ているだけだった。

「樋浦、空なんか見ているだけで楽しいか?」

 呼びかけに要は一瞬こっちを見るも、しばらくするとまた興味は空に戻る。

 岩倉の家で預かっていた要は主に結花が面倒を見ていたらしいが、その扱いは四苦八苦だったのは言うまでもない。

 会話を始め、自分から何かしようとする気配がない。恐らく放っておけば衰弱死するじゃないかなんて思わせる亡失振りだ。

 司が名前を調べた後は多少声掛けにも反応し食事や入浴などもこなせるようになったらしい。「いい天気や、散歩でもしてきたらどうや?」なんて岩倉の発言により外にでた訳である。

「犬猫じゃ、ないんだぜ?」

 なにやってんだか、と守屋も樋浦に習い空を見上げた。

 のんびりするのは嫌いじゃない。しかし今は時期が時期だ。《林檎売り》は見つからず捜索は難航の一途で早くも挫折気味である。

何もしないのはどうにも落ち着かないのであるが。

 守屋の索敵圏は自身を中心とした5メートル程度。索敵具象としてのランクは《赤銅級》であり、正直ないよりはマシという評価である。

 テキトーに歩いていれば遭遇するかも知れない。守屋が散歩役に選ばれたのはそんな理由だった。

「まあ実際、そんな可能性は殆ど無いんだけどなあ」

 散歩で出向くような大通りに潜伏者が通るとは思えない。そもそも発見されたドゥルウにアタックを仕掛け迅速に敵を征圧するのが第一作戦室の役割だ。

 監視・捜索・解析を旨とした第二作戦室でもない限り捜索行動の効果は薄かった。

何が言いたいかと言えば。

(気を使われたなあ)

 ということだった。

 得手不得手を考慮し苦手な分野で根を詰め過ぎて本番で本領を発揮できないよりは、休める時に休み本番に備えよという配慮だろう。

 等級的には隊で二番手である守屋が、周りからフォローされるのは人生経験の差とも言えるが、

「……何もしないのはやっぱなあ」

 それでもやはり性格の問題が一番を占めるのであろう。

 結局、それから二時間公園でダレてから帰路に至った。

 

 面倒なことになった。

 それが進藤響の今の率直な感想である。

「おいっ! 進藤! シカトかこらっ!」

 男の乱暴な声に進藤は我に帰る。そこにいたのは月之宮学園指定の制服の集団五人。カテゴリー的にはクラスメイトということになる。

「ええと……安藤君?」

「何で疑問系だ? テメーはクラスメイトの名前も覚えてねえのか?」

「あ、いや」言いながら現状をどのように切り抜けるか模索する。

 安藤とその取り巻きは学校内では大人しい部類に入る。普通ではありたくない癖に、しかし本気でアウトローになることもない。数を集め弱い者を囲っては小金をせびる程度の連中だ。

「あのよお、進藤」と、安藤が馴れ馴れしく肩に手を回しドスを利かせてくる。

「おめえ無断欠席とかどういう領分だよ? 掃除とか日直とか面倒なもんが俺等に飛び火すんだろ? しかも俺等がそんな苦労をしている時におめえは学校休んで街でお遊びかぁ? 嫁も姿見せねえしハネムーンかこら? いい身分だなぁおい?」

 同意を求めるように安藤が取り巻きに振り返る。控える男達は嘲笑交じりに揃って頷いた。それを言うならお前等も学校はどうした、喉まで出かかった言葉は結局口に出しはしなかった。

「まあそんな訳で、だ。何だ? そういう所お前はどう思っていんだ? オメーの勝手で俺等が迷惑している訳よ? 気持ちとか筋とか通すものがあんだろ?」

「そう、僕の事情で君達が多大な迷惑を受けたことに謝罪と、そしてボクの代替わりになってくれたことには感謝する、ごめんなさい、そしてありがとう、じゃ」

 片手を挙げてその場を去る、ことなどやっぱり無理だった。

「おいこら待て、進藤! 何のつもりだ、そりゃ?」

 安藤の右手が肩を掴み、逃走を阻止する。

「君が今言っただろ? 気持ちや筋を通そうと思って感謝を述べて見ました」

「おうおうおう! 休みのうちに随分言うようになったなぁ? 随分と強きじゃあねぇか? 言葉の一つ二つで俺等の苦労が報われるとでも思っていんのか? 頭の悪いお前にも解るように言ってやろうか? 慰謝料と迷惑料を寄こせって言って・ん・だ・よ!」

 伸びた手が頬を抓ると顔を持ち上げ、振り払うように離された。痛みはそれほどでもないが頬が赤く腫れる。

「悪いけど、持ち合わせがないんだ、いつか払うからローンでも組んどいてくれ」

「テメェ、やっぱ喧嘩売っているだろ? 女房に守られているからって俺等が手ぇ出せないとでも思っていんのか? あんなクソ女、学校外なら襲って犯ってもいいんだぜ?」

 瞬間、右手に秘められた遺物がぐつぐつと不穏な熱を宿すのを感じた。

 ああ、解るよ、溜め込んだモンを早くぶち撒けたいんだろ?

(でもな、こんな相手にお前を抜くつもりはない、それこそ大事な燃料を使う気も、な)

 だから、

「出来ないことを口にしない方がいいよ、僕がいうのも何だけど、相当かっこ悪いぜ?」

 進藤は敢えて殴られることを選択した。ここで受ける痛みも、心を燃やす燻りなってくれるなら、それはそれで安いものだ。

 予想通り、眉根を吊り上げ安藤は「シネ」何て物騒な言葉と共に拳を振り上げた。何だかんだでこいつ等に殴られるのは初めてのことだ。なので、どの程度痛み付けられのは予想出来ない。

 そして、拳が振られた。同時に脇を抜ける突風。安藤はぶっ飛んだ。

「――はい?」

 高速飛翔し対象に直撃したのは、ドラム缶サイズの青いポリバケツだ。

中身も満載で近くの軽食店のものだろう。空いた蓋から異臭を放つ生ゴミが溢れ、安藤の上半身に覆い被さっていた。

 問題なのはそんな物体を、割と飛ばした自転車並の速度で打ち出す膂力。高校球児どころか、プロレスラーですら在り得ない怪力の持ち主は、

「いぇ~い、ストライクゥ~! 多勢で無勢を取り囲む、何か見るからに悪者っぽい連中発見! 正義的に死刑申請! 宇宙的に申請許可! 気分的に執行開始!」

「春日井さん? これが本当に仲間同士でじゃれ合っている場合とかそういう時の対処とか考えています? あとどうすんですか、あのゴミ? 連中絶対片付けませんよ?」

「あのねぇ相沢ぁ? あたしがツキガク時代何委員だったか覚えておいて? 風紀よ? 風紀。風・紀・委・員。つまり悪者とか不良をぶちのめすのが仕事なの、解る? 

――ゴミ掃除はお門違い、美化委員でも呼びなさい」

「あんたってやっぱどう考えても最悪最低だ!」

 かなりのハイテンションで突っ立っている、一組の男女だった。

「な、な、な、何だっ、テメエゥッ等ァッ!」

「おー、おー、威勢が良いねえ? ちょっと呂律が回って無くて聞き取り難いのがあれだけど、まあ、ギリギリOKかな? どうする? やり直したいならテイクツーまで待つけれど? あんま格好いい台詞でもなかったし続行でいいかな?

――さて、私が誰かと問われれば、」

「省略しよう。ぶっちゃけカツアゲとかダサいし辞めない?」

「ちょっとおっ! あたしの正義の名乗りを省略なんてどういう了見! 邪魔するアあんたは――エネミーか!」

「過去と未来はさておいて、この場だけなら味方以外の何者でもねえよ!」

 何か男の方もノッて来てしまった。まあテンションは感染するものだ。飲み会とか宴会とか。ただし精神的耐久力=堪忍袋がそれなりに強度な進藤と違い、安藤達は既にぶち切れモードに突入していた。血と怒りの温度の上昇を表すように真っ赤に染まる安藤達の顔、その中で青くなってガタガタと震える奴が一人いる。

「安藤、君、やばいっすよ、多分、その人、ぼふぁっ!」

 彼は何と言いたかったのか、射出されたポリバケツの第二射の餌食となり続く言葉は成されなかった。ついでにバケツを放ったのは男の方だ。何かこの人、さっきから女の方の名前がバレないように立ち回ってないか? そんな疑問が進藤に浮ぶ。

「いいねえ相沢ぁ! 負けてられないわ、あたしも張り切って正義ぶちかますわよ!」

 リボンで纏めた黒髪を揺らし女が突撃。繰り出す連撃は男達を確実に打ち抜いていく。頬とか脛とか肋骨に肝臓、腹、鳩尾、止めに金的。用は痛いところに火線集中大砲火。

 叩きのめしたいと、思っていた進藤を以ってここまでするか? と同情させる惨状だった。

「……やっぱりだ、あの人だったんだ……」

 バケツの直撃を受けたクラスメイトもようやく目を覚ましていた。這い蹲るように進みこの場を去ろうとしている。その唇が恐怖と共に、闖入者である女の名を告げた。

「……先代鬼風紀死刑執行(レディ・ギロチン)・春日井戒理!」

 轟いたその指摘に、安藤達は一斉に固まる。

「い、一夜にして雷斗仁愚の精鋭三十名を病院送りにした、あの春日井戒理か!」

「乗り込んできた他校の族をバイク諸共素手で蹴散らしたという、ツキガクOG!」

直感裁判(フィフティー・フィフティー)・樋浦要を以って敵わないと言わしめる、歴代最強の鬼風紀!」

「……春日井さんって、相変わらず自己主張の激しい人生送っているよね」

 呆れた風に言う少年の冷めた視線を受け、隣の少女は文句ある? 的に見返した。

「い、いや待て……それよりあの隣に立つ男……!」

 進藤は言われて男を見る。短く刈り込んだ金髪に鳶色の瞳。首にエスニック的なアクセサリーを吊るしたネックレス。半袖のカラーシャツからは鍛えられた腕が見えた。

 進藤には強そう、という感想しか出ないが、安藤は違ったらしい。

「金髪、首に巻く鴉の羽根のネックレス――相沢桂か!」

 今度こそ、安藤達は恐慌した。その顔から畏怖と畏敬以外が削げ落ちる。

「路上の掛け試合で百人抜きを成した喧嘩王!」

「災駆龍の頭をサシでぶち倒したという、あの!」

「春日井戒理と地獄の九本勝負を繰り広げた生ける伝説!」

「あらあら、随分と慎み深い人生ですね?」

 にんまり、と意地悪く笑いながら肘で脇をつつく戒理に桂は本気で厭そうな顔をする。

「いあ、いや、ちょっと待ってくれ、下さい? ははは、厭だなあ、僕達、単にじゃれ合っているだけでして」

 そう言って安藤が肩を抱こうとするので半身を逸らし躱した。その顔には本気の殺意が伺えた。

「すっ、すいませんでした!」

 もはや、それしか方法がないと言わんばかりに、安藤含む五人は一斉に土下座った。

「あら、自分の非を速攻で認めて、男としてのプライドを捨てての土下座なんて、中々にいい心がけね」

「じゃっ、じゃあ」顔に、一縷の望みを得たことで明るさが差した。だが、

「で、伝聞で知っている貴方達に問います。貴方達の知っているあたし達は、そんな薄っぺらい土下座程度で振り上げた拳を下ろすような、そんな緩い正義をしていたのかしら?」

 投げられた視線は、ギロチンの鋭利さを宿していた。

「まあ、アレですアレ。僕等を前に僕等の神経逆撫でするような行為をした、そんな自分達の迂闊さを呪ってください」

 浮かべる微笑には、肉食獣の獰猛さが滲み出ている。

 いや、まあ、何ていうのかな。

 進藤はこんな時にどうすべきか思考する。二つ名の通り執行される死刑を前に、合唱だけはしておいた。


「イタリアンプリン、アイスティラミス、たっぷり苺のモンブランとレアチーズケーキに杏仁豆腐パフェと抹茶パフェをお願いするわ」

「海藻サラダ、採りたてレタスサラダ、トマトサラダ、ほうれん草のソテー、コーンクリームスープに野菜ときのこのピザでお願いします」

「ギャグですか?」

『いや、マジだけど?』

 オーダーを取りに来た店員の顔が若干引きつっている。気持ちはまま解る。

「ほらほら、ええと進藤君だっけ? 後輩の不始末に対する詫びなんだから、君も頼む、頼む」

 店員の、オメーは何縛りだ? みたいな視線が痛い。

「ど、ドリア一つ」

 進藤は現在、近くにあった軽食店(桂がぶん投げたポリバケツの店)に来店していた。

 理由は、戒理が今言った通りらしい。お礼を言うのは進藤のほうだと思うのだが二人は聞く耳持たなかった。

「それにしても、すごいオーダーしますよね」

「糖分に殺されるなら本望よ、これ即ち女の極み」

「肉は嫌いなんだ、匂いで吐く」

「はあ」などと気のない返事をしながら、進藤はようやく思考が回復してきた。

(それにしても、春日井戒理に相沢桂、か)

 一年である進藤とは入れ違いのため顔までは知らなかったが、ツキガクに通うものなら誰しも一度は名を聞く人物だ。

 二人の逸話はさっき安藤達が説明したような物が他にもごろごろしている。片や鬼風紀として学校の平和を守り、片や孤高のアウトローとして夜の街に君臨するカリスマだ。

 前者は要が敬愛していた為に耳にタコができるほど聞かされ、後者はその人に匹敵する敵として同じく話された。水と油ならぬ火と油。混ざらぬのでなく燃え合うような関係とは要の言であり、常に激しく激突しあい白黒付けるために行なわれた九本勝負は、結局四勝四敗で卒業日を迎えてしまったという。

 一説には二人は高校を卒業した後、決着を付けるべく最後の一勝負を繰り広げているとも噂されていた。

 続々と並べられるオーダーで魔境と化すテーブル、ドリアを口に運びながら、

「そう言えばお二人の進路は? 今日は休講ですか?」

 ツキガク時代の話は良く聞くが、大学に行った後の二人の話は聞かない。どういう進路に進んだのか、興味から尋ねてみる。

「僕等は大学には言ってないんだ」

 桂はそう笑うと懐から一枚の名刺を取り出した。渡された進藤はそこに書いてある文字を読む。

「ユーティリーティーワーカー……?」

 名刺には聞きなれぬ職種と桂の名前が書かれていた。進藤が首を傾げるのを見ると、戒理が何故か勝ち誇った笑みを浮かべる。

「訳せば、何でも屋ってことになるんだよ」

「ほれ見なさい、何でも英語にすりゃいいってもんじゃないでしょ? 全然通じてないじゃん! あ、これ私のねー」

 そう言って戒理も名刺を出す。変っているのは名前くらいで、会社の住所も電話番号も一緒だった。

「二人で事業を起したんですか?」

「そんな大それたものじゃないよ」進藤の驚いた眼差しに桂は軽く手を振る「無名の零細企業だからまず仕事がない、殆ど遊びさ」

「確かに、犬の散歩に庭の手入れとか、普通に日雇いした方が儲かりそうな仕事ばっかりだしね。何か高校時代のバイトの延長って感じだわ」

「オマケにあんなオカルト紛いの仕事取って来ちゃって」

 桂は飲み干したグラスの氷を口に放ると、一噛みで砕き咀嚼する。どういう歯してんだろう。

「オカルト、紛い?」

 うん、と桂は頷き、

「十一桁の零という名の制裁人……聞いたことないかな?」

 その名を告げた。


 篶倉市外の一角、高級住宅街に一つの舘があった。

 高い塀で敷地を囲う要塞めいた舘は赤煉瓦作りの重厚な洋館であり、敷地の中にある洋風庭園には季節に合わせた色とりどりの花が咲き乱れていた。庭園の中心には噴水があり観光名所にでもなりそうなくらいに見応えがある。

 一枚の名画の様に栄える舘は神崎一門に在籍する綾瀬の邸宅だった。当時の綾瀬家頭領が上尾に行き着き白銀に忠誠を誓った後に築いた物だ。

 二階の、洋風庭園を一望できる部屋に一人の男性がいた。

 二〇畳を超える部屋には上質な赤絨毯が敷かれた部屋には所狭しに本棚が置かれている。その他一切の家具はなく、むしろ必要ないと暗に示しているのかもしれない。

「進展なし、か」

 男……綾瀬達巳はそう呟くと中指で縁なしの眼鏡の位置を正した。

「村木班捉えられない……増援すべきだな。橙の隠密能力でこうも逃げ続けられるのは異様だが」

ふむ、と綾瀬は思考する、それを遮るのは軽いノックの音だ。

「入れ」綾瀬の短い応答の後、ドアが開き屈強な青年が入室した。記憶と照らし合わせるに現在林檎売り捜索に駆り出している村木班の一員であった。

「どうした?」

 言葉の意味は表裏に一つずつ込めた。表が、この部屋への訪室を行うレベルの報告内容についてであり、裏には訪室権は班長にのみ付与しており、一般班員の男が何故ここに来たか、ということである。

「はい」と男は一度答えた数秒の時間を沈黙に要した。この部屋に訪れながらもその報告を逡巡する、そんな素振りに綾瀬は訝る。

「村木班長と連絡が取れません」

 意を決した様に告げられる報告に、綾瀬は表情を変えず応じた。事実何も感じていない、出来の悪い小説でも読んでいる様な心境である。

「昨夜、市内にごく短時間ですが高密度のレルナが発現し、即座に偵察隊を投入。現場は無人でしたが、現場には戦闘の痕跡がり、更に遺物級具象《竜の喉》と人間の右腕が放置されていました、識別印はC‐Ⅶです」

 綾瀬の私兵団に支給している具象にはそれぞれ所有者専用の記号を烙印してある。現場にあった《竜の喉》は村木が携帯していた武装でまず間違いないようだった。

「林檎売りに接触、そして倒されたというのが妥当か……?」

 自ら出した推測に、しかし綾瀬は納得できない違和感を抱く。

 ドゥルウの特殊能力である『皮被り』を考えれば体を一部であろうと残すことは不可解だ。違和感を肯定するように青年の報告が続いた。

「……同時に水澤班の班員が現場で錯乱しまして……」

 この世界で生きるなら身内の死など雨が降る程度の割合で遭遇する。その程度で錯乱するなど正直、覚悟が足らないと一笑に付す他なく、態々伝える内容でもないだろう。

 それを伝えたからには続きがある、綾瀬は先を促した。

「その班員は村木班長の遺物級具象と腕を見て『私が殺した』と泣き崩れまして……」

 直接報告など経験がないからだろうか、男は説明慣れしておらず言葉にまとまりがない。

「その班員はプライベートで村木班長ともめていまして……先日、喧嘩の流れで興奮しある噂を試してしまった、そう自供しました」

 そして核心。

「《十一桁の零》に村木班長の制裁を依頼した、と」

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