表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
クリエ・オスオン  作者: 浅上夢
戴冠式編1/3
2/12

第一章・狩人達の夜

 声が続く限り叫んだ。

 喉が張り裂けるほどに強く。

 溺れる子供のように我武者羅に。

 諦めが人を殺すというなら最後まで抗ってやる。

 だからテメー、ちょっと一発殴らせろ。

     覚醒動悸、守屋歩の場合。


「零時ジャスト、篶倉(すずくら)トンネルに高密度レルナの展開を確認。三分後、綾瀬が先遣隊を放つも踏み込むと同時に退路が絶たれたと入電、領域系具象であることが判明。七分後、トンネルの物理的な通行止めを終え一般人からの隔離を完了。十分後、先遣隊から交戦開始の報告、以後定期報告もなく、全滅と判断。

 んで、現在十二分経過中、我等、枢機機関第四分隊は現場へ急行中、何か質問は?」

 前方で赤に変わる信号を無視して三隅梨穂はアクセルを踏み込んだ。髪を短くまとめた細身の長身、だぶだぶのタートルネックにクラッシュタイプのジーンズというラフな格好の女が車内の面々に口早に説明する。

 守屋歩は窓に目をやる。逆立てた髪を銀髪に染め上げた三角ピアスの強面=自分が胡乱気な瞳で見返してきた。

 久しぶりの休日を謳歌しようと実家で惰眠を貪っていたところに緊急招集が掛かり、隊長である梨穂の車に乗り込んだのが一分前。

 そして今、法定速度? 何それおししいの? と言わんばかりに爆走するステーションワゴンが住宅街を駆け抜けている。一瞬で置き去りにされる風景を眺め、これならば三分もあれば現場につくな、と守屋は推測した。

「隊長ぉ、ユカちゃん思うにウチ等今日非番じゃね? 態々命賭けてドゥルウに喧嘩吹っ掛ける意味が分らないっす」

 右目だけを隠すように伸ばした不均等な前髪の少女、鈴木結花はケータイを早打ちしながら疑問を口にする。

「つーか、神崎一門が動いているならウチ等が行くとこじれるだけじゃん? オマケに綾瀬って介入されんの超嫌いだし」

「そんなの――金に決まっているでしょ!?」

 疑問は音速で返された。車内に「うーわー」という空気が漂い、オーディオから流れるアップ・テンポのラップが沈黙の中で虚しく流れ続ける。

「なによ、なによぉ、こちとら二十三歳で一家の大黒柱やってんのよ! 愛する弟が飢えて死んでもいいと言うのか!」

「ユカちゃん思うに、隊長は別に死んでもいいけど翔ちゃんは死んだらやだなあ、格好いいし、優しいし、今の時代とても稀少だもの」

「でしょ? でしょ? 私の自慢の弟だかんね! でもさあ、最近外泊多いのさ、避けられているのかな? どう思う?」

「ね? ね? 何で? どうして?」という梨穂のウザイ懇願に、車内の面々はそれぞれのやり方で回答を放棄。

「そらなあ」

 守屋の隣、身長一九〇センチの巨躯にスキンヘッドとサングラスという怪人、岩倉庸介の述懐。どう見ても軍人か傭兵かヤクザの、喫茶店経営者である彼が静かに言う。

「隠したエロ本見つけた後、見なかったことにして元の場所に戻して、定期的に確認して傾向を理解したらこっそり増やしておくとか、割と結構どうかと思うわ」

「えー? そういうの買うのって恥かしいって言うじゃん? だからお姉さんが変わりにですね」

「自分では完璧だと思っていた隠しスペースに、しかも性癖ばれたとしか思えへんような特集本が何冊もいつの間にか増えている方が自殺並みの恥辱や。

 ちゃんとした手順で引き出し開けないと中の物が燃えてしまうトラップとか、某殺人ノートばりの扱いをエロ本に施す高校生なんて、日本全国探しても奴くらいのもんやぞ」

「むー」とどこか納得できないように梨穂が唸る。気分の消沈に比例して車も減速する。

「利穂、脱線し過ぎだ」

 中性的な声で意識のシフトを呼びかけるのは助手席の柊司。シャギーを入れた亜麻色の前髪から覗く切れ長の瞳の容赦ない一瞥を受け、さすがの梨穂もたじろぐ。

 分隊結成以前からの知り合いで六年近い付き合いらしい、当時から利穂の舵取りを行っていたので軌道修正はお手の物だった。

「でもでも、このままだと家庭崩壊の危機じゃない? そうなるとわたし的にこの仕事を続けるモチベの崩壊になるんですけど?」

 司の嘆息。瞳に駄々っ子とお母さんの板ばさみになる店員の苦悩が浮ぶ。

「相互理解が必要なら話し合えばいいだろう。夕飯にでもさりげなく聞いたらどうだ? 『今後も密にアレな本とか買っといた方がいい?』とか、な」

 どこの地獄絵図だ、と喉まで出かかった言葉を噛み殺す。食卓で実の姉にエロ本買い物代行について問われる異次元的なシチュエーションを想像、意識せず顔が引きつった。

 全く戦闘前の空気じゃない、守屋は長い嘆息を吐く。ほどなくして現場に到着した。


 篶倉トンネル前、峠道は丙夜の静けさを粉砕する騒ぎになっていた。

トンネル前には漆黒のボックスカーと警察車両が壁を組み、赤色灯を点し一般車両を塞き止めている。気性の荒いトラックドライバーなどがクラクションを鳴らし、中には降りて警察と一悶着をしている場面もあった。

 現場近くに車を止めると扉をスライド、五人が一斉に下車する。外に出た瞬間ほんのりと冷たい夜気を浴び、薄着だったかなと守屋は自分の腕を擦る、と腕章の付け忘れに気付き慌て取り付けた。不気味に笑う案山子の上に、枢機機関第四分隊の文字が躍る。三隅梨穂率いる第四分隊の登場に現場を封鎖する筈の黒服が揃って道を開ける。

 向う先は指揮本部、警察と、この篶倉という土地に置いて警察以上の特権を保持する神崎一門に近づいていく。

 指揮官は組んだ腕を苛立った風に指で叩いていた。ダークスーツを鎧の如く着こなす眼鏡の痩身は、接近する守屋達を確認すると露骨に舌打ち。

「何しに来た?」イラつきを隠そうともしない問い。

「深夜のドライブよ」優雅な笑顔での梨穂の返答。

「急ぎの用があってね、邪魔だからこいつ等どかしてくれる?」

「ふざけるな」

 篶倉の警察を掌握する綾瀬の次期当主のプライドか、他の勢力の助力を拒んでいるようだ。

「この程度の些事に貴様等戦争屋の出番はない。大人しく諦観していろ」

「でも芳しくないでしょ? 実際」

 梨穂は優しく微笑んだ。こういう手合いとの交渉はいかに自尊心と地位を貶めず、かつ納得できる形に落とすかが肝となる、現段階では梨穂の手腕に期待する他ない。

「達巳、何度か貴方の指揮下で戦った経験がある一戦士として言わせて貰えば、貴方の力は信用に値する、本来ならこの程度の敵は些事、ということになるでしょうね」

梨穂は含みを持たせつつ続ける。

「でも、具象の基本原則にある様に『領域は重複しない』のよ。既に領域系具象が発動した場所に別の領域は展開出来ない。領域系は早い者勝ちですものね? そして貴方が力を発揮するのは大規模戦闘の指揮、巨大な領域と高度に訓練された集団戦闘のスペシャリスト達の合わせ技は、これまで撃滅してきたドゥルウの屍が実力を証明している。でも今回はその戦略の前提が封じられている、つまり威力半減って訳ね」

 痛い指摘を受けた綾瀬も苦い顔を隠しきれなかった。

「確かに今回は領域に踏み込んでの討伐、僕達の領分が防衛戦なら今回は攻城戦、いつもと勝手が違う、それで苦戦しているのは認めよう」

「手勢で劣勢、にも関わらず補強もなく戦闘を続けるのは如何なものかな? 特に今回は先に領域を展開された所為で、貴方特有の位相空間に転移しての戦闘及びそれによる隠蔽が徹底出来ない。スピード解決が重要されるのにあんまりもたついていれば、例え勝っても名将の名に泥が付くわよ」

 そこまで言うと、梨穂は喚き散らしているドライバーに視線を送る。ドゥルウとの戦闘・情報は世間に隔離する方針が取られている。そういう意味ではドゥルウ事件は余り目だって欲しくないのが本音で、これ以上長引き注目を浴びるのは確かに綾瀬にとっては面倒な筈だ。

「別にわたし達でなくとも身内に応援を頼んでもいいんじゃない?」

「……玖珂は別件で動いていて、相沢と春日井は相変わらず連絡が取れない」

若干苦味が増した顔で吐き捨てた。

「ならもう、神崎か、三本足しかないわね」

「神崎は『銀』の護衛、三本足はその補佐、こんな事で動くか」

 今度こそ本気で忌まわしそうに、神経質な視線をぶつけてきた。基本的に神崎一門は九席以下が動く。第一席から第八席、通称上尾八傑は『銀』の護衛、綾瀬の言うとおり「こんな些事」では動かない。

 更に言えば野心家な彼は神崎一門における自身の席次に満足していない、今後のし上がることを考慮すれば、なるべく単独で片をつけたい筈だった。

「つまり、貴方の手札はここにあるだけ、と。ならもうえり好みしている暇もないと思うけれど?」

「例えそうであっても貴様等の助力など請うつもりはない」

「だーかーらっ! 別に私等はあんたに契約を持ちかけてるんじゃないの、最初に言ったでしょ? 急ぎの用でドライブだって、あんたはただわたし等がここを通ることに目を瞑ってくれればいい、後は邪魔な小石を蹴って進むだけだから」

 その申し出に綾瀬だけでなく、背後に控える四人も目を丸くした。正式な依頼ではないのだ、今回は綾瀬と契約を結ぶ以外に報奨金は発生しない。

 契約を蹴る言いように、綾瀬の瞳に不信が灯った。

「本気か? 超上級の具現師であり、《最強》や《不可能可能者》とも呼ばれるお前が真摯にボランティアとは……明日は金でも振るのか?」

「おう、いいね。そしてインフレとか起こるんだ、わらえねー」

 視線の交錯は一瞬。

「貸しにでもする気か、ある意味、契約するより性質が悪そうだが」

「だから普通の私用なの、貸し借りが嫌なら、ここまで来るまでに割と飛ばしちゃったから、警察にマークされていたら便宜図っといて、それでチャラにしましょ?」

 綾瀬の逡巡。破格の申し出、だがそれ故疑心を抱かせる内容。それでも決断は二秒で決まった。綾瀬は黙って顎をしゃくる。包囲の一角が割れた。


 領域に突入した瞬間、視線の先には灰暗い闇が続いた。等間隔に設置された照明がトンネル内を照らし出す。妖しいオレンジの光を浴びた壁面は、まるで魔物の喉を幻視させ進むごとに嚥下される様な錯覚を生んだ。

《接続完了。各員接続の感度はどうだ?》

「OKだ、良く聞えているぜ」

「こっちもオッケーっす」

「異常なしや……うおおぅ、緊張してきたで」

「全員無問題ね、良い仕事よ、それで、具象解析は出来た?」

《四秒待て……簡易解析完了。領域系牢獄型、侵入は自由だが脱出は術者の打破が必要だな、典型的過ぎて面白みに欠ける》

 説明を聞きながら利穂が片手を振る、進めの意を汲み取りそれぞれが動いた。

 隊列はいつも通りの布陣だ。前衛に岩倉と守屋、中衛に結花、最後尾に梨穂、精神同調を得意とする司は領域外から支援に回っている。守屋達は四方に視線を配りながら漸進。

《領域の特性は未だ不明、解析完了しだいコールする》

「おっけー、ありがと」

 司の報告に軽く返すと利穂は「じゃあ」と部隊員を見渡し、

「注意深く慎重に、されど可能な限り速やかに、まあテキトーにいつも通りやるわよ」

 いまいち引き締まらない音頭を取った。


 進入から三分、敵影も見当たらず冷えた汗が背を濡らす頃。

「で、結局どこから金を取る気だ?」

 緊張から出た言葉。どうせ相手の領域内、既に動きはバレているので隠密性はあまり意識していなかった。

「うーん。たまにはボランティアもいくね? とか言ったら」

「戦闘放棄、声援飛ばすから頑張ってくれ」

 頷く一同。隊長・三隅梨穂への信頼の度合いを端的に表す言動だった。

「は、は、は。安心なさい、金は入るから」

「依頼者不在でかよ?」

「今回のドゥルウ、何を隠そう先月の『大侵略』で暴れた一匹よ」

 余りに自然に出た台詞の意味を解すのに、守屋は数秒を要した。

「って、待てこら!」出た声は悲鳴に近かった「『大侵略』の一匹だと!」

「そうよ、あんだけ暴れまくったからね、各方面から多額の懸賞がかけられているのよ」

「収入が申し分ないのは分かった、が、でも『大侵略』の生き残りってことは……」

 意識せず声が上擦る。それは先月のドゥルウ事件を思い出したからだ。篶倉市内に忽然と現れた九体の真紅級ドゥルウ。

 三本足まで出陣し、数十人の死者を出しながら事を収めた惨劇。

 その生き残りが、この領域の主だと?

「いくらなんでも無茶過ぎだ! 隊長はともかくとして、結花やマスターはよくて橙辺りが交戦できる限度だろ!」

「そ。銀髪の指摘通り、今回の敵は橙よ」

 利穂は続ける。

「消耗したのはわたし達だけじゃないってことよ、この場合連中の方が深刻ね、力を使い過ぎて位階が下がったもの」

 つまり、と利穂は言う。

「橙級を相手にしながら真紅級の賞金が出るってこと、これって結構おいしくない?」

 総員絶句。どういうルートで仕入れた情報かは知らないが、この目ざとさと嗅覚の良さにはいつも驚かされる。

「楽に稼ぐのがもっとーだもん、無茶はさせないわよ」

 なんて軽口を叩く利穂になんと返すべき、言葉を続けようとすると先頭に立つ岩倉が片手を伸ばし静止を呼び掛けた。細くした瞳の先に一台の軽自動車を見つける。領域の展開時にこの篶倉トンネルを通行していた一般車両だろうか。一見しただけでは乗員は見当たらなかった。

「ちっ、もう喰われてやがるか」

 岩倉の怒気を孕む呟き、周囲を警戒しながら車に接近する。後、三歩という所で守屋が右耳に通すピアスが見えない糸に引かれるように眼前の車を指した、足元から駆け上がる戦慄、守屋、そして司の絶叫が重なり、寸前で岩倉が真横に跳躍。

次の瞬間。獣の唸り声に似たエンジン音が轟く、無人自動車のヘッドライトが点灯すると急発進、間一髪で躱す岩倉を抜け、後続する守屋達に驀進。

「《皮被り》や!」

 振り向きながら岩倉が叫び個々で臨戦態勢を取る。守屋も目をスッと細め意識を集中した。

(羽根がなくとも飛べると知れ、この身はただ吹き抜ける一陣となる)

 誓言を唱え象徴痕を起動。右手の甲に四つのLが連なる卍のような紋様が浮かび上がると、守屋の身体が藍色の光に包まれた。

幻想色(レルナ)。強い感情に触発し励起され、個人の空想を周囲に顕現させるエネルギーが発光。

 空想を現実に侵食する、といっても幾つか制約がある。その一つが源案で、具象は源案を基にしたイメージしか実現できない。

 守屋は象徴痕に保存されている具象の中から一つを掬い上げ駆式開始。

 身の丈を超える槍、鋼の光沢、手に加わる重量感、鉄の匂い、そして風を吹かす穂先。只のイメージにレルナを注ぐ、さあ、仕上げだ、ただ想え、その実を持たない鋼の穂先が守屋という空想者を突き破り現実に侵食する程に強く、この槍がここに在ると信じ込め。

 藍色の粒子が無数の円環となり縦に羅列、徐々に収束し空想と寸分違わず、目の前に長大な半不可視の長柄槍が出現、守屋の手に収まる。

 先天系統と異なる器物系具象の発動、その為、位階は本来より一段階下がり赤銅級となっているものの、守屋によく馴染んでいるため展開速度が異様に速いのが特徴だった。

 半秒で展開完了。スポーツカー並みの加速で肉薄する無人車に突撃、槍を水平に薙ぎ払いつつ交錯。左前輪を引き裂き、無人車は弧を描きつつ暴走、トンネルの壁面に肩から突っ込みサイドミラーが吹き飛ぶと、車体が擦れ星屑の火花と甲高い悲鳴を巻き散らし推進力が失われるまで走り続けた。

「結花!」守屋の意図を察し「了解っす」結花は即座に追撃する。

「突撃爆破ガールッ! ユカちゃんいっきまーす!」

 結花は首に巻くコードを手に取り先端のイヤホンを耳に装着、胸ポケットに仕舞うMDの音量を操作、耳に流れる『Do it(やっちまえ)』の歌詞を口ずさむ。

 法則系・白銀級具象《加熱の刻印(ロック・アンド・バースト)》を起動。その能力は『視る』ことで対象の保有するレルナを熱に変換する。人間に使用すれば五秒で体温が百度を振り切り、存在全てをレルナで構成しているドゥルウならば爆破に至る灼殺の魔眼が発露する。

 動きを奪われた無人車は熱を帯びた視線を浴び続けきっかり五秒で炎に塗れた。

 轟音と衝撃波が周囲に吹きぬけ窓硝子が全て吹き飛び炎の柱が舞い踊る、焦げ臭い熱風と熱気、火の粉を振り撒きながら無人車の輪郭が陽炎のようにぼやけると端から緑の粒子となり分解、数秒後には炎諸共消え去った。

「――ふぅ、マスター、前衛があっさり抜かれるなよ」

「すまん、あんなんに擬態しとるとなんて、想像してなかったわ」

 互いの無事を確認するように軽口を叩くも、脈拍は中々平常に戻ってくれなかった。

 何より岩倉の言い分には守屋も同意している。

 ドゥルウの擬態能力である『皮被り』は喰った対象の容姿・能力・記憶を自己に複写するというもので、大抵、生物に対して行い社会に紛れるのが連中のやり方だった。まさか無機物まで複写するとは、守屋も初の体験である。

「まあ、いい経験になったんじゃない?」

 意地悪く言うのは梨穂である。特に慌てた様子もないのでこっちは何度か経験があるのだろう。

《……銀髪の反応が一拍遅れていたらマスターは轍になっていた、部下を殺す気か?》

 司の声には、珍しく怒りが篭もっていた。大音量の『囁き』でも受けているのか、梨穂は自分の両耳を押さえながら「ごめん、ごめん」と快活に笑っている。

「結果オーライ、結果オーライ、そんなに怒らないでよ。ついでに言うと、無機物に対す皮被りの逆に、皮被りを解いた原形が剣とか盾っていう場合もあるから気を付けてね」

「知れば知るほど無茶苦茶や、一体なんなんやねん、ドゥルウって」

 げっそりした表情で岩倉が肩を落とす。その後、深呼吸、前衛として最大の失敗を行なったので意識のリライトをしたいのだろう。

 再び隊列を組みながら守屋は岩倉の問いを反芻していた。

 太古より人間と果てのない死闘を繰り広げてきた存在に対し、人が知ることは余りに少ない。

「ドゥルウが何か、ね」岩倉が持ち直すまでの時間潰しに梨穂が返す。

「異界侵略者、さる具現師の具象、様々な憶測こそ飛交うが真実は一切不明。膨大なレルナでその身を構成する概念存在、故に物理攻撃の一切を遮断する反則者」

 梨穂は思い出すように続ける。

「複合具象体……というのが現在の見解かしら。レルナで肉体を構成しているからその栄養摂取も同じくレルナ……つまり精神ね。だからドゥルウはこの地球上で心を有し最も数の多い人間を襲い喰う。更に心、なんて曖昧模糊な概念で肉体を構成するが故、物理攻撃では干渉不能。『ナイフで心は殺せない』、知り合いの具現師の格言だけど、中々的を射ていると思うわ」

 篶倉に住み着くまで梨穂は国と土地を変えながらドゥルウと戦ってきた猛者だ。性根こそ腐っているが、その知識と実力は折り紙つき。全員が耳を向け傾聴の姿勢を取っていた。

「複合具象体、つまり連中は具象の塊なのよ。《心臓(オスオン)》という核に喰った具現師の具象とレルナを纏め、状況に応じ使用する。更にレルナで肉体を構成している特性上、わたし達より具象に長けているわ、レルナの絶対量にも尋常じゃない差があるし、何より工程ね。わたし達が思考で具象を発動するのに対し、存在が具象である連中は手足のように具象を繰る、意識的に行なうか無意識でも行なえるかの違い、だからこそ単体でも強力無比となり、その討伐は常に多数で行なわれる」

 保有する戦力の差は絶望的だ、と梨穂は宣言する。それは今までの経験からも理解していたが、隊を預かる者から言われると受ける不安も大きく変わる。

「でも、弱点もある。まずに連中は具象を生み出せない。その理由は源案を獲得できないから、わたし達が覚醒した時に繋がった《アレ》が、自分に害なすドゥルウに源案を授与するはずないもの。後は寿命の問題。わたし達にとってのレルナの消費は単なる精神疲労だけど連中にとっては血肉の消費、使いすぎれば、絶命する」

 だからこそ、対ドゥルウ戦術は常に二つの道がある。枯渇を狙った消耗戦か、核を破壊し即死を狙う短期決戦か、だ。

「さらに領域系具象の維持には四系統中最大の維持レルナが必要。敵が《赤》以上なら、それこそ十年は無休で展開することも可能だけど、今回は――《橙》、なら二〇分が限度、そろそろ維持限界が近づいている筈よ」

 すっかり指揮官の顔になった梨穂に、守屋はふと気付いた疑問を尋ねた。

「そういやさっきのドゥルウは? 倒したのに領域解除されないけど?」

「大抵の領域系がそうであるように、あれは敵の部下なのでしょうね、そもそも《緑》に領域系具象の行使は無理だし」

「ユカちゃん思うに、部下ってどのくらいいんの?」

「まあ、多くて二・三体よ。多数で行動するとどうしても索敵され易いし、ね。多くても術者も含め四体、この人数なら……まあ何とかなるでしょうね」

 そう締めると同時、前方に異変。照明が一際激しく点滅し、不意に消えた。

 濃い闇に落ちる前方に、ゆらりと浮ぶのは二つの紅点。紅点が近寄る毎に照明が落ちる。

 薄暗い闇に浮ぶ影は人の形をしていた。二〇〇センチ近い巨躯に針金を束ねたような筋肉で構成された四肢、指の先には長大な、鎌を思わせる鉤爪が伸び、一歩進むごとに地面を揺らし振動が足元から伝わる。

 目が慣れ全体を把握するに至る。二つの紅点は象嵌された双眸だった。血のような、もしくは燃えるような赤眼に、コールタールを浴びたような漆黒の肌が全身を覆っている。

 人の形態こそ模すものの明らかに人ではない――人外異形の獣の登場。

 それは無位と呼ばれる赤子、ドゥルウの初期形態で本来なら怖れるに足らない雑魚である。

「おいおい、ちょい待ちぃな!」

 岩倉の悲鳴、続いたのは結花だ。

「ユカちゃん思うに、確か領域内の敵は多くても三って言っていた気がするなぁ!」

「あれぇー?」

 広がる闇と増え続ける紅点。眼前に犇く無位は、既に二〇を越えている。

「ま、まあでも、無位なら例え大軍で押し寄せてきても物の数じゃないし、うん、誤差範囲内っしょ、まだ!」

 言い訳を始める梨穂を横目に睨みつつ守屋も槍を構えると、敵が動いた。

 カッターの刃を伸ばすような乾いた音が反響する。天を仰ぐ無数のドゥルウが鳴らす声は次々に重なりやがて耳を劈く音の津波となって脳を揺らした。

 そして唐突な殺し合いが始まる、否、食い合いだ。ドゥルウがドゥルウを食い始めたのだ。数十のドゥルウは壷の中の毒蟲の如く、蠢き群がり肉団子を形成しながら同族に歯を立てる。

 嘔吐感が込みあがるのを感じ、思わず口を押さえ、暫しの間、守屋はその異様な光景を前に呆然と立ち尽くしていた。

《呆けるな! 総員、全力攻撃!》

 思考通信からの号令。凍った時間が溶け出し自分達が今、途方も無い間抜けを晒したことに思い至る。

 先制するのは結花だ。矢のように飛ばす視線には《加熱の刻印》が載っている。対象を爆殺する視線を浴びるドゥルウの塊、しかし、

「ユカちゃん思うに――これって最悪!」

灼熱の視線は激突寸前で黄色の波紋に防がれた。

《幻想鎧》。レルナを大量に消費し具象の威力を減殺する結界の展開。

しかし、無位には絶対に発動不能な能力。敵の幻想色が緑から黄色に変色していた。これにより結花は無力化、守屋の戦力が半減したことになる。

 ようは共食いである。レルナで肉体を構成するドゥルウだからこそ出来る芸当、弱い個体を一つにまとめることで戦力を強化するという、まさしく蠱毒の融合だ。

 顕れたのは黒々とした球体。軽自動車を軽く踏み潰せそうな巨大なボールの表面は、滑らかではなく無数の突起が起こっている。それは人の上半身、絡み合った無数の無位が球体からはみ出し、爪をアスファルトに立て移動する。無数のパーツが個別に動くその様は、どこか百足やヤスデという多足類を彷彿させた。

 行くぞ、利穂が先陣を切り走りだし、岩倉と守屋がそれに続く。

《幻想鎧》の対策は、上昇した防御力を突き破る大火力による打撃、《幻想鎧》と同じ汎用具象《点火》による攻性強化で強引に突破、もしくは遠距離具象を連発し相手のレルナ枯渇を促すかだ。ただし後者は人間相手なら有効だが、莫大なレルナを持つドゥルウには焼け石に水、効果は期待出来ない、からこその前衛三名による速攻突撃。

 岩倉が梨穂の隣を抜けて球体に飛びついた。打ち出す拳は砲弾だ、紙細工を潰すよう、突起の一つ、無位の頭蓋を粉砕――同時に爆風。

「なっ!」疾走を停止、黒煙を貫いて岩倉が飛び出すのを確認、放物線を描き地面に激突すると、右肩、背中、左肩、の順に路面に叩きつけながら高速で転がっていく、徐々に速度を落とし七回繰り返しようやく停止、爆圧によるダメージで全身は焼け爛れていた。傷口から蒸気が噴出され岩倉の治癒具象がオートスタート、肌の表面が目に見える速度で再生され、跳ね起きると岩倉は小さく頷いた、戦闘続行は可能らしい。

「突起の一つ一つが爆弾か、微々ウザだな、こいつ」

「呑気に感想垂れている場合かよ!」

 破損と同時に自爆し攻撃者を迎撃する近接殺しと、具象を減殺・無力化する《幻想鎧》による後衛殺し、これは既に詰みではないか。

「そうでもないさ」

 梨穂は守屋の心中を見透かして、なお笑って見せた。

「なあ、お前達、具象とは何だ?」

 仲間にすら能力の全様を知らせない権化系・大奇蹟級具象《Cのデーモン》が展開、梨穂の周囲に霧が撒かれた。霧の正体は一滴が超微細な白色の立方体である。それらが自動的に組みあがり、二振りの短刀を形成する。

「具象とは、空想の顕現だ。源案という縛りはあるものの、それを基にしたイメージ、『在り得ざる現象』を世界に侵食させ顕現させる術……それが具象だ」

 梨穂は無人の野をいく気安さで無位の塊に歩みよっていた。唇を弓の形に曲げ玲瓏な声を響かせる。

「ならばわたし達具現師に『手詰まり』、『万策尽きた』、『詰み』なんて言葉は存在しない、何故ならわたし達の扱う具象は空想の顕現だからだ――いいか?

 思考を止めるな、意思を閉ざすな、空想し、幻想し、夢想し続けろ!

 手段も手札も、活路も血路も、勝機と決めての一切を!

 わたし達は、空想の数だけ用意出来る――だからっ!」

 跳躍、不用意に突貫する無位の塊に、岩倉同様飛びつき逆手に握った短刀を無位の胸に叩き込み横に薙いだ、無位一体を削り取るが――爆発は起こらなかった。

「――アイン・ソフ・オウル、わたしは無限、故にわたしに負けはない」

 踊るように舞っていく、ドゥルウの胴と、腕と、首の束が、銀光と共に球体の上を滑るように移動しながら片端から削り屠る。レルナ枯渇による消滅まで数分と掛からなかった。

(相も変わらず無敵まっしぐらだな、この女)

《最強》三隅梨穂の戦闘を目の当たりにして、守屋の肩は小さく震えた。

「てか、どうやって爆発を止めた?」

 思わず衝いて出た疑問に、梨穂は呆れたように肩を竦める。

「思考を止めるな、意識を閉ざすな、そう言った。自分で考えろ、馬鹿者」

 守屋を嗜めると思考通信が入る。

《前方四〇〇メートル地点にドゥルウの反応を確認した》

「完璧よ、それじゃあみんな、用意はいい? 大捕物を始めるわ」


 トンネル内に在りえざる古木の森に、薄汚いローブで全身を覆う長身が立っていた。フードを目深に被っているために性別は確認できないが、守屋達の接近に気が付いたドゥルウが、顔を僅かに上げる。

「今度はそれなりに兵らしい」

 低くくぐもった隙間風のような声だ。

「先遣隊はどうした、なんて、愚問でしょうね」

「さぁ、仰る意味がワタクシには……まあ有効利用させて貰いますがね」

 ドゥルウの腕には木製の籠がありそこに熟れた林檎が詰まっていた。姿と合わせると毒林檎を配る魔女を連想する。

「司、で彼女は?」

 利穂が言うのはドゥルウの隣に佇む少女のことである、若草色のブレザーと灰色のスカートは月之宮学園指定の制服である。彼女はどこかぼうっとして宙空に視線を彷徨わせていた。

《今のところ幻想色は確認できない》

「先遣隊の生き残り? どうにも腑に落ちないけど」

「ユカちゃん思うに、ドゥルウ倒せば万事解決じゃね?」

 ローブ姿のドゥルウは守屋達を一通り確認し「ふむ」と思案するように口許を手で覆った。

「邪魔が入りました。としましょうか?」

「あら? 夜はまだまだ始まったばかり、シンデレラでもないんだから、もうちょっと付き合ってくれてもいいんじゃない?」

「アナタ方は少々手強い、戴冠式も未だ中盤、《王の法典》の完成を前にあまり余力は使いたくないのですよ」

 言って、遅々とした動作でドゥルウは林檎を一つ手に取る。

「名乗りが遅れましたね、ワタクシはムエリカ派の次期魔王《戦血君(シャイローン)》の騎士、《|林檎売り(アンドゥリル)》。

 篶倉の具現師諸君、それでは良き夜を過ごされよ」

 言うや世界を覆う異質な圧迫感が消失する。真っ先に気がついたのは梨穂だ。

「領域が、解除された……?」

 疑問より先に守屋が動く、林檎売りの対応は林檎を放るだけだった。

 林檎売りの足元で林檎が跳ねて、守屋に向う。守屋の動きが一瞬遅滞、跳ねて、転がる度に動きが鈍り、そして停まる。

 何故なら跳ねて転がるその度に、林檎の体積が一回りずつ大きくなっていくからだ。

「おいおいおい」

 巨岩並みの大きさになった林檎に真一文字の横線が閃くとバクリと口を開くように割れ、切断面が地面に被さった。扁平で長楕円形の丸みを帯びた外観、側面からわしゃわしゃと無数の歩脚が溢れ、蔕が二股に分かれ周囲を索敵するように揺れる。

 ようやく、守屋はそれが林檎でなく丸まった赤い団子蟲であることを理解した。

「爆ぜなさい」林檎売りの哄笑交じりの指令。

 攻性レルナの圧力の高まりがこれから起こることを瞬時に理解させる。

(風で加速すれば爆発圏を抜けることは出来るが)

 視界の端にちらつく少女は一切の無防備、一秒後の攻撃に一切の構えを見せない。

(ああくそっ!)

 進路を変更、団子虫と少女の間に割って入り《幻想鎧》を展開、爆圧を強引に減殺しながら少女を抱きかかえ飛翔。自爆による横殴りの突風を浴びながら全速離脱を試みる。

 煙がトンネル内に充満し視界を塞がれ、その奥でドゥルウがこの場を去る気配を感じた。

「微々ウザ!」梨穂は守屋と林檎売りを交互に見る――追うことは無かった。

「ああもう、ホントに嫌なシチュね、これ」

「撃滅失敗。ユカちゃん思うに、綾瀬は喜々として嫌味いいまくると思うなぁ」

 暗鬱に翳る梨穂は守屋が抱く少女に目をやる。

「まあ、人命最優先ってことでいいっしょ」

 にしても、と梨穂はつぶやいた。

「もとからここはドゥルウの集まりやすい場ではあったけど、ここ最近の情勢は流石に異様よねえ」

 先月から頻発するドゥルウ事件にただならぬ不安を抱くのは、何も梨穂だけでない。これが何かの凶兆でなければいいのだが、そんな気分になるのは守屋も同様だ。

 炎の臭気が鼻につく、背後から車の気配、領域消失を確認し綾瀬が現場に踏み込んで来たのだろう。説明とか小言とか、色々面倒そうだなあ、強制された割に実りのない結果に守屋は「はあ」と項垂れた。

 少女を抱きかかえた腕に感じる熱が心地よい、今はこのまま眠りたい気分だった。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ