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クリエ・オスオン  作者: 浅上夢
戴冠式編1/3
11/12

終章・ラスト・デート

 泣いてはいけない、そんなことはない。

 恐れてはいけない、そんなことはない。

 屈してはいけない、そんなことはない。

 ただ忘れてはならない、何故戦うか、その理由を。

      アリス・ポールマンの手記より。



「アホなっ! 何でこのタイミングで魔王が登場するんや!」

 悲鳴に近い絶叫。程度の差はあれ、皆一様に《戦血君》の登場に動揺を隠せないでいた。

 そして何より、最悪なのは。

「進藤! ここは危険だ!」

 利穂は進藤が何かを言うより先に続けた。

「戦闘は二段構え、わたし達の失敗も考慮に入れてある!」

 このシチュはかなり不味い、第四分隊の敗北を見届けたのなら奴が動く。それより先に何とかして、

「やれやれ、結局こうなりますか」

 何とかして、やりたかったのに……!

「……《林檎売り》!」

 梨穂を無視して歩みを進めるドゥルウは、進藤に語りかけた。

「お久しぶりですね、僅か一日でここまで変貌するとは、些か驚きですよ」

 薄汚いローブを羽織るアンドゥリルは感慨深く要と、進藤を見比べる。

「要は、《断罪するだけの存在》となったんだね」

「ええ、《断罪者》という属性に染まった彼女ですが、それでも樋浦要様の要素が消えたわけではない」

「樋浦要が《十一桁の零》である、そんな共通認識を人々に与えることで要をそうなるように誘導した、それで要に魔王とドゥルウを始末させるつもりなのか」

「既に依頼は設定しました、《戦血君》、最初の敵はアナタですよ、進藤響」

 告げられた事実にそうか、と進藤は呟いて、そして笑った。

「感謝する、礼を言うよ《林檎売り》、僕がここで要を止めれば彼女の信念は守れるってことだろう!」

「然り、ワタクシ達の成否、三人きりで決めましょう」

《林檎売り》は告げる。

「領域開放、腐実樹――」

 領域が周囲を飲み干す、第四分隊を、桂と戒理を、存在するだけで、レルナを搾取する古木の森、これだけの具現師がいれば一体どれだけのドゥルウを産み落とすのか、そして、それらを前に進藤は果たして魔王とまともにやりあえるのか?

 絶望が心を満たす最中、それは起きる。

 声が途切れ、姿が消える。進藤、要、《林檎売り》、桂と戒理が唐突に、グラウンドから消失した。

「えっと、ユカちゃん思うに、これって何事?」

 夜風が吹き、これまでの戦闘が嘘であるかような静けさに満ちる。

「領域が発動すれば、ワイ等も飲まれるんやないんかい?」

 梨穂は虚空を睨む。

「空間跳躍? 違う、気配は確かにここに残っている」

 ここではないここに、彼らは確かに存在する。

「任意の対象を位相空間へ転移させる、こんな領域は篶倉には一つしかない」

 ハッと息を飲む隊員達、梨穂も半信半疑のまま、その憶測を口にする。

「綾瀬の領域、《八面鏡獄》だ」

「ユカちゃん思うに、何で今……?」

 論ずるまでも無い。

 あの晩、梨穂が言ったではないか。

「具象の基本原則にある様に『領域は重複しない』のよ」

 紛れもなく、これは《腐実樹園》の封印行為。

「綾瀬の奴、土壇場でアンドゥリルを裏切ったんか!」

 喜色を孕む岩倉に、迷いながらも頷いた。


「――な、に?」

 第四分隊の姿は消え去り、周囲は凍土のような静謐に包まれる。

 呆ける《林檎売り》、そして進藤とは裏腹に、桂が堰を切って笑い出した。

「こいつは、《八面鏡獄》? ハッ、流石は綾瀬、真性のドゥルウ嫌い!」

「へえ、従う振りしてハメたって訳? ちょっぴり好印象よ」

 その事実を受け止め、《林檎売り》は大きく息を吐いた。

「やってくれましたね、篶倉の具現師よ」

 その声は微かに震えていた。出し抜かれたことに対しての怒りか、それとも命の危機を感じ取っての不安か。

「第四分隊の姿は見えません、他組織を容易に使わないという、信条を徹底してとのことか、それとも疲弊している彼女達ではワタクシに吸収されるのを懸念したのか」

 この領域の中に綾瀬は存在する。直接戦力が権化系並みに足りない領域系が、護衛も連れずに術を使った、ならばまずはそれを叩くべきか。

《林檎売り》がそう方針立てした時だ。

「つうかそこの腐れ家臣、当然且つ見事に俺達を無視するなよ」

「あたし等だけこの領域に取り込んだってのは、つまりは足止めってことでしょう?」

 桂と戒理は、進藤と《戦血君》に背を向けて、立ち塞がるように《林檎売り》の前に立つ。

 二人は告げる、どこまでも軽く。

「ここから先は進ませない、だからお前は眼前の敵だけを見ていろ」

「ラスト・デートよ、進藤君、だから彼女をちゃんと満足させてあげなさい」

そんなやり取りを、《林檎売り》は吐き棄てた。

「――度し難い、ああ度し難いぞ、篶倉の具現師!」

 氷のように冷たく、機械のように冷淡に、起伏のなく感情味のない声に、始めて色が付く。

「何と言う侮辱。何と言う屈辱、初めてですよ、具現師、初めてワタクシは己の手で敵を殺してやりたい、そう思いました!」

 激情は燃えるように、《林檎売り》を吼えさせた。

「ワタクシ達、三人の問題に土足で踏み入った、それは万死に値する、ワタクシが直々に始末して差し上げます!」

 一息。

「九大魔王第九位、《侵食王》の後継、《戦血君》の騎士、《林檎売り》! ワタクシはワタクシの王のため、如何なる敵にも屈しない!」

「へえ、いいわ、全然そそらない奴だと思ったけど、そんな貌も出来るのね」

 受けて立つ、瞳で、声で、空気で、断言する戒理に桂が割り込んだ。

「腹壊しそうで気はすすまないが、仕方ねえか」

「そりゃ、私だって同感よ、あんなの刻むと変な感触残りそうで嫌だけどさ」

「……別に誰だって構いません、ワタクシはワタクシの邪魔をする者を等しく排除するだけですので」

 煮え切らない二人に苛立ち、そう挑発した時である。空間が霧に翳ると、不敵な声が三者に届いた。

「――なら、私がお相手するわ」

 ザッと砂を踏み、現れるのは女。驚きを見せたのは桂だ。

「お前、一体どうやって? ここはあいつが認めた奴しか入れないはずだぜ?」

「ふっ、ふっ、ふっ、不法侵入と無断借用は私の隠された迷惑特技の一つよ!」

 などとのたまい、三隅梨穂は剣を向ける。

「やられっぱなしは趣味じゃないの、付き合って貰うわよ、《林檎売り》」

「構いません、誰であろうとワタクシはその全てを薙ぎ払い、王の栄光を掴むまで」

 梨穂と《林檎売り》は互いに身構える。視線は相手を外さず、梨穂は軽い調子で残る二人に釘を刺した。

「まあ、そんなわけだから、あんた達は黙って観戦でも――」

 足元から伝わる地響き、何だ? などと思うよりも早く、極大の衝撃破が炸裂し、続く言葉を閃々に引き千切る。


 それは文字通り、戦闘の余波である。

 切り結ぶのは進藤と《戦血君》、歌姫の長剣と凶貌のハチェットを叩き付け、ぶつけ合う、動作としては至極単純。

 ただし周囲に及ぶ被害が絶大だった。

 大量の攻性レルナを注がれた剣と斧は、実の所全く触れ合っていない。刃と刃が触れ合う間際、磁石が反発するように、ギリギリと無音の鍔迫り合いを展開、数瞬すると剣と斧の双方が弾かれて、同時に爆風が薙がれるのだ。池に小石を投げ込んだように、二人を中心に波紋が広がり、緑と金の幻想色が吹き荒れ八方に拡散していく、更に、逆巻く風に煽られるよう、もしくは重力が逆転したかのように、大地と、その上にあるものが順々に剥がされ、宙を飛んだ。

 冗談のような光景、だが本当に笑えないのはこれが、校庭に生える木々や設置された鉄棒を引き抜き、体育館や校舎の屋根を掻っ攫う、風力階級十以上の風災が、実は剣と剣をぶつけあって生まれた火花程度の事象、ということである。

 関係ない他人を巻き込むな、と岩倉が言ったのはこういうことだ。

 ドゥルウで赤、具現師で紫、を超えれば戦略兵器に匹敵するとされる。

 例えるなら、魔王級の戦いとは核兵器同士がぶつかりあうようなもの。

 本来、街の一つや二つなど焼け野原と化すのが普通であり、ならば、

「魔王の戦いとしては、地味な部類になるのかな?」

 と、進藤は苦笑する。

 意図せず周囲を半壊させるような二次災害、そんなものではまだ温い、黄金、こと戦闘に特化したレベル・ナインと激突すれば、こんなものでは済まされない。

「綾瀬って人が裏切ってくれて良かった」

 だからこそ、魔王と戦うためには、現実の篶倉に戦闘による大破壊を起さない《領域》が必要だった。

「約束、果たすよ?」

 象徴痕が起動しレルナを増幅、《暴走思考》の歌姫が声を重ね更に強化、進藤の四肢に八つの装備された円環が更に増幅、際限なくレルナが膨れ上がった。

(何だろう? この感覚)

 肉体の温度は燃え盛り興奮と昂揚に熱る。

 集中力が絶頂まで高まり鋭敏化していく。

 死線にして死地、なのにまるで怖くない。

 何をやっても上手くいく、何をされても対応出来る。

 そんな錯覚。

 一種のトランス状態だから?

 半秒で生が死に反転する戦闘の最中だから?

(何かが、違う)

 魔王を相手にしている、なのに負ける、ということを想像できず、必ず勝つ、そんな確信が背中を押す。

(本当に何だろう?)

 進藤響は今、自分が神様になったかのように感じていた。

 

 梨穂の生み出した鉄壁は爆風の直撃に三秒持たなかったものの、それでも四者が戦闘圏から離脱するには十分な時間を稼いだ。

「俺が言うのも何だか、もう少し慎ましく戦えないのか、奴等は?」

 呆れたように呟いて、にらみ合う梨穂とアンドゥリルを見て、疲れたように息を吐く。

「やめとけよ、別にお前等が争う理由は無いはずだぜ?」

 桂の言いように、顔を顰めたのは双方同時。

「まず《林檎売り》、散々煽っておいて何だけど、別に俺も春日井も進藤に加勢しようとは思わない、だから、態々俺達に喧嘩を売る意味はない」

《林檎売り》の困惑した雰囲気を置き去りにして、桂は続けた。

「そもそも、領域を封じられた段階でお前が出来るアシストなんて皆無だろ? それとも剣戟の火花が暴風にまで発展する近接戦闘に突っ込むか? 蟻のように踏み躙られるだけだし、《王の法典》が失われれば本末転倒だろう? だから三隅、お前がそいつに突っかかる理由もこれで消える」

 会話の流れがこっちに及ぶとは思わなかったのか、梨穂は虚を疲れて慌てた顔を晒した。

「わざと負けたのは、進藤と樋浦を逢わせたかったからか? ここに来たのはその戦いの邪魔をさせないためって訳か? 殊勝なこと何より、だけどこいつにはそんな力はない、だから戦う意味もない」

 無言を守る二人に対して、口を開いたのは戒理である。

「わざと負けたの? あの隊長さん」

「綾瀬の領域に踏み込んだ、そしてさっき自分で言っただろ? 『無断借用と不法侵入』とかどうとか、それはつまり、あいつは他人の具象に干渉する能力を有している」

「……確かに、そんな素振り見せて無かったわね、そもそも、ジャック・スキルがあるのなら三重増幅をキャンセルできたワケだし」

 微妙な空気が流れる中、両者はまだ納得し兼ねているようだ。やれやれ、と肩を竦めると桂は《林檎売り》に耳打ちした。

「じゃあこうしよう、《林檎売り》、お前は《戦血君》に、俺は進藤に己の命を預ける。この戦いが終るまで休戦だ」

 告げられた提案の意味を、《林檎売り》はすぐには飲み込めなかった。

「進藤が負けたら、お前に俺の首をくれてやる、あそこまで頑なに挑もうとしたんだ、俺達の正体には察しがついているのだろう?」

「――正気ですか? 《緑》如きが《黄金》に勝てる、と本気で思っているので?」

 桂は答えず、その場に黙って腰を下ろす。その態度で全てを語っていた。それが癪に触り《林檎売り》も隣に座る。

「訊きたいのは二つ、そこの女隊長がワタクシに危害を加えてきた場合は?」

「あれはあれで筋は通っている、構えも取っていない相手を殺しにくるほど無法者じゃないよ」

 言われた梨穂は軽く舌打ち、楽しそうに微笑む戒理に促されその場に胡坐を掻いた。

「では、王が敗れた場合、ワタクシはどうすれば?」

「それは俺が決めることじゃない」

 妙に力の篭もった言葉に《林檎売り》は首を捻る。これは一種の賭けである、なのに一方の掛け金が不明ではフェアではない。なら誰が決めるのか、その問を投げるより先に桂は戦いに意識を向けてしまったので、疑問は心中に残された。


 戦いは既に人の領域を逸脱し始めていた。光り輝く軌跡を残しながら進藤は疾走。並走する《戦血君》と剣の応酬も行ない、生ずる無尽蔵の衝撃破が周囲に破壊の限りを撒き散らす。広大な敷地を持つツキガクの、端から端まで一気に駆け抜ける、その時、眼前に妙な圧迫感を抱いた。

(領域の端、かな?)

 封鎖型の領域は任意の空間を外界と完全に分離する。風景としてはその先があっても、見えざる壁が通行を邪魔し、脱出を妨げるのだ。綾瀬の領域は最大で篶倉そのものを封鎖できる、だが、今回は括る相手が魔王なのだ、硬度を重視してツキガクのみを対象としているのだろう。

 だから、こんな芸当も可能だった。

 見えざる壁とは見えないだけでそこにある。ならばと、進藤は壁目掛けて跳躍すると何も無い空間を蹴りつけ夜の空へと登り始めた。

 垂直上昇する進藤と《戦血君》はその間さえ複雑に剣と斧を絡ませている。叩きつけ、切りつけて、時に受け、返し、また返し、その度に緑と黄金が藍の闇に華を咲かす。

荘厳華麗な戦闘は、しかし壮絶な削り合いだ。

 進藤は全力である。上級ドゥルウ並みのレルナを一つの攻防、移動に消費して、象徴痕、円環の籠手、歌姫を刻む長剣を以って増幅。三重増幅を行って得たプールは、しかし3秒として保たない。

 熱した鉄に水を掛けたように、進藤の身体からは絶えず緑の幻想色が噴出されていた。

 同時に、《戦血君》も必至である。

《戦血君》は進藤の攻撃を全弾パリングしている。『在り得ざる現象』と化した彼女はドゥルウ寄り、恐らくレルナの再分配による損壊修復も有している、半端な攻撃なら即座に回復されるだろう。もしも進藤の攻撃が取るに足らないものならば、適当に身体を噛ませ接近し、一刀で息の根を止めればいい。

 それをしないということは。

「僕の攻撃は有効ってことだろ!」

 幾ら魔王といえ、真紅級の構成力を込めた攻撃を受けてなお突撃するなど無理があり、浴び続ければ只ではすまない、上に、そのペースに付き合えば保有レルナも壮絶な勢いで消費する。意志力が希薄な要に象徴痕の起動は不可能、《魔王の心臓》のプールを失えば戦闘続行は不可能となる。

 この削りあいを続けるだけで勝敗は決するのだ。

 見えざる足場を利用しての上昇も長くは続かない、横としての限界があるように、縦にもその上限は存在する。

(月にだっていけそうだってのに)

 天井の接近を感知して進藤は迷わず足場を蹴った。ぐるん、と宙返りをしながら夜空にその身を投げる。見下ろす校舎は粒のように小さく、そして遠い、街明かりが描く地上の星空に急速降下。《戦血君》もまた進藤を追い、担ぐような姿勢から斧を振り下ろす、寸前、進藤の肌が粟立った。見間違いではない、《戦血君》の武装が一回り大きくなっていたのだ。本能で危機を察知し思わず受ける、そしてそれが正しいことを、進藤は身をもって知った。

 重さが倍増された一撃は、進藤を一条の流星として、ツキガクの屋上に叩き落し、三階天井、三階床、二階天井、二階床、一階天井と順々にぶち抜き、大地へと叩き伏せた。


「……死んだ?」なんて物騒な物言いは梨穂。既に超人漫画めいた戦闘となっており、目で追えている者は少ないだろう。

「いや、生きているな」

 鼻を動かして桂は答える。その桂に疑問を挟むのは戒理だ。

「いきなり攻撃力が跳ね上がったけど、今まで手を抜いていたのかしら?」

「それはない」桂は即断で否定。「あいつは《断罪するだけの存在》だぞ? 断罪に全力で取り組むだけの存在、進藤同様に初っ端から全力だ」

「攻撃力が上がったのは、もっと単純なルールってわけ?」

 梨穂の指摘に桂は頷く、答えを告げたのは意外なことに《林檎売り》である。

「能力ですよ、あれこそ、《戦血君》樋浦要様が誇る《第二種空想顕現術理》その二振り目、《激情本能(レイジング・ハート)》はレルナが消費される毎に、質量を増大させ威力を上げる」

 なるほどね、と戒理は納得した。

「どうやら要はあらゆる手段で進藤君の退路を絶ちたいみたいね。進藤君? これが最後だから、一秒でも長く居たい、なんてセンチな理由は、彼女のお気に召さないみたいよ?」


 数百メートルの高度から地上に叩き付けられたわけだが、外傷は一切なく無傷だった。常識離れした己に呆れながら、そんな自分を圧倒する《戦血君》に畏敬を抱く。

 これが魔王。ドゥルウ最高等級にして、この世に九つ限りの最悪と称される、史上不敗の絶対者。そんな次元違いの存在になってしまった幼馴染に抱いたのは、不思議な事に今までの記憶だった。

「……そう言えば昔から焦れた奴は嫌いだったよね?」

 パラパラと零れ落ちる埃や砂の雨を浴びながら、進藤は大の字で地面に転がり自身で穿孔した穴を見上げていた。

「ビシッと決めて欲しいのかな、やっぱり?」

 決して明かすことのなかった二振り目の武装、《激情本能》。進藤はその性質を既に理解していた。

「半端に追い込めば逆に危険、つまりこう言いたいんだろ?」

 確固たる信念と覚悟でもって、一撃の下に僕の心臓を穿ってみろ。

「やってやるよ」

 正直疲労は限界だった。象徴痕の起動は三桁を超えている。恐らく気を抜けば一瞬でこの身は糸の切れた人形のように崩れ落ちる。進藤は無理やり身体を起すと数歩だけ歩き振り返った。奇妙な偶然だ、ここは進藤と要のクラスでもある。

 もう二度と、彼女と共に来ることなどないと想っていた場所。

 穿たれた穴は天井の月の光を誘い込み、青白い光柱を生む。無音の着地、月の光と共に真紅の衣装を靡かせ、《戦血君》が追ってきた。

《戦血君》の金瞳が水平移動、進藤を認め、双方同時に床を蹴る。

「哀叫しろ!」

上段より振り下ろされる斧、下段から掬い上げられる剣、前傾姿勢で激突する両者は、拮抗する破壊力を前に完全静止。

「号叫しろ!」

 剣から放出される翡翠の幻想色と、斧からあふれ出す黄金の幻想色、二色が絡まり、荒れ狂い、教室に金と緑の光が渦を巻いた。

「絶叫しろ!」

 信じている、ただ信じている。

 彼女の望みを叶えたい、そう思う自分自身と。

 自分を終らしてくれる、そう思ってくれた彼女を。

 進藤響はただ信じて、

「喚き散らせ!」

 この瞬間に、全霊をぶつけようと更なる力を込めて、

「Yeaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!」

 放った一撃は生涯最高の一撃。

 恐らくドゥルウであれ具現師であれ、防御不能な威力を誇る。

 実際、魔王の手斧も大きく後方に跳ね上がり、無防備となった細身に、長剣が深々と突き刺さった。

 まさしく生涯最高の一撃である。

 迷い無く万人を退ける覚悟と意志の元振られた一撃は、誰にでも可能なものではない。そもそも、魔王に手傷を負わせた具現師自体が稀少である。彼は賞賛こそされ貶される謂れはない。

 故に、


 仕留め切れなかったのは、単純なる戦力差に他ならなかった。


「Oooooooooooooooooooooooooooooo――!」

 吼えたのは《戦血君》でも進藤でもない。彼女が握る手斧が叫んだのだ。

 斧に刻まれる貌が更に醜く歪む、怒りに、憎しみに、殺意と闘志を爆発させ猛り狂う。

《戦血君》は頭上で一回、身の丈を超えるほど肥大化した斧を旋廻させた。

 ただそれだけで、机を、椅子を、扉を、壁を、吹き上がる烈風が残らず蹂躙し、至近距離から炸裂する圧倒的暴力を前に、進藤は為す術もなく吹き跳ばされる。意識も思考も粉微塵、混濁し混沌し、自我が喪失、する寸前に見えたのは顔、黄金の光の中で無表情な瞳と交錯する、思わず手を伸ばし――

 霧消する、消滅する、消え去り壊れる、進藤響は絶対的な虚脱感に沈んでいった。


 一階が残らず吹き飛んだ、のみならず、支えを失った二階より上も、重力に任せ自由落下する。硝子細工を高所から落としたかのように一瞬で瓦解する学び舎は、例え現実のものでないにせよ、背筋を凍らすのには十分だった。

 校舎から距離を取り、グラウンドの隅へと移動していた四者、暫し呆然とそれを眺めていた。夜気とは別の冷気が四者を凍らす、同時に、蒸すような熱が喉を焼き、乾いた口腔内に大量の唾液を生んだ。

「ええと、相沢? 今のって?」

「単なる斧の一振りだ」

 目の前で校舎を爆破された。そんな超絶破壊力を、ただの一言で説明する。

「レルナの消費が攻撃力を上げる、とは、奴にとっては、命を削れば削るだけ威力が上がるってことだ」

 進藤の攻撃に対抗するため、向うも多少なりとも《点火》による迎撃をした、だから攻撃力が徐々に上がり、そして今、進藤の攻撃は《戦血君》に大きな傷を与えた。

「文字通りの致命傷、瀕死に等しいが、同時にそれは《戦血君》を爆発させる、奪われた分、失った分だけ威力を上げる《激情本能》、その結果があれだろう」

 崩壊する校舎から雪崩の如く迫る煙、それを指す桂に戒理は声を潜めて耳打ちする。

「それは解るわよ、それを踏まえても有り得ないわよ、この威力、明らかに《粉砕王》を越えているわよ!」

「あいつに限らず同じことをやれ、と言って出来る奴なんていやしないよ、断言するが《戦血君》はこと攻撃力という一点において型に嵌れば、九柱九者の頂点だ」

 掻いた胡坐の上で頬杖をつく桂は「さて」と改める。鼻はある事実を桂に報せていた。それは進藤の意思消失であり、このままではただ殺されるのを待つのみだ。

(咄嗟に展開した《幻想鎧》で即死は免れたか)

 桂は、届く事のない言葉を投げかけた。

「進藤君、寝ていていはやられるぞ、まだお前は《戦血君》の心臓を破壊してはいないのだからな」


 煙る視界、咽こむような土臭さの中で、進藤は両膝を付き《暴走思考》を杖として倒れることにかろうじて抗っていた。

「それとも、こう考えているのかな? もう自分じゃなくても彼女に引導を渡せる、ならここで彼女に殺されてもいいのでは? 等と、そんなふざけた思考をしているのではないだろうな?」

 耳に届く声は異国の言葉、かき混ぜられた頭では内容を理解するには及ばない、でも、とても大切なことであろうと、無意識で直感していた。

「ならば言おう、今死ねば無駄死にだ」 

 進藤はまだ動けない。

「《十一桁の零》となった樋浦要は綾瀬と三郷が管理するだろう」

《暴走思考》を握る拳が微かに動く。

「具象により一般人からのアクセスを退ければ、断罪の依頼はコントロールできる」

 裏に秘められた悪意は進藤の予想を上回る。桂は続ける。お前がここで彼女を終らせないと、どうしようもない最後が訪れると、進藤に知らしめる。

「《戴冠式》の参加者を狩りつくす、だけじゃない、奴等のことだ、有用活用するため篶倉に迫るドゥルウ、具象犯罪者、さらには政敵にけしかける可能性もある」

「解るか?」と桂は告げる。その意味を、その結末をお前は想像できるかと、桂は問う。

「お前は何のためにこの戦いに臨んだ? 彼女の信念を守るためだろう? いいのかよ? 今死ねば、彼女は戦奴確定だぞ? 望まぬ相手を殺し続けた、今後は魔王とその従者、更には神崎一門や枢機機関の便利屋として多くの具現師、ドゥルウを始末するだろう、その最後は何だと思う? 九分された心臓と《王の法典》の完成、再び目を覚ました彼女はこの世界に何を感じる? 知らずに殺めた者の中にはお前さえ含まれる。

 それを知った時、彼女は己を許せるだろうか? 何よりお前は」

 一息。

「お前は、そんな結末を許せるのか?」


 無論、許せる筈は無い。


 その言葉は文字通りの起爆剤、消えかかった炎を再び轟々と燃え立たせる。

 気が付けば進藤は地を蹴って、悠然と歩み寄る《戦血君》に走り出していた。

 象徴痕を起動、具象を起動、《暴走思考》を起動、再び発動する三重増幅。

 増幅されるレルナは全て剣に一点集中、《戦血君》の間合いは必殺の殺戮圏、迎え討つ《激情本能》は止める術なく、如何なる活路も刈取る確約即死の一閃、

(なんて誰が決めた!)

 相手の総量を越えるレルナを生み出して、それを望む一点に集約し、対象を凌駕する。それが進藤響きの戦術であり、烈々極まる暴力を体現する《激情本能》は、そんな進藤のお株を奪うものだ。斧の一振りで巨大な颶風が指向性を持たせて放出、前に塞がるあらゆる障害を駆逐せんと大地を奔る。純粋な大破壊は、小細工や浅知恵を無造作に打ち砕く。

(やることは変わらない!)

 進藤は迷い無く突っ込んだ。守屋の風すら陳腐に見える、泣いて許しを乞おうが、蛮勇を持って果敢に挑もうが、無慈悲にして公平且つ区別も差別もない、死の旋風はまさしく大地を水平疾走する刃、生ある者を許さない。

《激情本能》は斧という白兵武器の形態こそ取るが、その有効範囲は刀身と刃筋から推測される射程を悠々と超越する、速度では決して躱せず、守勢に回ればジリ貧。

 だから、圧倒しろ。

 避けるな。

 逃げるな。

 躱さず、打ち合え、真正面から攻め込んで、正々堂々ぶち倒せ!

《暴走思考》も《激情本能》も、あいつが生み出した、付加された能力が異なるだけで、本来そのポテンシャルは同等。

《激情本能》は命を削ることで、比類なき威力を有した。

 なら《暴走思考》は?

(決まっている)

 まずは一撃目、《暴走思考》で強引に風を引き裂く、全身に浴びせられる衝撃を無理やり耐え、意思力だけで突破する。防ぐことすらままならなかった、それを今は、何とかやり過ごすことが出来る。

 血を熱に代えて心を燃やせ! 例え灰になったって構わない!

 続く二撃目、歩みが止まる。振られ続ける斧、生み出される破壊力、それを前に、進藤は防ぐことに成功したが、その動きを封じられた。

 足りない、まだ足りない、彼女に届くためには、今の自分じゃまだ及ばない。

 怖れるな、畏れるな、恐れるな、懼れるな! 

 出来ると信じて、やれると思い込め!

 これだってまだ二次災害、本物の刃にはまだ触れてさえいないんだ。

「前戯如きに時間なんて使ってられるか!」

 だから増幅、象徴痕を起動、具象を起動、《暴走思考》を起動、心を燃やしレルナを増幅、少しずつだが、進藤に殺到する圧力を、押し返し、この身は前へと前進する。

「まだまだぁっ!」

 象徴痕起動、具象起動、《暴走思考》起動、増幅して増幅して増幅して、象徴痕起動、具象起動、《暴走思考》起動、増幅して増幅して増幅して、象徴痕起動、具象起動、《暴走思考》起動、増幅して増幅して増幅して、象徴痕を起動、具象を起動、《暴走思考》を起動、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅、増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅増幅!

「――要!」

 猛り狂う風を越え、ついに彼女に辿り着いた。

《暴走思考》と《激情本能》が鬩ぎあう。緑と金の炸裂。とてつもない耳鳴りが周囲を支配する。

 斧と剣は彫像のように動かない、五分の状態で静止して、無音の攻防を続けている。

 もうひと押しが足りない。

 足りないのなら、燃やせ、もっと、もっと、もっと。

 渾身の力と全ての思いを叩きつけるように叫ぶ。

「ボクは……!」


 光が爆発した。

 グラウンドの中央で反発する二色。

 真紅の衣装に身を包み、怒りの顔を刻む手斧を持つ少女。

 即ち黄金。

 歌姫を刻む長剣を握り、喉を裂かんと絶叫し続ける少年。

 即ち――白銀。

 誰も彼も、その意味を知り愕然とする。ただ一人、梨穂だけが密かに笑っていた。

「ねえ、これって?」

「幻想色の変色、位階の上昇よ。具現師の位階、幻想色の色は何で決まるか知っている?」

 疑問を露わにする戒理に対し、梨穂が質問で返す、答えたのは桂だ。

「空想の顕現、なんて無茶な術、具象でさえ容易には実現出来ないものがある。『異界創造』、『時空干渉』、『霊魂練成』、『終焉否定』、『万象改竄』、五つある『不可能域』に近い空想保持者がより高位の幻想色を持つに至る、だったか」

 絡み合う銀と金。光の海を眺めながら梨穂は言う。

「あいつの空想は『終焉否定』。永久機関の類ね、テンションが燃える限り、際限なくレルナを増幅し続ける無限増幅ってとこかしら?」


 ゆっくりと《暴走思考》は《激情本能》を圧し始めた。進藤の身に起きた異変、突然の幻想色の変色、《緑》から《白銀》へのシフト、細かいことは分からない、ただし言えることは一つある。

 もう、負けない。

 レルナは原泉の如く溢れ出る、消費した瞬間には、それを上回る量がこの身に満ちる。

 これは万能感、もはや己に不可能はないという自負。

 負けない。

 敗れない。

 屈しない。

 だから、

 後は――勝つだけだ。


 それは、幻のように儚い最後。

 泡沫のように、弾けて消えた。


 目も眩むほどの幻想色に包まれていた、だからそれは見間違いだったのかも知れない。

 だけど、その場にいる全員は確かに、それを見た。

 無秩序に繰り返される剣戟、もしくは完全に計算しつくされた剣舞、荒々しくも美しい、そんな一つの攻防は、唐突に終りを迎えた。

 神速の応戦の最中、彼女の動きが不自然に止まる。動きだしていた、だからそれは止まらない。不意の停止に、剣は容赦なく《心臓》を貫き破壊する。レルナの収束機能を失い、彼女の体は徐々に四散していく。

 一人は眼を疑い、一人は沈黙し、一人は息を飲み、一人は瞠目し、

 そして、進藤は叫んだ。

「要! これで良かったのか!」

 吹き荒れる黄金、身体の端から粉雪のように散って行く彼女に、進藤は声を張上げる。

「ボクは約束を果たせたのか!」

 金色の瞳、感情を見せない顔、断罪以外の行動欲求を排除した存在は、確かにその瞬間、

「ボクはね! 進藤響は、キミのことが、樋浦要が!」

 たとえそれが見間違いであろうとも、進藤響は忘れない。

「――――――――」

 言葉は大音量の爆音が呑みこんだ。自分の耳にさえ届かない言葉が、果たして彼女に届いたかは定かではない。

 それでも、

 進藤は忘れない、

 あの時、

 彼女は、

 確かに、

 微笑んだのだ。


 からん、と《激情本能》が音を立てて地面に落ちた。


「――それがアナタ様の答えなのですか、王よ……?」

 呆然と呟く《林檎売り》、疑問の鉾先は、先の《戦血君》の結末だろう。

 抵抗を止め致死確実の一撃に身を晒す、あまつさえ、その最後は微笑さえ浮かべた。

 それではまるで。

 問うべき相手はもういない、同様に答えはもはや闇の中、だが、想像することは誰にでも出来る。

 戒理は躊躇ったものの、結局言うことにした。

「これが、彼女の望みってことなのでしょう? 《断罪する存在》になった自分を、一瞬、元に戻してしまう程に強く望んだ、ね」

「……結局は独りよがりの暴走というわけですか」

《林檎売り》と進藤響。

 似て異なる二人の従者。

「失われた王の復活を目指すあんたの忠誠も認めるし、友人を手に掛けてまで約束を果たそうとする進藤君の覚悟も凄いと思う、けどね、《林檎売り》、あんたと進藤君には一つの、決定的な差があるわ」

 一息。

「あんたが仕えていたのは《戦血君》じゃない、自分の理想よ」

 痛烈な批判は、恐らく《林檎売り》の心に深く突き刺さり、そして抉った。

「……そうですね……」

 忠誠に狂う家臣を一概に悪とは呼ばない。ベクトルが違うだけで《林檎売り》の思いは確かに本物なのだ。恐らく、出会い方さえ変わっていれば、

「そんな仮定に意味はねえか」

 柄ではないと首を振り、視線に気付いた桂は横を向く――《林檎売り》である。

「賭けはワタクシの負けです、好きになさい」

「それは俺が決めることじゃない、そう言った」

 視線の交錯、数秒の沈黙、《林檎売り》は立ち上がった。腰を浮かす梨穂を片手で制し、大丈夫だと瞳で告げる。

「……礼は言いません」

「要らん。俺達は何でも屋、春日井曰く、困っている奴等の味方だからな」

 不自然な顔の強張りは、思わず笑いそうになったのか、《林檎売り》はもう何も言わず歩き出す。

 目指す先には、進藤響。


《激情本能》を拾い上げた。思ったより軽いその斧を進藤は暫し見つめている。

 莫大なレルナを消費して世界に新たな則として加えられた斧と剣は、故に術者とは別個の存在として確立され、だからこそ要の消滅を以っても世界に残った。

 右手に《暴走思考》、左手に《激情本能》、雌雄一対ここに揃った。

 足音に気づき振り返る、そこに居たのは。

「……《林檎売り》」

 理想に狂い、信念に狂騒したドゥルウは、膝を折ると深く頭を垂れた。

 それは、忠誠を尽くす家臣のようにも見えなくもない。

「過ちは、正されるべきなのですよ」

 膝を折り、頭を垂れる、一見すれば騎士と王の構図。だが、これはそんなものでは断じてない。

「……もしお前が望むなら」

 言葉は不要。短い間だが共に過ごした、だからこそ真意にも気付いた。

「同輩、それは侮辱です」

 膝を折って面を下げる姿は騎士と王、しかしそれは正しくない。

 膝を折るのは無抵抗の表れであり、垂れる頭とは即ち首を差し出しているのに他ならず、処刑を待つ咎人と執行者、この場合、それで正解だ。

「こんなワタクシでも王への忠誠は本物です、ワタクシが命を懸ける主君は一人に置いて他にはありません」

 安く見ないで下さい、そう《林檎売り》は突き放し、

「ですが、ワタクシの誇りたる王が認めた相手、甚だ不本意ながらアナタの行く末を祈りましょう」

 最後は祝福で締めくくる。

「ボク、やっぱあんたのこと嫌いだ」

 苦笑を分け合い、剣を上げる、瞑目する《林檎売り》に進藤は今宵最後の一振りを下ろした。


 橙の幻想色が勢い良く周囲に飛散、夜風に乗って空に舞う。ここに一柱が消え去り、残る魔王は四柱。慌しくなるな、と桂は気分を切り替える。

 そんな桂に進藤が歩み寄る。

「ありがとう、ございました」

 まず出たのは感謝。

「それで、色々手伝ってもらった以上、報酬を支払うべきだと思うんですけど」

「お前も律儀だな」

 桂は苦笑する、今は勝利に浸ればいいものを、やはりこれは性格なのだろう。

「報酬なら今出てくる、それを貰っていくよ」

 夜空に舞う橙の幻想色が再び一箇所に集りだした。

「――ッ!」

 有り得ない、《心臓》という収束点を破壊した、レルナを繋ぎとめるモノはなく、ただ霧散し消え去るのみ、では何故レルナは再び組みあがるのか。

 桂は片手を上げる、今再び絡み合うレルナは次々に紙片へと形を変えると、鳥の羽ばたきのような音と共に桂の手に収まっていく。

「……《王の法典》」

 桂は頷いた、これこそ《林檎売り》を綾瀬と三郷が害せ無い理由でもある。《断罪するだけの存在》となった時点で《林檎売り》は用無しだった。

「九柱九者が入り乱れる《戴冠式》、移植者同様、従者もまた命を懸ける、奴等はその身にこいつを宿したからな」

 そう言って集った紙片の束を甲で叩く。

《戦血君》に助勢するのは《存在干渉》を克服して貰い、九派を統括して人類陣営に帰依するため。

 そのため、派閥のドゥルウに強制力を発揮できる《王の法典(アンドゥリル)》に手が出せなかったのだ。

「じゃあな進藤、明日から凄いことになると思うが、まあ早めに方針は明かしとけ」

「篶倉で二人目の《白銀》ですもの、熱烈なラヴコールが待っているわよ」

 踵を返すと最後に付け加えた。

「毎度、また困ったことがあったら言ってくれ」


《領域》が解除された校庭で梨穂を待っていたのは、無論第四分隊の面々である。魔王と進藤の戦闘、その結末を話すとやはり一同絶句した。

 いつもアクセル全開ですっ飛ばす梨穂だが今日ばかりは低速だ。何故なら今やこの車は勇者が眠る揺篭なのである。岩倉と結花は歩いて帰ると言ったので、空いた最後尾の席をベッド代わりに進藤を寝かした。

 あの後、二人が去るや、そのまま倒れ熟睡。仕方ないので梨穂が保護することになった。

 魔王が倒された。

 その事実を知った篶倉の具現師組織はどうするだろう。神崎一門、そして枢機機関、一度は敵対した間柄、どの面下げて交渉するのか、とも言えないが。

(恥を忍んでも余りある戦力、そういう意味では土壇場でアシストに回った綾瀬の方が有利かな?)

「でも隊長、何で綾瀬は《林檎売り》を裏切ったんだ?」

 助手席の司は無言、それでも同じことを梨穂に問いたげだった。

「綾瀬はドゥルウ嫌い、だけど同時に恐ろしいまでの実利主義」

 ドゥルウを蛇蝎の如く嫌うが、それが己の利益となれば平然と手を組む。感情を理性で抑え、徹頭徹尾、リスクとリターンを計算し行動する。

「今回で言えば、《林檎売り》の提案を受けることで魔王を手駒に出来る。枢機機関との分割支配ではあるものの、それは計り知れない利益になる筈だった」

 重ねるが、綾瀬は実利主義である。

「《林檎売り》を裏切ることで、それ以上の利益を得る算段があった……?」

 どうにもしっくりこない。

 形としては新たな白銀に貸しを与えたことになる。だがそれを予想していたとは思えない、覚醒したばかりの具現師が、まさか魔王を倒すなど予測出来るはずもない。

 こんな博打は綾瀬らしくもなく、ならば言えることは一つだけ。

「綾瀬らしくないなら、それはつまり綾瀬の本意ではない、ということ」

 梨穂は確信する、綾瀬は誰かに《林檎売り》を裏切るように口添えされたのだ。

「でもよ、綾瀬にそんなこと言える奴なんて……」

 言いながら守屋も気付いた。

 そう、序列十二位である綾瀬に絶対服従の命令を下せるものなど。

「四大将か、三本足か、それとも護衛長の神崎か」

 もしくは、『神崎一門』の姫君、篶倉の『白銀』か。

「八傑が動いた、それは間違いないでしょうね」


「何時来ても息苦しいな、ここは」

 暗く狭い部屋は圧迫感の塊であり、綾瀬はどうしても好きになれない。

「それで、これで良かったのかな?」

「ああ、いい仕事だったぜ」

 進藤響による魔王討伐直後、『ライオンの穴倉』に訪れた綾瀬は己にクソふざけた命令を下した存在を睨み付けた。

 相対する男、相沢桂は涼しげに受け流す、それが例えようもない程に不快である。

「貴様のお陰で大損だ、どうしてくれる?」

「俺に進藤響捕縛の決定、なんて情報流す時点で、この返答なんて予想の範疇だろうが」

 人払いの結界まで張り隠蔽されていた進藤の捕縛作戦に、土壇場ながら介入できた理由、それは綾瀬が彼に情報を流したからだ。

 序列は彼等が上位、しかし戒理から命じられていたのなら綾瀬は鼻で笑い相手にしなかった。

「遅かれ早かれ、裏切るのは確定していた、ならそれが今だって問題ねぇだろ?」

「そうでしたね、『神崎』桂――我らが神崎一門の次期頭領殿」

「間違えるな、まだ『相沢』だ。次は喰うぞ」

 洌洌とした空気と獣の重圧を浴びて綾瀬は肩を竦める。

《林檎売り》の交渉は完璧だった。魔王を手勢に加えられる、そんな提案を受けて断る者など本来皆無。

 ただ不足していた、《林檎売り》には情報が決定的に不足していたのだ。

「よもや、九柱九者が入り乱れる『戴冠式』、そこに『神崎一門』の頭領、その実の孫が参加しているなど」

 どうして想像できようか?

「それはそうとさっさと神崎を名乗ったらどうだ? 三本足も認めさせた今、名実共に神崎は名乗れる筈だ、一体何に固執している?」

「俺の勝手だ」

「それとも単なる反発心か? ドゥルウを斃すことにしか興味ない祖父や、息子を棄てて逃げ出した父親と、同じ姓を、」

「綾瀬、お前はもう下れ」

 回転椅子に腰掛けた桂と綾瀬の視線が空中で交錯、綾瀬は仰々しく一礼すると、退室する、部屋を出る間際。

「どれだけ抗おうが貴様はやはり神崎だ、《魔王の心臓》をその身に宿してなお、紫紺の幻想色を持つお前が、どうして神崎でないと言う」

 桂は答えなかった。


「これで残るは四柱だ、いよいよ大詰めだな」

 綾瀬が去った後、桂は嫌な沈黙を打ち破ろうと意識を次の方針に切り替える。

「当面の敵は《粉砕王》、アレは《戦血君》を撃退して、更には二柱打破している、従者も凶悪、最大難度の戦闘になるな」

 話を振った相手はソファーに身を委ね天井を睨んでいた。

「おい、春日井」

「色々考えてみた」

 自己投影、同情、憐憫、安い感情と戒理は言う。

 進藤響と樋浦要、二人の関係は桂と戒理、その未来と言えなくもない。

「ねえ、相沢。もしあたしが《存在干渉》に飲まれたら」

「春日井、俺は負ける気はねえからな」

『戴冠式』にも九本勝負にも、そう桂は断言する。

「だから、負けた時のことなど考えない」

 淀みない返答に戒理は思わず押し黙り、らしくない、と微笑した。

「そうね、その通りだわ」

「綾瀬の言うとおり、俺はやっぱり神崎だ。だから『戴冠式』のイレギュラーに成り得る」

 だからこそ、こんなふざけた儀式はぶっ潰す。

「その上で九本勝負のラストを飾ろう、二度目だが俺は負けないぞ」

「それは私の科白、吠え面かいても知らないわよ」

 視線は愚か顔すら外し、確認するように言い合った。

「惚れた方が負けたぜ」

「告白させれば勝ちよ」

 赤くなる顔を反らしつつ戒理が「それはそうと」と流れを変えた。

「相沢も相沢で随分進藤君に入れ込んでいたじゃない? 『俺は進藤にお前は《戦血君》に命を預ける』ですって、仮に彼が負けていたらどうするつもりよ」

「決まっているさ」

 桂はさも当然と言い返す。

「反故だ、反故、《林檎売り》は喰って、《戦血君》は《粉砕王》に嗾けるさ」

 絶句する戒理は、引き攣りながらも言葉を続けた。

「あんたってやっぱどう考えても最悪最低よ!」


 ◇


 背筋を撓らすと溜め込み圧縮した筋力により足元に皹が走り、獣が跳んだ。

 弓のようにしなる姿勢から放たれる矢の如き突撃、射出と呼ぶに相応しい跳躍、一歩も地面に足を着くことなく少女との間合いを潰す。低空飛翔の体当たりに反応も対応も許さず成す術なく少女は押し倒される。馬乗りとなり無位が上体を大きく反らすと頭部が膨張、少女を丸呑みにしようと口が耳の辺りまで裂けた。

 悲鳴は小さく、そして儚い。

 こんな郊外の森で自分は果てるのか、そう思うと少女の胸中に表現できない悔しさが生じた。

 第三分隊が受けたドゥルウ討伐作戦、それは難易度的にも楽な仕事の筈だった。

《林檎売り》の置き土産の掃討作戦に参加した彼女は運悪く隊と逸れ、そして続々と現れる報告以上のドゥルウと遭遇、ついに捕らわれたのだ。

 自分の人生は今、終わる。

 少女はそう確信した。


 靴底で地面を蹴りつけ《激情本能》で馬乗りになっているドゥルウを殴りつけた。

 緑色の燐光が中空を舞い消える、無位の活動停止を確認した。


「――ぇ?」

 と少女が零した。助けが来るなど思わなかったのだろう。

「間に合って良かった」

 少女の無事を知り安堵と共に息を吐くのは、見覚えのない少年である。

「もう安心だ、ここから西に一〇〇メートルくらいに君の隊がいる、こっちに向かっているから合流するといい」

 少年はそう言うと視線を前に向けた、その先には七匹の《火炎甲虫》。

「ここは僕に任せてくれ」

 少年は気楽に言うが、これだけのドゥルウを単独で倒すことなど早々できることではない、と、そこまで考え少女は一つの事実に気づいた、彼が纏う幻想色だ。

「白銀って……え? あれ?」

 少女の驚愕に気づかず、少年は歌うように口ずさむ。

「それじゃあ、一発ジャスりますか」


 立ち止まることなく、進藤は疾駆を開始した。

 その足取りに迷いはなく、ただひたすら前だけを見ていた。



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