第九章・超えるべき壁
守りたいものがある。
救いたいものがある。
それは私にしか出来ないこと。
だったらやるしかないと思う。
覚醒動悸、樋浦要の場合。
夜。夕暮れはすっかり闇に追いやられ空はまばらに星が出始めていた。
校舎に人の気配がない、領域の展開は感じないので綾瀬が人を締め出したのだろう。
本当になんでもありだなあ、と思いながら眼前を見た。
立ちふさがるように佇むのは四人――司を除いた第四分隊の面々だった。
物々しい静寂を破ったのは利穂だ。
「で、桂と戒理。あんた達がついてきた理由は?」
「見届けに来た、それだけだ。別に邪魔はしないよ」
「そう、なら――」
「彼女を終わらすことを決めました、樋浦要との約束を僕は守る」
言葉を先取りした進藤に、一同は苦い顔をする。
「やる気になったのは嬉しいけど、銀髪から状況の説明は受けているのよね?」
「樋浦要を勝たせる、ですね」
微かな動揺さえ見せず進藤は返答する。
「本当に嫌なシチュ、それ以上に嫌な役回りだわ」
仕方がない、と利穂が小さく独白した。
「手出しは禁止、分かったお二人さん!」桂と戒理に釘を刺し「任務に則り、進藤響の身柄を拘束する!」
四人はそれぞれ誓言を唱え幻想色を発現する。
強大な意思力の増加は物理的な圧力となり空間を軋ませる、そのプレッシャーは進藤にも及んだはずだ。
しかし、進藤は動じなかった。
非難や罵声を飛ばしてもいい状況にも関わらず、彼はただ澄んだ声で詠った。
「覚悟は、歩んだ道が証明する」
それは誓いの言葉だ。
具現師が具象を使う根源。
具現師が具象を求める理由。
己の動悸を言語化した、具現師の決意表明、信念の祝詞。
纏う色は緑。
森色の幻想色はとても穏やかに波打っていた。
「要との約束、つまりは魔王を相手にする、それは分かっている?」
「――はい」
「勝つつもり?」
「――はい」
「ならいいわ、どうせわたし達に敗れるようならそれは分を弁えない愚物の妄想、それが戯言でないことを、行動で証明してみせなさい!」
「無論そのつもりです」
宣戦布告に、進藤は静かに笑う。
「蹴散らします」
「ハッ、上等よ」
一触即発の空気が即座に爆発した。
進藤は《暴走思考》を掌から引き抜く、鋼の刀身が淡い月光を反射し神々しい光を灯した。
「ヘイ、ルーキー、前言撤回のラストチャンスだぜ?」
唐突に口を開き、月光のスポットライトを浴びた守屋が進藤に一歩を踏み出した。守屋の手元が陽炎のように揺らぐ、幻想色が環を紡ぎ組みあがり一振りの槍を成した。
「僕から降りるつもりはありませんよ」
「だよな、むしろそんな簡単に心を変えられるなら、具現師になんてなれない、か」
「はい、僕には僕の、貴方達には貴方達の通すべき我がある、それは理解していますが、やっぱり僕は止まれません」
「ホントに分かっておるんか、おどれ?」
割り込む声がある――岩倉だ。
「魔王と戦うって意味を、おどれは本当に分かっておるんか? グランドキャニオンを要塞とする第五位や、バミューダトライアングルに巣くう第八位は、世界最強の具現師による軍隊を持つ米国が、二十年がかりで駆逐は愚か傷一つ付けられへん化物や。
人類史上ただの一柱も魔王は打倒されてへん、その最初におどれがなれる確証はあるんか? なによりこの篶倉を戦場にする権利がおどれのどこにある!」
怒りはむしろ冷たく凍えていた。
「ワイは弱いで、少なくとも隊長やそこの銀髪よりは、確実に、な。結花もそうや、魔王と戦えば瞬殺や、そんでそんな微量な力量の具現師がなんだかんだで篶倉じゃ最も多いんや」
誰も彼もが勇者ではない、そう岩倉は続ける。
「弱いワイ等にやって守りたいモンがある、おどれは、自分がしようとすることで、どれだけの人間が危険にさらされるか! そういうことを、一度でも考えたんか!」
獅子の咆哮の如く荒い声で、岩倉は進藤を弾劾した。
「惚れた女の尊厳を守りたいその心意気は買うわ! 結局は自己満足やないか! おどれのエゴのために、この街を危険に晒す権利があるんかい! おどれの理屈で、関係ねえ他人まで巻き込むなや!」
吹き荒む颶風のような非難に、返るのは柳のように落ち着いた声だ。
きっとこの剣は試金石。
《断罪するだけの存在》となった彼女を、本当に打ち倒せるかどうか、その束を鋼の意志で握り、その刃を鉄の覚悟で振れるか。
「僕の行動が貴方達の大切な物を踏み躙る、そうは言うけれど、ねえマスター、我を通すっていう事は、多かれ少なかれ敵を作るということですよね? 僕の場合、それがちょっと多いだけですよ、大を殺して小をも殺す、そんな何も生まず失うだけの答えで、決断で、行動で、そして結果を生むだけかもしれない」
だけど、と進藤は言った。
「そうでもしないと救われない奴がいるんだよ! 死ぬことも許されず、意思もないまま、己の信念を背き続ける、そんな奴がいるんだ!」
「女のために世界すら敵に回すかよ、言っちゃ何だが相当きちぃぞ?」
「孤立無縁なら孤軍奮闘すればいいだけですよ」
一息。
「そうかい」岩倉はうな垂れたように肩を竦める「なら仕方ないわ」
岩倉は横目で結花を見る、結花は岩倉の意を汲み取った。
「結花、オーダーや、ちょっと拳で語り合って来るわ」
「ユカちゃん思うに、恐ろしく一方的な話し合いっすよ、それ」
面倒臭そうに、結花は言葉を吐いた。
「――問う、其の身の意味は?」
「我が身は御身の盾にして鎧」
「――問う、其の心の意味は?」
「我が心は御身の敵を薙ぐ刃」
「誓え、私が独りでないというなら――」
「――己の全てで貴方の所望を叶えよう」
儀式、儀礼、そんなものを思わせるやり取りだった。終えた結花の顔は微妙に赤い。気にせず、岩倉は結花の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「ワイはちょっと面倒な具現師や、こういう風にこいつとやり取りせえへんと、本来の能力が発揮できないんや」
結花は無骨で大きな手を乱暴に払う。岩倉は剛毅に笑うと、顔を引き締める。
「これがワイの本気の本気、器物系神秘級具象、《敗れざる者》や!」
叫ぶや馳突開始。青の幻想色が岩倉を纏いそして変貌させる。滑らかな黒耀を思わせる金属がくまなく衣服ごと全身を覆っていき、ただでさえデカイ岩倉の巨体が鉄の装甲の顕現で一回り大きくなる。
重量感ともに威圧感も増量。中世の騎士を思わせる風体、淡く青色が波打つ鎧はまさしく幻想。兜の正面、十字の穴から覗く瞳には激烈な闘志の炎、燃え滾る意思を表す如く、完全装甲化した岩倉が獣さえ怯ます雄叫びを上げた。
「始めるで、ド突き合い!」
死闘の開幕、火蓋は切られ、浅木幕は落とされる。
グラウンドを走り抜けるのは三人、進藤と、両脇に並び等間隔をキープする守屋と岩倉だ。
守屋が動く。滑るような疾走は滑空、靴裏に展開した風が守屋を浮遊させ低空飛翔で地面を翔けていた。守屋の手が翳る、と思った時には既に迸る槍の穂先が眼前に迫っていた。
超速の一撃を反射神経と勘だけで迎撃、緑と藍の幻想色が火花となって散った。
二度、三度、夜闇に光の花を咲き吹かせ、槍と剣の攻防が続く。七度目の剣戟は空を切る、守屋の体が跳ね上がり一瞬で視界から消失。半円を描くように《暴走思考》を上方に薙いだ。稲妻となって落ちてくる刺突を間一髪で弾き返す。
上空から降り注ぐ刺突の豪雨、半死角からの連撃を振り切るように駆け抜ける、肩や頭髪を散らしながら、頭上より声が降った。
「やるじゃねえか」守屋が笑う。「タイマンなら、な」
逃げる先には甲冑騎士。避けていたのではなく、避けさせられていた、呈よく誘導されていた事実に歯噛みながら、岩倉にも注意を向ける。
「見せてみぃ、テメェのエゴを!」
岩倉が間合いに入る、岩倉の光る篭手が突き出され進藤は反射的に受けた。逆手に持ち替えた《暴走思考》に膝をあてて衝撃に備える。尋常ならざる圧力の炸裂はその直後、吸収しきれない威力が足と大地を強制的に分離、進藤を吹き飛ばす。
――そして。
信じられないことに、進藤は宙を矢の如く飛び、二階の窓から校舎に叩き込まれた。
戦闘を眺めながら三隅梨穂は司と思考通信をしていた。
「司、どんな感じ?」
《レルナの数値化完了、現在《藍》の銀髪が十八、《蒼穹》のマスターが六、《青》の結花が三、そして隊長が一だ……もう少しやる気出せ》
「いいじゃない、何だか銀髪とマスターだけでも勝てそうだし、それで進藤君は? 結構プレッシャーあるけど」
「一七六だ」
即答に、息が詰った。梨穂は辛うじて感想を吐く。
「ちょっとした《橙》の構成レルナ並み、ね」
《《林檎売り》曰く《象徴痕》と同じ増幅機能。つまり彼はレルナの二重増幅により莫大なプールを獲得していることになる》
「ちょっと計算外だわ」
具象戦において重要な要因には『レルナのプール量』がまず上がる。
レルナは具象を駆式するのに必要な、いわばガソリンでありスタミナ。総量の差がそのまま勝敗に繋がるわけではないが、形勢は不利と言わざるえない。
ただの具現師なら、大技で集中砲火すればそれこそ瞬殺だったのだ。
《あのプール量なら《幻想鎧》に注ぎ込めば、十分防ぐことは可能だろう》
「微々ウザね、全く」
《よって対応戦術としては近接戦闘による制圧から《暴走思考》の奪取を行うのが最善》
「OK聞いていたみんな? 解ったらさっさと引導渡して上げなさい」
教室の窓から叩き込まれて廊下まで転がり、そのまま大の字に倒れながら進藤はゆっくりとした動作で身体を起す、頬にチクリとした痛み、硝子の破片で切ってしまったらしい。
見ぃつけた、とノリの軽い男の声が届いた。二階廊下の窓の外、藍色の風を纏い空に浮くのは、銀髪逆毛の槍使いと。
自らの拳で打ち出した軌跡を、跳躍一つでなぞる、岩倉庸介も窓から飛び込み追ってきた。
反射的に十メートル以上後方に退避する、
「――ッ!」
も、岩倉は床を踏み割り加速、弾丸となって進藤に驀進、廊下の端から端まで移動する。
進藤の抜き打ち、その一撃は岩倉に到達することなかった、胸甲に届く寸前で不可視の壁に阻まれるように威力が完全減殺される。
「無駄やで、お前が《暴走思考》と象徴痕によるレルナの二重増幅を行うように、ワイは《幻想鎧》と《敗れざる者》による二重の防壁を張っているんや」
常識外れの防御力の正体を明かす岩倉、その背後に高まる圧力、異変を感じる。
「燃費が悪いさかい、これ使うと再生能力を封じなあかんのがネックやけど、な!」
轟、と風がうねる。螺旋描き、穂先に集う藍色の風を束ねる守屋は槍を横に薙ぐ。
放出されるのは秒速三十メートルの突風。軽自動車を余裕で吹き飛ばす風圧は、横幅三メートルに満たない廊下ではどうあっても躱せない。
廊下の窓から外へ飛び出る、そこに躊躇はなかった。削岩機めいた風の奔流、飲み込むモノ全てを食い千切り斬殺する魔物の顎に噛まれるより、二階から飛び降りた方がまだ安全だ。
着地と同時に重心をスライド、地面を転がり衝撃を殺しながら即座に態勢を立て直す。
「視認」
一秒――まず聞えたのは声。飛び降りた先に居た少女、結花が進藤を見つめ、進藤もそれを確認した。
二秒――そして違和感。周囲に感じる妙な熱。まるで自分の中に砂漠かサウナを埋め込まれたような、そんな熱を感じながら進藤は対応を模索する。
三秒――違和感は確信へ。体の芯が燃え上がる、比喩ではない、身体の奥が、否、精神が勢い良く燃え盛る、灼熱する思考、周囲の酸素が焼きつくされる錯覚に喉を押えた。
四秒――フラッシュバック。思い出すのは結花との会話、あの時、彼女は何と言った? 彼女の視線には何が宿り、自分は一体何秒あの視線を浴びている?
五秒――「視殺」と彼女は告げるより早く、進藤は《暴走思考》を地面に叩き付けた。
舞い上がる粉塵。視界から外れることで熱は除去された。進藤を犯していた超高熱が消えることで体が急速に冷える。 立眩みを覚えながら前進。
こいつは危険だ!
レルナを弾薬と仮定するなら、《加熱の刻印》は敵の弾薬庫に火種を放り込むようなもの、相手の保有するレルナをそのまま相手への攻撃手段とするのだ。
《暴走思考》を逆手に握る。視界から外れるように迂回し背後から一撃を見舞う、可能な限り迅速に、元々煙が邪魔になっているが、見られる要因はなるべく避けたい。
(背後から首筋に石突を叩き込む)
煙に浮ぶ人影を確認、進藤は更に肉薄する、瞬間だった。
舞い降りた守屋が結花の腰を抱くとそのまま飛翔、入れ替わりに岩倉が降下、着地。
「ロック」頭上からの声、岩倉の突進、応戦する進藤は内心で焦り始めた。
《加熱の刻印》を浴びている状況では、進藤の命は五秒で燃え尽きる。それを回避するには術者の排除か視界から外れる必要がある。
前者は不可能。何故なら彼女は守屋に連れられ空へ逃げた、対空攻撃を進藤は持ちえていないし、具象を行使しようとする隙を見逃すほど岩倉は甘くない。
後者は至難。唯一の遮蔽物である校舎を背に立ち塞がるのは岩倉、これをやり過ごし再び学校に戻るのは、中々以上にハードルが高かった。
だが、それしか方法がない以上、進藤は決行する。
岩倉はあくまで時間稼ぎに徹していた。こちらの攻撃を受けるが反撃はせず、しかし、校舎への道は開けない、そうする内に上空からの視線は進藤のレルナを熱変換し、その身を焦がし、焼き上げていく。
一秒、二秒、三秒、無為な攻防と共に時間を浪費する、それは死に至るカウントダウン。肉体の温度がどんどん上昇する。
映し出された立体映像には六人の人影が映っていた、それを囲うように観ているのは三人。
三郷、《林檎売り》、そして綾瀬だ。
綾瀬は退屈を噛み殺し映像に目を向ける。勝負は既に詰みに入っていていた。
「五秒で終いか、相変わらず容赦がない」
「それにしても学校への被害が多すぎる、やはり僕の領域を展開しておくべきだった」
《林檎売り》は薄く笑うだけだ。椅子に座り眺める様は中継試合を観戦する気楽さである。
「領域を展開されてはワタクシの《腐実樹園》が発揮できません。第四分隊が負かされるようならワタクシが出る、その時貴方の領域が張られていたら面倒なのですよ」
《林檎売り》は嗤う。第四分隊が勝てばよし、負けても消耗した進藤を己の《領域》に飲み込みレルナを吸い上げ無力化する。
「まあ、出来れば引導はワタクシが渡したい、そういう欲はありますが、ね」
くつくつ、と響く歪な笑声に応えるのは三郷。
「残念ながらそれは敵わないでしょう、煙幕如き風で払われれば時間稼ぎにもならない、もう決着ですよ」
戦況を冷たく分析し、三者は進藤の敗北を断定。モニターへの興味が薄れた。
「……ま、当然そうなるっすよね」
守屋に抱えられ空から進藤を見据える結花がつまらなそうに呟く。地面に大穴を穿ちながら時間稼ぎをしていた進藤は《幻想鎧》を展開、結花の具象を無力化した。
篶倉トンネルでもやられたことだ。あれ以上のレルナを保有する進藤なら造作もない。
《結花、《加熱の刻印》を切るなよ? お前は進藤のレルナを分割使用させることに勤めろ》
「あいさー、分かっているっすよ」
《敗れざる者》を起動した岩倉なら《暴走思考》とも打ち合える、それを補佐するのが結花の役割だ、攻撃にレルナを割けないように《幻想鎧》を展開させ続ける。
《白兵戦闘の技術は岩倉に分がある、戦車砲めいた進藤の火力を封じれば制圧は時間の問題だ》
進藤を校舎の二階に叩き込んだ拳を《暴走思考》で打ち払った、《幻想鎧》による減殺効果で一度目のように吹き飛ばされることもない、攻防は成立している、が。
(埒が、空かない!)
敵の目論見は理解している。それを打破する手段も一つだ。
(なら迷うわけにはいかないよな……!)
何かを感じ取った岩倉が腕を交錯、深緑の幻想色の炸裂と共に、あの重厚な騎士が宙に浮き、踵を大地に噛まし何とか減速を試みるが、五メートルほどの強制後退を余儀なくされる。
「まだ、足りない、か」
進藤は呼気を整え警戒態勢を崩さない。吹き飛ばされた岩倉は今起きた現象を冷静に解析し、
「――無茶苦茶や」
その上で告げた、目の前の少年の蛮行に正気を疑った。
「お前、保有レルナを根こそぎ攻撃に使ったな?」
「正解、見たままだから特に推理の必要もないけどね」
「正気か? 確かに《加熱の刻印》がお前を焼き切るには五秒を要する、それ以内にワイを仕留めた上で《幻想鎧》を再展開し結花の具象を無力化する、それは分かるわ。
しかし、保有レルナの全てを攻撃に割くちゅうこうとは」
たった一合のやり取りでレルナが枯渇する。
「消費したレルナは象徴痕を起動すりゃ練成できる、せやけど、レルナの消費は精神疲労、毎回全力で攻撃して防御して、その度、象徴痕で練成するなんてやり方」
例えるなら、短距離走のペースでフルマラソンをこなせというのに等しい。
「無茶や、無理や、無謀や、そんなん、絶対途中で潰れちまうわ!」
「ふふっ、ははは」
道理を説いたつもりでいたからこそ、笑われた事実に岩倉は幾らかムッとした。
「無茶? 当然! 無理? 分かっているさ! 無謀? だからどうした!」
ふう、と息を吐き、進藤は剣を向ける。
「逆に問うよ? 歴史上ただの一柱すら討伐出来てない魔王を! 貴方は常識的な手段で倒せると! そう本気で思っているのか!」
反論はない、視界の端で桂と戒理が小さく笑っていた。
さあ、反撃開始の烽火を上げよう。
レルナはまだまだ足らない、現在の全力では岩倉に傷らしい傷を与えるには至らなかった。
「進藤響は炎だ。魔を滅ぼす業火であり、人を見守る灯火だ、樋浦要の代わりに成ろうって言うのなら、永劫輝き続けるしかないんだよっ!」
血は熱に、際限なくその温度を高めテンションを燃やせ。
「Yeaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaaa――!」
声を振り絞る。《暴走思考》のコーラスに加わりながら進藤は更なる具象の発動を試みた。
今、進藤がすべきこと、それはあらゆる無茶を通すこと。
短距離走のペースでフルマラソンを、そんな非常識に望むにはまだまだレルナが足りない。
空想開始。
声が続く限り己の心は燃え続け、意志がくじけない限り己の足は走り続ける。
今から成すのは、そんなデタラメだ。
「法則系・白銀級具象《永遠炉心》発動」
顕れたのは、無数の記号が絡み合う二つの円環、円環は進藤の両腕に腕輪のように填まり紅蓮の輝きを放ち続けている。
一同無言、声など挙げられるはずもない。
文字通り爆発的な勢いで膨れ上がる進藤のプレッシャー、その正体を理解したからこそ、皆一様に言葉すら発せ無かったのだ。
「なんやねん、それ……?」
乾いた笑みが零れる、非常識過ぎる解答、だがもはや岩倉も結花も、彼を害なすことは不可能となった。
「レルナの、三重増幅やと……!」
「レルナが足りないなら、もっと生み出す手段を作ればいい」
「からきし、笑えんわ」
進藤は猛然たる勢いで岩倉に迫り、応じる岩倉に右薙ぎの一撃を見舞う。宣言通りの全力、レルナを凝縮した高硬度を誇る装甲に亀裂が走る、だけでなく、水を切るような感触で右腕そのものが宙を舞った。
血飛沫と苦痛を撒き散らしグラウンドを転がる岩倉は装甲を解除、同時に枯渇したレルナを増幅、結花の鬼火を宿す視線が向けられるも、同じく《幻想鎧》で防ぐ。
先ほどは逆の展開、しかしまだ安心できない。切り飛ばされた右腕は、既に再生しかけている、馬鹿げた治癒力は蜥蜴というより原生生物なみなのか、岩倉を行動不能にするには急所の破壊でも足りないかも知れない。
「容赦はしません」
大上段から膝をついた岩倉に《暴走思考》を振り下ろすと、電光石火の刃に阻まれた。
「銀髪、マスター、結花、退がれ、もうお前達じゃ手に負えない」
梨穂は霧を周囲に撒きながら有無を言わさぬ圧力で命令する。
「数値解析は聞いていたな? 総力二四〇だぞ、《真紅》の構成力並みだ、それを宣言どおりに攻撃に用いられれば……骨すら拾えんことになる」
まったく、と梨穂は苦笑し、次の瞬間、隊員は信じられないものを見る。
「お前もお前で、とんだデタラメだ」
《最強》と称される傲岸不遜の具現師が、進藤響を自分と対等かのように振舞った。
「ようやく真打か、進藤君、気を抜くなよ? そいつは君と対極に位置する具現師だ」
背中から桂が助言する。意識は前、梨穂に向けながらそれに耳を傾ける。
「お前は疑問に思ったな? レルナの三重増幅、そんなアホみたいなやり方で獲得した総量を、文字通り攻撃に注いだ、なのに何故その一撃が止められたのか?」
刃を離し一歩引く、長身な女は対峙するとより一層大きく見えた。
「何らかの具象? 否だ。純粋な破壊力を前に、対抗出来るのは同じく等しい威力だけ、今のお前は文字通り必殺で、その一撃はあらゆる防御を貫く矛に等しい」
ならば。
「この人も僕と同量のレルナを、その攻撃に注いだ……?」
「正解、勘がいいぞ、進藤君」
桂は続ける。
「二度目だが彼女は君と対極だ、三重増幅なんてデタラメ、クソふざけた倍率でレルナを増幅する君に対し、彼女はどうして君に匹敵できたか? 所有源案の数? 悪いが彼女も緑、つまり初期位階で保有源案は一つ。では同じく増幅能力の多様? それでは対極にはなりえない」
つまり、と桂は告げる。
「三隅梨穂、奴は意思力そのものがデタラメだ。他に比類なき基本値が莫大過ぎる。更に能力は複雑怪奇、まともにやりあうのは骨が折れるが……これも経験、存分に味わってこい」
「よくよく口の回る男だね、彼は」
梨穂は右手の湾刀を前に、左手の直刀を逆手に握り半身を逸らす。
「では準備はいいかな?」
「いつでも」
それが、合図。
進藤が行なったのは至極単純な攻撃だった。つまり、真正面から飛び込んだのだ。何の策もなく突撃、本来なら愚の骨頂とも呼べる攻め、ただし速度が問題だった。
レルナにより強化された並外れた脚力、そこから繰り出す跳躍は、足場をまるで爆薬が炸裂したかのように吹き飛ばし、進藤の小柄な身体を超速度で発射させる。
獲物を仕留めるために余分な行動は不要、そう宣言するような直進、生身では反応すら出来ないであろう踏み込み、しかし、次の瞬間には、進藤は弾かれたように真横に飛び退いていた。直後、進藤が踏み込もうとした場所、その地面から無数の刃が生えた。剣、刀、斧、矛、収束した霧が無数の得物を成して剣山の如く地面から急襲する。歪な霧の動きを捉え、殆ど勘だが守勢に回ったのが功を奏した。
(武器の創造……器物系か!)
ひと息で十メートル以上移動し《暴走思考》を構えなおす進藤は、梨穂の追撃に目を剥いた。地面から生えた無数の武器、それらが残らず宙に浮き、その切っ先が進藤に向いたのだ。
果たして次に起る現象を想像できぬ者がいるだろうか?
立て続けに鳴る発射音。宙に浮ぶ武器群が見えざる弦に番えられ、矢群となり飛来。鋼の殺到に対し進藤は構わず前進する、速度は先ほど違い人並みで、乱射される武器を躱すほどの機敏さはない。
だが硬い。全面に収束したレルナの壁が、あらゆる攻撃を弾き、防ぎ、遮断する。雨風のように降り注ぎグラウンドを穿孔し、爆撃の如く踏み割る鋼鉄の礫を、進藤はまるで意に介せず直進し続ける。鉄の雨を凌ぎきった進藤は再び加速、目暗ましに武器を撒き散らし仕切りなおしを図る梨穂目掛け、身体ごとぶつけるように剣を突き出した。
(なるほど、これは厄介だ)
ゴリラにでも殴り飛ばされたような衝撃が肩に炸裂した。
胸を貫かんとする銀光は、実際のところ視認も反応も出来なかった。ただ歴戦の勘が生命の危機を知らせ、殆ど直感で回避行動に転じたのだ。
小石のように跳ねる梨穂だが、攻撃は当っていない、ただ掠っただけで、それも剣にではなく、交錯した進藤の肩と擦過しただけである。
至近距離を超スピードの物体が駆け抜け、それに身体の一部が触れてしまった。ただそれだけで、梨穂を数メートルも跳ね飛ばしたのだ。
必殺と乱入者が称したのも頷ける。当れば即死は免れず、剣圧だけで意識が跳びかねない。実際視界はぐちゃぐゃで、平衡感覚は完全にイカレている。
(相手の総量以上のレルナを破壊力・速力・防御力に注ぐことで防御不能・回避不能・攻撃の無力化を実現する、ね、なんて散財的なスタイルかしら)
ふらつく梨穂を好機と見たのか、進藤は《暴走思考》を振るう、弧を描き三日月を成す斬撃は、首を刎ねる速度と軌跡、そして威力を満たしている。
(つまらない幕引きね)
ドロドロに混ざり合った視界の中で、梨穂は退屈そうに心中で零し、
(迂闊が過ぎるわよ、ホント)
静かに笑った。
進藤の脇腹が数センチほど抉られていた。地面に滴る赤い斑紋を見下ろしながら、傷の具合を空いている左手で確かめる。ベットリと張り付く血液は不快だが、戦えないほど致命的ではない。
「迂闊が過ぎる、それでも反応速度は神憑りと評価するわ」
素直に全く嬉しくない評価だ。攻撃の動作の中で不思議な微笑みに不安を抱き、初撃同様に回避に移った訳だが、ほぼ同時に背後から生えた槍の穂先が進藤の脇腹を貫いたのだ。
具象とは空想の顕現であり、即ち、思考が術行使の鍵となる。意識をミキサーに掛けられたような状態で、マトモな思考など出来はしない。
つまり、あの瞬間、進藤と接触してたたらを踏んだ梨穂に、具象の発動は不可能であり、今の攻撃は成立しない筈だった。
「……貴女は権化系ですか」
「正解だ、冴えているね、進藤君」
答えたのは観戦気分の桂である。
「権化系については知っているかな? 生物のようなもの、化身を生み出し使役して」
「戦力が権化に集約され、術者は何の力も持たない、でしたっけ?」
記憶を頼りに口に出し、先の攻防を振り返る。
「思考不能にしたから甘くみていました、武具創造で器物系だと思っていた」
「その通り、微細な霧の一滴、その一つ一つが権化系具象により生み出された化身だ。術者を叩くのは対権化系具現師の鉄則だが、それは化身と術者を分断してからの話だぞ?」
相変わらず視線を合わせず会話をする桂と進藤を前に、梨穂は言う。
「他人にわたしを語られるのは好きじゃない、だからわたしから説明してあげるわ」
ボタボタと血が落ちる脇腹を無視して進藤が立ち上がる。
「わたしの《Cのデーモン》は最大六十億で群れをなし、状況に応じて《器物系》《法則系》《領域系》を使いこなし敵対者を迎撃する、具象を操る具象だよ」
「さて」と梨穂は呟く「はい」と進藤は返した。
「互いのタネはこれで知れた、位階は同列、プールも同等、条件は五分」
「だからこそ、ボクは貴女を超えます、次に続く魔王に挑むため」
「無理だ」進藤の宣言を梨穂は切って捨てた。
「タネは知れ、底が見えた、お前のスタイルも把握して、その対処も掴んだ、何よりお前とわたしのプールが同等というのが致命的だ」
梨穂は静かに宣言する。
「わたしの勝利、お前の敗北、決着としよう、新米」
言い終わるやいなや、恐ろしいほどの速度、そして量の霧が周囲を覆い尽くす。
「超えられるものなら――超えて見せろ」
梨穂と進藤を覆う《Cのデーモン》に注意を払いつつ、後手に回るのは上手くないと判断。進藤は梨穂の懐に一気に飛び込む、寸前、間に塞がるように霧が集うのを確認、跳躍方向を変更し左へと逸れる。
大地の爆発。集う霧が収束するやミサイルでも直撃したかのように炎と黒煙が巻き上がった。咄嗟に迂回し爆発をやり過ごすと速度を落とさず、背後に回る。
旋廻した進藤を待ち受けていたのは、鋼の槍の容赦ない爆撃だ。空を舞う《Cのデーモン》が次々に組み合わさり武器を成すと、そのまま落雷の速度で地面を目指す。
遥か高き天に浮ぶ無数の黒点、その量は空を覆うほどであり、人並み外れた反射と速度を持っても躱せない圧倒的な面攻撃。仕方なく、進藤はレルナを防御に回し、降り注ぐ兇刃を跳ね除ける。
梨穂はその間に間合いを広げた、敵の狙い、最悪すぎる戦術に進藤も気が付いた。
「相手の総量以上のレルナを注げば、その攻撃はあらゆる防御を貫通し、防御すればどんな攻撃も凌ぐに至る」
釘付けにされ、速度が一気に落ちるが進藤は強引に梨穂目掛けて駆け抜ける。
「でも残念ね、わたしとお前の総量は同等だ、だから無茶な戦術に綻びが走る」
一向に縮まらない距離に焦れた進藤は、隙を見て幻想鎧から点火にシフト、四肢を掠める鋼の槍が進藤を刻み鮮血を飛ばすも、強引な突撃は梨穂への肉薄を実現させる。
右に薙ぐ、胴を引き裂く一閃は、突如として突起する巨大な柱が梨穂を持ち上げ不発、代わりとして鉄柱を叩き折った。
「プールは同等、相手の総量以上のレルナを注ぐという戦術は当然過ぎるジレンマに陥るわ」
七・八メートルはあろう柱が徐々に後方に傾いていく、緩やかな倒壊を前に進藤はその壁面を疾走し、天辺に立つ梨穂を目指す。
「即ち、速力・破壊力・防御力、お前が凌駕できるのは、三つの内の一つのみ、ということだ」
鉄柱は霧散し、進藤は宙に放り出される、更に霧が進藤に集まり即座に爆発した。
「速力を取れば、防御が損なわれ、防御を取れば足が止まる」
夜空を引き裂くように跳躍していた梨穂は、再び進藤から大きく間合いを開けている。
「中れば必殺の威力であろうと、届かなければ意味がない」
梨穂が選んだのは膠着状態。敵を磨耗させ疲労させる消耗戦だ。
「もう一度言うぞ――超えられるものなら、超えて見せろ」
一度に梨穂と同等のレルナを消費し、その都度《象徴痕》を起動する。その精神疲労は想像を絶する。心が折れれば、その瞬間に勝負は付くだろう。
(試しているのか、僕を)
テンションに応じて増幅率を変化させる《暴走思考》、それは、進藤の心が折れる時、即ち、レルナのプールが崩壊する。
「上等だよ、《最強》! 三隅梨穂!」
声を張上げ気分をハイに、血は熱に、心を燃やしテンションを爆発させろ!
「これで限界だなんて、誰が決めた!」
逆に言えば、心を強く燃やせば進藤は更に強くなれる。
「超えられるものなら超えて見せろ? ざけるな《最強》!」
だから燃やせ、テンションを燃やせ、もっと! もっと! もっと!
「こんな消極策で萎えるほど、ボクの心はやわじゃない!」
だから。
「これで止まると思うなら、止めて見せろよ!」
その時、梨穂は確かに戦慄した。
ダムの放水、そんな勢いで膨れ上がる進藤のレルナ。何より梨穂が目を剥いたのは、
(止まらない……!)
どれだけ増幅する気なのか、膨れ上がる勢いは一向衰えない。数値解析など訊く気すら起きない。
放つ武器群は、しかし、《幻想鎧》に阻まれる。しかも足も落ちていない。
(完全にこっちのプールを振り切っている!)
夜の闇を切り裂く深緑の幻想色の帯が、彼の移動を跡として残る、まるで翡翠の風だ。
(対応し切れない……!)
防御は絶対、あらゆる攻撃を遮断して、速度は極速、あらゆる反応も許さない。先読みと妨害、進行方向に無数の壁を生み出してラグを作るからこそ、回避が間に合っているものの。
(まだ上げる気っ!)
梨穂は見た、迫る剣に灯る幻想色が、不可解な点滅をしていたことを。
退いて下さい、喉元に刃を突きつけて進藤が懇願する。
「ねえ、あんた、自分が何をしようとしていたのか解っている?」
進藤が言葉の意味を理解できてないのを見ると、梨穂は直に前言を訂正した。
「いや、何でもない……退く云々は概ね、OKよ」
その言葉を聞いて思わず脱力仕掛けるが、何とか気を引き締めた。
異様な圧力を感じ取ったからだ。
校庭の大気に亀裂が走る、皹から漏れるのは黄金の幻想色。
亀裂より出るは少女。
衣服は、流し、流させた血で編んだかのような真紅。
許せざる相手を睨み付けるような凶貌の手斧を握り。
感情の無い顔と瞳が、真っ直ぐに進藤に向けられた。
九大魔王第九位・ムエリカの後継候補九柱の一。
《魔王の心臓》移植者、《断罪者》の《戦血君》。
眩い限りの登場だった。