港町ベルクの落とし物預かり所は、今日ものんびり営業中です
港町ベルクの桟橋のたもとに、小さな小屋がある。
入口の上には、潮風で色の抜けた木の看板が掛かっている。
――落とし物、お預かりしています。
この冬から、私はここで働いている。
「ポム。名札は、拾った場所と日付と、拾った人の名前だ。三つそろって、はじめて名札だぞ」
「はい、グスタフさん」
預かり所の主は、グスタフ爺さんだ。昔は外洋の船乗りだったそうで、腕には錨の刺青があって、声がやたらと大きい。自分のことはあまり話さないけれど、毎朝、甘い匂いのする焼き立てのパイを黙って食べている。
口癖は「落とし物は、持ち主を待ってるんだ」。
棚には、名札のついた落とし物がずらりと並んでいる。片方だけの長靴。釣り竿。誰かの眼鏡。子どもの木彫りの船。どれも、持ち主が迎えに来るのを、行儀よく待っている。
窓辺の箱の中では、三毛猫のブイが丸くなって寝ている。
ブイは、この預かり所の三人目の係だ。仕事は、寝ることと、たまに客の膝に乗ることと、それから――。
「あっ、ブイ! それ、落とし物!」
気がつくと、ブイは棚から毛糸の靴下をくわえて、自分の箱に持ちこもうとしていた。
「放っとけ、ポム。あいつは毛糸が好きなんだ」
「放っといたら、持ち主さんに返せません」
私が靴下を取り返すと、ブイは、ふん、と鼻を鳴らして、また丸くなった。
* * *
最初に、私が名札を書いた落とし物は、子ども用の赤い手袋だった。
片方だけの、毛糸の手袋。桟橋の階段に落ちていたのを、漁師のおかみさんが届けてくれた。
名札に、拾った場所と、日付と、おかみさんの名前を書いた。手袋の甲には、小さな白い星の刺繍がきれいに縫いつけられていた。
不思議なことに、翌日の朝にも、別の漁師さんが「桟橋の階段に落ちてたぞ」と、赤い手袋を届けてくれた。昨日棚に置いたはずの手袋が見当たらなかったので、風で落ちて誰かが拾い直してくれたのかと思い、私はもう一度名札を書いて棚に並べた。
その日の夕方、小さな女の子が、預かり所の戸口からそっと顔を出した。
五つか六つくらい。片方の手だけ、赤くかじかんでいた。
「……あの。てぶくろ、ありますか」
「赤い手袋かな。星の刺繍の」
女の子の顔が、ぱっと明るくなった。
私は、棚から赤い手袋を取って、渡した。手渡すとき、あれ、昨日見たときより星の刺繍がほんの少しだけいびつな気がする、と首をかしげた。
女の子は、それを右手にはめて――それから、困った顔をした。
「……こっちじゃない」
「え?」
「なくしたの、ひだりなの」
見ると、女の子の左手は素手で、右手にはもう、同じ赤い手袋がはまっていた。私が渡したのも、右手の手袋だった。
右手の手袋が、二つ。
「ど、どういうこと?」
グスタフさんが、奥から顔を出して、窓辺のほうを顎でしゃくった。
「ポム。ブイの箱を見てみろ」
ブイの寝床の箱をそっと覗きこむと、ブイのお腹の下から、赤い毛糸がはみ出していた。
引っぱり出すと、昨日私が名札をつけた、きれいな星の刺繍の赤い手袋。
――左手のほうだった。
「ブイ……!」
ブイは、片目だけ開けて、私を見た。悪びれた様子は、ひとつもなかった。
女の子は、左手に手袋をはめて、くすくす笑った。
「ねこさんも、さむかったのね」
じゃあ、今朝届いたこっちの右手の手袋は、誰のものなのだろう。
私は、残った右手の手袋の名札を見直した。拾った場所、桟橋の階段。日付、今日。
「なあに、そのうち、もう一人迎えに来るさ」
グスタフさんは、そう言って笑った。
三日後、本当に、別の男の子が迎えに来た。女の子の弟だった。お母さんが、姉弟に、同じ赤い手袋を編んでいたのだ。
弟の手袋の星は、やっぱり、ほんの少しだけ形がいびつだった。
「おかあさん、ぼくのは、さいごにあんだから、ねむかったんだって」
男の子は、そう言って、いびつな星を自慢げに見せてくれた。
* * *
二つ目の落とし物は、古い懐中時計だった。
魚市場の、氷の樽の陰に落ちていたという。真鍮の蓋はすっかりくすんで、針は四時十二分で止まっていた。
蓋の内側に、細い字で彫りこみがあった。
――ヨアンへ。いつも、帰りの時間を。
名札をつけて棚に置くと、その日の夕方には、持ち主が駆けこんできた。
腰の曲がった、白い髭の漁師のお爺さんだった。
「わしの時計だ! ああ、よかった……!」
ヨアンさんは、懐中時計を両手で包みこんで、何度も何度も頭を下げた。
「死んだ女房がな、わしが若いころにくれたんだ。漁から帰る時間を、ちゃんと守れってな。……止まっちまったか」
「直せないんですか?」
「時計屋に見せたが、もう部品がないとさ。止まったのは、ずいぶん前だ。それでも、持ってないと落ち着かなくてな」
ヨアンさんは、くすんだ蓋を、指でそっと撫でた。
「ポケットの穴から、落ちたんだな。上着がもう、古くてなあ」
見ると、ヨアンさんの上着の右ポケットは、底の縫い目がほつれて、指が二本通るくらいの穴が開いていた。
私は、少し考えて、言った。
「通りの向こうに、腕のいい仕立て屋さんがいますよ。ポケットなら、きっと直してくれます」
* * *
仕立て屋のテオさんの店は、預かり所から通りを一本挟んだところにある。
この秋、町じゅうの噂になった人だ。町長の息子の上着のポケットから、とんでもないものが出てきた、あの一件の仕立て屋さん。けれど、私がヨアンさんを案内して店に入ると、本人は噂のことなど何も気にしていない様子で、今日も静かに針を動かしていた。
ヨアンさんの上着を見せると、テオさんは、ほつれたポケットを指でなぞった。
「時計を入れるなら、もう少し深くしましょう」
それから、ほつれを繕い、ポケットの内側に、小さな革の留め紐を一本縫いつけた。時計の鎖を、そこに結んでおけるように。
「これで、もう落ちません」
ヨアンさんは、上着を羽織って、時計をポケットにしまって、留め紐に鎖を結んだ。それから、ポケットの上から、ぽんぽんと二度叩いた。
「お代は、いくらだね」
「お直しは、繕いだけですから」
テオさんは、小銭だけ受け取った。それから、少し迷うように付け足した。
「ポケットの中身は、大事にしてください」
ヨアンさんは、きょとんとした顔をしていた。私は、なんとなく、その言葉の意味が分かる気がした。
帰り道、ヨアンさんが言った。
「止まった時計でもな、ポケットに入ってると、女房に帰りの時間を見張られてる気がするんだ。……それが、いいんだよ」
* * *
三つ目の落とし物は、春のはじめに、浜で見つかった。
海藻にからまった、小さな緑色の瓶。中に、丸めた紙が一枚入っていた。
拾ってきたのは、私だった。朝、浜を歩いていたら、波打ち際で光っていたのだ。
「グスタフさん、これ、落とし物ですか?」
「海の落とし物だな。名札をつけとけ」
拾った場所、北の浜。日付、今日。拾った人、ポム。
瓶の栓は固く閉まっていて、紙は、ほとんど濡れていなかった。
「中、読んでもいいんでしょうか」
「持ち主を探すためなら、仕方あるまい。宛名を確かめるだけだぞ」
私は、そっと紙を広げた。
インクは、ずいぶん色あせていた。少し右に傾いた、角ばった字だった。
――マルタへ。
――春になったら、灯台の下で待っている。
――この船が帰ったら、ちゃんと言う。逃げるなよ。
差出人の名前は、なかった。
「マルタさん……」
この町でマルタといえば、思い当たるのは一人しかいない。港の朝市で、焼き菓子の屋台を出しているマルタ婆さんだ。毎朝、蜂蜜のパイを焼いていて、私も何度か買ったことがある。
「グスタフさん、これ、マルタ婆さんに――」
振り返ると、グスタフさんが、固まっていた。
大きな手が、私の持っている紙のほうへ伸びかけて、止まっていた。耳が、見たこともないくらい赤かった。
「……グスタフさん?」
「……その字はな」
グスタフさんは、咳払いを一つした。それから、もう一つした。
「四十年前に、外洋の船の上から、わしが流したやつだ」
ブイが、窓辺で、大きなあくびをした。
* * *
話を聞くと、こういうことだった。
四十年前、若い船乗りだったグスタフさんは、焼き菓子屋の娘だったマルタさんに恋をしていた。けれど、出航の朝まで、どうしても言えなかった。
それで、船の上から、瓶に手紙を入れて流したのだそうだ。
「港に流れ着けば、誰かが届けてくれると思ったんだ。……若かったんだよ」
瓶は、どこにも流れ着かなかった。
グスタフさんの船が帰ってきたのは、それから一年後のことだった。春は、とっくに過ぎていた。
「それで、どうなったんですか」
「どうもこうも」
グスタフさんは、そっぽを向いた。
「帰ってきたら、あいつ、桟橋で待ってたんだ。手紙なんか、なくてもな。……それから四十年、毎朝、あいつのパイを食ってる」
「え。……マルタ婆さんって」
「わしの女房だ」
私は、口を開けたまま、しばらく言葉が出なかった。
知らなかった。グスタフさんが毎朝食べていたパイを焼いていたのが、あのマルタ婆さんだったなんて。
「じゃあ、この手紙、ちゃんと届けないと」
「いらん、いらん。四十年も前の手紙だ。今さら――」
「グスタフさん」
私は、名札を指さした。
「落とし物は、持ち主を待ってるんだ、でしょう?」
グスタフさんは、うっと詰まって、それから、大きな溜め息をついた。
* * *
翌朝、私は、朝市のマルタ婆さんの屋台に、瓶を届けに行った。
グスタフさんは、ついて来なかった。「わしは店番だ」と言って、預かり所の奥に引っこんでしまった。
マルタ婆さんは、蜂蜜のパイを並べる手を止めて、瓶の中の手紙を読んだ。
読み終えると、もう一度読んだ。
それから、声を立てて笑った。
「あの人ったら。四十年、遅刻よ」
マルタ婆さんは、手紙を丁寧に畳んで、エプロンのポケットにしまった。そして、焼きたての蜂蜜のパイを一切れ、紙に包んで私にくれた。
「届けてくれた、お駄賃。それから、もう一切れ」
もう一つ、少し大きめのパイを包む。
「こっちは、あの人に。……春になったら灯台の下で待ってるって、伝えておいてちょうだい。今度は、私が待つ番だから」
* * *
春の終わりの、よく晴れた夕方。
私は、預かり所の窓から、灯台のほうを見ていた。
灯台の下に、二つの影が並んでいた。腰の曲がった小さな影と、大きな肩の影。大きな影は、何度も頭を掻いていた。小さな影は、それを見て、肩を揺らして笑っていた。
何を言ったのかは、ここからは聞こえない。
でも、四十年分の「ちゃんと言う」を、今ごろ、言っているのだろう。
桟橋のほうでは、仕立て屋のテオさんが、深い紺の上着を着た女の人と並んで歩いていた。明日、王都の学院へ発つ領主様のお嬢様だと、町の人が噂していた。お嬢様は、上着のポケットに手を入れたまま、テオさんに何か話しかけていた。テオさんは、困ったように笑っていた。
帰ってきたら、お直しを頼みに来る約束でもしているのかもしれない。
私は、預かり帳を開いた。
北の浜の、緑の瓶。手紙一通。
その欄に、ていねいに書きこんだ。
――持ち主に、お返し済み。
ペンを置くと、窓辺の箱の中で、ブイが何かをくわえて丸くなっていた。
見覚えのある、薄手の毛糸の手袋だった。
まだ朝の浜風が冷えるからと、今朝、私が椅子の背に掛けておいた私の手袋だ。
「ブイ!」
ブイは、片目だけ開けて、私を見た。それから、手袋に顔をうずめて、また目を閉じた。
グスタフさんがいたら、きっと「放っとけ」と言うだろう。
私は、少し考えて、新しい名札を一枚書いた。
――拾った場所、窓辺の箱。日付、今日。拾った猫、ブイ。
名札を手袋に結んで、ブイの箱の縁にそっと置いた。
落とし物は、持ち主を待っている。
私の手袋は、明日の朝まで、ブイに預けておくことにした。




