↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

PR

港町ベルクの落とし物預かり所は、今日ものんびり営業中です

作者: SYO
掲載日:2026/11/03

 港町ベルクの桟橋のたもとに、小さな小屋がある。


 入口の上には、潮風で色の抜けた木の看板が掛かっている。


 ――落とし物、お預かりしています。


 この冬から、私はここで働いている。


「ポム。名札は、拾った場所と日付と、拾った人の名前だ。三つそろって、はじめて名札だぞ」


「はい、グスタフさん」


 預かり所の主は、グスタフ爺さんだ。昔は外洋の船乗りだったそうで、腕には錨の刺青があって、声がやたらと大きい。自分のことはあまり話さないけれど、毎朝、甘い匂いのする焼き立てのパイを黙って食べている。


 口癖は「落とし物は、持ち主を待ってるんだ」。


 棚には、名札のついた落とし物がずらりと並んでいる。片方だけの長靴。釣り竿。誰かの眼鏡。子どもの木彫りの船。どれも、持ち主が迎えに来るのを、行儀よく待っている。


 窓辺の箱の中では、三毛猫のブイが丸くなって寝ている。


 ブイは、この預かり所の三人目の係だ。仕事は、寝ることと、たまに客の膝に乗ることと、それから――。


「あっ、ブイ! それ、落とし物!」


 気がつくと、ブイは棚から毛糸の靴下をくわえて、自分の箱に持ちこもうとしていた。


「放っとけ、ポム。あいつは毛糸が好きなんだ」


「放っといたら、持ち主さんに返せません」


 私が靴下を取り返すと、ブイは、ふん、と鼻を鳴らして、また丸くなった。


* * *


 最初に、私が名札を書いた落とし物は、子ども用の赤い手袋だった。


 片方だけの、毛糸の手袋。桟橋の階段に落ちていたのを、漁師のおかみさんが届けてくれた。


 名札に、拾った場所と、日付と、おかみさんの名前を書いた。手袋の甲には、小さな白い星の刺繍がきれいに縫いつけられていた。


 不思議なことに、翌日の朝にも、別の漁師さんが「桟橋の階段に落ちてたぞ」と、赤い手袋を届けてくれた。昨日棚に置いたはずの手袋が見当たらなかったので、風で落ちて誰かが拾い直してくれたのかと思い、私はもう一度名札を書いて棚に並べた。


 その日の夕方、小さな女の子が、預かり所の戸口からそっと顔を出した。


 五つか六つくらい。片方の手だけ、赤くかじかんでいた。


「……あの。てぶくろ、ありますか」


「赤い手袋かな。星の刺繍の」


 女の子の顔が、ぱっと明るくなった。


 私は、棚から赤い手袋を取って、渡した。手渡すとき、あれ、昨日見たときより星の刺繍がほんの少しだけいびつな気がする、と首をかしげた。


 女の子は、それを右手にはめて――それから、困った顔をした。


「……こっちじゃない」


「え?」


「なくしたの、ひだりなの」


 見ると、女の子の左手は素手で、右手にはもう、同じ赤い手袋がはまっていた。私が渡したのも、右手の手袋だった。


 右手の手袋が、二つ。


「ど、どういうこと?」


 グスタフさんが、奥から顔を出して、窓辺のほうを顎でしゃくった。


「ポム。ブイの箱を見てみろ」


 ブイの寝床の箱をそっと覗きこむと、ブイのお腹の下から、赤い毛糸がはみ出していた。


 引っぱり出すと、昨日私が名札をつけた、きれいな星の刺繍の赤い手袋。


 ――左手のほうだった。


「ブイ……!」


 ブイは、片目だけ開けて、私を見た。悪びれた様子は、ひとつもなかった。


 女の子は、左手に手袋をはめて、くすくす笑った。


「ねこさんも、さむかったのね」


 じゃあ、今朝届いたこっちの右手の手袋は、誰のものなのだろう。


 私は、残った右手の手袋の名札を見直した。拾った場所、桟橋の階段。日付、今日。


「なあに、そのうち、もう一人迎えに来るさ」


 グスタフさんは、そう言って笑った。


 三日後、本当に、別の男の子が迎えに来た。女の子の弟だった。お母さんが、姉弟に、同じ赤い手袋を編んでいたのだ。


 弟の手袋の星は、やっぱり、ほんの少しだけ形がいびつだった。


「おかあさん、ぼくのは、さいごにあんだから、ねむかったんだって」


 男の子は、そう言って、いびつな星を自慢げに見せてくれた。


* * *


 二つ目の落とし物は、古い懐中時計だった。


 魚市場の、氷の樽の陰に落ちていたという。真鍮の蓋はすっかりくすんで、針は四時十二分で止まっていた。


 蓋の内側に、細い字で彫りこみがあった。


 ――ヨアンへ。いつも、帰りの時間を。


 名札をつけて棚に置くと、その日の夕方には、持ち主が駆けこんできた。


 腰の曲がった、白い髭の漁師のお爺さんだった。


「わしの時計だ! ああ、よかった……!」


 ヨアンさんは、懐中時計を両手で包みこんで、何度も何度も頭を下げた。


「死んだ女房がな、わしが若いころにくれたんだ。漁から帰る時間を、ちゃんと守れってな。……止まっちまったか」


「直せないんですか?」


「時計屋に見せたが、もう部品がないとさ。止まったのは、ずいぶん前だ。それでも、持ってないと落ち着かなくてな」


 ヨアンさんは、くすんだ蓋を、指でそっと撫でた。


「ポケットの穴から、落ちたんだな。上着がもう、古くてなあ」


 見ると、ヨアンさんの上着の右ポケットは、底の縫い目がほつれて、指が二本通るくらいの穴が開いていた。


 私は、少し考えて、言った。


「通りの向こうに、腕のいい仕立て屋さんがいますよ。ポケットなら、きっと直してくれます」


* * *


 仕立て屋のテオさんの店は、預かり所から通りを一本挟んだところにある。


 この秋、町じゅうの噂になった人だ。町長の息子の上着のポケットから、とんでもないものが出てきた、あの一件の仕立て屋さん。けれど、私がヨアンさんを案内して店に入ると、本人は噂のことなど何も気にしていない様子で、今日も静かに針を動かしていた。


 ヨアンさんの上着を見せると、テオさんは、ほつれたポケットを指でなぞった。


「時計を入れるなら、もう少し深くしましょう」


 それから、ほつれを繕い、ポケットの内側に、小さな革の留め紐を一本縫いつけた。時計の鎖を、そこに結んでおけるように。


「これで、もう落ちません」


 ヨアンさんは、上着を羽織って、時計をポケットにしまって、留め紐に鎖を結んだ。それから、ポケットの上から、ぽんぽんと二度叩いた。


「お代は、いくらだね」


「お直しは、繕いだけですから」


 テオさんは、小銭だけ受け取った。それから、少し迷うように付け足した。


「ポケットの中身は、大事にしてください」


 ヨアンさんは、きょとんとした顔をしていた。私は、なんとなく、その言葉の意味が分かる気がした。


 帰り道、ヨアンさんが言った。


「止まった時計でもな、ポケットに入ってると、女房に帰りの時間を見張られてる気がするんだ。……それが、いいんだよ」


* * *


 三つ目の落とし物は、春のはじめに、浜で見つかった。


 海藻にからまった、小さな緑色の瓶。中に、丸めた紙が一枚入っていた。


 拾ってきたのは、私だった。朝、浜を歩いていたら、波打ち際で光っていたのだ。


「グスタフさん、これ、落とし物ですか?」


「海の落とし物だな。名札をつけとけ」


 拾った場所、北の浜。日付、今日。拾った人、ポム。


 瓶の栓は固く閉まっていて、紙は、ほとんど濡れていなかった。


「中、読んでもいいんでしょうか」


「持ち主を探すためなら、仕方あるまい。宛名を確かめるだけだぞ」


 私は、そっと紙を広げた。


 インクは、ずいぶん色あせていた。少し右に傾いた、角ばった字だった。


 ――マルタへ。

 ――春になったら、灯台の下で待っている。

 ――この船が帰ったら、ちゃんと言う。逃げるなよ。


 差出人の名前は、なかった。


「マルタさん……」


 この町でマルタといえば、思い当たるのは一人しかいない。港の朝市で、焼き菓子の屋台を出しているマルタ婆さんだ。毎朝、蜂蜜のパイを焼いていて、私も何度か買ったことがある。


「グスタフさん、これ、マルタ婆さんに――」


 振り返ると、グスタフさんが、固まっていた。


 大きな手が、私の持っている紙のほうへ伸びかけて、止まっていた。耳が、見たこともないくらい赤かった。


「……グスタフさん?」


「……その字はな」


 グスタフさんは、咳払いを一つした。それから、もう一つした。


「四十年前に、外洋の船の上から、わしが流したやつだ」


 ブイが、窓辺で、大きなあくびをした。


* * *


 話を聞くと、こういうことだった。


 四十年前、若い船乗りだったグスタフさんは、焼き菓子屋の娘だったマルタさんに恋をしていた。けれど、出航の朝まで、どうしても言えなかった。


 それで、船の上から、瓶に手紙を入れて流したのだそうだ。


「港に流れ着けば、誰かが届けてくれると思ったんだ。……若かったんだよ」


 瓶は、どこにも流れ着かなかった。


 グスタフさんの船が帰ってきたのは、それから一年後のことだった。春は、とっくに過ぎていた。


「それで、どうなったんですか」


「どうもこうも」


 グスタフさんは、そっぽを向いた。


「帰ってきたら、あいつ、桟橋で待ってたんだ。手紙なんか、なくてもな。……それから四十年、毎朝、あいつのパイを食ってる」


「え。……マルタ婆さんって」


「わしの女房だ」


 私は、口を開けたまま、しばらく言葉が出なかった。


 知らなかった。グスタフさんが毎朝食べていたパイを焼いていたのが、あのマルタ婆さんだったなんて。


「じゃあ、この手紙、ちゃんと届けないと」


「いらん、いらん。四十年も前の手紙だ。今さら――」


「グスタフさん」


 私は、名札を指さした。


「落とし物は、持ち主を待ってるんだ、でしょう?」


 グスタフさんは、うっと詰まって、それから、大きな溜め息をついた。


* * *


 翌朝、私は、朝市のマルタ婆さんの屋台に、瓶を届けに行った。


 グスタフさんは、ついて来なかった。「わしは店番だ」と言って、預かり所の奥に引っこんでしまった。


 マルタ婆さんは、蜂蜜のパイを並べる手を止めて、瓶の中の手紙を読んだ。


 読み終えると、もう一度読んだ。


 それから、声を立てて笑った。


「あの人ったら。四十年、遅刻よ」


 マルタ婆さんは、手紙を丁寧に畳んで、エプロンのポケットにしまった。そして、焼きたての蜂蜜のパイを一切れ、紙に包んで私にくれた。


「届けてくれた、お駄賃。それから、もう一切れ」


 もう一つ、少し大きめのパイを包む。


「こっちは、あの人に。……春になったら灯台の下で待ってるって、伝えておいてちょうだい。今度は、私が待つ番だから」


* * *


 春の終わりの、よく晴れた夕方。


 私は、預かり所の窓から、灯台のほうを見ていた。


 灯台の下に、二つの影が並んでいた。腰の曲がった小さな影と、大きな肩の影。大きな影は、何度も頭を掻いていた。小さな影は、それを見て、肩を揺らして笑っていた。


 何を言ったのかは、ここからは聞こえない。


 でも、四十年分の「ちゃんと言う」を、今ごろ、言っているのだろう。


 桟橋のほうでは、仕立て屋のテオさんが、深い紺の上着を着た女の人と並んで歩いていた。明日、王都の学院へ発つ領主様のお嬢様だと、町の人が噂していた。お嬢様は、上着のポケットに手を入れたまま、テオさんに何か話しかけていた。テオさんは、困ったように笑っていた。


 帰ってきたら、お直しを頼みに来る約束でもしているのかもしれない。


 私は、預かり帳を開いた。


 北の浜の、緑の瓶。手紙一通。


 その欄に、ていねいに書きこんだ。


 ――持ち主に、お返し済み。


 ペンを置くと、窓辺の箱の中で、ブイが何かをくわえて丸くなっていた。


 見覚えのある、薄手の毛糸の手袋だった。


 まだ朝の浜風が冷えるからと、今朝、私が椅子の背に掛けておいた私の手袋だ。


「ブイ!」


 ブイは、片目だけ開けて、私を見た。それから、手袋に顔をうずめて、また目を閉じた。


 グスタフさんがいたら、きっと「放っとけ」と言うだろう。


 私は、少し考えて、新しい名札を一枚書いた。


 ――拾った場所、窓辺の箱。日付、今日。拾った猫、ブイ。


 名札を手袋に結んで、ブイの箱の縁にそっと置いた。


 落とし物は、持ち主を待っている。


 私の手袋は、明日の朝まで、ブイに預けておくことにした。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。