5.決断
一晩中眠れずにずっと考えていた。テーブルの上に置かれた微笑ましい笑顔が集う、一枚の家族写真。
「お父さん、お母さん、私、どうしていいか分からない。
でも……、きっと二人なら正しい選択だと言ってくれるよね」
ベッドに横たわる瀕死の半魔を見つめそう呟いた。
右腹部の一部が欠落しドス黒く変色している奥の血液には不気味な蛍光色が混ざる。ハサミを手に上半身の衣服を完全に切り剥ぐ。硬い筋肉質な鍛えられた肉体には、古傷と真新しい剣痕と思われる傷跡が混在していた。
複雑に刻まれた紋章の胸部はゆっくりと上下し微かに息をしているが、閉じられた瞳は開かれることはない。
「ヒール」
半魔である魔族ガゼルの傷を癒す様に沙良は開いた両手を彼の身体の上にかざす。やがて眩いあたたかな光が彼の上半身を包み始めてゆく。
ピクリと微かに動く瞼。しかし、まだ瞳を見開く力も残っていないのだろう。
沙良は懸命に彼に対し回復魔法をかけ続ける。
少しずつ変化してゆくガゼルの肉体、彼が意識を取り戻したのは一時間後のことだった。
「うぐっ、ここはどこだ」
沙良は何も答えずじっとヒールをかけ続ける。
「貴様、何故――」
「静かにして! 集中できない」
腐敗した腹部の回復に神経を集中させる沙良。幾度ヒールを唱えても蛍光色の液体が回復を妨害する。
「毒にヒールは効かぬ。厄介なことにこの毒は魔族四天王の一人、毒魔の猛毒だ」
「毒……」
沙良は何かを察したのか、深く大きな深呼吸を繰返し回復魔法をやめ、新たな魔術を唱える。
「キュア」
キラキラと光る粒子の細かい輝きが宙を漂いはじめ、ゆっくりと腹部に広がる不気味な蛍光色を包み込む。やがて中和されるかのように毒素である蛍光体は無色透明へと変化した。治療魔法は確実に毒素を消し去る効果をみせた。
「ヒール」
繰返し行われる治癒と回復魔法。魔力の少ない沙良は限界に達したのだろう。その場に意識を失い倒れ込んだ。
「バタンッ」
完全に抜けた体内の毒、全身にみなぎる正常化された血液によりガゼルは劇的に体力を回復させていた。
「フフフッ、まさか毒魔の猛毒を中和させるとは。この女、いったい何者だ」
身体能力を回復させたガゼルだったが、魔力の回復はまだ僅かなものしかない。確かに刺された脇腹の完治した傷口にそっと手を添え彼女をじっと見つめる。
彼の命を奪うように振り下ろされたダガーの刃先はガゼルの脇腹を貫通させ、肉片を喰い漁る肉食ネズミを仕留めるものだった。猛毒の混ざった肉片を口にしたネズミは放置していても死していただろう。しかしガゼルの肉体損傷は回復できない状況になっていたかも知れなかった。
ガゼルは立ち上がると、床に横たわる彼女に向いそっと左手をかざす。
ゆっくりと宙を浮く彼女の身体は、ガゼルの両手の中に抱きかかえられる。
「ガチャッ。沙良っ、呼び鈴鳴らしても出ないし勝手に入ったぞ。お前、鍵閉めなきゃ不用心――」
颯の瞳に映る屈強な肉体の大男。上半身裸の男は意識の無い沙良を両手で抱え上げ立ち尽くす。
「お前、誰だ! 沙良に何をした!!」
吐き捨てた強気の言葉とは対照的に、恐怖のあまり颯の身体は硬直し動く事すら出来ない。
「ふぅっ。我は――」
「ドンッ! ぐはっ」
一息、たったひといき見知らぬ男が息を吐いた直後、颯の身体は壁に向い吹き飛ばされ叩きつけられる。
「あっ、すまぬ。名を名乗ろうとしただけだ……。貴様、どうして、そんなに弱い?」
痛みを堪え立ち上がる颯の手に握りしめられた剣。愛する者を守りたい想いだけが彼を動かした。
「沙良を放せ!」
震える刃先を向け懸命に叫ぶ颯の声が響くが、ガゼルは相手にもしない。彼にとって魔力、人間界におけるマナの力を感じない剣などただの棒切れに過ぎない。
「うむっ」
抱き抱えた腕の中で横たわる沙良の異変を感じたのか、彼女をじっと見つめガゼルは奇妙な呪文を唱えると何かを確信したのか颯に問いかける。
「小僧、この娘はいつから魔術を使うようになった?」
意味不明な問いかけを耳に颯は動揺する。
「回復魔法はいつ身につけたのだ!」
「ま、魔法なんて知らない! 沙良は普通の人間で特殊能力なんて持っていない」
想定外の言葉を聞いたガゼルは颯を睨みつけ僅かな魔気を放出させる。
凍りつく身体は身動き一つ取れない。
「笑わせるな。お前達ヒューマンどもが命に変えて守る決意とはそんなものか! 知らぬだと、守るべき者と心を通わせてもおらぬ貴様にこの女を守る資格などないわ!!」
「お、お、お前に何がわかる。人間でも無い魔物に……、俺は、おれはずっと彼女を――」
吐き捨てる言葉を言い終える直前、颯の耳に衝撃的な言葉が響く。
「い……、今、なんて……、
う、う、嘘だ……」
魔物が放った受入れがたい言葉。
一瞬も瞳から目を逸らさず伝える姿に、颯は剣を手放しその場に崩れるように膝を付いた。
耳に残るガゼルの言葉は颯の脳裏で繰返し復唱される。
「この女の余命は――、あと一年」だと。




