2.想人
暖かな春の日差しを浴びながら、教室の窓辺でうたた寝をする僕を心地よく起こすいつもの声。
「起立。礼」
その透き通る優しい声は、ぽかぽかと身体を温める陽気よりも僕の深い心の奥に届く。
清楚、可憐、純粋、室内へと流れ込む春風が君の長い黒髪を揺らし、男心をくすぐる。僅かに見えた隙の無い作り笑顔に向けられるのは、嫉妬、劣等、憎悪、を抱く女子生徒達の冷ややかな視線だった。
『そう、僕は全女子生徒学校一嫌われ者の彼女に恋をしている』
「沙良っ、一緒に帰ろうぜ」
「無理」
誘い言葉を伝え終える前に、彼女はそう即答した。
「颯、最近居眠り多すぎない」
まるで幼子を叱責している母親の様な眼差しと口調が心に刺さる。
「はいはいっ。明日から頑張ります」
聞きなれた言い訳を耳に呆れ顔で彼女は教室を出ていった。
学業よりも恋愛を優先した青春を謳歌したい僕と彼女との温度差は計り知れなかった。いつも幼馴染の僕のことを気にかけてくれる彼女は、成績優秀にも関わらず進学しないと公言している。そんな矛盾な考え方が、よりクラス内でも孤立している理由だろう。
鼻先に残る筈の無い淡く甘い香り、沙良の髪の薫りを妄想しながら足早に一人駆けてゆく彼女の後ろ姿を教室の窓から見送る。
『自宅とは逆――。
そうか……、月命日か――』
今から十年前、突如地上に異世界と繋がる謎のゲートが出現した。高層マンションをも飲み込む巨大な暗闇を人々が見守る中、無数の魔物が現れ恐怖と共に絶望、そして死を告げるように大空を占拠した。
ところが、奴らはこの国を襲撃や支配することなく共存共栄の道を促し、後に魔界との協定が結ばれた。
魔界協定、その全貌は市民に公開されることはなく、あの時ゲート出現により被害を受けた人々の命はまるで空気のように消し去られた。
沙良の両親はこの時出現したゲートの闇煙につつまれ妹と共に姿を消した。崩壊した道路の亀裂に自家用車が発見されたが、家族の遺体は発見されることはなく、闇煙につつまれた沢山の人々も同様に消え去った。
周囲に広がる火山灰の様な黒粉は、一瞬にして焼かれた人灰だと噂された。
魔界のゲートが閉じられた翌日、付近の崩壊したビルの残骸に埋もれた瀕死状態の彼女が救助され懸命な救命活動により一命を取りとめた。唯一の生存者となった彼女の心情は誰にも理解できないだろう。
一欠片すら別れなど想像もしなかった家族との絆。魔界の存在が、彼女の目の前で一瞬にして大切な全てを奪い去ったのだ。この世にたった一人残された自らに浴びせられる見せかけの同情心、無意味な慰めの言葉ほど彼女を苦しめるものはない。
まだ7歳の幼い一人の少女は、あの日から魔物への復讐を誓い人を寄せ付けなくなった。
全てを知る僕だけは、ずっと君の味方でいることを誓った。
「ドンッ」
背後から突然伝わる衝撃に僕は振り返る事はない。何故なら――。
「ハハハッ、サギナスキック炸裂」
それは決まって繰り返される日常だから。
「おいFランク。今日もギルドで修行ですか? 時代遅れのハンターさん」
かってこの国では、生まれ持った素質をもとにギルドに登録された。その属性により修練を積み重ねハンターとして社会貢献する事が義務づけられていたのだ。ところが時代の流れと共に、魔物との闘い方は大きく変化してゆく。今ではギルド組織は弱体の一途をたどり、今後は次世代戦闘兵器ロボットがモンスター討伐を行う時は目の前まで近づいていた。
人間型ロボット最新兵器サギナス。熟練ハンター五名のパーティが、一週間で討伐した闇のダンジョン。同レベルダンジョン討伐をサギナスは僅か二時間で終えた。
「サギナスレーザービーム!!」
握りしめられた紙パック牛乳、そのストローから噴射された白い液体は僕の後頭部に命中する。
「うわっ、臭っ! ちゃんと風呂入ってますか西城君?」
何度か抵抗したことがある。それでも僕は彼らに勝てなかった。毎日、繰返しギルド養成所で修練してもFランクから上がる事が出来ない。人を馬鹿にし、ハンターを侮辱する奴らはBランクの力を持っている。彼らを怒らせない事が、僕自身を守る唯一の方法なのだ。
「ははっ、サギナス強いね。ゴメン、今日これだけしか持っていなくて……」
握りしめた二千円を当たり前のように彼らに手渡した。奴らはある意味有能なのだろう。目撃者の誰もいない場所で見張りをたてて人を傷つける。その有能さのお陰で、このことが沙良には知られていないことが唯一の救いだった。
だが、彼らはその一線をも越えようとする。
「サンキュー。いつも悪いな。はい、ライブチケット2枚」
彼らは恐喝を隠蔽するため必ず商品を手渡す。いつもはポケットティッシュやマスク1枚など価値の無い物ばかりだった。
何かおかしい……。
「お前さぁ、沙良ちゃんと幼馴染だって?」
「……」
「実はさぁ、いい薬が入って是非彼女と楽しみたくってな。アイツいい身体してるじゃん。上手く誘ってくれないかな、西城君――」
苦笑いを浮かべその場をやり過ごすが奴らの目は本気だった。一週間後に行われる軽音楽部ライブ。打ち上げと称しクラブハウスの個室控室へ連れてこいと脅迫し奴らは立ち去った。
『僕は傷ついても構わない。でも、沙良に手を出すことは許さない。絶対に――』




