表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

冬の帰り道

作者: 白井夢子
掲載日:2025/12/25


冬の夜の空気は、刺すように冷たかった。

音まで吸い込んでしまうような静けさの中で、吐く息だけが白く浮かぶ。

吸い込むたびに、鼻の奥が少し痛んだ。


冬は空が高い。

浮かんだ月も遠く、街灯の明るさに霞んでいた。

星が少ないせいで、ただ黒に近いだけの夜空が、とても寂しい。

冷たくて、感情を映さない、黙ったままの空だった。


人のいない時間帯の住宅街は、音の少ない世界だ。

スニーカーが道路をなでる足音だけが、やけに大きく響く。


遠くで犬が一度だけ吠えた。

どこかの家からは、換気扇の低い音が流れている。

――それ以外には、何もない。

世界が、仕事の後の自分と同じくらい、空っぽに見えた。


抜け殻のように歩きながら、身体の中から、気力がゆっくりと流れ出していく感覚があった。

(この感じ……ああ、これカタツムリだ)


歩くたびに、仕事に削られた一日の名残が、少しずつ道に落ちていく。

見えない何かを、道の上に残しながら帰っている気がした。

身体はどんどん薄っぺらく、空っぽになっていく。

何かを引きずりながら帰る生き物になった私は、カタツムリだ。


流れ落ちていく何かを、立ち止まって止める気力も、もう残っていなかった。




街灯だけがボツンポツンと灯る道を、力なく歩き続けている。

駅から家まで、たった徒歩12分ぶんの道のりが、今夜は果てしなく遠い。

背負ったリュックが肩に食い込み、身体を地面へ沈ませていく。


終電とまでは言わないが、外を歩く者などいないくらい、遅い時間だった。

だけど私はまだ家に辿り着いてもいない。


帰っても、すぐ食べられる物はカップ麺くらいしかない。

途中で何か買って帰るつもりだったのに、気づけばコンビニのある道を通り過ぎていた。

もう、引き返す気力は残っていなかった。


「こんなに遅い時間まで頑張ったのに、カップ麺だなんて……」

泣きたい気持ちだが、泣くことも出来ない。

お腹が空いている。

喉も渇いている。

せめてコンビニでささやかでも贅沢したい。

――だけど、早く帰りたい。



ビュウと風が吹いて、空っぽのポテトチップスの袋が宙にまう。

暗い夜道の街灯の下で舞っているポテトチップスの袋も、今の私のようだ。


空腹で、喉が渇いて、仕事のやる気すら失って、気力のない空っぽの自分。

風に吹かれて飛んでいくくらい軽い。

けれど、たとえ飛べてもどこへもたどり着けない。

飛んで行った先々で、鬱陶しがられてしまうポテトチップの空の袋。

――まさに私だ。



そこまで考えて苦笑する。

さすがにポテトチップスの袋はないだろう。


「せめて使い切った歯磨き粉、っていうほうがマシかも。……ああ、そうじゃなくて。

ちょっと疲れすぎているのかも。早く帰って休もう」


そう思って、卑屈になる自分を叱咤した。

もう少しだ。もう少しで家に辿り着くのだ。

たとえ一歩ずつでも足を前に出していけば、もうすぐ家が見えてくるはず。



そうやってズッ、ズッと引きずるような靴音を立てながら歩いていると、急に光が差した。

――車だ。


ああ、端っこに寄らなくては。

黒いコートに、仕事用の黒いパンツ。そして黒いリュック。

これでは闇に紛れて、危険だ。


現実の自分に注意されて、ゆるゆると道の端に移動する。

だけど、光は止まったままで、動かない。


あれ…?と思った瞬間に目の前が光に包まれた。

「あ……」

口から力なく小さな声が出る。



フワリ、と身体が宙に浮き――

私はまるで風に吹かれたポテトチップスの袋のように舞い上がる。


地上が少しずつ遠くなってゆく。

ふと上を見上げると、光の先にUFOが浮かんでいた。


どうやら私は、宇宙人に捕まってしまったらしい。


「これはマズイ事になった」「逃げなければ」

頭のどこかで警鐘が鳴る。


だけど、もう疲れ切って、枯れ切った私には、逃げる気力もない。なるようにしかならないのだ。


「ああ……もうなんかしょうがないよね……」


諦めと共に、フワリ、クルリ、と舞うようにUFOの中に吸い込まれていく。


もしこのまま吸い上げられていくなら、明日のシフトに間に合わないだろう。


――それだけが、少し残念だった。





評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このタイミングで終わるのか、ここで切っちゃうのか、という点が大胆ですごいなーと思いました。 日常から非日常にシームレスに切り替わっていくところが好きです。
UFOに拉致されている時に、気にするのが「明日のシフトに間に合わない」こととは! 読んでいて、悲しくなりましたね。 主人公が平穏な生活を送れる日は来るのでしょうか? 寒い中、お疲れ様です。 よいお…
本当に宇宙人、来た! これはもうしょうがないです。不可抗力です。『私』の意思ではないんです~、と連れ去られて行く疲れきった彼女に平穏あれと願います。 “左足骨折したら仕事できないよなー、職場で荷物の下…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ