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冬の帰り道

作者: 白井夢子


冬の夜の空気は、刺すように冷たかった。

音まで吸い込んでしまうような静けさの中で、吐く息だけが白く浮かぶ。

吸い込むたびに、鼻の奥が少し痛んだ。


冬は空が高い。

浮かんだ月も遠く、街灯の明るさに霞んでいた。

星が少ないせいで、ただ黒に近いだけの夜空が、とても寂しい。

冷たくて、感情を映さない、黙ったままの空だった。


人のいない時間帯の住宅街は、音の少ない世界だ。

スニーカーが道路をなでる足音だけが、やけに大きく響く。


遠くで犬が一度だけ吠えた。

どこかの家からは、換気扇の低い音が流れている。

――それ以外には、何もない。

世界が、仕事の後の自分と同じくらい、空っぽに見えた。


抜け殻のように歩きながら、身体の中から、気力がゆっくりと流れ出していく感覚があった。

(この感じ……ああ、これカタツムリだ)


歩くたびに、仕事に削られた一日の名残が、少しずつ道に落ちていく。

見えない何かを、道の上に残しながら帰っている気がした。

身体はどんどん薄っぺらく、空っぽになっていく。

何かを引きずりながら帰る生き物になった私は、カタツムリだ。


流れ落ちていく何かを、立ち止まって止める気力も、もう残っていなかった。




街灯だけがボツンポツンと灯る道を、力なく歩き続けている。

駅から家まで、たった徒歩12分ぶんの道のりが、今夜は果てしなく遠い。

背負ったリュックが肩に食い込み、身体を地面へ沈ませていく。


終電とまでは言わないが、外を歩く者などいないくらい、遅い時間だった。

だけど私はまだ家に辿り着いてもいない。


帰っても、すぐ食べられる物はカップ麺くらいしかない。

途中で何か買って帰るつもりだったのに、気づけばコンビニのある道を通り過ぎていた。

もう、引き返す気力は残っていなかった。


「こんなに遅い時間まで頑張ったのに、カップ麺だなんて……」

泣きたい気持ちだが、泣くことも出来ない。

お腹が空いている。

喉も渇いている。

せめてコンビニでささやかでも贅沢したい。

――だけど、早く帰りたい。



ビュウと風が吹いて、空っぽのポテトチップスの袋が宙にまう。

暗い夜道の街灯の下で舞っているポテトチップスの袋も、今の私のようだ。


空腹で、喉が渇いて、仕事のやる気すら失って、気力のない空っぽの自分。

風に吹かれて飛んでいくくらい軽い。

けれど、たとえ飛べてもどこへもたどり着けない。

飛んで行った先々で、鬱陶しがられてしまうポテトチップの空の袋。

――まさに私だ。



そこまで考えて苦笑する。

さすがにポテトチップスの袋はないだろう。


「せめて使い切った歯磨き粉、っていうほうがマシかも。……ああ、そうじゃなくて。

ちょっと疲れすぎているのかも。早く帰って休もう」


そう思って、卑屈になる自分を叱咤した。

もう少しだ。もう少しで家に辿り着くのだ。

たとえ一歩ずつでも足を前に出していけば、もうすぐ家が見えてくるはず。



そうやってズッ、ズッと引きずるような靴音を立てながら歩いていると、急に光が差した。

――車だ。


ああ、端っこに寄らなくては。

黒いコートに、仕事用の黒いパンツ。そして黒いリュック。

これでは闇に紛れて、危険だ。


現実の自分に注意されて、ゆるゆると道の端に移動する。

だけど、光は止まったままで、動かない。


あれ…?と思った瞬間に目の前が光に包まれた。

「あ……」

口から力なく小さな声が出る。



フワリ、と身体が宙に浮き――

私はまるで風に吹かれたポテトチップスの袋のように舞い上がる。


地上が少しずつ遠くなってゆく。

ふと上を見上げると、光の先にUFOが浮かんでいた。


どうやら私は、宇宙人に捕まってしまったらしい。


「これはマズイ事になった」「逃げなければ」

頭のどこかで警鐘が鳴る。


だけど、もう疲れ切って、枯れ切った私には、逃げる気力もない。なるようにしかならないのだ。


「ああ……もうなんかしょうがないよね……」


諦めと共に、フワリ、クルリ、と舞うようにUFOの中に吸い込まれていく。


もしこのまま吸い上げられていくなら、明日のシフトに間に合わないだろう。


――それだけが、少し残念だった。





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― 新着の感想 ―
このタイミングで終わるのか、ここで切っちゃうのか、という点が大胆ですごいなーと思いました。 日常から非日常にシームレスに切り替わっていくところが好きです。
UFOに拉致されている時に、気にするのが「明日のシフトに間に合わない」こととは! 読んでいて、悲しくなりましたね。 主人公が平穏な生活を送れる日は来るのでしょうか? 寒い中、お疲れ様です。 よいお…
本当に宇宙人、来た! これはもうしょうがないです。不可抗力です。『私』の意思ではないんです~、と連れ去られて行く疲れきった彼女に平穏あれと願います。 “左足骨折したら仕事できないよなー、職場で荷物の下…
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