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第95話「税の督促、相手が時間停止で逃げる」

 ひまわり市役所の朝は、だいたい平和だ。

 ただし――税務課を除く。


 税務課は、平和の代わりに“期限”がある。

 期限の向こう側には、督促がある。

 そして督促の向こう側には、胃痛がある。


「主任、税務課から“異界案件”の応援要請です」

 総務課の職員が、げっそりした顔で異世界経済部に来た。


「税務課の応援……嫌な予感しかしない」

「嫌な予感が当たってます。

 “納税しない異界住民”がいまして……」

「それだけなら、よくある」

「相手が……時間停止します」

「よくあるなぁぁ!! ……いや、よくない!!」


 美月が目を輝かせる。


「時間停止!? 最強能力じゃないですか!」

「最強能力で税逃れするな!」


 加奈が心配そうに言う。


「税の督促って、普通でも大変なのに……」

「相手が時間止めるなら、普通が通じない。

 でも、やることは変わらない。手続きと記録だ」


 市長が入ってきて、さらっと言った。


「税は町の血液だ。止めるわけにはいかない」

「市長、今日だけ名言っぽいのやめてください。胃が痛くなります」


 税務課の会議室には、書類が山積みだった。

 担当係長が、目の下にクマを作っている。


「主任さん……助けてください……」

「状況を整理してください」

「対象者は異界から来た商人です。名前は“クロノ”

 滞在中に結構稼いでるのに、住民税と事業税が未納。督促に行くと――」


 係長は、手を震わせながら続ける。


「時間が止まります」

「止まったらどうなるんです?」

「こっちが瞬きした瞬間、いなくなってるんです……

 書類だけ置いて……」

「置いてくのが丁寧で腹立つな!」


 美月が言う。


「つまり、逃げるのが上手い」

「上手いじゃなくて犯罪の臭いだ!」


 加奈が冷静に聞く。


「その人、何を売ってるの?」

「時計です……」

「時計……」

「名前クロノで時計売ってて時間止める。キャラ立ちすぎだろ!」


 市長が頷く。


「だが、法律上は“納税義務”がある。

 時間停止は、手続きの妨害に近い」

「妨害だとしても、捕まえるのが難しいんですよ!」


 勇輝は深呼吸した。

 相手が時間停止するなら、追いかける発想は捨てるべきだ。

 行政は、追いかけるより“逃げられない形”を作る。


「よし。会いに行く。

 ただし、追い詰めるんじゃなく、逃げても無駄にする」


 クロノの店は、異界市場の一角にあった。

 小さな屋台だが、品物が妙に高級。

 歯車が光り、針が静かに揺れる。見るだけで時間に酔いそうになる。


 クロノ本人は、細身で黒い手袋をしている。

 目が笑っていないタイプだ。


「おや。役所の方々か。

 今日は“何の時間”を取りに来た?」

「税の時間です」

 勇輝は即答した。

「あなたの時間を少しください。納税の話です」


 クロノは肩をすくめた。


「税か。

 あれは人間が作った“縛り”だろう?」

「縛りです。全員に等しく。

 町の道路も、橋も、ゴミ収集も、全部そこから出てます」

「私は道路を使っていない」

「使ってます。屋台を運ぶのに道通ってる」

「……理屈は上手い」


 美月が小声で言った。


「課長、ツッコミが刺さってる」

「刺さってくれ」


 加奈が穏やかに言う。


「払いたくないの?」

「払うのは嫌いじゃない。

 ただ、追われるのが嫌いだ」

「追われるようなことしてるからです」


 クロノが薄く笑った。


「なら、こうしよう。

 君たちが瞬きをしたら、私は消える」

「つまり時間停止で逃げる気だな」

「逃げるというより、場を整えるだけだ」


 その瞬間――空気が、ひゅっと薄くなる。


 勇輝は、反射で言った。


「止めるな」

 言い終わる前に、視界が“間引き”されるような感覚があった。


 次の瞬間。


 クロノはいない。

 屋台の奥の時計の針だけが、カチ……と動いた。


 机の上には、紙が一枚置いてある。


『督促状、受領。

 しかし、時間は私のもの。

 支払いは“気が向いたら”。』


「腹立つなぁぁ!!」


 税務課の係長が震えた。


「主任さん、これです……これが毎回……」

「……大丈夫。今ので確信した。

 この人、“会話はできる”。逃げるけど」


 美月が言う。


「追いかけるんじゃなくて、囲う?」

「そう。囲うというか、逃げるメリットを消す」


 市役所に戻り、勇輝は税務課と作戦会議を開いた。


「相手は時間停止で“対面”を拒否する。

 なら、対面を前提にしない。

 文書で進める」


 係長が言う。


「督促状はもう出してます……」

「督促状は“ただのお願い”に見える。

 次は、手続きの段階を進める。

 滞納処分の予告、財産調査、差押の可能性通知」


 美月が小声で言う。


「差押って、時計差し押さえるんですか?」

「やるならやる。合法の範囲で」


 加奈が言った。


「でも時間停止されたら、差押もできないんじゃ……」

「差押は“現場で捕まえる”ことじゃない。

 取引の流れを押さえるんだ」


 勇輝はホワイトボードに書いた。


取引先(仕入れ):ドワーフ鍛冶


販路:商店街・観光課のイベント出店


決済:ひまわり市の交換所(両替)


出店許可:市の許可が必要


「クロノは、勝手に野ざらしで商売してない。

 “市の仕組み”を使ってる。

 なら、市の仕組み側から詰める」


 市長が頷いた。


「出店許可の条件に“納税状況”を加える」

「それ、強い。ただし公平性と手続きの透明性が必要です。

 “罰”に見えると揉めます」

「なら規程として整備する。全員同じ条件だ」


 税務課係長が目を輝かせた。


「つまり……納税しないと、出店更新できない……?」

「そう。時間停止しても、更新期限は止まらない」


 美月が言った。


「うわ、行政の勝ち方だ……」

「勝ち方って言うな。正しい運用だ」


 翌日、クロノのもとへ“正式な通知”が届いた。

 受領は、当然のようにされていた。時間停止しても、郵便は止まらない。


『出店許可更新に関するお知らせ:

 更新申請には、納税状況の確認が必要です。

 未納がある場合は、分納相談または納付が必要となります。

 ※期限:○月○日』


 その日の夕方。

 クロノが、税務課の窓口に現れた。


 顔は不機嫌。

 だが、逃げない。逃げられない。


「……役所は、時間を止めずに追ってくるのか」

「追ってません。制度がそこにあるだけです」

 勇輝は淡々と答えた。

「納税相談に来ましたね?」

「……来た」


 係長が優しく言う。


「一括が難しければ、分納もできます」

「分納……嫌いではない。

 だが、君たちに“縛られる”のは嫌だ」

「縛ってません。

 町で商売するなら、町のルールに乗ってもらう。

 それだけです」


 クロノは黙った。

 しばらくして、小さく息を吐いた。


「……分かった。

 時間停止は、癖だ。

 追われると、止めたくなる」

「癖でやるな!」


 加奈が小さく笑う。


「でも、ちゃんと話せたね」

「話せる相手なら、手続きで繋げる。それが役所だ」


 クロノは分納計画書にサインした。

 ペン先が妙に優雅で腹立つ。


 美月が小声で囁く。


「課長、これ、SNSに――」

「絶対ダメ!」


 夜。勇輝は税務課の帰り道、空を見上げた。

 異界の星は、どこか近い。時間が止まりそうなくらい静かだ。


 ――でも、町の時間は止まらない。

 税も、ルールも、生活も。


 そして、役所は今日も開庁している。

 時間停止にすら、制度で追いつきながら。


次回予告


福祉窓口に来た申請理由が「呪いで働けません」。

診断書は? 解除証明は? 呪いの取り扱いが制度に衝突する。

「福祉窓口:申請理由が『呪いで働けません』」――勇輝、呪いを“書類化”する!

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