第90話「工事が早すぎる:巨人業者が一晩で橋を直す」
ひまわり市役所の朝。
勇輝は机の上の書類を見つめ、深く息を吐いた。
「……入札方式変更の公告文、終わった」
「お疲れさまです、課長!」
美月が拍手しながら言う。拍手が軽い。内容は重い。
加奈が差し入れのパンを置く。
「食べな。昨日から顔色、役所の蛍光灯みたい」
「例えが的確すぎて傷つく」
そこへ、市長が入ってきた。
今日も今日とて、妙に爽やかだ。
「おはよう。橋が壊れた」
「おはようございます……って、何をさらっと言ってるんですか!?」
勇輝は椅子から立ち上がった。
「橋が壊れた? どこの?」
「天空橋の手前。市街地側の小橋だ。昨夜の異界風で、支柱が歪んだ」
「……交通止まりますよね」
「止まる」
「止めるなよ!」
美月が目を輝かせる。
「橋トラブル! 来ましたね! インフラ回!」
「喜ぶな!」
市長は淡々と続けた。
「だが安心しろ。もう直った」
「……は?」
「直った」
「いつ!?」
「今朝」
「今朝!? 工事ってそういうもんじゃないだろ!」
加奈が首を傾げる。
「工事って、普通は見積取って、入札して、契約して……」
「そう。普通は」
市長がさらっと言った。
「巨人業者が一晩でやった」
「だからさらっと言うなぁぁ!!」
現場は、役所から車で十五分。
問題の小橋は、確かに――新品みたいにピシッと直っていた。
昨日まで歪んでいた支柱はまっすぐ。
橋桁は補強され、路面も綺麗に均されている。
しかも、手すりまで磨かれている。
「……直りすぎだろ」
勇輝は呆然と呟いた。
横に立つ工務課の職員が泣きそうな顔で言う。
「主任……あの……工事完了してるのに、うち……何も発注してないんです……」
「そうだよな。発注してないよな。俺もしてない」
美月がカメラを構えかける。
「この“ビフォーアフター”すごいです! 巨人業者、神!」
「神にするな! そして撮るな!」
加奈が橋の下を覗き込み、真面目に言う。
「でも、怖いね。
誰が、何を、どう直したか分からないまま、使うの」
「そう。行政的に、そこが一番危ない」
市長が橋を見上げる。
「巨人たちは“善意”だ。
壊れた橋を見つけて、直してくれた」
「善意でも、勝手工事はアウトです! スライムと同じパターン!」
その瞬間、地面が――どん、と揺れた。
振り返ると、そこにいた。
巨人。
身長は二階建ての家くらい。
背中に巨大な工具袋を背負い、腰に太いロープ。
顔は意外と穏やかで、目がどこか眠そうだ。
「……あ、本人来た」
美月が小声で言う。
巨人は、にこっと笑って、低い声で言った。
『橋、直した。
みんな、通れる。
よかった』
「よかったじゃない!!」
勇輝は前に出て、できるだけ落ち着いた声で言った。
「直してくれたこと自体はありがたい。
でも、勝手に工事すると困ります。安全確認が――」
『安全、した。
太い木、強い石、良い鉄、使った』
「素材の話じゃなくて、検査の話です! 書類の話!」
巨人は首を傾げた。
『書類?』
「そう。施工記録。材料証明。工程写真。責任者。保証。
それがないと、役所は“使っていい橋”って言えない」
巨人は少し考え込んだ。
そして、ポケットから――でかい紙を出した。
紙というか、布に近い。
そこに、太い字で書いてある。
『つくった きょじん
なまえ:ドンガ
しごと:はし なおす
きのう:よる から
きょう:あさ まで
おわり』
「日記じゃない!!」
美月が感動した顔で言う。
「かわいい……“施工日誌(巨人版)”……」
「かわいいで済ますな! でも……方向性は合ってる!」
加奈がそっと勇輝に囁く。
「巨人さん、悪いことしてる自覚ないね」
「ない。だから制度に落とす必要がある」
市長が一歩前に出て、穏やかに言った。
「ドンガ殿。ありがとう。
ただ、ひまわり市には“工事のルール”がある」
『ルール……』
「工事は、先に相談する。
そして、役所が“ここを直して”と頼む。
勝手に直すと、事故が起きたとき責任が分からない」
ドンガは眉を下げた。
『事故……いや。
みんな、落ちるの、いや。
だから、直した』
「善意がまっすぐすぎる……」
勇輝は腹をくくった。
「わかった。こうしよう。
今の橋は、緊急応急復旧として扱う。
ただし、すぐに安全点検をする。
ドンガさんには、可能な範囲で“施工記録”を出してもらう」
『記録……』
「材料をどこから持ってきたか、どう組んだか、誰が作業したか。
できるだけでいい」
『できる。
木、山から。石、川から。鉄、ドワーフから。
みんな、手伝った』
「地産地消が雑!」
工務課の職員が小声で言う。
「主任……ドワーフから鉄もらってるって、材料証明どうします……」
「……ドワーフに“出してもらう”」
「出しますかね……」
「入札の魂プレゼンできるんだぞ、書類だってできる!」
美月が言う。
「じゃあ私、工程写真――」
「撮ってないだろ!」
「……撮ってません!」
「正直でよろしい!」
問題はもう一つあった。
工事が早すぎると、役所の手続きが追いつかない。
普通の工事なら――
予算確保
設計
見積
入札
契約
工事
検査
支払い
だが今は、工事が終わっている。
順番が崩壊している。
「……支払い、どうするんですか?」
工務課の職員が震える。
市長がさらっと言った。
「払う」
「払うのはいいけど、契約がない! 請求書がない! 予定価格がない!」
「後で作る」
「後で作るな!」
加奈が冷静に言う。
「でも、“直してくれた人に何も払わない”のもおかしいよね」
「そう。倫理的には払いたい。行政的には払えない。この板挟み!」
勇輝は頭をフル回転させた。
そして、答えをひねり出す。
「……寄附扱いにすると、逆に問題が増える。
なら、災害応急の協定を結ぶ。
巨人業者を“協力事業者”として登録して、単価表を作る」
「単価表……橋一本いくら、みたいな?」
美月が目を輝かせる。
「橋一本って言うな!」
市長が頷いた。
「いい。
“異界協力業者登録制度”だな」
「制度増やしすぎです! でも必要です!」
ドンガが、少し嬉しそうに言った。
『役所、たのむ?
ぼく、直す。
みんな、通れる。うれしい』
勇輝はため息混じりに笑った。
「頼む。ただし、勝手にはやるな。相談してからだ」
『相談……わかった。
でも、壊れてたら、すぐ直したくなる』
「気持ちは分かるけど抑えろ!」
加奈がふっと笑う。
「ドンガさん、えらいね。でも我慢もえらいよ」
ドンガが、ゆっくり頷いた。
『我慢……する』
美月が小声で言う。
「褒めると消える火と同じだ……褒めると我慢する巨人……」
「まとめるな!」
市役所に戻ると、勇輝はすぐにメモを清書した。
巨人業者を“応急復旧協力業者”として登録
災害・事故時の応急復旧協定(簡易契約)を整備
施工記録フォーマット(巨人向け)作成
安全点検の手順を前倒し(工事後すぐ検査)
支払いは協定に基づく(事後精算の合法化)
美月が机に突っ伏す。
「課長、役所って……書類で世界を追いかける仕事なんですね……」
「今さら気づいたのか」
市長が満足げに言った。
「橋は直った。人も安心だ。成功だな」
「成功だけど、胃が削れました」
加奈がパンを差し出す。
「食べな。胃を補強しなきゃ」
「胃の補強、入札できませんか」
「ドワーフに頼めば百年持つかも」
「やめろ!」
こうして、ひまわり市の橋は一晩で直った。
そして役所は――その“早すぎる現実”に、必死で追いつこうとしていた。
次回予告
住民説明会が開催――なのに、反対派も賛成派も同じ主張。
「子どもが安心できる町に!」で議論が進まない地獄。
「説明会が地獄:反対派も賛成派も同じ主張」――勇輝、定義づけで勝負する!




