第74話「数字が暴れる:『トラブル増えた』のに『安心も増えた』!?」
数字は嘘をつかない。
でも、数字はときどき顔が二つある。
窓口の机に、集計表が置かれた。
美月が目の下にクマを作っている。統計担当の証だ。可哀想。えらい。
「主任……出ました……」
美月が、震える指で表を指した。
「結界導入後、トラブル件数が……増えてます」
「……増えてる?」
「はい。でも同時に、アンケートの“話しやすかった”も増えてます。
つまり、こうです」
美月が咳払いして読み上げた。
「揉め事は増えた。安心も増えた。」
「何それ、監査が一番嫌うやつ!」
加奈が紙袋を抱えて入ってくる。今日はホットミルクと、なぜか冷えピタ。
結果が矛盾すると、頭が熱くなるからだ。加奈、分かりすぎて怖い。
「でも、矛盾って“現実っぽい”。
人って、安心すると本音言うから、揉めることも増えるよ」
「そう。俺も同じ推測だ。
ただし推測で終わらせると、監査に刺される。説明に変える」
背後から、のっそりと市長が現れる。不敵な笑みが今日は少し険しい。
「数字が暴れる時ほど、言葉で整えよ」
「はい。整えます。今日は“数字の読み方”回です」
集計結果:ほんとに“増えている”のが厄介
美月のまとめはこうだった。
大声・トラブル件数:導入前より増
警備・庁舎管理の呼び出し:微増
窓口中断:減
一次完結率:増
再来庁率:減
職員の体調不良:減
アンケ「話しやすかった」:増
別室対応の利用:増
勇輝は表を見て、ゆっくり頷いた。
「……これは、悪化じゃない。“表面化”だ」
美月がすぐ突っ込む。
「主任! その言い方、炎上します!
『揉め事増えたのに良くなったって言うの?』って!」
「だから“表面化”を、ちゃんと分解して言う」
加奈が頷く。
「うん。“揉め事”って一括りにすると怖い。中身を分ければ説明できる」
分解:トラブルの中身が変わっている(量じゃなく質)
勇輝は、トラブル記録の“内容”を見た。
数字は量。記録は質。両方が必要だ。
導入前のトラブルは、こんな感じが多かった。
通行妨害(役所前の検査団体)
真名要求の噂で怒鳴り込み
誤解による混乱(写真機都市伝説)
導入後のトラブルは、こう変わっていた。
「説明が足りない」といった苦情
「対応が遅い」などの要望
「安心したい」から出る本音のぶつかり
勇輝はホワイトボードに書いた。
トラブル=事故(危険)+苦情(意見)+要望(改善)
「導入後に増えたのは、主に“苦情”と“要望”です。
危険行為や暴力的な案件は増えていない。むしろ中断が減っている」
美月が目を見開く。
「中断が減ってるの、確かに大事です。
揉めても“止まらない”ってことですよね」
「そう。止まらない=運用が回ってる」
市長が頷く。
「怒鳴り声が減るより、行政が止まらぬ方が重要だ」
「市長、今日は珍しく実務!」
「私は実務だ」
「嘘つけ!」
“安心が増えた”の理由:怒っていい、と言ったから
加奈が静かに言った。
「第68話で“怒っていい”って保証したでしょ。
あれ、効いてる。
怒れない人は、黙って帰る。でも怒っていいなら、言う」
「そう。アンケの『話しやすかった』が増えてるのは、
“言える場所になった”ってこと」
美月が頷く。
「別室対応が増えてるのも、言いにくい人が“言う”側に回れたってことですね」
「その通り。
言えるようになると、最初は“苦情が増える”。それは改善の副作用」
市長が独特の笑みで言った。
「傷を治すと膿が出る、というやつだな」
「市長、急に医療比喩!」
「分かりやすいだろう」
「分かりやすいけど、ちょっと怖い!」
監査・住民向けの説明文に落とす(炎上しない言い方)
勇輝は、美月と一緒に“説明用の文章”に変換した。
ここで言い方を間違えると燃える。
ポイントは三つ。
危険が増えたわけではない
苦情・要望が増えたのは、言いやすくなった結果
運用は改善している(中断減・再来庁減・職員負担減)
美月の案(詠唱なし)はこう。
【結界(静けさ対策)試験運用の中間報告】
試験運用後、窓口での“相談・苦情・要望”の件数は増えました。
一方で、対応の中断は減り、一次完結率は上がり、再来庁(同一相談)は減っています。
また、職員の体調不良は減り、来庁者アンケートでは「話しやすかった」が増えています。
現在は、危険行為の増加ではなく「言いやすくなったことによる意見の表面化」と捉え、改善に活かしています。
勇輝は頷いた。
「これなら言い訳に見えにくい。“改善に活かす”で前向きに締まってる」
加奈も頷く。
「“言いやすくなった”って言葉、伝わる。押し付けじゃない」
市長が独特の笑みで言った。
「よし。数字は整った」
「整えたのは美月です!」
「私だ」
「市長は黙っててください!」
最後の罠:数字が一人歩きする前に“注釈”を付ける
勇輝は、最後に監査の釘を思い出した。
数字は見せ方で嘘をつく。だから注釈が必要だ。
「この報告には注釈を付けます」
苦情・要望増=悪化とは限らない
季節・混雑・噂の影響がある
2週間は短いので、継続観測が必要
目的は“窓口が回ること”と“安心”である
美月が頷く。
「注釈、地味だけど大事。炎上の火種を減らせる」
加奈がホットミルクを差し出す。
「今日は頭が熱くなる回。飲んで冷まして」
「ホットで冷ますって矛盾してるけど、ありがとう」
市長が不敵な笑みで締める。
「矛盾は現実だ。矛盾を扱えるのが行政だ」
「市長、最後だけかっこいいこと言うな!」
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、数字は暴れる。
次回予告(第75話)
「効果が出たら拡大:『結界を全庁舎に』という暴論が出る」
「全部に張れば全部解決!」
……するわけがない!
勇輝、拡大派と慎重派の板挟みに!




