第72話「監査が来る:『結界って何の事業?』と突っ込まれる」
予算は整えた。
事業名も付けた。
費用チェックリストも作った。
広報も出した。——ここまでやれば、ひとまず安心。
……と思ったところに来るのが、監査だ。
「主任! 監査担当が来てます!!」
美月の声が、廊下に反響した。
この“監査”という二文字、役所の胃を直接殴る。
「来る時期、今じゃないだろ……」
加奈が紙袋を抱えて現れる。今日は胃薬と、なぜかクリップボード。
嫌な予感が完全に“対応モード”だ。
「監査って、準備してても怖いよね。『準備してる=何かある』って見られるし」
「それは言わないで」
背後から、のっそりと市長が現れた。不敵な笑みが今日は落ち着いている。
「監査は敵ではない。町の盾だ」
「分かってます。でも盾が殴ってくる時もあります」
「ある」
「あるんだ!」
監査室:異界要素が“帳票の外側”で暴れている
監査担当は二人。
町の監査委員室の職員と、外部の監査人(臨時協力)。
どちらも顔が真面目で、笑いが薄い。笑いが薄い人は怖い。
机の上に置かれた資料に、赤ペンで丸が付いている。
「異世界経済部主任さん。
この『窓口・公共施設の安心確保対策(異界対応)』について伺います」
勇輝は深呼吸して答えた。
「はい」
監査担当が、資料を指で叩く。
「ここに“結界(静けさ対策)試験運用”とあります。
まず確認です。結界とは何ですか。
行政サービスですか。設備投資ですか。業務委託ですか」
「……全部混ざってるのが一番困る質問だ」
美月が後ろで小さく震え、加奈が横から目で「落ち着け」と合図する。
市長は黙っている。黙ってる時の市長は有能。
勇輝は、ここは“行政用語で翻訳”するしかないと腹を括った。
勇輝の回答:結界は「安全確保の運用」+「補助的手段」
「結界は、来庁者と職員の心身負担を減らし、窓口の混乱を抑えるための運用上の対策です。
設備を設置するものではなく、あくまで“場の落ち着きを作る補助”です」
監査担当が眉を上げる。
「運用対策……つまり、目に見える資産ではない」
「はい。その分、記録と根拠を残しています」
ここで出すのが、あのチェックリストと運用記録だ。
交代制の導入(シフト表)
クールダウン室の設置(備品一覧)
防護シール(試験運用)の配布数
相談件数の推移(分類別)
職員の体調不良発生と改善(匿名・集計)
広報・掲示の更新履歴(誤解防止)
結界の適用時間・場所
美月が小声で言った。
「主任……ログって言った……役所がログって……」
「今の時代はログだ」
監査担当が頷く。
「では次。
“結界の提供範囲”は誰が決めましたか。
公平性の根拠はありますか」
来た。ここが一番刺さる。
公平性:以前の“評価軸”を監査用に再提示
勇輝は、審査会で使った評価軸を“監査向けの言葉”に変換して出した。
「優先順位は、審査会を開き、以下の評価軸で判断しました」
安全性(事故・混乱リスク)
弱者性(子ども・支援が必要な人)
代替可能性(結界以外の手段の有無)
期間限定の可否(常設が必要か)
「審査会の議事メモと、決定理由も残しています」
監査担当が資料をめくる。
「……議事メモ、ありますね。
ただ“結界”という言葉は、誤解を生みます。
住民への説明はどうしていますか」
美月が一歩前に出た。ここは広報の出番だ。
「公式SNSと掲示で、目的・限界・代替策を説明しています。
“苦情封じではない”“真名は求めない”“無料サービスではない”も明記しました。更新履歴もあります」
監査担当が頷く。
「更新履歴まで……」
「炎上すると喉が死ぬので……」
「喉の話は言わないでいい!」
監査の核心:お金の話——“誰が支払ったのか”
監査担当が赤ペンで丸を付けた箇所を指す。
「次に費用です。
結界そのものは“ドラゴンの協力”とありますが、対価はありませんか。
無償協力は、倫理・公平の観点で注意が必要です」
来た。ここは真正面から逃げられない。
市長が初めて口を開いた。
「守護竜は“安全協力者”として登録している。対価は金ではなく、町の責任と安全配慮だ」
「市長、言い方が強い」
勇輝が補足する。
「無償協力に依存しすぎないため、結界は“補助”に留めています。
代替策(人員配置、導線、掲示、相談体制)を同時に整え、結界がなくても運用できる形を基本にしています」
加奈が静かに言った。
「“特定の人の善意”に寄りかかると、町が脆くなる。だから仕組みを作ったんだよね」
「その通り」
監査担当がうなずく。
「善意依存の回避——重要です。
では、支出の内訳は?」
佐伯課長(財務)が、資料を差し出す。今日は倒れていない。偉い。胃は死んでるが。
備品(クールダウン室)
印刷物(掲示・案内)
時間外・応援配置(一定期間)
防護シール(試験)
導線資材
「支出根拠と見積チェックリストも添付しています」
監査担当が頷く。
「……整っています」
勇輝は心の中で泣いた。
“整っています”は、役所で最高の褒め言葉だ。生き延びた。
監査の最後の釘:事故・苦情が出た時の責任
だが、最後に来る。必ず来る。
「結界によって体調不良が出た、苦情が出た、差別を助長した——
そういった場合の責任と対応手順は?」
勇輝は即答した。
「事故・苦情対応手順を作りました。
受付→分類→担当→対応期限→再発防止、まで。
特にプライバシー侵害や強要は“赤”で即対応です」
美月が補足する。
「“怒ってもいい”の保証と、別室対応も運用に入れています。
結界の強さは調整可能で、誤解が出たときは説明を先に出します」
「町は、守りを透明にする」
監査担当が、ペンを置いた。
「分かりました。
現時点では、記録・根拠・説明が揃っています。
ただし——試験運用の期限と、評価指標を明確にしてください。
いつまで試し、何をもって継続判断するか。そこが必要です」
「……はい。そこ、詰めます」
勇輝は深く頭を下げた。
負けではない。次の宿題だ。
監査後:役所は“説明責任”で生きている
監査担当が帰った後、会議室の空気が一気に抜けた。
美月が床に崩れそうになりながら言う。
「主任……監査、心臓に悪い……」
「心臓に悪い。だが必要だ」
加奈が紙袋から飴を出す。
「甘いの。今日は生き延びた味」
佐伯課長(財務)が遠い目で言った。
「……監査で褒められると、逆に怖い……次が来る……」
「やめろ縁起でもない!」
市長が独特の笑みで締める。
「よし。ひまわり市は、魔法でも帳簿でも守る」
「帳簿は魔法じゃないです!」
「似たようなものだ」
「違う!!」
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、監査で胃が死ぬ。
次回予告(第73話)
「評価が必要:結界は本当に効果があるのか?“数字で証明せよ”」
相談件数、トラブル件数、職員の疲労——
データを取れ! 比較しろ!
美月、ついに“行政統計担当”になる!?




