第67話「現場が限界:窓口職員に“魔力疲労”が出る」
相談窓口が回り始めた。
分類もできた。導線もできた。掲示も整えた。——はずだった。
なのに、役所の空気が、朝から妙に重い。
「主任……職員が、倒れました……」
住民課の係長が、声を落として言った。
勇輝は一瞬、言葉を失う。倒れるという単語は、役所で一番聞きたくない。
「誰が」
「相談窓口の担当です。昨日まで元気だったのに、今朝、カウンターに座った瞬間に……」
「座った瞬間に?」
隣で美月がメモを取りながら顔を青くする。
「主任、これ……過労ですか? それとも……」
「どっちもありえる」
そこへ加奈が紙袋を抱えて入ってきた。今日は差し入れが、いつもと違う。飴やクッキーではなく、塩タブレットと、湿布と、……なぜか目薬。
「今日、窓口の人、目が死んでた。『赤い相談票が眩しい』って言ってた」
「眩しいって、色の話じゃないだろ……」
背後から、のっそりと市長が現れる。不敵な笑みが今日は薄い。
「職員が倒れれば行政は止まる。原因を切り分けろ」
「はい。切り分けます。今すぐ」
住民課カウンター:倒れた理由が、異界すぎる
相談窓口の横の休憩スペース。
倒れた職員は、椅子に座らされ、養護教諭——じゃない、役所の産業医的な外部相談員(臨時)に水を飲まされていた。顔色は青いが意識はある。
「大丈夫ですか」
勇輝が声をかけると、職員は力なく笑った。
「主任……すみません……。体が……重くて……。胸が……ざわざわして……」
そこへ、なぜか異界医療に詳しいスライムの薬師が、ちょこんと机の上に乗っていた。市長のルートだろう。変なところで仕事が早い。
スライム薬師が、ぷるんと震えながら言う。
「これは……“魔力疲労”の気配」
「魔力疲労?」
美月が前のめりになる。
勇輝は嫌な予感を握りつぶしたい気持ちで聞き返す。
「それは、どういう……」
「感情の渦に長く晒されると、魔力の薄い者でも“受けて”しまう。
怖れ、怒り、悲しみ……それが、皮膚から染みる。眠れなくなる。胸がざわつく。視界が赤くなる」
「視界が赤くなる、相談票のせいじゃなくて本当に赤いの!?」
美月が思わず叫び、加奈が即座に肩を叩く。
「大声禁止。本人がびっくりする」
職員が小さく頷いた。
「……昨日、相談者の話を聞いてると、頭の中まで不安でいっぱいになって……家に帰っても、ずっと“誰かの怖い”が残ってました……」
勇輝は息を吐いた。
これは精神論では片付かない。現場の負荷が、異界の性質で“増幅”している。
市長が静かに言った。
「つまり、窓口は今“感情災害”の最前線だ」
「言い方が重い!」
「重いが、事実だ」
結論:差し入れだけでは守れない。勤務体制で守る
加奈が紙袋から塩タブレットを出しながら言った。
「甘いのと塩味で回復する限界、超えてる」
「うん。加奈の差し入れは最強だけど、最強にも限界はある」
「最強って言うな!」
美月が真剣な顔になる。
「主任、これ、窓口の人数増やすしかないですよ。あと休憩。強制休憩」
「そう。増員と、回し方と、守り方」
勇輝はホワイトボードを出し、いつもの“行政の必殺技”を発動する。
——シフト表だ。
勇輝式・窓口防衛プラン(暫定)
1) “連続対応”を禁止する
「相談は受け止めるほど吸う。だから、吸い続けさせない」
相談対応は 最長60分 で交代
赤(緊急)対応は 30分 で必ず休憩
休憩は“席を外す”だけじゃなく、別室で切り替える
住民課係長が目を潤ませる。
「主任……交代を“ルール化”してくれると、現場が言いやすいです……」
「言いやすさが命です」
2) “クールダウン室”を作る(庁舎内)
美月がすかさず言う。
「主任、空き会議室あります! そこ、照明落として、外の音遮って、深呼吸できる部屋にしましょう!」
「いい。名札は“休憩”じゃなくて“回復”にする。サボりに見えないように」
「行政っぽい!」
加奈が頷く。
「“回復”って言葉、本人も許可が出る感じする」
3) “受けない”技術を配る
スライム薬師が、ぷるんと机を揺らす。
「簡単な遮断符がある。耳と胸に貼ると、感情の流入が弱まる」
「貼るの!?」
「貼る」
市長が独特の笑みで言う。
「よし。庁舎管理費で“遮断符”を購入しよう」
「そんな予算科目、ないですよ!」
「作ればよい」
「作るな!!」
結局、名称は「簡易防護シール(試験運用)」になった。行政は何でも“簡易”と言う。
4) “窓口の二人体制”を基本にする
一人が受け止め、もう一人が整理して流す。
一人で抱えると吸い込まれる。
A:聞く担当(共感・受け止め)
B:整理担当(分類・次の案内)
美月がうなずく。
「これ、相談者にも優しい。話を遮られないし、出口も見える」
「出口を見せるのが行政」
そして最強の一手:ドラゴンが“結界”を張る
ここで、市長がさらっと言った。
「グラン=ドゥルを呼べ」
「え、守護竜?」
数分後、庁舎前に大きな影。
安全協力者登録第一号のドラゴンが、当たり前みたいに入ってきた。
「呼ばれた」
「窓口が感情災害で職員が倒れてます。守れますか」
ドラゴンは真面目に頷いた。
「守れる。炎と刃は防げる。……感情は難しいが、薄めることはできる」
「薄める?」
「人が多い場所に、静けさの膜を張る。怒りが刺さらない。恐怖が残らない。
ただし、完全には消せない。消すと人が鈍る」
「鈍るのも困る。手続きできなくなる」
市長が言う。
「よい。薄めろ。町のためだ」
ドラゴンが、庁舎の相談窓口付近にゆっくりと息を吐いた。
熱はない。煙でもない。……ただ、空気が“さらり”とする。
美月が小声で言った。
「え、いま、頭の中のざわざわが……ちょっと減った気がします」
加奈も、驚いた顔で頷く。
「うん。音が丸くなった感じ」
倒れていた職員が、ほんの少し息を吐いた。
「……楽です……」
「結界、強い……」
勇輝はドラゴンに深く頭を下げた。
「ありがとうございます。あなた、世帯主にならなくていいです。十分役所を救ってます」
「世帯主は嫌だ。書類が多い」
「正しい」
新体制、始動:窓口が“回る”より先に“倒れない”へ
午後、相談窓口は新しい形で再開した。
貼り紙も追加される。
相談窓口は順番にご案内します
職員は交代制で対応します(より丁寧にお話を伺うためです)
交代制を“丁寧さ”に翻訳する。これが行政の技だ。
そして、現場の罪悪感を減らす。
赤案件が来たら、二人体制で受け、30分で交代。
青案件は手続きサポート枠に誘導。
黄案件は生活相談へ面談予約。
緑案件は異世界経済部が引き取る。
誰も無理をしない。
無理をしないのが、町を守る。
美月が、のど飴を口に放り込みながら言った。
「主任、窓口が“戦場”から“持久戦”になりました」
「持久戦の方が役所向きだ」
加奈が目薬を配る。
「目も守って。今日は“赤”が多い日だし」
「赤で目が死ぬ町、嫌すぎる」
市長が独特の笑みを少し戻した。
「職員を守るのも行政の仕事だ。これでひまわり市は倒れぬ」
勇輝は、窓口の向こうで少し落ち着いた人の列を見た。
相談者が減ったわけじゃない。
ただ、職員が倒れない。これだけで、町は回る。
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、職員の“回復”も業務に入った。
次回予告(第68話)
「防護が裏目:結界のせいで“苦情が言えない”と誤解される」
静かになりすぎて、相談者が逆に不安!?
「怒っていいんですか?」
勇輝、安心と感情のバランスを取り戻せ!




