第65話「協力のはずが内ゲバ:『偽装防止』と『プライバシー保護』が衝突する」
役所は、相談の場所だ。
誰かが困って、誰かが怒って、誰かが泣いて、誰かが「とにかく何とかして」と言いに来る。
でも、今日の相談窓口は違った。
“困りごと”じゃない。思想が並んでいる。
「主任! 相談窓口に……両陣営が来ました!」
美月が駆け込んできた。
この「両陣営」という言葉が出る時点で、だいたい平和は終わっている。
「両陣営って、まさか」
「偽装防止同盟と、プライバシー保護団体です! 同時に! しかも、それぞれ“相手が危険だ”って主張してます!」
「相談じゃなくて戦争の会場じゃねえか!」
加奈が紙袋を抱えて入ってくる。今日は、胃薬が二種類入っている気配がした。片方は自分用、片方は“窓口全員用”だ。
「喧嘩って、役所を“舞台”にするのが一番良くないね……」
背後から、のっそりと市長が現れた。不敵な笑みが今日は薄い。薄い笑みは危険だ。怒っている。
「役所は裁判所ではない。だが、町の秩序は守らねばならぬ」
「守ります。まずは“窓口”を守ります」
勇輝は立ち上がった。
「会議室へ誘導。窓口を戦場にしない。美月は記録と広報準備。加奈は双方の“生活に刺さる言葉”を翻訳して。市長は——」
「もちろん来る」
「来るのはいいけど、煽る言葉は禁止です!」
「禁止されるほど私は煽っていない」
「昨日の“次はない”は煽りです!」
会議室:正義と正義がぶつかると、現場が死ぬ
会議室に入った瞬間、空気が重い。
片側に「偽装防止同盟」。腕章の人たち。目が硬い。
反対側に「プライバシー保護団体」。人間も異界も混ざっている。目が警戒している。
その間に、住民課の職員が座っている。顔が死にかけている。
「主任……これ、窓口でやられたら私、辞めます……」
「辞めないで。守る」
美月が小声で言う。
「主任、今日の勝利条件は“炎上しない”じゃなくて、“職員が生き残る”です」
「同意」
市長が、珍しく最初から真面目な声で言った。
「ここは町の相談の場だ。互いを断罪する場ではない。
話すなら、生活を守る話だけにしろ」
偽装防止同盟の代表が立ち上がる。
「市長、主任。最近“なりすまし”が増えている。偽装者が役所に入り、補助金や証明書を悪用する。町の安全を守るには、検査が必要だ」
プライバシー保護団体の代表がすぐ反論する。
「検査は暴力です。外見を理由に止めるのは差別です。真名の要求は文化的に危険。役所前での呼び止めは、生活の自由を壊す」
偽装防止側が声を荒げる。
「なら、事件が起きたらどうする!」
保護側も負けない。
「事件を口実に“全員を疑う”のが一番危険です!」
——はい、内ゲバ。
そして一番困るのは、住民課。いつもそう。
勇輝は、手を上げて止めた。
「ストップ。
まず確認します。ひまわり市役所の基本方針はこれです」
ホワイトボードに大きく書く。
①来庁者の安全
②手続きの公平性
③プライバシーの保護
④窓口が回ること(現場が死なない)
「この四つ、全部守ります。どれか一つだけを“正義”にしません」
加奈が小さく頷いた。
「うん。生活って、両方必要だもんね」
争点を“実務”に落とす:誰が、何を、どこまでできるのか
勇輝は、議論を“権限”と“手順”に落とした。
ここからは感情で押しても勝てない。ルールに乗せる。
争点A:誰が本人確認をするのか
役所(住民課)がやる
民間団体がやるのは不可(通行妨害・排除につながる)
争点B:本人確認の方法
顔写真だけに頼らない(電子証明、追加書類、質問確認)
真名の要求は禁止
外見を理由に一律排除しない
争点C:情報提供の扱い
不正が疑われる情報は“提供”として受ける
ただし個人を晒す形は禁止
役所が調査・確認し、必要なら関係機関へ
偽装防止代表が食い下がる。
「役所だけでは遅い。現場で止める必要がある」
勇輝は淡々と返した。
「止める権限はありません。
もし不正があるなら“情報提供”してください。役所が確認します。
あなたたちが止めると、正しい人が傷つき、役所の信頼が落ちる」
保護団体代表が頷く。
「それなら納得できます。問題は、“勝手に止める”ことです」
偽装防止側が不満そうに言う。
「しかし、役所が見逃したら——」
市長が静かに切る。
「見逃さぬ。だが、疑うだけで人を縛る社会にはしない」
偽装防止代表が一瞬黙る。
市長の言葉は重い。普段ふざけてる人ほど、重い時に効く。
加奈の一言:不安は分かる。でも“恐怖”を配るな
ここで加奈が、柔らかく口を挟んだ。
役所の言葉は硬い。だからこそ、加奈の言葉が刺さる。
「偽装が怖い気持ちは分かるよ。
でも、怖いって気持ちのまま、他人に“検査”をぶつけると、怖さが伝染する。
伝染した怖さは、弱い人に刺さる。——手続きに来る普通の人に刺さる」
会議室が静まる。
保護側は頷く。偽装防止側も、反論しにくい空気になる。
怖さの矛先を、生活の場に向けるのは良くない。誰でも分かる。
美月が小声で言った。
「加奈さん、こういう時の言葉、強い……」
「喫茶の看板娘は、毎日人の心を扱ってるからな」
折衷案:役所が“相談窓口”を制度化し、両方を受け止める
勇輝は、ここで“形”を出した。
形があると、争いは少しだけ落ち着く。争いは、形がないと暴れる。
ひまわり市「本人確認・不正相談窓口」(暫定)
偽装・なりすましが心配な人は、情報提供として相談できる
プライバシー侵害を受けた人も、被害相談として相談できる
受付は異世界経済部+住民課連携(窓口職員を孤立させない)
受けた情報は、役所が確認・調査し、必要に応じて関係機関へ
真名・外見の強制確認は禁止(役所も求めない)
役所前での呼び止め・検査の再発は、敷地管理として停止措置
保護団体が言う。
「相談窓口があるなら、“怖い人が勝手に動く”理由が減りますね」
偽装防止代表も渋々頷く。
「……情報提供としてなら、協力できる。だが、役所が動くことが条件だ」
「動きます。ただし、合法の範囲で」
勇輝が答えた。
市長が不敵な笑みを少し戻して言う。
「よし。協力は受ける。だが、町の門を私物化するな」
美月が小声で付け足す。
「“門の私物化禁止”って、標語にしたい」
「標語にするな!」
結果:内ゲバは止まる。でも“火種”は残る
会議は、完全な和解にはならなかった。
それでいい。正義と正義は、完全には混ざらない。
でも、最低限の線引きはできた。
民間による検査はしない
不正の疑いは情報提供へ
プライバシー侵害は被害相談へ
役所は“暴かない”が“確認”はする
住民課職員が、息を吐いた。
「主任……窓口が戦場にならないだけで……救われます……」
「それが今日の勝利です」
加奈が紙袋から胃薬を出して、住民課職員に渡す。
「これは“戦場手当”」
「戦場って言うな!」
美月がスマホを見ながら言った。
「SNSも、今のところ荒れてません。『相談窓口できた』って流せば、落ち着くはず」
「流す。ただし対立を煽らない書き方で」
「任せてください。詠唱しない!」
「詠唱禁止、便利だな」
「町は、怖さで守るのではない。仕組みで守る」
「今日は市長の名言が多い日だ」
「私はいつも名言だ」
「それは違う!」
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、正義同士の喧嘩も“窓口”に来る。
次回予告(第66話)
「相談が殺到:『本物かどうか』より『安心して暮らしたい』が溢れ出す」
不正の相談、被害の相談、ただの不安。
窓口がパンク寸前!
勇輝、相談を“整理する仕組み”を作れ!




