第58話「温泉回数券パニック:使うたびに“寿命”が減ると誤解される」
温泉街というのは、町の心臓だ。
湯けむりが上がって、人が集まって、財布が開いて、ついでに肩こりも溶ける。ひまわり市が異界に転移しても、ここだけは“強い”。強いからこそ、止まると町が止まる。
その温泉街が、朝から静かだった。
静かすぎる。
賑わいの代わりに、ひそひそ声と、不自然な距離感と、回数券売り場の前で立ち尽くす観光客。
そして、加奈が最悪の顔で言った。
「主任……回数券が……寿命券って呼ばれてる」
「寿命券?」
勇輝は、熱いお茶を飲もうとして手を止めた。
言葉が強い日は、だいたい誰かが泣く。
美月がスマホを見ながら、さらに追い打ちをかける。
「“十回券=十年分の命”って噂がもう異界新聞に……! あと『一回入るごとに寿命が減る温泉』って、観光客がちょっとテンション上がってます!」
「上げるな! 怖がれ!」
背後から、のっそりと市長が現れた。不敵な笑みが今日は嫌に真面目寄りだ。
「温泉街が止まるのは、ひまわり市の死だ。原因は?」
「回数券が寿命を削ると誤解されてます」
「……誤解の質が悪いな」
「質が悪いのが最近の流行です」
勇輝は立ち上がった。
「温泉通りへ。現場で何が起きてるか確認します。加奈、商店街と同じで“翻訳”が必要なやつだ。美月、炎上の火種を拾いすぎない。市長は——」
「もちろん行く」
「ですよね!」
温泉通り:回数券売り場が“儀式会場”みたいになってる
温泉通りに着くと、いつもの匂いがあった。硫黄と、甘い温泉まんじゅうと、少し湿った木の匂い。
それなのに空気が硬い。いつもの“ゆるさ”がない。
回数券売り場の前で、異界の観光客が回数券を遠巻きに見ている。
誰かが、ささやく声で言った。
「……あれが寿命を削る券か……」
「削った分、湯が濃いらしい……」
「命の代わりに肩こりを落とす……」
「交換条件が重すぎる」
温泉街の組合長(人間)が、頭を抱えていた。
「主任! 助けてくれ! 回数券が売れないどころか、みんな“覚悟”して買おうとしてる! 覚悟の買い物は客単価上がるけど、絶対良くない!」
「良くないです。完全に良くない」
加奈が横から言う。
「あと、地元のおばあちゃんたちがね、『寿命減るなら回数券やめる』って。生活に直撃してる」
「それが一番まずい」
美月がスマホを見ながら呟く。
「“寿命温泉”ってネーミングだけは強い……」
「強いから危険なんだよ!」
勇輝は、まず“噂の根っこ”を掴みにいく。
「組合長。誰が最初に言い出した?」
「分からん。昨日の夕方くらいから、異界の客が『回数券って、寿命を回す券?』って聞いてきて……」
「寿命を回す券……?」
市長が、静かに言った。
「言葉の解釈のズレだな」
「たぶん“回数”が通じてない。もしくは、翻訳が変な変換をしてる」
美月がすぐに言う。
「防災無線のときの自動変換みたいなやつです!」
「似てる。でも今度は“紙”だ」
その瞬間、売り場の窓口で事件が起きた。
魔族っぽい観光客が、回数券を買って、係員に差し出した。
係員が「一回分、使いますね」とハサミを入れた瞬間——
観光客が、ぎょっとして叫んだ。
「やめろ! 寿命を切るな!」
周りがざわっと波立つ。
係員が手を止める。ハサミが宙で固まる。
「えっ、えっ、切るのが普通で……」
「切る=寿命を削る儀式!」
「儀式じゃない!!」
勇輝は、胃がキュッと縮む音を聞いた気がした。
ハサミはダメだ。視覚的に“削る”になってしまう。
加奈が小声で言った。
「ポイントカードのスタンプが“刻印”に見えたのと同じだね。動作が怖い」
「そう。つまり……誤解は言葉だけじゃなくて、運用にもある」
市長が頷く。
「よし。運用を変える。言葉も変える」
「やること多い!」
誤解の正体:回数券が“呪いの文字”で説明されている
勇輝は回数券そのものを確認した。
紙の券。よくあるデザイン。十回分が並び、切り取るタイプ。
……ただし、右下に小さく印字された注意書きが、いつもと違った。
「これ、何だ?」
そこには日本語の説明の下に、異界文字で“翻訳文”が付いていた。
美月が目を凝らす。
「うわ……これ、誰が付けたんですか。『使用するたび、残りの命は減ず』って書いてあります」
「書くな!!」
組合長が青ざめる。
「し、知らん! 昨日、異界新聞の配達と一緒に“親切な翻訳シール”が届いてて……観光案内にも使えるって思って貼ったんだ!」
「親切がだいたい殺しに来る!」
市長が静かに言った。
「広報ギルドか、似た連中だな」
加奈がため息をつく。
「言葉のセンスが強すぎる……」
勇輝は即決した。
「その翻訳シール、全部剥がす。今すぐ」
「今すぐ!?」
「今すぐです。誤解の燃料を撤去しないと、火が大きくなる」
美月がすぐに動く。
「私、組合の人と一緒に剥がします! 写真撮って証拠も残して——」
「証拠は内部用にね。SNSに上げるな」
「分かってます! さすがに!」
加奈が現場の列に向かって、やさしく声をかけ始めた。
「みなさん、回数券は“命”じゃなくて“入浴の回数”です。寿命は減りません。減るのは……財布の中身だけです」
「それは減る」
誰かが真顔で頷き、周りが少しだけ笑う。
笑いは救命具だ。温泉街では特に。
行政の対策:名前を変える、見せ方を変える、切り方をやめる
その場で、ミニ会議が始まった。
温泉組合長、売り場係員、異世界経済部(勇輝)、美月、加奈、市長。
勇輝は、三つに分けて整理した。
1) 名前問題
「回数」が異界語に翻訳されると、寿命・命数に寄りやすい
対策:名称を「入浴券」「利用券」「パス」に変更(“命っぽさ”を避ける)
2) 表示問題
翻訳シールが危険文言
対策:市が監修した「正しい短文翻訳」を配布(勝手翻訳は禁止)
3) 運用問題
ハサミで切る=削る儀式に見える
対策:切り取り式をやめ、チェック方式に変更(押印/穴あけ/QR読み取り等)
組合長が苦い顔で言った。
「名前変えるのは分かる。でも運用変えるのは……機械とかいるだろ」
「最短でいきます」
勇輝は現場用の“妥協案”を出した。
「今日からは、ハサミで切らない。代わりに“使用済み欄に穴を一つ開ける”だけにする。穴あけパンチなら、削る感じが薄い」
係員が頷く。
「パンチならあります!」
加奈が小声で言った。
「穴も“魂を抜く”って言われない?」
「言われたら、次を考える!」
市長が独特の笑みで言う。
「次は“スタンプ”だな」
「またスタンプか!」
美月が手を挙げた。
「ポイントカードのとき、スタンプが怖い人はシールにしました! 温泉もシールでいけます!」
「温泉でシール……?」
組合長が戸惑うが、加奈が背中を押した。
「小さいシールなら、かわいくできるよ。『入浴しました』の印。儀式っぽさが減る」
「……確かに、かわいいは正義か」
勇輝は頷いた。
「よし。短期はパンチ/シールで。中期で券のデザイン変更。長期でQR化も検討。——ただし高齢者が置いていかれない形で」
「そこ! そこ大事!」
加奈が即ツッコミを入れる。
生活の話になると加奈は強い。役所が欲しいが喫茶が死ぬ(以下略)。
訂正文:寿命は減りません。減るのは回数です
美月がその場で、掲示用の紙を作った。
文章は短く、断定的で、余計な情緒を排除する。
回数券は“入浴の回数”の券です。寿命は減りません。
使うと減るのは「残り回数」です。
さらに異界語の短文も、市が監修したものを付けた。
「命」「魂」「契約」みたいな単語を避け、できるだけ中立な表現に寄せる。
市長が頷く。
「良い。詠唱がない」
「詠唱いらない!」
掲示が貼られると、通りの空気が少し変わった。
“怖さ”が抜けて、“安心”が戻る。これだけで人は動く。
さっきの魔族観光客が、売り場の前で勇輝に言った。
「……寿命ではないのか?」
「寿命ではありません。あなたが削られるのは肩こりです」
「肩こりなら削られてよい」
「よいです」
加奈が笑う。
「でも、削られるのは欲じゃないからね。温泉入ったあとに温泉まんじゅう増えるからね」
「増えるのは命じゃなくて体重です」
「それも増える!」
周りが少し笑って、列が動き出した。
商売が、戻る。温泉街の心臓が、また打ち始める。
仕上げ:翻訳シールを“禁止”にするのではなく、“窓口”にする
勇輝は最後に、組合長へ釘を刺した。
「今後、“親切な翻訳シール”みたいなものは勝手に貼らないでください。善意でも事故になります」
「分かった……でも異界の人向け案内、必要なんだよ」
「必要です。だから“窓口”を作る」
美月がすかさず言う。
「広報ギルドはもう触らせません! 触らせるなら、監修で!」
「強い!」
市長が独特の笑みで言った。
「よし。温泉街案内の“公式翻訳”を、市が出す。勝手翻訳はしない」
加奈が頷く。
「うん。言葉って、生活に刺さるから。盛ると危ない」
勇輝は、温泉通りを見渡した。
湯けむりが揺れて、人が笑って、回数券売り場の係員がパンチを握っている。ハサミは引き出しにしまわれた。
今日は、勝った。
寿命は削られずに済んだ。胃は削れたけど。
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、回数券は“寿命券”に見えることがある。
次回予告(第59話)
「建築課が悲鳴:異界屋台が“勝手に増築”してくる」
屋台なのに増える部屋! 伸びる床! ついでに階段!
建築確認、道路占用、消防——全部まとめて来た!
勇輝、図面の代わりに“動く屋台”と戦う!




