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異界に浮かぶ町、ひまわり市 ー転移した山奥のまち、異世界対応中!ー  作者: ひまわり あおい


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第48話「迷子対策:テレポ迷子、最後に見たのは三次元」

 ひまわり市役所には、いくつか「できれば耳に入ってほしくない言葉」がある。

 業務上、聞こえてきた瞬間に頭の中でスイッチが切り替わり、机の上の書類が全部“今じゃない”に追いやられる類の言葉だ。


 ランキングにするのもどうかとは思うが、現場の人間は、こういうのを笑いに変えないと保たない。


 1位「至急」

 2位「炎上」

 3位「子どもがいない」


 そして今朝、その“3位”が、住民課のカウンター前で、まっすぐこちらへ来た。


「主任! 迷子です! ……いや、迷子って言っていいのか分からないんですけど、とにかく“いなくなった”です!」

 息を切らして駆け込んできた美月は、片手にスマホ、片手に走り書きのメモを握りしめていた。髪は結びっぱなしで、頬がいつもより青い。本人は気づいていないだろうが、こういうときの美月は“元気がない”というより“頭の回転が早すぎて体が追いついていない”色になる。


 勇輝は椅子から立ち上がらずに、まず声のトーンだけを落とした。立ち上がるのは、情報が揃ってからでいい。ここで動作が大きいと、美月の焦りがさらに跳ねる。


「落ち着いて。順番に言って。――誰が、いつ、どこで、最後にどうなった?」


「“いつ”は今です! “どこ”は……えーっと……これが……」

 美月はメモを見て、目を泳がせた。そして、困ったように、でも必死に読み上げる。


「『最後に見たのは三次元です』って、保護者の方が……!」


 勇輝は一瞬だけ目を閉じた。

 言葉の意味が分からないのではない。意味が分かってしまうのが怖い。ひまわり市の“異界対応”は、こういうときに妙な形で積み上がっている。


「……証言が、状況説明として高度すぎるな」


「ですよね!? 私もそう思います! でも、本人が真顔で言ってて……!」


 そこへ、背後から紙袋の音が近づいてきた。ひょい、と顔を出した加奈が、いつものように喫茶ひまわりの差し入れを抱えている。差し入れが自然に市役所へ入ってくるのも、だいぶこの町の風景になってしまった。


「おはよ。……って、空気が固い。何があったの?」


「迷子。たぶん、テレポ絡み」


 勇輝が短く言うと、加奈は一瞬だけ目を見開いた。驚いた顔はする。でも、驚きのまま固まらない。ここが加奈の強さだ。


「……それ、急いだほうがいいやつだね。まず、お母さん? お父さん?」


「母親の方が今、窓口にいる。住民課の待合に案内されてる」


 美月が、言葉を継ぐ。


「“公園で一瞬目を離したら”って。で、『気づいたら三次元じゃなくなってた』って……!」


 勇輝は頷き、窓口の担当職員へ声をかけた。


「子育て支援と福祉、今、手が空く? 迷子対応フローで回す。庁舎内の確認も必要だ。警備と庁舎管理にも連絡。あと、町内会の見守り隊も」


「はい、すぐ!」


 担当職員が動き出すと、周囲の空気が一段落ち着く。役所の現場は、手順が動き出した瞬間に呼吸を取り戻す。

 ただし――今回は、その手順の前提が少し揺らいでいる。


 迷子の捜索範囲が、この世の地図に収まらない可能性があるからだ。


 のっそり、というより、気配だけ増えるように市長が現れた。いつもの、問題の匂いに敏感な目。だが今朝の目は、妙に真面目だった。


「ふむ。迷子か」


「市長、“か”で軽く言うと、職員の心拍が上がります」


「軽く言っているつもりはない。だから来た。――保護者は?」


「待合です。これから話を聞きます」


 勇輝は頷き、加奈と美月に目で合図を送った。


「行こう。まず、保護者の呼吸を戻す。情報は、その後でいい」


 加奈が小さく頷く。


「うん。私、お茶、持ってく。飲めるか分からないけど、あるだけで違うから」


「頼む」


 美月はスマホを握り直しながら、声を落とした。


「主任、広報って……回します? でも、テレポだと……」


「回す。ただし範囲と文言は絞る。写真は使わない。特徴は“個人が特定されない程度”に。まずは内部共有を優先して、公開は段階を踏む」


「了解です……!」


 待合の椅子に座っていたのは、若い母親だった。顔が白い。膝の上で指が小刻みに震えている。隣には町内会の女性が寄り添っていて、肩に手を置いている。言葉が見つからないとき、人は手を置く。それだけで、少しだけ世界が繋がる。


 勇輝は、少し距離を取ってから名乗った。いきなり近づくと、息が詰まる人がいる。


「ひまわり市役所です。異世界経済部の主任、勇輝といいます。……今、状況を整理して、できるだけ早く見つけます。まず、お子さんのことを教えてください。お名前と年齢、特徴を」


 母親は唇を噛み、言葉を探してから、かすれた声で答えた。


「……凛、です。りん。五歳。髪は短くて……青い帽子……」


「服装は?」


「黄色いパーカー……白いスニーカー……」


 情報が出てくるだけで、少し息が戻る。勇輝は急かさず、必要な項目を順番に拾った。


「最後に確認できた場所は?」


「公園で……遊具の近くで……。目を離した一瞬で……」


 加奈が、紙コップをそっと差し出す。声は余計な明るさを足さず、でも冷たくもない。


「温かいお茶。飲めるだけでいいよ。手、少し温まるから」


「……ありがとうございます……」


 母親が一口飲んだ。飲めたこと自体が、少しの前進だった。


 勇輝は、次の質問を慎重に置いた。責める聞き方はしない。迷子対応で一番まずいのは、保護者が自分を責め始めて情報が止まることだ。


「凛ちゃんは、消える前に何か言っていましたか。見ていたもの、気になっていたもの、いつもと違う反応とか」


 母親は目を伏せ、思い出すように眉を寄せた。


「……“ここ、キラキラしてる”って……」


 美月が、小さく息を呑んだ。勇輝も、胸の奥が少し冷えるのを感じた。公園。キラキラ。最近、遊具の周りで“変な現象”が増えている報告があった。


「キラキラ……。場所、覚えてますか?」


「……たぶん、あの……砂利のところ……」


 市長が顎に手を当て、低い声で言った。


「公園に転移の“節”ができている可能性があるな」


「節って、木の節みたいな?」


 加奈が聞くと、市長は頷いた。


「そうだ。次元の継ぎ目が固くなって、ひっかかる。人が触れると、引っ張られることがある」


 説明としては分かりやすい。分かりやすいからこそ、現象の怖さが増す。


 勇輝は、いったん話を切り替えた。怖い話を続けると、母親の呼吸がまた浅くなる。


「分かりました。今から公園へ向かいます。並行して庁舎内や近隣施設も確認します。――ご家族の連絡先、緊急連絡先を教えてください。あと、凛ちゃんの写真、もし手元にあるなら“内部共有用”に一枚だけ。外には出しません」


 母親が震える手でスマホを差し出した。画面には、笑っている凛ちゃんの写真。青い帽子がよく似合っている。


 勇輝は頷き、担当職員に目で合図した。


「これは内部で共有して、目視確認の精度を上げます。公開はしません。――大丈夫です。いま、みんな動いています」


 加奈が母親の隣に座り、言葉を短く置いた。


「凛ちゃん、戻るよ。ここにいる人、みんな探すの得意だから」


 母親の目から涙がこぼれた。泣いていい。泣いている間も、こちらは動く。


 勇輝は立ち上がり、現場へ向かう段取りを組み直した。


「美月。服装と帽子の情報を、まずは“職員・町内会・施設”の内部連絡で回す。公開は次の判断で。写真は使わない。加奈はお母さんのそばで、体調と気持ちを見て。市長は庁舎内と“変な場所”の確認を――」


「承知した。庁舎は私が見る。天井裏も含めて」


「天井裏まで……?」


「経験則だ。異界の迷子は、こちらの想像の外側に出る」


 勇輝は、それ以上つっこまなかった。経験則が積み上がっている町、という時点で、もう否定できない。


「……分かりました。では、私は公園へ行きます。現場の指揮は私が取ります」


 母親に向き直り、できるだけ落ち着いた声で言った。


「公園へ一緒に行きますか。ここで待つのが不安なら、同行もできます。ただ、現場は人が多いので、加奈さんがそばに付いてもらえます」


「……行きます。お願いします」


「分かりました。無理はしないで。歩く速度は合わせます」


 こうして、迷子捜索が始まった。

 ただし――今日の捜索範囲には、“次元”という言葉が混じる。


――――――――――――――――――――――――


 公園へ向かう途中、美月がスマホを叩きながら、珍しく弱音に近いことを口にした。


「主任……迷子対応のマニュアルって、普通は“半径〇メートル”で区切って、最後の目撃地点から同心円で広げていくじゃないですか。テレポだと、その前提が……」


 勇輝は、車窓の外を見ながら答えた。焦りを否定はしない。否定すると、余計に焦る。


「今日は“半径”は参考程度にする。捨てるというより、優先順位を下げる。代わりに、出口と通路を考える」


「出口……?」


「テレポがあるなら、入口だけじゃ終わらない。出口がある。出口が分かれば、そこに“人の目”を置ける。人の目を置ければ、戻す手段も増える」


 加奈が、母親の肩をそっと支えながら聞く。


「戻す手段って、どうやって?」


「呼びかけ。音。匂い。子どもが安心できるもの。怖がらせないように、いつもの日常に近いものを使う」


 加奈は小さく頷き、母親へ向けて言った。


「凛ちゃん、好きな音とか匂い、ある? 好きなおやつでもいい。お母さんが覚えてることが、たぶん道になる」


 母親は涙を拭いながら、必死に思い出すように言った。


「……鈴の音。幼稚園の先生が鳴らすやつが好きで……あと……喫茶ひまわりのクッキー……」


 加奈が少しだけ目を丸くした。


「うちのクッキー?」


「……はい。凛、あの匂いが好きで……」


「……よし。任せて。クッキーはある。鈴は……」


 美月が顔を上げた。


「鈴、あります! 庁舎の受付の呼び鈴、私、持ってきます! さっき見た!」


 勇輝は苦笑しそうになって、でも頷いた。


「備品だから本当は持ち出し手続きが――」


「今は迷子です! あとで私、ちゃんと備品台帳に書きます!」


「……分かった。台帳まで言うなら任せる」


 役所の現場は、こういうときだけ妙に頼もしい。


――――――――――――――――――――――――


 公園に着くと、すでに町内会の人たちが集まり始めていた。見守り隊の腕章。公園管理の職員。近隣施設へ走った人。誰かがロープを張り、誰かが通路を確保している。

 こういうとき、町の「顔見知りの力」は強い。知らない人に声をかけるより、いつもの人が声をかけるほうが通る。


「凛ちゃん、見てませんかー! 青い帽子、黄色いパーカーですー!」

 声は大きいが、焦りの成分が少ない。練習したわけではない。でも、過去の経験が体に残っている。


 母親が震える指で示した。


「……ここです。ここで、“キラキラしてる”って……」


 砂利の一角。朝露に濡れた小石が光っている――だけなら、ただの綺麗な朝だ。

 だが、勇輝が近づくと、違和感があった。光り方が、規則的だ。水滴の反射というより、薄い模様が砂利の間に走っている。


 勇輝はしゃがみ込み、指で触れない距離から目を凝らした。落書きのようで、落書きではない。線が、少しだけ“円”を描いている。


「……魔法陣っぽいな」


 美月が小声で言う。


「誰がこんな……」


「たぶん“誰かが描いた”じゃない。魔力が溜まって、勝手に“道”になったんだろう」


 加奈が眉を寄せた。


「じゃあ……凛ちゃんは……道に……」


 勇輝は首を振り、言い方を変えた。


「“落ちた”じゃない。引っかかった。触れてしまった。そういう感じだと思う。だから、戻すときも“引っ張り戻す”じゃなくて、“戻れる道”を作る」


 言葉を選ぶのは、保護者の心を守るためでもある。子どもにとっては、もっと大事だ。戻ってきたときに、自分が何か悪いことをしたみたいになってしまう。


 勇輝は職員へ指示を飛ばした。


「公園の周囲は目視捜索を継続。次に近隣施設――公民館、図書館、商店街、温泉通り。あと市役所にも“迷子受け入れ”の連絡を。保護されて連れてこられる可能性がある。

 それと、異界側にも連絡。竜族観光組合と天空国の配送系。もし通路に出ていたら、そっち経由で情報が戻る」


「了解!」


 自分でも思う。迷子対応の連絡先に「天空国配送系」が入る自治体は、たぶん全国どこにもない。

 けれど、ひまわり市はもう、そういう町として回り始めている。


 そして、ここからが“ひまわり市式”だ。


――――――――――――――――――――――――


 美月が戻ってきた。手には、小さな受付用の呼び鈴。真鍮の光が、朝日にやけに落ち着いて見える。


「これ……怒られますかね……?」


「台帳に書くなら、怒られない方向で調整する。今は使おう」


「ありがとうございます!」


 加奈は紙袋を開け、クッキーを一枚だけ袋ごと出した。匂いが漏れる程度に口を少し開ける。甘い香りがふわりと広がる。


「匂いって、意外と道しるべになるんだよね。お客さんも、匂いで店に入ってくるし」


 勇輝は、母親に目を向けた。


「呼びかけます。大声じゃなくていいです。凛ちゃんが怖がらない声で。お母さんのいつもの声が一番です」


 母親は唇を震わせながら、何度も頷いた。声が出るか分からない。でも頷けるなら大丈夫だ。


 勇輝は“キラキラ”の少し手前に立ち、足を止めた。近づきすぎると、こちらが引っかかる可能性がある。誰かが増えることは避けたい。


「……凛ちゃん。聞こえる? ひまわり市役所の勇輝だよ。いま、公園にいる。鈴の音が聞こえたら、その音の方に来て。急がなくていい。ゆっくりでいい」


 美月が、呼び鈴を鳴らす。


 ――チリン。


 澄んだ音が、朝の空気にすっと溶けた。強い音ではないのに、耳の奥に残る音だ。幼稚園の先生が持っていた鈴に、どこか似ている。


 母親が、声を絞り出す。


「凛……! 凛、聞こえる? ママ、ここにいるよ……!」


 加奈は、母親の背中に手を当てた。言葉は足さない。ただ、倒れないように支える。


 ――チリン。

 ――チリン。


 数十秒が、長い。

 誰も喋らない。喋ると、音が散る気がした。科学的根拠はない。でも現場は、こういう“気がする”を軽く扱えない。異界のトラブルは、たまに“気がする”の方が当たる。


 美月の指が震え、鈴のリズムが一瞬だけ乱れた。勇輝が目だけで「大丈夫」と合図する。美月は呼吸を整え、また同じ間隔で鳴らす。


 ――チリン。


 加奈がクッキーの袋を少しだけ動かした。匂いが、風に乗って“キラキラ”へ向かう。


 母親の声が、もう一度。


「凛、怖かったら、しゃがんでいいよ。そこにいていい。ママ、迎えに行くから……!」


 その言葉が、勇輝の胸に刺さった。迎えに行く。行きたい。でも行けない距離がある。

 だからこそ、こちら側に“戻ってくる道”を作る。


 次の瞬間だった。


 砂利の間の薄い光が、すっと濃くなった。

 水滴の反射ではない。模様が“線”になり、線が“円”を作り、円が薄い膜のように揺らいだ。


 勇輝は、小さく息を吸った。


「……来る」


 誰かが一歩踏み出しそうになって、町内会の人が腕を伸ばして止めた。見守り隊の経験が効いている。


 そして――ぽん、と、音もなく。


 黄色いパーカー。青い帽子。白いスニーカー。

 凛ちゃんが、きょとんとした顔で立っていた。


「……あれ?」


 母親が反射で駆け寄ろうとして、加奈がそっと腕を押さえた。


「いまはゆっくり。びっくりさせない」


 母親は頷き、震える足で一歩、また一歩と近づく。凛ちゃんは、数秒だけ周囲を見回し、それから母親の顔を見つけた。


「ママ!」


 その瞬間、母親の膝が崩れそうになった。だが倒れなかった。凛ちゃんが抱きついたからだ。抱きつかれて、息が戻る。母親は声を漏らしながら凛ちゃんを抱きしめた。


「……よかった……よかった……!」


 周囲から、深い安堵の息が漏れた。拍手は誰も強くしない。静かな空気のまま、でも“戻った”ことだけが確かに広がる。


 美月が、涙の寸前の顔で言った。


「主任……戻りました……“こっちに”……」


「うん。戻った。……本当に、よかった」


 勇輝は、言葉を多くしなかった。多くすると、自分の呼吸が乱れる。乱れると、次の段取りが落ちる。段取りが落ちたら、再発防止ができない。


 まずは安全確認だ。


「凛ちゃん。どこか痛い? 転んでない? 気持ち悪いところはない?」


 凛ちゃんは母親の腕の中で、首を振った。


「だいじょうぶ! ねえ、ママ、さっきね、キラキラの道に入ったら、すごいとこだったよ!」


 母親が涙を拭いながら、必死に笑おうとした。


「……すごいとこ?」


「うん! お空の下の、ながーい廊下! それからね、すべり台があった!」


 勇輝の眉が上がる。

 “すべり台”という単語が、あまりにも生活的で、逆に怖い。


 加奈が小声で言った。


「……雲の上のすべり台、みたいなやつ?」


 凛ちゃんは勢いよく頷いた。


「そう! 雲の上! あとね、おじさんがいてね、『出口、こっちだよ』って!」


 美月が、思わず職員の方を見た。職員たちも目を合わせ、頷き合う。ひまわり市には、こういうときに“察しがつく人”がいるのが救いでもあり怖さでもある。


 勇輝は、落ち着いた声で確認した。


「おじさんは、どんな人だった? 服とか、帽子とか、何か覚えてる?」


「うーん……雲みたいなふわふわの服で、ここ(胸のとこ)にね、数字がついてた! あと、箱をいっぱい持ってた!」


 数字。箱。

 そこまで聞けば、ほぼ確定だ。


 勇輝は美月と視線を交わし、短く言った。


「……天空国の配送通路だな。たぶん、物流の人が“出口”を守ってた」


「えっ、迷子が“物流”に混ざったってことですか……?」


 美月の声が揺れる。笑いではない。想像すると背筋が寒くなるタイプの揺れだ。


「混ざった。でも、混ざったからこそ、守ってる人がいた。そこは、ありがたい」


 加奈が、母親の肩をそっと撫でた。


「凛ちゃん、怖くなかった?」


「ちょっとだけ。だって、ママがいなかったから。でも、おじさんが『泣いたら滑りやすいから、深呼吸』って言ってくれた」


 妙に具体的で、妙に生活的で、そして妙に正しい助言だ。物流の現場は危険が多い。泣く子どもに“安全の助言”が出るのは、日常の延長だからだろう。


 勇輝は、胸の奥で静かに礼を言った。顔も名前も知らない“出口を守っていた人”へ。


 まずは医療確認を優先する。念のため、保健師にも連絡だ。外傷がなくても、転移で体調が崩れることがある。ひまわり市は、そういう“経験則”まで積み上がっている。


「保健師さん、来てもらえますか。凛ちゃんの体調確認。お母さんも。呼吸、まだ浅いから」


「はい!」


 町内会の人が頷き、母親へ向けて言った。


「大丈夫。ここで座ろうね。みんな、ちゃんと見てるから」


 母親は凛ちゃんを抱きしめたまま、何度も頭を下げた。


「……本当に……ありがとうございます……」


 勇輝はすぐ首を振った。


「こちらこそ、情報を落ち着いて教えてくれて助かりました。凛ちゃんも、よく戻ってきた。――ただ、ここは今後のために“近づかない場所”にする。約束しよう」


 凛ちゃんは母親の腕の中で、少しだけ口を尖らせた。


「でも、キラキラ、きれいだった……」


「きれいなものほど、危ないことがある。大人と一緒なら見てもいい。でも一人はだめ。これは、約束ね」


 凛ちゃんは、少し考えてから頷いた。


「……うん。ママといっしょなら」


「それでいい」


 加奈が、ふっと息を吐いた。

 現場の空気が、ようやく“次の段階”に移れる。


――――――――――――――――――――――――


 市役所へ戻る道すがら、美月はずっとメモを取っていた。泣きそうな顔をしながらも、手は止まらない。こういうときの美月は、仕事で自分を支える。


「主任、今日の件、記録に残します。再発防止の会議、必要ですよね」


「必要。今日みたいに“運よく戻った”で済ませたら、次は運が尽きるかもしれない」


「……ですよね。怖いです」


「怖いから、仕組みにする。怖いまま放置しない」


 加奈が後ろから言う。


「仕組みって、具体的に何するの?」


「まず公園の“キラキラ”は囲う。柵。注意表示。ただし、怖がらせる言い方は避ける。子どもは怖い文字を読まないし、逆に近づくことがある」


「分かる。『危険!』って書いてあると、宝箱みたいに見える」


「それ。だから、『ここは大人と一緒に歩こう』みたいな文言にする」


 美月が頷きながら言う。


「誘導文、私、得意です。『キラキラゾーンは手をつないでね』みたいに、子どもに届く言い方にします」


「頼む。あと、異界側にも協力要請だ。天空国配送路に“迷子が出る可能性”を伝えて、見つけたら市役所へ連絡してもらう。連絡先は一本化。現場が混乱しないように」


 加奈が眉を上げる。


「天空国って、ちゃんと連絡つくの?」


「つく。というか、つかないと物流が止まる。止まると町が詰む。だから向こうも窓口が整ってる」


「……異界の方が行政っぽい」


「たまにある。悔しいけど助かる」


――――――――――――――――――――――――


 市役所に戻ると、市長が廊下の向こうから現れた。手には脚立。なぜか上着に埃がついている。頬が少し黒い。


「庁舎内にはいなかった。天井裏も確認したが、スライムしかいなかった」


「市長、天井裏のスライムは別案件です。今のうちに回収しましょう」


「後で対処する。……で、見つかったか?」


「はい。公園の“キラキラ”から戻りました。怪我なし。保健師がチェック中です」


 市長は深く頷いた。今日は、変に笑わない。笑わない方がありがたい日がある。


「よし。迷子対応はひとまず成功だ。だが、再発は防ぐ」


「そこです。今日の件、偶然戻った部分が大きい。制度と運用に落とします」


 勇輝が言うと、市長は腕を組み、珍しく“公文書の顔”になった。


「ならば要領を作る。“テレポ迷子対応要領”」


 美月が、勢いよく手を挙げた。


「作ります! タイトル、そのまま使います! 中身も、今日の流れをベースにします。『保護者の呼吸を戻す』『内部共有を先に』『呼び戻しの手段(音・匂い・声)』『異界側連絡先』――」


「待って。『匂い』って公文書に書くの?」


 加奈が笑いながら言うと、美月は真顔で頷いた。


「書きます。『嗅覚刺激による誘導』って書けば、公文書になります」


「急に強そう」


 勇輝は苦笑し、でも止めなかった。必要なら、言葉は役所が整える。


「あと、迷子の“出口”側の協力体制。天空国配送路、竜族観光組合、必要なら幽界省の保護課も。出口が複数あるなら、複数に“見守り札”を置く」


 市長が頷く。


「出口を守る者がいるなら、そこを正式な連携先にする。勝手に善意で回してもらうと、疲弊して途切れる」


「はい。善意は続かない前提で設計する。続くのは、仕組みと、ちゃんとした連絡線です」


 加奈が小さく息を吐いた。


「今日の鈴、効いたよね。凛ちゃんが“好き”って言える音だったから、怖さが薄れた」


「うん。音は強い。匂いも強い。結局、子どもが戻るときの道は“安心”が作る部分がある」


 勇輝はそう言ってから、言葉の重さに自分で気づいた。行政が“安心”を語るのは、薄いときは薄い。でも今日の現場は、確かにそうだった。


 そのとき、保健師が戻ってきて報告した。


「凛ちゃん、体調は問題ありません。お母さんも血圧は落ち着いてきました。ただ、今日は疲労が強いので、帰宅後は無理をしないように。水分と、しっかり休息を」


 母親が、もう一度深く頭を下げた。


「本当に……助かりました……」


 勇輝は、言葉を丁寧に返した。


「こちらも学びました。今日のことは、次に同じことが起きないように仕組みにします。――凛ちゃん、もう一つだけ。キラキラを見つけても、一人では行かない。大人と一緒。約束できる?」


 凛ちゃんは、少しだけ口を尖らせ、それから大きく頷いた。


「うん! でもね、雲の上のすべり台、もう一回すべりたい!」


「それは――」


 勇輝が言いかけたところで、加奈と美月の声が同時に重なった。


「だめだよ」


 完璧に重なったので、凛ちゃんは目を丸くしてから、けらけら笑った。笑えるなら大丈夫。笑っていい。


 そして市長だけが、少し考える顔でぽつりと言った。


「……安全な体験として整えれば、観光資源にならぬか」


「市長」


 勇輝が呼ぶと、市長はすぐ手を上げた。


「冗談だ。――いや、半分は冗談だ。だが、まずは安全だ。順番を間違えない」


「順番、守りましょう。今日ほど順番に助けられた日はないです」


 美月が小さく笑い、メモを閉じた。


「主任、今日の要領、私、今夜のうちに叩き台まで作ります。明日の朝、回覧に回せる形に」


「ありがとう。無理はしないで。今日、だいぶ心拍上がってたから」


「上がりました。でも、戻りました。……三次元に」


「最後まで言い方がSFだな」


 加奈が紙袋からクッキーを一枚、母親へ渡した。


「これ、凛ちゃんが好きって言ってくれたから。帰って落ち着いたら食べて。今日は、甘いものが役に立つ日」


 母親が、泣きながら笑った。


「……ありがとうございます。凛が……戻ってきてくれて……」


 勇輝は、窓の外を見た。

 公園の“キラキラ”は、今日のうちに仮囲いをする。明日には正式な柵と表示を整える。異界側への連絡も入れる。要領も作る。研修も組む。

 やることは山ほどある。


 でも、今日はひとつだけ、胸を張っていい。


 ひまわり市役所。

 今日も通常運転。

 ただし、迷子捜索の範囲に――“次元”が追加された。

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