第45話「住民票の住所欄が『雲の上三丁目』」
ひまわり市役所の住民課は、朝から静かに忙しい。転入、転出、印鑑登録、証明書の発行。どれも「地味だけど外せない」仕事ばかりで、ミスをすれば住民の生活がそのまま止まる。
だから勇輝は、この部署に来ると自然と背筋が伸びる。異世界経済部の主任とはいえ、生活の根っこを握っているのは、結局ここだ。
「主任、今日は住民課のヘルプでしたっけ?」
横を歩く美月が、腕章を見せながら言う。腕章には太字で「応援」と書かれている。やる気はある。やる気は。
「そう。昨日のドラゴン騒動で、転入相談が増えてるって聞いた」
「“あの町、夜でも対応してくれるらしい”って評判が立ちました!」
「評判が立つのはいい。問題は、立ち方だ」
受付前には、すでに列ができていた。人間だけじゃない。耳が長いエルフ、背の低いドワーフ、つやつやのスライム(※順番待ちの椅子に座れないので床で待機)、そして――雲みたいにふわふわ浮かぶ何か。
勇輝は、嫌な予感のスイッチを入れた。
「主任、次の方どうぞー」
住民課の職員が呼ぶと、ふわふわの来庁者がすっと前に出た。薄い光をまとった青年で、背中に小さな翼。服装は上品で、顔つきは真面目。だが、手に持っている書類の束が妙に“役所慣れ”している。
「天空国アルセリアより参りました。転入の手続きを希望します」
敬語がきれいすぎて、逆に怖い。
「はい、転入ですね。ええと、お名前と――」
「名はセレス。職は“空路配送”です。地上でいう郵便……いえ、配達に近いです」
住民課職員がにこやかに頷き、転入届の用紙を差し出した。
「では、こちらの住所欄に現住所をご記入ください」
「承知しました」
セレスはペンを取り、さらさらと書いた。
筆跡がやたら美しい。芸術点が高い。――内容がまともなら、の話だ。
職員が用紙を受け取り、目を落とした瞬間、表情が止まった。
「…………」
口が、開いたまま固まる。
隣で見ていた美月が、首を伸ばして覗き込む。
「え、なになに? ……うわ」
勇輝も覗き込む。
住所欄には、こう書かれていた。
雲の上三丁目 天空橋を右折 七番浮島 風見塔の裏
「……雲の上三丁目?」
勇輝が呟くと、セレスは真剣に頷いた。
「はい。正式な番地です。風見塔が目印になります」
「目印が“風見塔”なのがもう異世界」
美月が小声で突っ込むと、住民課職員が咳払いした。真面目な場所だ。ツッコミは心の中でやれ。
「ええと……住所、というのはですね……地上では、地番や住居表示などで――」
「理解しています。だから“番地”を記しました」
セレスが誠実すぎる顔で言う。
誠実は正義だが、役所では誠実だけで書類は通らない。
住民課職員が、恐る恐る端末に入力を始めた。
カタカタ。
そして、画面が無慈悲に拒否する。
ピコン。
エラー:住所に使用できない文字が含まれています(雲)
エラー:郵便番号は7桁で入力してください
エラー:丁目は数字で入力してください
「……雲、使用できない文字扱いなんだ」
勇輝は思わず笑いそうになったが、笑えない。住民票は生活の根幹だ。
美月は、すでにスマホを握りしめている。
「主任、これ絶対SNSで“雲が入力できない役所”って言われます!」
「言われる前に言わせない。まず解決だ」
そのとき、背後からのっそりと気配がした。
「ふむ。雲が入力できないとは、文明の限界だな」
市長だった。独特の笑み。今日も出勤が早い。いや、早すぎる。
「市長、限界を感じてる場合じゃないです」
「だが、これは良い。行政が次元を越える瞬間だ」
「言い方が格好いいだけで、やってることは住所登録です!」
市長は用紙を覗き込み、満足そうにうなずいた。
「雲の上三丁目。覚えやすい。よし、採用だ」
「採用できません!」
住民課職員が、助けを求めるように勇輝を見た。
勇輝は深呼吸して、話を“制度”に戻す。
「セレスさん。住民票を作るには、ひまわり市内の居住実態が必要です。今は、どこを拠点にしてますか?」
「天空橋の上空に滞在しています。必要なときに降りる形です」
「降りる……」
美月が小声で復唱する。降りる。空から。
「地上の拠点はあります? 例えば、借りている部屋、宿泊施設、住んでいる家」
「“雲”です」
セレスが即答した。
住民課職員が再び固まる。美月が肩を震わせる。勇輝の胃が痛む。
そこへ、受付横から加奈が顔を出した。喫茶ひまわりのエプロン姿で、紙袋を抱えている。差し入れに来たらしいが、空気を読んでしまった。
「……あれ。雲?」
「加奈、来たか。ちょうどいい。地元知識、貸して」
「地元知識って言われても、雲は地元じゃないよ!」
加奈は言いながらも、セレスの方ににこっと笑いかけた。
「こんにちは。雲の上って寒くない?」
「寒いです。だから温泉街に降りたいのですが、滞在許可の手続きに住民票が必要で」
「うわ、完全に“手続きに手続きが必要”のやつだ」
加奈の言葉が、住民課職員の心を代弁した。
住民票を作るために、住民票が要る
状況はこうだ。
セレスは地上で仕事をする。住民票がないと、いろんな制度にアクセスできない。だが現住所が雲の上なので、住民票の住所欄が埋まらない。
役所でよくある。よくあるが、雲は初めてだ。
「主任、どうしますか……?」
住民課職員が小声で聞く。
勇輝は、紙を一枚もらって、条件を整理した。
居住実態:ひまわり市と関わり、滞在している
住所表記:システムに入る形が必要
生活導線:本人が困らない“連絡先”が必要
住民に説明できるルール:特例が増えると混乱する
市長が机を軽く叩いた。
「よし。二段構えにしよう」
「二段構え?」
「正式住所とは別に、“異界居住地欄”を設ける。表の住所は、市内の基準点。裏で、雲の上三丁目を紐づける」
勇輝は一瞬で理解した。
要するに、**地上の住所(行政システム用)**と、**異界の住所(本人の生活実態用)**を二つ持たせる。
「基準点、どこにします?」
加奈がすぐに言う。
「天空橋の地上側のたもと。公園の近くに“緊急連絡用ポスト”作ったら?」
「ポスト……」
美月が目を輝かせる。
「“天空ポスト”! 映えます!」
「映えの話はしてない!」
だが、加奈の案は現実的だった。基準点があれば、住所コードが作れる。郵便も、連絡も、緊急時の案内もできる。
勇輝は住民課職員に確認する。
「住民票の住所としては、現状“地上の住所”が必要ですよね」
「はい……少なくとも現行システムでは……」
勇輝は決断した。
「じゃあ、暫定で“ひまわり市天空橋公園前”を住所扱いにし、備考欄に“異界住所:雲の上三丁目…”を記載する。これなら住民票は発行できる」
住民課職員の目が少しだけ生き返った。
「備考欄なら……入ります!」
美月が叫ぶ。
「主任! 備考欄の文字数足りません! “風見塔の裏”まで入らない!」
「そこ削るな! 生活の目印だ!」
セレスが申し訳なさそうに言う。
「風見塔は重要です。風が変わるので」
「重要な情報が重要すぎて困る!」
市長が満足げに笑う。
「よし。“異界住所フォーマット”を定めよう。簡易でいい。『基準点+高度+浮島番号』だ」
「高度……」
住民課職員が端末を見て、真顔になる。
「高度、入力欄……ないです」
「ないなら作れ」
「作れません!」
勇輝は咳払いした。
「今日のところは、備考欄に『雲-3丁目/浮島7/風見塔裏』の略記にしましょう。高度は次回改修案件で」
美月がすかさずメモを取る。
「“雲-3丁目”……かわいい。ハッシュタグに——」
「しない!」
加奈がセレスに向き直る。
「セレスさん、地上の基準点が“天空橋公園前”ってなっても、困らない?」
「問題ありません。地上に降りる際、そこを経由します。むしろ分かりやすい」
住民課職員が、ようやく笑った。
「では……転入届、こちらの住所で受理します。備考に異界住所を記載し、住民票を発行します」
セレスが深く頭を下げる。
「助かります。これで正式に地上で働けます」
勇輝は、ほっと息を吐いた。
制度の隙間を埋めるのは、いつも現場だ。前例がなくても、目の前の生活は待ってくれない。
そして、問題は“次”に移る
住民票発行のプリンターが、がしゃん、と音を立てた。
紙が出てくる。
そこには、ちゃんと「ひまわり市」の文字があり、セレスの名前があり、住所がある。
――ただし、備考欄が、妙に強い。
異界住所:雲-3丁目/天空橋右折/浮島7/風見塔裏
「……住民票って、こんなファンタジーでしたっけ」
加奈が笑うと、美月が真顔で言った。
「これ、絶対“記念にもらっていいですか”って言われます」
「言われる前提で動くな!」
市長が腕を組んで、満足げに言う。
「よし。今日でひまわり市は、次元を越えた住民登録を達成した」
「達成、って言うと偉業っぽいですけど、根本は“入力欄が足りない”ですからね?」
「入力欄が足りないのは、成長の余地があるということだ」
市長のポジティブが、たまに腹立つ。
そこへ住民課職員が、控えめに言った。
「主任……これ、他にも増えると思います……」
勇輝は即答できなかった。
雲の上が通るなら、洞窟の中、湖の底、木の上、影の中――全部、来る。
美月が嬉しそうに言う。
「住民票の“異界住所シリーズ”! コンプリートしたい!」
「するな!」
加奈は、苦笑いしながら紙袋を置いた。
「とりあえず、差し入れ。みんな甘いの食べよ。現場って、糖分いるじゃん」
住民課職員が泣きそうな顔で頷く。
「……いります……」
勇輝は、住民票を見つめた。
雲の上三丁目。
笑えるのに、笑いごとじゃない。
でも、こうやって一つずつ、町は“暮らし”を取り戻していく。
異界に浮かんでいても、役所が動けば生活は回る。
市長が、いつもの独特の笑みで言った。
「主任。次は何が来ると思う?」
「……住所欄に“深海”って書かれたら、今日は帰っていいですか」
「帰るな。対応だ」
「ですよね……」
ひまわり市役所。
今日も通常運転。
ただし、住所は空の上まで対応する。
次回予告(第46話)
「公共施設予約バトル! 天界と魔界が同時予約」
体育館に入っていた“二つの予約”。片方は天界の合唱隊、もう片方は魔界の舞踏団。
キャンセル不可、譲歩不可、そして市長はなぜかノリノリ——。
勇輝、地獄の調整会議に挑む!




