表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

40/131

第40話「異界に咲く約束の花」

――この世界に根づいた“ひまわり”の物語。




■オープニング



 異界転移から一年半。

 ひまわり市は、あの日消えかけていた名もない地方都市ではなくなった。

 異界と地上が混ざり合い、文化が芽吹き、

 “世界の交差点”と呼ばれる町へと姿を変えつつあった。


 平和とは、静けさだけではない。

 嵐の後に人が笑い続ける――その形こそが、ひまわり市の平和だった。


 そんな朝、

 市庁舎の通信塔から、静寂を揺るがす報せが届いた。



■ひまわり市庁舎・異界経済部


 資料で埋まった机の上に、ひときわ大きなライトが点滅していた。

 加奈が駆け込んでくる。息が震えている。


「勇輝さんっ! 聞いてください!

 地球との通信、回復しました!」


 勇輝の手から書類が落ちた。

 紙の散らばる音が、やけに大きく響く。


「……えっ?」


 美月が固まったままつぶやく。


「つまり……帰れるってこと?」


 加奈は深く頷いた。その瞳は揺れている。


「正確には、“ゲートを再構築すれば帰還可能”。

 地球の防衛省から信号が届いたんです……!」


 そこへ市長が静かに入ってくる。

 表情は穏やかなのに、どこか影がある。


「……長かったな。

 ようやく“向こう”と繋がったか」


 加奈が、胸に手を当てたまま言う。


「じゃあ……私たち、元の世界に戻れるんですか?」


 勇輝は、小さく息を呑んだ。


「……ああ。

 でも――戻るかどうかは、俺たち次第だ」


 その言葉は、部屋の空気をゆっくりと震わせた。



■市民たちの声


 昼過ぎの広場。

 湯気の向こうで、町全体がざわついている。


 老人が杖をつきながら空を見上げる。


「やっと帰れるのか……

 家の畑、まだ残ってるかなあ……」


 異界のパンを焼く主婦は、揺れる湯気の中でつぶやいた。


「でもこっちの材料で作るパン、もう地球では焼けないし……」


 子どもがエルフの友達と手を繋ぎながら叫ぶ。


「僕、もう帰らない! エルフ学校の方が楽しいもん!」


 笑いと涙が入り混じる声。

 帰りたい気持ちと、残りたい気持ちが互いを押し返し、

 町はまるで“揺りかご”のように揺れていた。


 加奈が勇輝に寄り添い、静かに言う。


「……誰も、“正しい選択”なんて言えないですよね」


 勇輝は、空の向こうの地球を思い浮かべながら答えた。


「だからこそ、俺たちが決めるんだ。

 町としてどう生きていくか。

 “ひまわり市”として」



■市民集会・夕暮れの庁舎前


 夕陽が温泉街の屋根を赤く染め、

 市庁舎前広場に市民全員が集まった。


 湯気と夕焼けと人影が重なり、

 どこか懐かしい、故郷の祭りのような空気が漂う。


 市長がゆっくりと壇上へ歩み出た。


「――ひまわり市民諸君」


 その声には、疲れも、誇りも、哀しみもあった。


「この一年半、我々は笑い、泣き、戦い、

 異界と手を取り、時に衝突しながら……

 “町としての形”を取り戻してきた」


 風がふわりと通り抜ける。


「今日、我々は新しい岐路に立っている。

 “地球へ帰還”か、“異界で定住”か。

 どちらも正しい。どちらも間違いではない」


 市長は、ゆっくりと両手を広げた。


「だが――私はこう思う」


 沈黙。

 広場の全員が、その続きを待っている。


「“帰る場所”は、もうここになったのではないか?」


 その言葉は、夕焼けよりも強く人々の胸に落ちた。



■勇輝の決断


 勇輝が壇上へ歩き出す。

 その一歩一歩に、この一年半の思いが重なっていく。


「……俺は、残る」


 小さな声だったのに、会場の空気が一瞬止まった。


 加奈が息を呑む。


「勇輝さん……」


 勇輝はまっすぐ前を向いた。


「この町は、俺のふるさとだ。

 地球でも、異界でもなく……

 “ひまわり市”として生きていきたい」


 胸の奥から湯気のように温かさがこみあげる。


 美月も笑いながら涙をこぼす。


「……私も。観光マップ、まだ完成してませんし!」


 加奈も続いた。


「温泉、あんなに苦労して直したんだもん。

 壊したくない。……残りたい」


 市長が目頭を押さえながら笑う。


「まったく……お前たち、どこまで手間のかかる町なんだ……

 だが、そういう町だからこそ、私は好きなんだ」


 次々と、市民の中で手が上がっていく。


「俺も残る!」

「帰っても職ないし、こっちで漁するわ!」

「魔界のラーメン、地球よりうまいし!」

「天界の果実もう一度食べたい!」


 その声の波は、いつしか歓声へと変わっていった。



■夜・通信塔


 星空の下、通信塔が青い光を放つ。


 モニターの向こうに、地球側の防衛省職員が映った。


『……こちら地球。ひまわり市、帰還ゲートを開きますか?』


 勇輝は深く息を吸い、

 横に立つ加奈と視線を交わした。


「こちら――ひまわり市」


 一拍置き、はっきりと言う。


「帰還は、見送りです。

 この町は、ここで“生きる”と決めました。」


 モニターの向こうで職員が静かに頷いた。


『了解。……異界でのご健闘を祈ります』


 通信が切れ、夜がいっそう深くなった。



■夜明け・ひまわり温泉の丘


 温泉郷を見下ろす丘。

 朝靄と湯気が溶けあい、世界そのものが淡く光っている。


 加奈がそっと花束を差し出す。

 黄色く揺れる、小さなひまわり。


「……この花、地球から持ってきたんです。

 気づいたら、ちゃんと根を張ってて……」


 勇輝はひまわりの花びらをそっと撫でた。


「もうすぐ、この世界の土にも馴染むな」


 丘の下では、

 エルフの友人と遊ぶ子どもたち、

 天界の鳥を追いかける若者、

 魔族たちの屋台から漂う香り。


 異界と地上の色が自然に混じり合った、

 それは“境界を越えた町の姿”だった。


 勇輝は朝日の中で小さくつぶやく。


「……なあ、加奈。

 異界に来てから、いろいろあったけど――」


 加奈は微笑む。


「うん」


「この町が好きだ。

 たぶん、ずっと」


 加奈の声は春のようにやさしかった。


「私もです」


 二人の背後から、朝日がゆっくりと昇る。

 世界が新しい色に染まっていく。


 その光の中で、

 ひまわりの花が静かに風へ揺れた。



■エンディング・ナレーション


 ――かつて、消えかけた町があった。

 人も減り、夢も薄れ、

 地図の端で忘れられた小さな町。


 だが、異界に浮かんだその町は違った。

 魔法があり、絆があり、笑いと涙が溶けあい、

 “人が生きたいと願う場所”になった。


 ひまわり市。

 今日も元気に――異界営業中。



 朝日の向こうで、温泉の湯気が金色に揺れていた。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ