第40話「異界に咲く約束の花」
――この世界に根づいた“ひまわり”の物語。
■オープニング
異界転移から一年半。
ひまわり市は、あの日消えかけていた名もない地方都市ではなくなった。
異界と地上が混ざり合い、文化が芽吹き、
“世界の交差点”と呼ばれる町へと姿を変えつつあった。
平和とは、静けさだけではない。
嵐の後に人が笑い続ける――その形こそが、ひまわり市の平和だった。
そんな朝、
市庁舎の通信塔から、静寂を揺るがす報せが届いた。
■ひまわり市庁舎・異界経済部
資料で埋まった机の上に、ひときわ大きなライトが点滅していた。
加奈が駆け込んでくる。息が震えている。
「勇輝さんっ! 聞いてください!
地球との通信、回復しました!」
勇輝の手から書類が落ちた。
紙の散らばる音が、やけに大きく響く。
「……えっ?」
美月が固まったままつぶやく。
「つまり……帰れるってこと?」
加奈は深く頷いた。その瞳は揺れている。
「正確には、“ゲートを再構築すれば帰還可能”。
地球の防衛省から信号が届いたんです……!」
そこへ市長が静かに入ってくる。
表情は穏やかなのに、どこか影がある。
「……長かったな。
ようやく“向こう”と繋がったか」
加奈が、胸に手を当てたまま言う。
「じゃあ……私たち、元の世界に戻れるんですか?」
勇輝は、小さく息を呑んだ。
「……ああ。
でも――戻るかどうかは、俺たち次第だ」
その言葉は、部屋の空気をゆっくりと震わせた。
■市民たちの声
昼過ぎの広場。
湯気の向こうで、町全体がざわついている。
老人が杖をつきながら空を見上げる。
「やっと帰れるのか……
家の畑、まだ残ってるかなあ……」
異界のパンを焼く主婦は、揺れる湯気の中でつぶやいた。
「でもこっちの材料で作るパン、もう地球では焼けないし……」
子どもがエルフの友達と手を繋ぎながら叫ぶ。
「僕、もう帰らない! エルフ学校の方が楽しいもん!」
笑いと涙が入り混じる声。
帰りたい気持ちと、残りたい気持ちが互いを押し返し、
町はまるで“揺りかご”のように揺れていた。
加奈が勇輝に寄り添い、静かに言う。
「……誰も、“正しい選択”なんて言えないですよね」
勇輝は、空の向こうの地球を思い浮かべながら答えた。
「だからこそ、俺たちが決めるんだ。
町としてどう生きていくか。
“ひまわり市”として」
■市民集会・夕暮れの庁舎前
夕陽が温泉街の屋根を赤く染め、
市庁舎前広場に市民全員が集まった。
湯気と夕焼けと人影が重なり、
どこか懐かしい、故郷の祭りのような空気が漂う。
市長がゆっくりと壇上へ歩み出た。
「――ひまわり市民諸君」
その声には、疲れも、誇りも、哀しみもあった。
「この一年半、我々は笑い、泣き、戦い、
異界と手を取り、時に衝突しながら……
“町としての形”を取り戻してきた」
風がふわりと通り抜ける。
「今日、我々は新しい岐路に立っている。
“地球へ帰還”か、“異界で定住”か。
どちらも正しい。どちらも間違いではない」
市長は、ゆっくりと両手を広げた。
「だが――私はこう思う」
沈黙。
広場の全員が、その続きを待っている。
「“帰る場所”は、もうここになったのではないか?」
その言葉は、夕焼けよりも強く人々の胸に落ちた。
■勇輝の決断
勇輝が壇上へ歩き出す。
その一歩一歩に、この一年半の思いが重なっていく。
「……俺は、残る」
小さな声だったのに、会場の空気が一瞬止まった。
加奈が息を呑む。
「勇輝さん……」
勇輝はまっすぐ前を向いた。
「この町は、俺のふるさとだ。
地球でも、異界でもなく……
“ひまわり市”として生きていきたい」
胸の奥から湯気のように温かさがこみあげる。
美月も笑いながら涙をこぼす。
「……私も。観光マップ、まだ完成してませんし!」
加奈も続いた。
「温泉、あんなに苦労して直したんだもん。
壊したくない。……残りたい」
市長が目頭を押さえながら笑う。
「まったく……お前たち、どこまで手間のかかる町なんだ……
だが、そういう町だからこそ、私は好きなんだ」
次々と、市民の中で手が上がっていく。
「俺も残る!」
「帰っても職ないし、こっちで漁するわ!」
「魔界のラーメン、地球よりうまいし!」
「天界の果実もう一度食べたい!」
その声の波は、いつしか歓声へと変わっていった。
■夜・通信塔
星空の下、通信塔が青い光を放つ。
モニターの向こうに、地球側の防衛省職員が映った。
『……こちら地球。ひまわり市、帰還ゲートを開きますか?』
勇輝は深く息を吸い、
横に立つ加奈と視線を交わした。
「こちら――ひまわり市」
一拍置き、はっきりと言う。
「帰還は、見送りです。
この町は、ここで“生きる”と決めました。」
モニターの向こうで職員が静かに頷いた。
『了解。……異界でのご健闘を祈ります』
通信が切れ、夜がいっそう深くなった。
■夜明け・ひまわり温泉の丘
温泉郷を見下ろす丘。
朝靄と湯気が溶けあい、世界そのものが淡く光っている。
加奈がそっと花束を差し出す。
黄色く揺れる、小さなひまわり。
「……この花、地球から持ってきたんです。
気づいたら、ちゃんと根を張ってて……」
勇輝はひまわりの花びらをそっと撫でた。
「もうすぐ、この世界の土にも馴染むな」
丘の下では、
エルフの友人と遊ぶ子どもたち、
天界の鳥を追いかける若者、
魔族たちの屋台から漂う香り。
異界と地上の色が自然に混じり合った、
それは“境界を越えた町の姿”だった。
勇輝は朝日の中で小さくつぶやく。
「……なあ、加奈。
異界に来てから、いろいろあったけど――」
加奈は微笑む。
「うん」
「この町が好きだ。
たぶん、ずっと」
加奈の声は春のようにやさしかった。
「私もです」
二人の背後から、朝日がゆっくりと昇る。
世界が新しい色に染まっていく。
その光の中で、
ひまわりの花が静かに風へ揺れた。
■エンディング・ナレーション
――かつて、消えかけた町があった。
人も減り、夢も薄れ、
地図の端で忘れられた小さな町。
だが、異界に浮かんだその町は違った。
魔法があり、絆があり、笑いと涙が溶けあい、
“人が生きたいと願う場所”になった。
ひまわり市。
今日も元気に――異界営業中。
朝日の向こうで、温泉の湯気が金色に揺れていた。




