第38話「異界温泉“国営化”の波!」
――異界転移から一年半と少し。
ひまわり市の象徴となった温泉街は、
湯けむりと共に人々の希望を立ち上らせ、
地上と異界をつなぐ架け橋となった。
だがその“光”に惹かれるように、
いま――かつてない黒い波が押し寄せていた。
魔界商業連盟、そして天界観光庁。
二つの大勢力が、ひまわり温泉の“国営化”を共同提案したのだ。
町の命脈――温泉そのものの所有権が、揺らぎ始めていた。
■ひまわり市役所・異界経済部
午後の光が窓から差し込み、役所の室内に淡い影を落としていた。
資料の山、急に運ばれてきた各界からの文書。
静かだが、空気は重い。
勇輝は深く椅子に座り、差し出された提案書を読む。
読み進めるほど、眉間の皺が深く刻まれていく。
「……つまり、“温泉の管理権を異界側が担う”って話か?」
加奈は資料を抱えながら、小さく頷いた。
「はい。天界側は“安全基準の国際化”。
魔界側は“利益の透明化と魔石管理”。
一見正論だけど……」
美月が机に身を乗り出す。
「要するに“乗っ取り”よね。
だってこれ――温泉の収益の六割が“外部管理費”として流出するって書いてある!」
勇輝は資料を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
「外から見りゃ、小さな町が異界でも人気観光地になった。
そりゃ誰だって“自分の傘下に入れたい”と思うだろうさ」
加奈はぎゅっと拳を握りしめる。
「でも……うちの温泉は、市民が掘って、市民が守ってきたものです。
“異界の資産”にされるなんて、納得できません!」
勇輝が返す前に、加奈のスマホが震えた。
画面を確認し、顔が強張る。
「勇輝さん、市長が呼んでます。“決断の時間”だそうです」
■市長室
市長室は静かで、窓の外の湯けむりだけがゆっくりと動いていた。
その静けさが、逆に嵐の前触れのようだった。
市長は机に両肘をつき、深く思案していた。
その顔には、重責を抱えた者だけが見せる“迷い”が刻まれている。
「勇輝、君はどう思う?」
勇輝は真正面から市長を見る。
「……どちらも、信用できません。
でも、完全に無視すれば観光客も資金も、一気に引き上げられる危険がある」
市長はゆっくりと頷いた。
「市の未来を考えるなら、拒絶も服従も同じく危うい。
しかし……魂まで売るわけにもいかん」
静寂が落ちる。
その沈黙だけで、市長の悩ましさが十分すぎるほど伝わった。
そして、市長はゆっくりと立ち上がった。
「……『共同管理協定』という形に持っていけ。
“出資”ではなく“協力”。
主導権は絶対に、ひまわり市から渡すな」
勇輝は軽く頭を下げる。
「了解しました、市長。
交渉は俺たち異界経済部に――必ず任せてください」
市長は微笑むように目を細めた。
「頼んだぞ。この町の未来を守れるのは、君たちだけだ」
■夜・温泉街通り
夜の温泉街は、昼とは違う表情を見せる。
湯けむりが青白く光り、
提灯の灯りが道を揺らすように照らす。
だが、そこに漂う空気は和やかではなかった。
「天界に買われたら、利用料倍になるらしいぞ」
「魔界資本なんて、働き手が消えるほどブラックだ」
「もう……俺たちの温泉じゃなくなるんだな」
住民たちの噂が、湯気よりも濃い不安となって町を覆い始めていた。
勇輝はその声を黙って聞きながら、足を止める。
「……みんな、不安なんだな」
加奈は俯いたまま、小さく答える。
「そりゃそうですよ。
温泉って……町の心そのものですから」
しばらく歩き、湯気に包まれながら勇輝が言葉を紡ぐ。
「加奈。
もし温泉が奪われたら……俺はこの町を――」
「守るんですよね?」
彼女は迷わず言った。
加奈の横顔は湯気にかすみ、しかしその瞳だけは強く輝いていた。
「……わかってます」
ふと加奈は勇輝の顔をまじまじと見つめた。
「……勇輝さん、湯気で顔真っ赤ですよ」
「ち、ちがっ、これは湯気のせいだ!」
その瞬間、遠くで雷鳴のような衝撃音が響いた。
二人は同時に顔を上げた。
――嫌な予兆だった。
■異界サミット会場・前夜
建物の周囲には、警備の魔法陣が淡く輝いていた。
明日の会議の厳しさを、その光が物語っている。
美月が駆け寄ってくる。
「天界代表、もう到着してるわ。
魔界側は――あっ」
黒い霧をまとった馬車が静かに降り立つ。
その存在だけで、辺りの灯りが一瞬暗くなる。
扉が開く。
ゆっくり姿を現したのは、魔界商業連盟代表――ベリオール。
その笑みは、温度を感じさせない氷のような笑みだった。
「おや、ひまわり市の方々。
明日から“我々の温泉”で会議できるのを楽しみにしておりますよ」
その一言に、空気が凍りついた。
加奈は立ち向かうように一歩進む。
「“我々の”って……今なんて言いました!?」
ベリオールは答えず、ただ愉しげに微笑み、
「ふふ……おやすみなさい」
そう言って夜の闇へと消えた。
勇輝が歯を食いしばる。
「……やっぱり、奴ら何か仕掛けてるな」
その時、加奈が震える手で一つのファイルを差し出す。
湯脈調査報告書――
そこに記された一文に、勇輝の目が見開かれた。
「湯脈の一部が、“異界ゲート”の魔力と繋がってる……!」
加奈の声は震えていた。
「もし向こうが操作すれば、温泉そのものを封鎖できる可能性があります!」
勇輝は握り締めた拳を震わせる。
「つまり……
温泉を握れば、町を人質にできるってことか……!」
温泉街の灯りが、遠くで揺れて見えた。
その温かさが――
いまは酷く脆く見えた。
■ラストシーン・夜の展望台
町を見下ろす高台。
夜風が吹き抜け、湯けむりがゆっくりと揺らめく。
ひまわり市はいつも通り静かで、美しかった。
だが、その景色を守れるかどうかは――明日の交渉次第だった。
加奈がそっと勇輝を見上げる。
「明日……サミットでどう動くつもりですか?」
勇輝は町の灯りを見つめたまま答える。
その声には、迷いも恐れもなかった。
「――町を守る。
異界だろうと、天界だろうと関係ない。
ひまわり温泉は、この町の“心臓”だ。」
加奈はその言葉を胸に刻むように、静かに頷いた。
「……わかりました。
なら、私も――その盾になります」
夜風が二人の間を通り抜けた。
冷たさの中に、確かな決意の熱が残った。
勇輝は最後に、町へ向かって言い放つ。
「行こう、加奈。
――ひまわり市を売らせはしない!」
湯けむりが月光に照らされ、幻想的に揺れた。
その奥に、明日の闘いの影がうっすらと浮かんでいた。
『異界に浮かぶ町、ひまわり市』
第38話「異界温泉“国営化”の波!」END
次回予告(第39話)
「魔界と天界、湯けむりの決戦!」
温泉サミットが開幕。
しかしその裏で――“ゲート暴走”の一報が入る。
天界、魔界、そしてひまわり市。
三つの思惑が交錯し、町はついに最大級の岐路へ。
「この町の未来は、俺たちが決める!」
――次回、ひまわり市最大の交渉戦、勃発。




