第166話「天空市場、ドラゴンの大試食会!」
――ひまわり市の朝は、いつもより高く澄んでいた。
空気そのものが軽いというより、上に何か大きな気配が漂っているような、そんな妙な朝だった。
「主任っ、大変です!」
美月がいつものように勢いのまま異世界経済部へ飛び込んできた。髪の先までバタバタしていて、手には分厚い観光資料が何枚も挟まれている。
勇輝はコーヒーを置きながらゆっくり顔を上げた。静かな目の奥で、嫌な予感だけが確実に膨らんでいた。
「……何が起きた」
「天空市場が、復活したらしいんです! 今、空に巨大な市場が浮いてて、しかも――ドラゴンが行列を作ってるって!」
美月の声が裏返る。
勇輝の眉がゆっくり上がった。
「ドラゴンの行列……?」
「食べ放題らしいです! 天空市場名物、“雲の羊羹無料大試食会”。でも整理券の魔法陣が壊れて、みんな空中でぐるぐる回ってるとか……!」
勇輝はため息をひとつだけ落とし、地図を広げた。
「加奈も呼んで、すぐ現地だ。空中回転ドラゴンなんて、さすがに市としては放置できない」
――ひまわり市上空、天空市場前。
まるで雲の上に巨大な商店街が座っているようだった。屋根は風に揺れ、通路の下は空の底まで抜け落ちている。
その中央で、ドラゴンたちが渦を巻いて回転していた。
「わぁぁっ、回ってる……!」
美月が足を止め、空を見上げる。
ドラゴンたちは試食コーナーの前で行列を作るはずが、壊れた整理券魔法陣に乗ったまま、ジェットコースターのように旋回していた。
加奈が慌てて勇輝の腕をつかんだ。
「これ、すぐ何とかしないと……落ちたら大惨事ですよ!」
「まずは魔法陣の制御からだな」
勇輝は腰のツールケースから魔法調整棒を引き抜き、光る地面の紋様に近づく。
しかし、近づいた瞬間。
魔法陣が「ピシッ」と怪しい音を立て、陣の縁から青白い光が弾けた。
「わっ、主任、危ない!」
美月が後ろから勇輝を引っ張る。
その直後、青白い光が空へ向かって暴発し、ドラゴンの一匹がくるりと裏返った。
「お、おおおおっ!? 目が回るぅぅぅ!」
ドラゴンが酔ったように体をよじり、雲の羊羹をばらまく。
羊羹が空中でキラキラ光り、周囲に甘い香りが広がった。
美月は落ちてきた羊羹を必死にキャッチしながら叫んだ。
「だから言ったじゃないですか! 絶対壊れてるって!」
「言ってないだろ、美月は……」
勇輝は小声でつぶやいたが、光る魔法陣を前にそれ以上の反論は諦めた。
加奈は空を見ながら眉を寄せる。
「ドラゴンさんたち、完全に並ぶ気なくしてますね……。あ、あれ、羊羹投げ合ってる?」
「試食会でどうして戦闘になるんだ……」
勇輝は魔法陣を再調整しつつ、空のドラゴンたちに冷や汗を流した。
その時、天空市場の鐘が突然鳴った。
古い市場管理人らしき天使族の老人が慌てて駆け寄ってくる。
「おぉ、助かった! ひまわり市の方々か! 市場の再起動に失敗してのぉ、魔法陣が全部“おもてなしモード”に暴走しておるんじゃ!」
美月が涙目になりながら叫ぶ。
「おもてなしで空中回転させないでくださいよ!」
「お、おもてなしじゃ……なかったんじゃが……」
老人がしょんぼり肩を落とした。
勇輝は調整棒を深く刺し込み、魔力の流れを強制的に切り替えた。
魔法陣が深く唸り、ゆっくりと光を弱める。
ドラゴンたちはようやく回転を止め、ふらふらしながら市場の前に着地した。
「うう……胃が……羊羹……」
「俺は三周回った……」
「わしは六周じゃ……」
美月が肩で息をしながら、試食品を並べ直す手伝いをしていた。
「はぁ……こんな試食会、聞いてないんですけど……」
加奈は苦笑しながら、ドラゴンたちの配膳を手伝う。
「でも……まあ、ドラゴンさんたち喜んでるから、いいんじゃないかな?」
その時だった。
どこからともなく威厳のある声が響く。
「おお、面白いものが始まっているじゃないか」
勇輝は振り返らずにため息をついた。
「……市長。どうして毎回こういう時だけいるんですか」
「見物だよ。市民の努力を、その目で見届けに来たのだ」
市長は満足げに空を眺め、ふわりと落ちてきた羊羹をキャッチした。
「うむ、甘い」
美月は頭を抱え、ドラゴンの行列を指さす。
「課長ー! 次は絶対通常営業の市場がいいですー!」
勇輝は深く息を吐きつつ、しかし少しだけ笑みを浮かべた。
「……ひまわり市では、それは難しいだろうな」
――こうして、空に浮かぶ天空市場の大騒動は、甘い香りと混乱の中、ようやく幕を閉じた。




