第158話『ひまわり市、竜王の使者と炎の歓迎』
◆午前・ひまわり市庁舎前
空はいつもより重かった。
雲が低く垂れ、遠くの山並みさえ、輪郭を曖昧にしている。空気は湿っているのに、どこか乾いた熱が混じっていた。季節のせいではない。匂いでもない。肌が先に「熱い」と判断してしまう種類の熱気。
勇輝が庁舎の玄関を出ると、その熱気が顔を撫でた。
撫でる、と言うには強く、殴る、と言うには優しい。
彼は眉を寄せ、広場へ視線を向けた。
そこにいたのは、小柄な龍の姿をした使者だった。
鎧のように光る鱗が、薄い日の光を拾って、硬質な輝きを返している。赤い目は炎の色をしていた。好奇心と威厳が同じ温度で混ざり合い、こちらを測るように見える。
威圧ではなく、観察。観察の中に「期待」があるとき、人は妙に落ち着かなくなる。
美月が端末をいじりながら、小さく息を呑んだ。
「竜王領からの公式使者」
そう言った瞬間、言葉が広場の空気を変えた。公式、という語は現実を硬くする。冗談では済まないと告げる。
名前はファルク。歓迎と町の視察。
歓迎、という言葉が、なぜか少しだけ引っかかる。歓迎する側が歓迎されるような、ねじれた響きがある。相手が使者である時点で、こちらはすでに「試される側」でもある。
加奈は目を細め、静かに息をついた。
ビッグニュースですね、と言いながらも、その声には浮かれた軽さがない。
町おこしの相談――その形をとっているからこそ、油断できない。竜王領という名が持つ重さは、観光と交易の言葉の上に、薄い影を落とす。
勇輝は深呼吸をしてから、使者に歩み寄った。
一歩進むだけで、熱気が増す。熱が空気にあるのではなく、相手そのものから滲んでいる。
「ようこそ、ひまわり市へ」
歓迎します、と言う声は、意識して低くした。
低くすることで、相手の熱に呑まれないようにする。人間が熱に対抗する方法は、声の温度を変えることくらいしかない。
ファルクは小さく頷き、ひとつ息を吐いた。
息は炎の気配を含み、広場の空気をほんの少し温める。
危険ではない。だが、危険でないことが「選ばれた結果」だと分かる。彼がそうしたのだ。熱さの加減を、彼は自在に選べる。
◆昼・庁舎会議室
会議室は、外の湿った空と違って乾いていた。
机と椅子と書類。いつもと同じ「役所の部屋」に、鱗の光が混ざる。異界が入ってくるとき、最初に変わるのは景色ではなく、空気の密度だ。部屋が少しだけ狭く感じる。
勇輝、美月、加奈、そしてファルクがテーブルを囲んだ。
ファルクは尾をゆらしながら、慎重に言葉を選ぶ。慎重さがあるということは、彼もまたこちらを恐れているのかもしれない。あるいは、恐れてはいないが、誤解を避けたいのだろう。
誤解――異界同士の関係で最も厄介なものだ。言葉のズレが、戦争の種になる。
ひまわり市は共存のモデルとして有名だ、とファルクは言った。
「有名」という言い方が、勇輝には少し苦い。町が有名になったのは、努力の結果でもあるが、事故の結果でもある。事故が名声に変わることほど、落ち着かないものはない。
竜王領でも観光や交易の可能性を模索している。
模索、という語の柔らかさに、逆に強い意志が感じられる。模索している者は、見つけた瞬間に手を伸ばす。
美月は目を輝かせた。
新しい町おこし。
彼女はいつも「次」の形を見てしまう。見てしまうことで、現実を前へ押す。押される現実はときに転ぶが、転びながらも進む。
加奈はメモを取りながら頷いた。
異界の都市から直接提案を受けるのは初めて。
初めて、という言葉の中に、微かな喜びと微かな不安が混じっている。初めてはいつもそうだ。
勇輝はファルクの目を見据えた。
炎の色の目。見つめ返すと、こちらの内側まで照らされそうになる。
それでも視線を逸らさない。逸らさないことが交渉の第一歩になる。
「うちの町は小さいですが」
小さい、という自己紹介は防御だ。
小さい町には小さい町のやり方がある、と言うための前置きでもある。
異界の力をうまく使うのは得意だ、と続ける。
得意――その言葉が、勇輝自身の中で少し痛い。得意になってしまったのだ。得意にならざるを得なかったのだ。
彼の頭の中に、フィリィの羽の震えや、ルーネの青い光がよぎる。うまくいったことばかりではない。うまくいかなかった可能性の方が、ずっと濃く記憶に残っている。
ファルクは尾を巻き、静かに頷いた。
そして言った。まずは象徴の前で、小さな試みを行おう、と。
小さな――この使者もまた、慎重だ。熱の強さを選べる者ほど、最初は小さく始める。
◆午後・ひまわりの大樹前
広場には市民と観光客が集まった。
集まる、ということがすでに町の変化だった。人は「何かが起きる」と聞くと集まる。集まることで、何かが起きる。
町は期待の形に変わり、期待は時に危険になる。
ファルクが吐く炎は、危険ではなかった。
炎というより、柔らかな光の粒のように舞う。熱があるのに、焼かない。燃えるのに、壊さない。
壊さない炎――その矛盾が、見ている者の心を少しだけほどく。恐怖の一歩手前で、安心へ戻してくれる。
勇輝と美月は、その炎を利用して小さな演出を試した。
光と炎。
子どもたちが歓声を上げる。歓声は水底で聞いた声より鋭い。空気の中では、喜びはすぐ大きくなる。
笑顔が広場いっぱいに広がり、ひまわりの大樹の影にまで届く。影まで明るく見える瞬間がある。
勇輝は思った。
異界の力を、安全に楽しめる形に変える。町おこしの基本。
基本、と言ってしまうと簡単だが、基本ほど難しい。危険を消し、魅力だけを残す。その操作は、いつもギリギリだ。
ナギルや妖精界の力が町に溶け込んだことを思い出す。
溶け込んだ、という言葉の裏には、溶け込まなかった部分もある。溶け込まなかった部分が、次の事件の芽になる。
それでも、今回もきっと上手くいく、と彼は自分に言い聞かせた。
言い聞かせるのは、希望のためではなく、仕事のためだった。希望がないと、仕事は続かない。
◆夕方・庁舎屋上
夕方、ファルクは屋上で翼を広げた。
夕陽に背を預けるその姿は、絵のように整っている。鱗が夕陽を拾い、硬い輝きが温かい色に変わる。硬さが温かさに変わる瞬間を見て、勇輝は少しだけ安心する。硬いものも、温めれば色が変わるのだ、と。
ファルクは言った。
ひまわり市には度量がある。試みは成功する、と。
度量、という言葉が重い。誉め言葉の形をしているが、同時に「期待の荷物」を置いていく言葉でもある。度量があると言われた町は、断りにくくなる。
勇輝は町を見渡した。
異界の国が増えても、日常は変わらない――いや、むしろ面白くなる。
面白くなる、という言葉に逃げ道があるのを、彼は知っている。怖さを面白さに変換する。変換できれば、人は前へ進める。変換できないものも、もちろんある。
美月は端末を置き、微笑んだ。
SNSで注目されそう、と言う。
注目は、また人を呼ぶ。人が増えれば、事故の確率も増える。彼女はそれを分かっていて、それでも言う。言うことで、次の段取りが始まるからだ。
加奈は頷き、夕陽に光る鱗を見つめた。
竜王領の特産品も絡められそう。楽しみです。
楽しみ、という言葉の中に、少しの緊張がある。緊張は消えない。消えないから、丁寧に準備する。
屋上の風は、夕方の匂いを運んでいた。
そこへ、炎の気配がほんのわずか混ざる。
新しい風と炎の光が、ひまわり市の上に落ちてくる。落ちてくるものを受け止められるかどうかは、町の日常が決めるのだろう。




