第144話「それでも、町は続いていく」
協定改定(案)。
それは、別れを認めて、継続の道も残す紙だった。
紙の上では綺麗だ。
でも町は、紙だけでは動かない。
人が動く。心が動く。噂が動く。生活が動く。
改定案は回覧に乗り、掲示板に貼られ、SNSにも要点が流れた。
当然、反応は割れた。
「甘い」
「厳しい」
「結局、役所が決めてる」
「やっと線ができた」
「C区分は追い出しだ」
「戻れるなら安心だ」
勇輝は机に伏せたくなるのをこらえた。
これは予想通り。
予想通りでも胃は痛い。
「主任、意見が来てます」
総務が紙束を運んでくる。
「紙束で来るな! 胃に刺さる!」
美月が横で言う。
「課長、紙がまた増えましたね」
「増えるな! 未来計画より増えるな!」
加奈がそっと言った。
「でも、意見が出るのは悪いことじゃないよ」
「悪くない。
無言が一番怖い」
市長が通りかかり、さらっと言った。
「反対は活力だ」
「活力で胃が死にます!!」
意見の中で、一番多かったのは“感情”だった。
制度の細かい話ではない。
「置いていかれる気がする」
「町の居場所が減る気がする」
「異界の人が怖い」
「人間のルールが苦しい」
「別れを許すのが寂しい」
勇輝は思った。
境界線の議論は、結局“心の境界線”の話になる。
だから今日は、決裁でも、条文でもない。
“日常”を見せる日だ。
市長が言った。
「では、説明会を開こう」
「また説明会!?」
「最後に、町が納得する場が必要だ」
「……分かりました。胃を用意します」
会場は市役所の多目的ホール。
タイトルは、もう隠さない。
『住民協定改定(案)説明会:別れと継続の運用について』
集まった人は多かった。
怒っている人もいる。
不安な人もいる。
黙って聞く人もいる。
勇輝は壇上に立ち、最初に言った。
「改定案は、誰かを追い出すためのものじゃありません。
“町が続くため”のものです」
後ろから声が飛ぶ。
「続くって、何が続くんだよ!」
「日常です」
勇輝は即答した。
「水道が出る。
ゴミが回収される。
子どもが学校に行く。
商店街が開く。
夜の人も窓口に来れる。
その“当たり前”が続くことです」
会場が少し静まった。
当たり前は強い。
誰も否定しにくい。
加奈がマイクを持った。
今日は補佐じゃない。住民としての言葉だ。
「私、喫茶店やってます。
毎日、いろんな人が来ます。
エルフも、魔族も、町の人も。
最初は、怖かったり、戸惑ったりしました」
会場が聞き入る。
「でもね、コーヒーは同じ味なんだよ。
甘いのが好きな人も、苦いのが好きな人もいるけど、
“飲む”ってことは一緒」
笑いが少し起きた。
それだけで空気が緩む。
「協定って、コーヒーみたいなものだと思う。
飲み方のルールがないと、こぼれる。
でも、ルールが厳しすぎると、苦くなる」
「加奈、たとえが上手い……」
勇輝は小声で呟いた。
次に、異界側代表――リーフェ(エルフ)が前に出た。
今日は、文化保存委員会の若手ではなく、商会の代表として。
「我らも悩んでいる。
この町で商うのは楽しい。
だがルールが増え、窮屈だ」
正直な言葉だった。
「だから“別れの道”があるのは理解する。
ただ、別れが断絶になれば、森は寂しい」
会場が静まる。
魔族のリュディアが続けた。
「私はここに残る。
理由は、制度があるからだ。
疑われても、紙が守る。
それは、我らの世界にはない」
ドワーフが腕を組む。
「線がないと揉める。
線があるなら、我らは従う」
夜行性住民が静かに言った。
「夜の窓口がある。
それだけで、我らは“ここに居ていい”と思える」
――繋ぐ声が、会場に増えていく。
もちろん反対も出た。
「C区分は結局、“よそ者”扱いだろ!」
勇輝は否定しなかった。
「そう見える人がいるのは分かる。
だから、“Cでも守られる最低限”を明記した。
命に関わる相談は断らない。
事故が起きたら調整室で扱う。
町の安全ルールは共通だ」
別の声が言う。
「Aに戻る条件が厳しすぎる!」
「厳しく見えるのも分かる。
でも“戻る”は信頼の回復でもある。
だから実績と研修が必要です」
美月が後ろから、こっそり補足を渡してくる。
今日の美月は仕事ができる。怖い。
「……研修の内容も公開します。
“文化を押し付ける研修”にはしません。
トラブルを減らすための研修です」
反発の空気が、少しだけ薄くなった。
説明会の最後。
勇輝は、まとめを“短い言葉”で締めた。
「別れる人がいても、町は続きます。
でも、“別れ方”が荒いと、残る人が傷つきます。
だから制度で整える。
制度は冷たいようで、実は“優しさの形”です」
市長が頷き、最後に一言だけ添えた。
「ひまわり市は、続ける町だ」
「それ、切り抜かれても大丈夫なやつ!」
美月が小声で喜んだ。
夜。
説明会が終わり、片付けをしながら、勇輝は加奈に言った。
「結局、続くかどうかは、紙じゃなく人だな」
「うん。
でも紙があると、人は安心できる」
「役所の存在意義、そこでいいのかもしれない」
加奈が笑った。
「役所は今日も開庁中、だね」
「そう。
それでも、町は続いていく」
美月が机に突っ伏して呟く。
「課長……次はエピローグっぽい“新しい日常”が来ます……」
「やめろ、予言するな」
……廊下の向こうで、掲示板を貼り替える音がした。
新しい紙が貼られる。
『住民協定 改定(試行)開始:来月1日より』
日常は、紙一枚で少しずつ更新される。
そして町は、更新しながら続いていく。
次回予告
改定が始まって一週間。
トラブルもある。でも、笑いもある。
「ひまわり市の新しい“日常”――役所は今日も開庁中」――いつもの朝が帰ってくる。




