第137話「住民協定、破棄の危機」
協定――それは、紙に書いた“約束”だ。
約束は、守られている間は静かだ。
だが一度揺れると、町ごと揺れる。
なぜなら約束は、信頼の土台だからだ。
その朝、異世界経済部に届いた一枚の紙が、やけに重かった。
『住民協定 破棄通告(案)』
「……案って付けるな!! 破棄は案でも胃が死ぬ!!」
勇輝は思わず机を叩いた。
美月が真顔で言う。
「課長、紙が燃料になりましたね」
「燃料にするな! 鎮火だ!」
加奈が不安そうに覗き込む。
「住民協定って……何の?」
「異界転移直後に結んだやつだ。
“町のルールを守る代わりに、住民として扱う”っていう大枠」
市長が通りかかり、さらっと言った。
「破棄は戦争ではない。交渉だ」
「交渉の火力が高すぎるんですよ!!」
住民協定は、ざっくり言えば“共存の土台”だった。
暴力・呪いの行使禁止(町中)
商取引の登録・表示(最低限)
迷子・事故は市と連携
夜間は騒音配慮
重大トラブルは調停へ
これがあるから、異界住民を“住民”として扱えていた。
これが揺れると、全部が揺れる。
「破棄通告を出したのは誰だ」
勇輝が言うと、総務が青い顔で答えた。
「異界側の一部グループです。
名乗りは……『自由交易派』」
「自由って言葉、だいたい胃に刺さる」
美月がメモする。
「課長、自由交易派=登録や表示が面倒」
「たぶん当たりだ。行こう」
指定された場所は、商店街の外れの広場。
そこに、異界商人たちが集まっていた。
エルフもいる。魔族もいる。人間もいる。
そして、空気が“対立前夜”の匂いをしていた。
自由交易派の代表が、口火を切る。
「ひまわり市の協定は不公平だ」
「どこが」
「登録、表示、調停……
すべて人間側の都合で作られている」
「町の制度だから、人間側の形になるのは当然だろ」
「当然が、支配になる」
言葉が鋭い。
だが感情だけではない。
彼らには彼らの論理がある。
加奈が一歩前に出て、柔らかく言った。
「不公平に感じたところ、具体的に教えてくれる?
直せるところは直したい」
「……その姿勢は評価する」
代表は続けた。
「我らは異界の商いを持ち込んだ。
だがこの町では、値札、返品、説明……
“人間式”を強制される」
「強制じゃない。事故と詐欺を防ぐ最低限だ」
「最低限が増えている」
美月が小声で囁く。
「課長、たしかに最近、紙が増えてます」
「黙れ。事実が刺さる」
さらに追い打ちが来た。
代表が紙を掲げる。
「これだ。協定の条文。
“違反者は出店停止(冷却期間)”
これは追放だ」
「追放じゃない! 冷却期間だ!」
「言葉を変えても同じだ」
魔族が腕を組んで言う。
「面子を潰される」
ドワーフが言う。
「数値が曖昧だ。停止期間が“検討”になっている」
「そこは役所の悪い癖だな……」
エルフが静かに言う。
「約束は、片方が増やし続けると破れる」
「……それは正しい」
勇輝は、ここで腹をくくった。
相手が求めているのは“破棄”そのものじゃない。
“交渉の席”と“公平の形”だ。
だから、行政の一番嫌いなことをする。
――約束を、作り直す。
「破棄する前に、見直しをしましょう」
勇輝が言うと、ざわついた。
「見直し?」
「協定を“固定”にすると、現実が変わったとき破れる。
だから、見直し条項を入れる。
定期的に改定する仕組みにする」
市長が後ろで頷いた。珍しく静かだ。
加奈が続ける。
「不公平って感じたところ、
“人間側だけが楽”になってるところがあるなら、直せるよ」
「楽にしているつもりはないが、結果としてそう見えるなら問題だ」
美月が言った。
「課長、SNSで“協定破棄”って出回る前に、
“協定見直し”って出せば火力が下がります」
「珍しく正しい。広報は後で」
勇輝は、その場で“改定案の柱”を出した。
即席でも、方向性を示さないと相手は引かない。
住民協定 見直し案(柱)
見直し条項:月1回の協議会で改定可能に
ルールの目的明記:安全・信頼・共存のため
停止(冷却期間)の基準を数値化:違反の種類で段階
異界側の提案権:条文追加・修正を提案できる
調停の手続き簡素化:相談→調停の時間短縮
文化尊重枠:異界独自表示(葉っぱ3枚等)も併記可
「6、強いな」
加奈が小さく笑う。
「値札問題、ちゃんと拾った」
自由交易派の代表が目を細める。
「文化尊重枠……?」
「“葉っぱ3枚”だけだと人間が混乱する。
だから併記。“葉っぱ3枚(換算:○円相当)”みたいに」
「……それなら誇りは守れる」
ドワーフが頷く。
「数値化は良い。
停止期間を段階で決めろ」
「やる。A/B/C/D好きだろ?」
「嫌いではない」
魔族代表も言う。
「面子は守れ。
公開処罰のようにするな」
「分かる。
だから“是正→講習→冷却”の順にする」
ここで自由交易派の代表が、最後に突く。
「だが、見直しを口にするだけでは意味がない。
今ここで“破棄通告”を取り下げる理由が要る」
「要るな」
勇輝は言った。
「取り下げの理由は、“協議会の設置”です。
今日この場で、協議会を作ると約束する。
初回は来週。議題は協定改定。
異界側からも議題を出せる」
市長が一歩前に出て、はっきり言った。
「市として約束する。
協定は支配の道具ではなく、共存の土台だ」
「市長、今日は言葉が丸い!」
美月が小声で感動する。
「感動するな! 油断すると次で燃える!」
自由交易派の代表は、しばらく黙った。
そして、紙をゆっくり下ろした。
「……よい。
破棄通告(案)は、保留にする」
「保留! 勝った! 役所用語で勝った!」
加奈が小さく息を吐いた。
「よかった……」
「まだ終わってない。
保留は“次回までの猶予”だ」
市役所に戻ると、広報が待ち構えていた。
美月が言う。
「課長、発信、どうします?」
「短く。煽らず。約束を示す」
出した文はこれだ。
【住民協定について】
一部から協定の見直し要望があり、協議会を設置します
協定は共存の土台として、現実に合わせて改定していきます
安全と信頼を守りながら、異界文化も尊重する形を検討します
「“検討”って書いた!」
「書くしかない場面もある!」
夕方。
勇輝は椅子にもたれて、静かに言った。
「約束は、破れる前に手入れする」
加奈が頷く。
「壊れてから直すのは、もっと痛いもんね」
「そう。だから今、痛い」
美月が机に突っ伏して呟く。
「課長……次は“独立宣言”ですか……」
「やめろ!! その単語がもう嫌だ!!」
……だが廊下の向こうから、聞こえてしまった。
「主任! “独立宣言”って言葉が出回ってます!!」
「ほらぁぁ!!」
ひまわり市役所は今日も、
“破棄”を“見直し”に変換して、なんとか町を続けさせながら、ちゃんと開庁している。
次回予告
ひまわり市が“独立する”という噂が広がった。
誰が言った? 何の独立?
「ひまわり市、独立宣言!?」――言葉ひとつで町が割れる!




